昔話をしよう。

 いや。
 ハジマリの話をしよう。

 と格好つけてみたところで、そのハジマリの話というのがいずれにせよ昔のことなんだからこれはいつものように昔話をするのと何も変わらない訳だ。わざわざ言い換えた意味なんてない。人間のやることに意味なんか伴わないことの方が多いんだなぁなんてことを人生で三度目くらいに思い知るくらいの意義しか、少なくとも俺にはないね。まぁ意味がないっていうなら、三度目に思い知ったこれにも全然意味はないんだけど。
 ……何の話をしていたんだっけ?
 そう、昔話。俺達の始まりの話。
 これまで何度か同じ語り出しで過去話をしてきたけれど、その中高一貫私立男子校に通っていた俺の中学生時代の話っていうのを一つずつ辿っていけば、そこには必ず「最初」の話があった訳で、思い起こすとこれが結構劇的なのかも知れない。桜舞い散る春、中学受験を経て入学し、そこでクラスメイトになったり部活が一緒になったり、その部活でチームメイトになったり、言ってしまえば何てことはないそれだけの話ではある。けれど、これがその後のあれやこれや馬鹿騒ぎに繋がる発端だったんだと考えれば、どうしてだろう、なかなかに感慨深く感じられたりするものじゃないか。
 昔のことをしみじみ思い出してそう感じるなんて、年を取った証拠だと思うけど。
 でも、今宵高校三年生になる俺が新たなる「ハジマリ」を迎える今、かつて昔の「ハジマリ」を思うことは、決して変なことではないはずだ。
 そんな訳で――百パーセント俺の自己満足で綴られる話だけれど、それでもよければ、どうか付き合ってやって欲しいと思う。
 今これを読む君達のハジマリに、何か少しでも、いい影響を与えられたらと思うから。





アタックナンバーワン


 初めて袖を通した中学校の制服。
 紺のダブルブレザー、揃いのスラックス、これまた紺のネクタイにまっさらなワイシャツ。この格好に、筆記用具やら上履きやらを突っ込んだ真新しいエナメルのスポーツバッグを付け加えれば、どこからどう見ても完璧な新品中学生の完成だ。
 四月五日。
 今日という日、俺と同じく中学生になる十二歳(一部十三歳)は多いと思う。けれど俺自身そんな奴等と比べて自分を特殊だと思ってしまうのはこの場合仕方ないことで、というのも、俺が今日から通う中学校というのがお隣東京都の私立校だからだ。
 中高一貫、私立男子校。
 高校受験がない分、大学受験までストレートの教育方針。
 そこら辺の公立なんかよりはちょっと厳しい校則。
「……何舞い上がってんだろ」
 その校則で定められている指定のローファーに足を突っ込みながら呟けば、慌しく支度を終えてきた母親が「舞い上がって当然なのよ」とやけに母親らしくたしなめてきた。
 子供扱いすんな。
 ムカッときて言い返すと、食卓の上に定期忘れるくらいなんだからあんたは充分子供、と、これまた真新しいパスケースを突き出されたのだった。
 ……不覚。

 しかし、そんな高揚した気分も実際に入学式を終えてしまえば早々に冷めてしまうもんである。
 同じように真新しい制服を着込んだ一年生の群れに混じって体育館から教室へ移動する頃には、家を出る時の高揚はどこへやら俺はすっかり冷めていた。冷え切っていたといってもいい。何せ小学校高学年の時に、ライトノベルのように面白くなんかちっともない現実世界にいい加減愛想を尽かしかけた俺だから、自分がこれから通う学校がいかにもつまらなそうな世界とわかってしまえば失望もするって訳だ。
 どこからどう見ても俺同じく凡人の一年生達を、連れてこられた一年B組の教室、その中央近くに構えられた自分の席から観察しながら、俺はもう早く帰りたいとかお寒く思い始めていた。
 やたら濃い顔をした担任だという教師がやってきて、最初のホームルームを開始する。担任は英語教師なのか。何かこいつ、竹中●人に似てるなぁ。
 ……俺がそんなことを考えていた時だった。

「おい、お前」

 と。
 誰かから、声をかけられた。

「……?」
 先生が話している故、その声は小さかった。そのため一体どこから声がしたのか一瞬掴みかねる。それから、いや待てそもそも俺が話しかけられたのかわからないじゃんかと思い直し、何事もなかったかのようにスルーして担任・竹中●人似の観察を再開した。
 今から思えば、そのまま無視してしまえばよかったと思わなくもない。
「おい、お前だってば。その仏頂面で担任睨んでるお前」
 再度声をかけられて、俺は今度こそ話しかけられているのは自分らしいと確信した。隣の席からだ。担任がこっちを見てないのを確認してから、振り返る。
「そう、お前だよ」
 振り返ってから、少し驚いた。
 とんでもないクラスのイケメンが座っていた。どこをとってもケチのつけようがない、面食い女子が刹那も置かずに飛びつきそうな極上のルックスをしている。色素の薄い茶髪がそれなりの長さなのも相まって、尚更整った顔立ちに見えた。教室に入ってきた時どうして真っ先に目がいかなかったのか不思議なくらいだ。組まれた脚は伸ばせば恐らくかなり長いだろう、完璧モデル体型。余計な描写を省いて一言で言えば格好いい。
「よっ、俺、野瀬睦♪ お前名前何つーの?」
 ところがその格好いい顔立ちには不釣合いな馬鹿っぽい――そう、いかにも馬鹿っぽい笑みを浮かべて、そいつは慣れ慣れしく話しかけてくる。ちょっと珍しい。初対面で俺にこんな風にフレンドリーに話しかけてくる奴なんて滅多にいない。
 滅多にいないからこそ、この時俺の中で警戒心が勝ってしまった。
 俺は担任・竹中(以下略)をちらと窺った後、軽く眉を顰めて言った。
「ホームルーム中だ、私語は慎め」
 ……。
 何というか、まぁ。
 可愛げもクソもない台詞である。
 だからこそ、俺はこいつがさっさと諦めてくれると思っていた。実際隣の席でイケメン君はぽかーんと間抜けな面を晒していたし、俺もそれきりコンタクトを取るつもりはなかった。
 ……けれど、何というか。
 この極上ルックス野郎が、思ったよりも困った奴だったんである。
「じゃ、」
 と再度話しかけられて、ああ鬱陶しいと仕方なく振り返ってすぐ、俺の顔は引き攣った。
「筆談しよーぜ♪」
 俺の視界に入ったのは、鞄から取り出した紙とペンをこちらへ突き出し笑顔でペコちゃん面をしたそいつの姿。
 ……厄介な奴と隣になっちまった。
 素直にそう思った。

 * * *

 喋るのが駄目ならじゃあ筆談って、一体どんな思考回路だそれは。
 思いつつも紙とペンを受け取り、名前を教えろと言われたので名前を書く。ホームルームは既に生徒の自己紹介に移っていて、それで俺の番が回ってくるのを待っていればいいじゃないかと思った俺だったが、あえて口にはしなかった。何か、何を言っても無駄そうだったし(ちなみにその予想はその後当たる)。
「へぇっ。変わった名前だな? それにちょっと可愛い」
 俺から返された紙を見て、そいつは楽しそうに笑う。可愛いとか言われた俺は素直にむっとした。確かに俺の名前は見た百人中百人全員が女の子の名前だと答えそうなくらいには女々しい。だけど、それは男として何をどう考えても誇れることではないんだから、そうもストレートに可愛いとか抜かすのはどうかと思う訳だ。ぶっちゃけて言うと失礼な奴だと思った。
「何て呼べばいい?」
 自分から筆談しようと言ったくせに、もう普通に話しかけてくる馬鹿だった。何で担任は注意しないんだろう。
「あ、俺のことはそうだな――ムツ。ムツって呼んでいいから。ちなみに俺の名前、漢字でこう書くんだけどさ、」
 思い出したように言って、そいつは書かれた俺の名前の下に「野瀬睦」と少々乱暴な筆跡で自分の名前を記す。俺が野瀬の名前を正確に把握したのはこの時だった。なるほど、「あつし」という字が「むつみ」とも読めるからか。悪くないセンスではある。
「……別に呼びたくないけど」
「固いこと言うんじゃねぇよ。そうだな、お前は……」
 俺の名前を数秒睨んでから、野瀬はぽつりと呟いた。
「……ユキ?」
 普通だな。
「……はぁ」
「ユキ」
「……勝手にしろよ」
「ユキ?」
「何だよ」
「ユキーっ!」
「お前何かムカつくぞ」
 ストレートに罵倒語が出た。
 ホームルーム中でなかったら真剣に殴っていたかも知れない。
「んじゃあ、よろしくな、ユキ!」
 しつこい……。
 隣で馬鹿みたいにはっちゃけた笑顔を振り撒くホストのなり損ない的クラスメイトを見てため息をつきながら、俺は本当に厄介な奴と隣になっちまったとか考えていた。

 これが、俺と。
 その後の学校生活で、俺を傍若無人に振り回すことになる人型台風・野瀬睦――通称・ムツとの、出会いだった。

 ……ちょっとだけ、出会わなきゃよかったと今は思う。


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