* * *

 あれから。
 実に、今日で四年が経つ。
「……感慨深いねぇ……四百九十三、四百九十四」
 五百段の階段を汗水垂らして上りながら、呟く。
 結局その後、実質「部活をサボった」俺達二人は、階段の上の丘で特に意味のない話をした。
 バレー部の活動のこととか。
 クラスの連中のこととか。
 先輩達への文句とか。
 夢の話とか。
「レギュラーに、ね」
 メグは、夢の話になった時点で、そう俺に語った。
「なりたいね。うん。全国のコートでプレーしたい」
「阿呆。だったらお前、何で今年のレギュラー蹴ったんだよ? あそこで『ハイ』って言ってれば行けたのに……今更?」
「違う違う! ……僕だけじゃなくて、ムツとミキとユキと、みんなで。レギュラー断わったあの時も言ったけど、僕、Cチームの中で一人だけ全国行くのは嫌だったんだよ。僕は全国のコートでプレーしたいけど、同時に、みんなも一緒じゃなきゃ嫌なんだ」
「……」
「我儘でしょ」
「まーな……何ていうか、努力次第ですぐにでも叶えられそうな夢だな」
「小さい?」
「いや。メグらしい」
「そっか」
「うん」
 結局それから約一年後、すなわち中二の時に俺は公立中学へ転校してしまったので、Cチームで全国大会に行くというその夢は結局叶えられなかった訳だが……
 そんな未来なんて想像していなかった俺達は、あの日の一番最後、暗い中階段を下りながらこんな約束をした。

 必ず、毎年、今日。
 ここに来よう。
 そして二人で色々話そう。

「で……ここまで言ったら、わかってくれますよね。五百一」
 何を隠そう、今日が――その、一年に一回の日である。
 もちろん、その今日という日は去年も一昨年も三年前もあった訳だが、俺が転校してしまったこともあり、三年前に一回だけ約束を果たして以来ここには来ていない。一昨年は俺が高校受験、去年は有耶無耶になってしまって。
 だから、今年こそは。
「五百十一、五百十二、五百十三……」
 本日平日、学校帰り。よって高校の制服そのままで、教科書と図書館で借りた文庫本(当然ラノベ)を詰めたエナメルを肩から下げて、の登山なのだが、いやはや、暑い。
「五百十八。五百十九……五百二十、五百二十一!」
 林による影は丁度頭上で終わって代わりに久々になる太陽の光が俺の目を刺し、辺りに遮るものがない開けたところ特有の風が俺の髪を揺らす。
 上りきった先の、意外な開けた場所。
「……やぁ、ユキ」
 そこで、ここに来るべき友人は。
 新しく連絡も取っていないのに、ただ四年前の約束だけを守って――
 先客として、俺を待っていた。

「……よ。久しぶり」
 軽く手を上げて、制服姿のメグの隣に腰を下ろす。
「夏休みの始めに会って以来だから……二ヶ月近くになるのか。早いな」
「そうだね」
 ただし――四年前のメグとはかけ離れて見える、その容姿。
 ポニーテールが似合っていた髪が、肩ほどでばっさりと切られて。
 眼鏡のレンズ越しに見えていた目が、コンタクトに。
 エセ優等生面に俺より頭一つ分高いくらいの背と、私立男子校の制服だけが変わっていない。
「……そんなに変かな?」
「いや。変ってんじゃないけどな……違和感あるだけ」
 言うと、メグはそっか、と言って目の前の風景に視線を投げた。
 風が吹く。
「あれから、四年」
「うん」
「全国には、結局Cチームでは一回も行けてないなぁ」
 今年バレー部で高二生から一人だけ全国大会へ行ったメグは、そう言って苦笑する。俺は肩をすくめることしかできない。何せ転校しちゃったからなぁ。
「ごめん」
「ユキのせいじゃないでしょ。謝らないでよ」
 メグが言って笑う。でも、すぐにその声は止んだ。答えは簡単だ、ワンワードで済む。
 メグが、口をつぐんだからだ。
 何とも言い難い、表情で。
「……あのさ、ユキ」
 話が核心部分に触れる。
「四年前のことだけど――ユキ、言ったよね。『妙な責任感は持たなくてオッケー』って。『生き方変えてみろ』って。……『自己暗示解け』って。あれなんだけど」
「……ああ。何?」

「無理だ」

 あっさりと。
 四年前、自分がうなずいた事象を、否定する。
「ユキに言われたこと、やってみて思ったんだ。『妙な責任感は持たない』。それって、責任感じちゃいけないって責任負ってるんじゃないの? 『生き方変えてみろ』。変えろって言われた生き方はとうに見失ってる。『自己暗示解け』。それも、自己暗示解けっていう――自己暗示」
「……」
「上手くいかないんだ。ユキに、やってみろって簡単そうに言われたことが、僕には」
 ため息が風に零れた。
 それは、メグの本音が汚した、酸素と二酸化炭素と窒素の化合物。
「そんな風にごちゃごちゃ考えていることすら、多分ユキにはわずらわしいんだろうね。でも……考えちゃうんだよ、どうしても。やめろって言われても、思い悩むことだけは、どうしても、やめられない」
「……やめられない」
「そう。やめられないんだ」
 四年ぶりに、メグに会った気がする。
「だから……否定しないで。って思った。そうやって、僕のことを否定しないで欲しかった。どんなに不器用でも。どんなにわずらわしくても。ユキから見てどんなにもどかしくても、馬鹿に見えても、阿呆臭くても――否定しないで欲しい」
「否定……」
「ごちゃごちゃ考えて。どうでもいいようなことで悩んで。馬鹿みたいなことで逃げ出して。しょうもないことで弱音吐いて。……自分で嫌になるくらい頭も硬くて、生きているのをやめたくなるくらい不器用な奴で、周りに迷惑をかけて不快にすることしかできない、本当に、どうしようもない僕だけど、」
 はっきりと言い切るメグが、俺の目を見ている。

「それが、僕なんだ」

「……旗、掴んだじゃん」
 これ以上はないほどにしっかりと自己主張するメグに少しだけ驚いてから、俺はそう笑ってやった。旗? とメグが首をかしげる。
「そう、旗。自分自身のための目印」
「……そうかな?」
「そうだよ。……別に、そこまではっきり示せるものがあるなら、どんなにもどかしかろうと馬鹿に見えようと阿呆臭かろうと、俺が文句言えることじゃないだろ」
「……そっか」
「ああ」
「……そうなんだ」
 それからメグは、また、遠いどこかに視線を向ける。
 眼鏡とコンタクト、四年前とは違う風に見えているんだろうか、と馬鹿みたいなことを考えた。
「まだ、自信ないけどね。でもそれなりには頑張ってるつもり」
 言うメグの表情は、ほんの少し生き生きして見える。
「イメチェンしたのだって、決してレギュラーになったからバレーしやすいように、だけじゃないんだよ? まぁ、それこそ間抜けだけど……決意、かな。あるいは昔の自分との決別」
 言い切って、メグはそばの草むらに置いていた自分のエナメルから、何かを取り出した。見慣れたケースに入っているそれは、メグの手の中に収まるとまさにそれだと鮮やかに思い出せる、昔メグがかけていた――フレームの細い眼鏡。
 四年前のメグの一部。
「……決別か。それはそれで、寂しい気もするけどな」
「そんなこと言わないでよ。折角一大決心したのに、後ろ髪引かれるじゃないか」
「ちょっとくらいいいだろって」
 言って俺はメグの手から眼鏡を奪うと。
 四年前、強攻突破と言わんばかりにメグの右手を掴んだとの同じように、あくまで自分の都合で、ほとんど無理矢理に、その眼鏡をメグにかけた。
 俺が見慣れた、メグの顔。
 髪が短いのだけ、変だ。
「……似合わない、だろ?」
 コンタクトの目にその刺激は強すぎるのか、そっと目を閉じて、メグが言う。
 それはどっちのことなんだろうか。
 今の姿か、それとも、昔の姿なのか。
 どちらにしたところで、俺が返すべき言葉は一つだった。
「……かもな」

 秋が近いんだな、と、高いところに吹く特有の風に髪を弄ばれて、橙色と空色が融合した薄い空を見上げながら思った。
「響く鐘の音の様な ホラ
 風に揺れる旗の様な
 あのメロディーはなんだっけ 思い出して……」
 隣から、目を閉じたメグの、歌声が聞こえる。
 人は誰しも迷いながら、自分ただ一人だけを信じて、その一瞬一瞬の指標を楔として道に残していく。
 それはきっと旗みたいな形をしているんじゃないかと、似合わず詩人的なことを考えてみて、その歌声に目を閉じた。別に風が目に痛かった訳じゃない。ついでに、柄でもなく感傷に浸ってしまった訳でもない。
 ただ。
 すぐ近くから聞こえる、歌の旗に――耳を傾けたかった。
 響く鐘の音のような。
 風に揺れる旗のような。
 そんな旗を、俺達二人は、確かに四年前――ここに、突き刺したんだ。

「……メグ、声低くなったな」
「ユキは、そうでもないね」
「ほっとけ」

 そして今日もまた。
 四年ぶりに、新しい旗を刺すために。

 俺達は二人そろって、口を開く。


[メロディーフラッグ 了]
[読了感謝]

作中歌詞引用:メロディーフラッグ(アルバム「jupiter」、2002年2月20日)
作詞作曲・藤原基央
演奏・BUMP OF CHICKEN(LONGFELLOW・トイズファクトリー)
(敬称略)



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