ブレイクタイム








 我が中高一貫私立男子校の昇降口にある自動販売機群は品揃えが豊富で、誰でも必ずお気に入りの一本が見つかると生徒の間で評判がいい。
 四月で無事に進級し中学二年生となった俺は、そんな自販で購入したフェイバリットな缶コーヒーを傍らに、昼下がりの中庭のベンチで読書に勤しんでいた。
「おーい、ユキ」
 本日、四月五日。
 入学式の日である。本来なら俺達在校生は休日である本日この日だが、部活動の勧誘なんかの仕事がある一部の生徒は登校することになっている。何を隠そう俺もその一人で、午後から体育館で行なわれる入学式を前に、こうして一息入れているという訳なのだった。
「おい、そこで本読んでる可愛いツンデレちゃんってば」
 が――そんな貴重なブレイクタイムを台無しにする雑音ボイスが忌々しいこんな日本語を形成しているのを耳にし、俺は眉を顰めた。聞き覚えのあり過ぎる、面食い女子が刹那も置かずに飛びつきそうな某極上イケメン面の声だとわかっちゃいるけど、……無視だ無視。
「無視すんな、ツンデレリーヌ!」
「誰だよ!」
 ついいつものように突っ込みを入れてしまってから後悔する。案の定、本から顔を上げたそこにいたのは同級生兼部活のチームメイトの人型台風・野瀬睦――通称・ムツで、何やら手に紙の束を持ってニヤニヤしていた。
「ふっふっふ、俺がない知恵絞って考え出したツンデレの進化形だ!」
「進化させんなそんなもん……」
「んー? ユキ的にはツンデレラの方が良かったのか?」
「字が下手くそでカタカナが怪しい小学生か」
 他にも「ン」と「ソ」の書き間違いとかな。
 ツソデレラ……ではなくて、
「何なんだよ、ツンデレリーヌとかツンデレラとかよ」
「え、『ユキ』というニックネームの由来になったお前の本名だろ? スノーホワイト・M・ツンデレリーヌだ」
「俺の本名を胡散臭い横文字にすんな。あと間の『M』は何の略だよ」
「マゾヒストのM……おっと」
「おっとじゃねぇ!」
 ていうかお前さっき、ない知恵絞って考えたって言ってたじゃねぇかよ。俺の本名を即席味噌汁みたいな手軽さで考え出すな。
「スノーホワイト・M・ツンデレラ?」
「黙れ。……あ、突っ込みを間違えたな。死ね」
 吐き捨てるように俺が言うと、「うわー酷ぇー」と不満げに言ってムツは口を尖らせた。
 馬鹿丸出しの、脳みそ不足なガキのような表情。
「あ、何? ツンデレラがシンデレラのもじりなのが気に入らないのか。そっかー、何せユキ嬢ちゃんはスノーホワイトプリンセスだからな」
「プリンセス言うな、プリンスと言え。俺は男だ」
「え、ユキ、プリンスなの? まさか自分から王子様名乗っちゃいます?」
「……。前言撤回だ」
 これ以上こいつと漫才を続けると色々と余計なことを口走らされそうなので、俺は強引に話を変えることにした。
 前言撤回からの、閑話休題。
「で、何しに来たんだ。まさか俺の貴重なコーヒーブレイクを邪魔しに来ただけじゃあるまいな?」
「半分は合っててもう半分は不正解かな。……お前を呼びに来たんだよ。そろそろ始まるぜ、ビ・ラ・く・ば・り」
 言って手にしている紙の束をばさばさと振るムツ。
 ビラ配りか。俺とムツの所属するバレー部では、これを始めとして新入生の勧誘にまつわる仕事は全て中等部二年生の下っ端が担当することになっているのだ。どうやら俺達のチームが任されたのは、その中でも一番雑用っぽいビラ配りらしい。
「……他にもっといい仕事はなかったのかよ」
「Aチームの奴等は全国行きレギュラー候補筆頭でその手の仕事はナシ。Bチームの奴等は仮入部で新入生の教育を担当。……俺達Cチームは、順番的にいってビラ配りなの。Can you understand?」
 わざとらしく横文字を吐くニヤケハンサム野郎。
 俺はそれに肩をすくめることで答え、缶コーヒーを一気に飲み干す。全く、行きゃあいいんだろ、行きゃあ。
「うむ。メグとミキももうスタンバってるぜ」
「そっか……あの二人を待たせるのは流石に忍びないな」
「え、俺だけならいいのか?」
「一向に構わん。三時間は余裕で待たせる」
「うわー、放置プレイかよ。ユキちゃんってば鬼畜ぅ」
「プレイって言うな。何か変態くさいぞ」
「変態くさいって言うな。俺様は変態そのものだッ!」
「今すぐ警察に出頭してこい……」
 多分こいつなら絶対逮捕されるだろうな、とかそんなことを考えつつ、俺はベンチに置いてあった五冊の文庫本を一纏めにして立ち上がる。
 その時、中庭に一本だけ植わっているソメイヨシノの木から桜の花弁が一片落ちて、ムツの茶色い頭にくっついた。
 直後――
 中庭を一陣の風が吹き抜け。
 幾枚もの桜色の花びらが、一斉に舞い散る。
「――」
 俺とムツは黙って、その幻想的な風景にしばしの間見蕩れた。
 中庭を吹き抜ける春風が俺達の髪を揺らす。
 一年前も、入学式の終わった後ホームルームが始まる前の時間に、これと同じ景色を見たことを思い出した。
 ……あれから一年、か。
「一年前の今日、ね」
 意味深に微笑んでムツが言う。
 シニカルな微笑だった。
「……あの日俺とお前は運命的な出逢いを果たして、一瞬にして恋に落ちたんだよな」
「記憶を捏造すんな」
 ていうかそんな過去があったら今頃俺は世間様に顔向けできてねぇ。
 ……繰り返すがここは男子校である。いくら端整な顔立ちをしていてもムツは男だし、いくら名前が女々しくても俺だって男だ。
 プリンセスではなく、プリンスである。
 しかしながら。
「……出逢って一年か」
「うん?」
「恋には落ちちゃいないが……結構運命的ではあったかも、知れないよな」
 桜の木を見据えたまま呟いた俺に。
 しばらく驚いたような視線を送った後で、ムツはにやりと微笑んだ。
「……ツンデレ」
「うるせぇ」
 勝手にほざいてろ。どうせ俺はツンデレだ。
 いっそのことそう開き直ると、ムツは「わかりゃーいいんだよ、わかりゃー」と言ってから、もう一度ビラの束をばさばさと振る。
「んじゃま、緊張気味の新一年生どもにそんな運命的出逢いのきっかけをプレゼントしに行こうぜ、ユキ嬢ちゃん」
「そうやって呼ぶな」
 頭に桜の花をくっつけたまま先に歩き出したムツに続いて、俺も文庫本五冊と空になったコーヒーの缶を持って歩き出した。

 中庭を出ようとしたところで、振り返る。
 桜の木が心地よさそうに、春風の中梢を揺らしていた。
「……」
 あの日から丁度一年。右も左もわからず薄ぼんやりとした不安を抱きながら、一年前、中学生になりたてだった俺も、この桜の木を教室へ向かう途中の廊下の窓から眺めたのだった。
 そしてその直後――俺は出逢った。
 不安なんか余裕で吹っ飛ばしてくれる、常夏の太陽の如くに笑う、暴走癖を持ったはた迷惑な友人に。
「おい、何をぼへーっとしてんだよ。さっさと行くぞ、ツンツンデレデレツンデレリーヌちゃんよ」
「パワーアップさせんなや」
 あの日から比べ更に増長した、生きた迷惑行為防止条例違反を追いかける。すぐに追いついて、その際頭についたままの花びらを指で摘まんで取ってやった。
「ん?」
「桜。頭についてたぞ」
 面と向かって話せば呆けと突っ込みを何度も繰り返す羽目になる、困った超絶ハイテンションの持ち主ではあるけれど。
「――おー。さんきゅー♪」
 この出逢った時から変わらない、常夏の太陽の如き輝きを放つこいつの笑顔に――
 この一年、思い返してみれば救われたことだって確かにあった訳で。
 一年前の今日、中学校生活最初のホームルーム中に、隣の席から声をかけてきて、そっけなく返事をしても筆談しようとしつこく迫ってきた、最初の友人。
 あの時からこいつは、俺のことをユキ、と、そう馴れ馴れしく呼んでいた。
 ――んじゃあ、よろしくな、ユキ!
 そう言って、隣で馬鹿みたいにはっちゃけた笑顔を振りまくホストのなり損ない的クラスメイトに、俺は本当に厄介な奴と隣になっちまったとため息混じりに思いながら。
 一方で、その一億ワットの笑顔に――ほんの少しだけ、感謝したのだった。
 きっと、何かの間違いのようにそんな感情を抱いてしまったその時から俺は、本当はわかっていたのだろう。
 騒ぎのあるところに奴の姿あり。台風の中心たる手に負えない暴風雨、吹き渡る烈風の化身――
 古今東西に並ぶ者なき、ご意見無用で問答無用。
 天上天下唯我独尊に喧嘩上等天下無敵の。
 究極の、トラブルメーカー。
 いつもその突拍子もない破天荒な行動にぶつくさと文句や不満を言いつつも――そんなこいつと出逢えたことは、そう悪いことではなかったと。
 本当はちゃんと、わかっていたのだろう。
 最初に出逢った、あの時から。

 このビラ配りを無事に終えたら、その後の休憩時間に、仕事の褒美でこいつに俺推薦の缶コーヒーでもおごってやるかな、と、気まぐれみたいにそう考えた。
「――♪」
 ツンデレの俺がそんな殊勝なことを考えているなんてこれっぽっちも知らずに、機嫌よさそうに鼻歌を口ずさむムツの髪を、再び中庭を吹き抜けた春風がそよりと揺らす。


 出逢いの季節。

 長くて短い学校生活を共に過ごす、運命の友人と出逢えるのか――不安と期待で胸を膨らませた新入生の君達に。

 幸多かれ!


[ブレイクタイム 了]
[読了感謝]


初出:O高校文芸部特別誌

四月に高校の文芸部で新入生向けに出す部誌に、
ゲスト作品として載せていただいたもの。
部活引退し、更には卒業もしたっていうのに
未練がましく小説投稿しても、嫌な顔をしないでくれた後輩に感謝……!
テーマは「桜」「出逢い」「缶コーヒー」「ツンデレ」でした。
他に説明の仕様は……ない!←
締め切りまで時間がなかったから、確か執筆にかかった時間は
一時間半程度だったはず。原稿量も、今まで部誌に投稿してきた作品の中で
一番短くなりました。
引退後に最短記録作るとは……うーむ。




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