* * *

 シズのピアノの発表会が行なわれたのは、それから一ヵ月弱後のことだ。学園祭を目前に控えた十月半ばのある晴れた土曜日、俺とムツとメグは「よければ来てくれないか。今回その……色々、世話になったからね」とシズから渡されたプログラムを手に小さなホールへと出向いた。午後一時に開演したその発表会は、未就学児のちび共の微笑ましい演奏に始まって、俺としてはなかなかに楽しめる。ムツは爆睡してたけどな。失礼な奴め。
「僕はそろそろ行くよ」
 控室も小さいものが数室しかないらしい小ホール、出番の直前までは客席でミナや俺達と共に待機しなければならないシズは、発表会が終わりに近づいた頃楽譜を手に席を立った。俺はうなずいてから、もらったプログラムに視線を落とす。シズの発表一曲目は、リスト作曲・「愛の夢第三番」だ。
「……変えて平気だったのか、曲?」
「得意な曲想だからね。一から練習し直しだったけど、大した苦労はなかったよ」
 本当に何の苦労もしなかったらしいな、目元に隈一つない端麗な顔につんとすました表情を浮かべて言うシズが少しだけ憎たらしい。
「僕はリストの曲も好きじゃない。彼の曲も、指が六本あると噂されるほどだった彼自身の才能をひけらかすような技巧的なものが多いからね。並みの人間が弾けないような曲は、やっぱり嫌いさ」
 でも、とシズはそれに逆接の語を繋げる。
「でも、それでも彼の書いた曲の中で『愛の夢』だけは、何でかわからないけれど、好きなんだ」
 それは、シズが発表曲をそれに変えた理由としては、それ以上説得力のあるものはないだろうものだった。

 そうして回ってきたシズの番で聴いた「愛の夢」は、何とも素晴らしい出来栄えだった。一ヶ月弱で仕上げたとはとても思えない。元々「革命」や「幻想」を弾きこなせるくらいだから技術的に上手いのは然ることながら、ゆったりとした曲想にして胸にぐっと迫ってくるものがある旋律をよく捉えていて、聴く甲斐ありの文化功労賞的演奏だった。思うにシズ本人が言っていた通り、奴にとって得意な雰囲気の曲なんだろう。舞台上でピアノを奏でるシズは、俺がそれまでに見たこともないような穏やか且つ優しげな表情をしていた。
 しかしどうだろう、俺の周りにいる友人っていうのは、一癖も二癖もある奴が多いみたいだな。今回の一件でそれが証明された気がする。
 倒れるまでムキになってピアノの練習を続ける生真面目な美少年もいれば、無表情と無口を貫き通す何考えているかわからん不思議系がいて、人が好くて几帳面なしっかり者エセ優等生がいたかと思えば、くだらんことで爆笑したり激昂したり説教こいてみたりするニヤケハンサム馬鹿もいる訳だ。百花繚乱乱れ咲き。こんなに個性豊かな奴等に囲まれていたんじゃ、ただの読書好きにして流されやすい突っ込み役の俺なんかのキャラは霞むしかないね。
 そんな風に、こうもみんな個性がばらばらだというのに――
 どうして俺達は、繋がっているんだろう。
 哀しいすれ違いを繰り返しながら、不安定なバランスの上で、成り立っているんだろう。
 そして、そんな風にちょっとした偶然で成り立っているこの関係が、どうしてこんなにも楽しいものなんだろう。
 和音みたいだ、と俺は思う。
 一つ一つの音は何の関連性もなくてばらばらなのに、ふとした拍子に条件がそろうと、人の心を揺り動かす極上のハーモニーが生まれる。それは花の如くに咲き乱れて、歌となってどこまでも広がっていく。  時に不協和音となり。
 時にリズムを間違いながら。

「……人生と友情はピアノ曲さながらだな」

 そう気取ったことを誰にも聞かれないくらいの小さな声で呟いたところで、シズの一曲目が終わった。
 一曲目、ということは、二曲目があるということだ。
 しかし、シズはすぐには二曲目に移らない。舞台袖からアシスタントさんがもう一枚の楽譜を手に出てきたところで、シズは唐突にピアノの前を離れた。少し客席がざわつく。
 それを気にも留めず、しっかりとした足取りで、舞台の中央まで歩いて。
「……次の曲は、」
 舞台照明を受けて眩しそうな目をしながら、シズは少年らしい艶のあるその声を張り上げた。百人超入るか入らないかの小さなホールでは、その声はよく響き渡る。
「次の曲は……ピアノを演奏するにあたって、技術の向上だけを追い求め、『音』を『楽』しむという――最も大切なことを忘れていた僕を目覚めさせてくれた、一人の友人に贈ります」
 俺は隣に座っているミナを見た。
 ガラス細工のような無表情の瞳は、舞台上の親友の姿をしっかりと捉えている。

「聴いてください」

 大橋静流のプログラム、二曲目は、ランゲ作曲・「花の歌」。
 シズは迷いのない足取りでピアノの元へと戻ると、アシスタントさんが広げた書き込みだらけの楽譜に一度目を通し――それを閉じて、鍵盤の上に指を並べた。
 俺の隣で、ミナが身を乗り出す。
 それを見つつ――

 俺は、この後観客全員から大絶賛を受ける極上の演奏をするだろう美少年に向けて、演奏終了時に贈る拍手の準備をしたのだった。


[ブルーメンリート 了]
[読了感謝]

初出:友人の誕生日プレゼント
参考資料:
「Piano Piece Best 30 花の歌」
(ドレミ楽譜編集部・著、ドレミ楽譜出版社・刊、1984年)
参考URL:
全音ピアノピース一覧表
クラシック名曲サウンドライブラリー

←Back



home

inserted by FC2 system