昔話をしよう。
 今度のも当然のことながら、俺のとある過去の話だ。これは思い出すまでもなく疑うまでもなく、確かにあったこと。この前みたいに「これいつの記憶だぁ?」なんて頭をひねらずとも、ついでに某友人の電話を待たずとも語れる、正真正銘俺の思い出話である。あ、聞きたくないなら別にいい。無理しないで即刻このページをとばしてくれ。
 ……さて、興味のない人はいなくなったかな? いや、何せ実話である。更には登場人物に俺という名の一男子がいる実話である。多くの人の耳にはなるだけ入れたくないし、聞きたくない興味ないという人達には尚更、その記憶領域に刻んで欲しくない。恥ずかしい過去話は、興味を持ってくれていて且つ自分をわかってくれる、そういう人だけに話すべきなのさ。べらべらと酒の席なんかで話すようなもんじゃない。
 ということで、早速その話を始めようか。いや、その話の序章を。
 それは俺が中学二年生、まだ公立共学中学への転校前で、中高一貫の私立男子校に通っていた頃のことだ。そう、二年生も半分を終えようとしていた八月、夏休みの終わりの話になる。この頃そのチンケな私立男子校は、二ヵ月後に迫った学園祭――あるいは文化祭の方が通りがいいだろうか――の準備に追われていた。何故この学校において学園祭が一年で最も盛り上がる行事なのか、その理由はわかってしまえば呆れるより他ないもので、先輩達に言わせると近くにある女子校の生徒が数多く来るかららしい。その女子校の生徒というのがまた可愛い子が多いらしく、この学園祭なる行事で目立つことをすれば、その可愛い彼女達の内の一人と恋人同士になれるということなんだそうだ。阿呆かと言いたくなる。どうしてそんな不純な理由で学園祭を盛り上げるかな。
 と、こんなことを言っていることからわかってもらえるように、そんな異常な盛り上がりを見せる学園祭を既に一度経験していたこの時の俺は、学園祭なる行事にあまり関心がなかった。舞台に立ったり参加団体を作ったりなど積極的に参加するなんてもっての外だったし、希望者が殺到する実行委員になる気も更々なかった。学園祭は盛り上がっているところを遠巻きに見て「おー盛り上がってる盛り上がってる」と高みの見物を決め込むのが賢いやり方さ。
 そんなこんなでその八月の終わりの頃も、せかせかと忙しそうに準備している有志参加の生徒を、所属していたバレーボール部の主たる活動場所・体育館から眺めるだけで、そして「そういえばそろそろ学園祭かぁ」なんてぼけらったと思うだけで、大して身も心も一大行事に打ち込んではいなかった。
 けれど、俺はともかくとして、やはり学園祭ともなれば一人くらいは、ハイテンションをぶちかます友人がいるもんだ。
 この話も、俺の大嫌いなそんなハイテンション馬鹿が口にした一言が、きっかけの話。

 さて、これでやっと話の序章は終わる。
 その序章のおまけ事項として――次のことを覚えておいて欲しい。
 俺は中学校を、私立男子校と公立共学校の二つに、それぞれ一年半ずつ通っていた。中学受験をして中高一貫私立男子校に入学、二年生の十月の終わりまでを通い、高校受験を理由に中退、公立共学校に転校したのが同じく十一月のこと。
 つまり。
 この話は、この学園祭の話は、俺が私立男子校を去る直前の話になる――

 さぁ、では昔話をしよう。
 きっかけは、





バイバイサンキュー


「バンドをやろうっ!」
 と、いう、やたらと馬鹿でかい声でもって発せられた一言だった。
 場所は体育館に隣接する部室棟の一室、バレー部部室。主に更衣室として使われている部屋中耳が痛くなるような大きさで響き渡った雑音に、俺は顔をしかめて発生源へと首を回した。この場合振り返らざるを得ないだろう、その雑音が人の言葉を形成しているのに加え、構成する声が友人のものとなれば。
 ぎぎぎっ、と軋んだ音がしそうな動きで俺が振り返った先では、クラスメイト兼部活の同輩兼チームメイトの野瀬睦――通称・ムツが、それでなくても狭い部室にどこからか椅子を引っ張り出して、そこに片足を乗せてみょうちきりんなポーズを取り、やけに如才のないハンサムスマイルをそのイケメン的面構えに浮かべていた。こういう時は奴の、面食い女子が刹那もおかずに飛びつきそうな整った顔立ちがやたらとムカつく。というか、何だそのロックンローラーのなりそこないみたいな目障りなポーズは。
「……おいおい、ムツ」
 そんな一見してモデル候補生のムツを取り巻いているのは、何も俺だけではない。部室で同じ空気を吸っていた、ついでにムツの耳障りな雑音の餌食となった、同じくクラスメイト兼部活の同輩(以下略)の浜野恵――通称・メグがムツの背後で、眼鏡にポニーテールがよく似合うエセ優等生面に笑みを浮かべた。
「今度は一体何の影響だい?」
 そこ、笑いながら慣れた対処をするんじゃねぇ。どっからどう考えても、これは笑っていられる状況じゃないぞ。
「合唱祭では『ハモネプ』みたいにってアカペラやって、この前の水泳大会では北島康介に憧れて自由形を平泳ぎで泳いで。で……今度はバンドで、何の影響?」
 俺の心からの叫びを無視していかにも優等生的な微笑を浮かべながら尋ねたメグに、ムツが声を張り上げた。
「影響なんか何からも受けちゃいねぇ! 今時代はバンドなんだ! バンドバンドバンド! ……っもう一つおまけにバンドっ! とにかく、やるぞ!」
 訳がわからない。思えば中一の頃からそうだ、この裏のないポジティブな性格とハイテンション、明るく元気な花マル健康児。イベント大好き、事件歓迎、ドタバタ愛好家、のお騒がせトラブルメーカーたる我らがムツである。ムツが何かと、まるで沸騰している湯のように騒ぐのはいつものことなので普段はあまり気にしないが、今回はちょいとやばそうだ。普段が五十度くらいなら、今回はもう八十度以上に達していそうだからな。放っておくと爆発しかねない。
「やるのはいいけどさぁ、」
 突沸直前のムツに、もう一人のギャラリーが俺の後ろから声をかける。
「でも、何でバンドな訳? いや、時代が来てるとかじゃなくてさぁ。今まで全然興味なさそうだったくせに急にバンドやろうなんて、そりゃ不自然だよ、ムツっ」
 ミキ――我がバレー部が誇る美人マネージャー・服部実紀である。とても同じ男子校生とは思えない顔立ちにハーフアップにした長髪が可愛らしい部活の同輩兼チームメイトは、そのキュートな目をすいっと細めると、まだ椅子の上でポーズを取り続けている馬鹿丸出しのハンサム野郎の返事を待った。
「よくぞ聞いてくれました☆」
 額の横でVサインを作りウインクをしたムツは、台詞に星マークを標準装備してミキに答える。ちなみに片足は椅子の座面に乗せたままだ。
「学園祭、軽音部の奴等がライブをやるだろ? 有志のバンドなんかも募っちゃって、体育館貸切でそりゃもう盛大にさぁ。去年だって凄かったじゃん! アレはもう、なくなったら学園祭がこの学校の学園祭じゃなくなるんじゃないかって俺は思うね!」
 お前の軽音に対する思い入れは別にいい。それとバンド結成の話と、一体何の関係があるんだ。
「……お前はもうちょっと我慢して俺の話を黙って聞くということをしろよ、ユキ……まぁいいけど、ユキだしっ。……で、その学園祭の軽音ライブですよ、諸君!」
 ムツは普段に増してぶっ飛んでしまっているテンションで続ける。
「うちのクラスに軽音で学年代表やってる奴がいるだろ、木之本! あいつが今年の学園祭の、参加バンドを募ってるらしいんだけどさ。で、その木之本に聞いたんだけど、」
 ここまでのやたら長い話を聞いてもらったらわかると思うが、ムツは決して話が上手くない。もう少しばかり続きそうだ、付き合ってやって欲しい。
「今年の有志バンド、目標数に一つ足りないんだってさ。目標数に届かないと、軽音の発表時間、短くされちまうらしい。……で、バンドだよ!」
「訳がわからねぇ」
 ついに俺の我慢の限界が訪れた。これ以上訳のわからん冗長な説明を聞くつもりはない。大体突っ込みどころが多すぎだ。何故木之本が俺達の話に出てくるんだ。どうして有志バンドの数が足りないのが俺達のバンド結成に繋がるんだ。
「ユキよぅ、ここまで聞いたら後は自分で考えるもんだぜ?」
 ムツは椅子から足を下ろすと、俺の方へとやたらゆっくりとした歩みで寄ってきて、顔を近づけにまっと笑いかけてきた。気持ち悪いはずの笑い方なのに何故か格好よく見えるのがかえってムカつく。
「情けは人のためならず!」
 何を言うのかと思ったら、右手でぎゅっと拳を作りムツはそんな一言を放った。
「俺達がバンドを組んで参加すれば、俺達は学園祭でやることができて暇から逃れフィーバー、軽音はステージ発表の時間を削られずに済んで一石二鳥だ!」
 そうくるか。
「それにだな、木之本が言うことには、」
 まだあるのか。
「今、最後の有志バンドとしてエントリーすれば、木之本の権限で出番をラストにしてくれるらしい! 他の有志の奴等はモチ、軽音の先輩達までぶっ飛ばして大取りだぜ? こんな最高の条件、願ってもそろうことはなかなかないだろ! 今やらずしていつやるっ!」
「ふぅんっ。話は大体わかったよ」
 俺の背後で床に座っていたミキが、うんうんとうなずいた。何がわかったんだ。
「人助けにもなるし、学園祭のいい暇つぶしにもなるしってことだよね。だもんなー、運動部だから当然学園祭は暇してるし、特に俺達バレー部は全国が終わっちゃったら先輩達の春高バレーまで暇だしねっ」
 ちなみに今は全国大会が終わって八月の終わり、夏休み終了の三日前だ。中・高等部共に全国常連校である当校バレー部が一番忙しくなる時期が過ぎ適当になってきた練習を終えた後で、この会話はされている。
 なるほど、有志でバンド参加ね。
 しかもラスト、大取り。
 人助けになる上に、学園祭での絶好の暇つぶしになる。
「……ん? 暇つぶし?」
 そこでふと思う。暇つぶし。それは読んで字の如く、暇がなくなるということだ。学園祭の当日だけならまだいい。バンドの練習、楽器の練習。当日までにかかる時間は? しかも俺達はバンドどころか楽器初心者、時間はもっとずっとかかるはずだ――
 つーか、楽器初心者、って。
「ちょっと待て、楽器、どうするんだ?」
 もうすっかりやる気のムツと、何だか話に乗ってしまいそうな勢いのミキ、ただ優等生面でにこにこしているだけのメグ、という三人に対する唯一の突っ込み役といっても過言ではない俺は、既に完成しかかっている空気にメスを入れる。
 対してそんな空気を切り裂かれたムツは、椅子の上で不可解なポーズを取りながら「あぁん?」と不愉快そうにその端整な顔を歪めた。
「まさか買ったりはしねーよ。楽器ならギターだろうがベースだろうがキーボードだろうがタンバリンだろうが……あと何つってたっけ? そうそう、バンジョーとマンドリンも貸してくれるらしい。ドラムセットまで無料で貸し出しのおまけ付きだってさ」
 いい仕事してるな軽音、タダか。そこまでするとはよっぽど有志のバンド・最後の一バンドを確保したいと見える。でないと、機材貸し出し&大取りっていう出血大サービス的二本柱の理由が説明できないからな。
「じゃ、なくてだな、」
 思わず色々考え込んじまったが、俺が聞いた「楽器どうする」はそういう意味じゃない。もちろん機材をどのように入手するのかもムツに問い詰めるつもりではあった。が、それ以前に、
「俺達、楽器なんかできねぇだろうが。そこ、どうするつもりなんだよ」
 もうつるみ始めて一年以上経つムツ・メグ・ミキ・俺のバレー部練習Cチームメンバーだが、その一年の付き合いの中で交わされた会話において、誰それが何とかという楽器をやっていた〜、などという話は耳にしたことがない。お互い親と兄弟とその他同居人、その次くらいに長い時間を共にしている間柄なのだから、もしそんな過去があるなら知っていてもおかしくないはずだ。
「ユキは何もやってなかったのか?」
 ムツが椅子の上でポーズを崩して聞いてくる。お前の方はどうなんだと聞き返してやりたかったが、一応は答えてやることにした。
「小学校の中学年くらいまでピアノを多少習ってたくらいだな……」
「ふーん。ありきたり」
 悪かったな。
「メグは?」
「残念だけど、僕もユキと同じくらいでピアノを少しだけやったくらいだよ。バンドで役に立ちそうなのはそれくらいかな……リコーダーなんて吹けても意味ないだろ?」
「間抜けなバンドが組めそうだ」
 俺達の中で一番間抜けなお前が何を言うか。
「ミキは?」
「やだなー、ムツ。俺が楽器なんてやってたように見える?」
 それはすなわち何もできないということでいいのだろうか? 長い髪をふぁっさと揺らしながら肩をすくめたミキを見て、俺は甚だしく意外だと思った。この可憐な外見からすれば、ピアノはもちろんバイオリンくらいやらされてたんじゃないかと思わずにはいられないね。
「へぇ。俺はてっきり、ミキはバイオリン独奏曲の一曲や二曲は弾けるもんだと思ってたぜ」
 ……。
 俺の思考はムツと同程度だった。悔しい。
「で、そういうムツはどうなんだい? 楽器経験は?」
「うっふふふー、知りたいぃぃ? 知りたいですかぁ? 俺はねぇ――」
 メグに尋ねられたムツは、にやぁっと馬鹿丸出しの笑顔を作ると、椅子の上に立ったまま腕を組んで、きっぱりとこう言った。
「ないっ!」
 やっぱりな。つーか、それ胸を張って偉そうに言うことじゃないだろ。
「アホか。付き合いきれねぇ」
 正直に感想を言ってやった。
「楽器もできないのにバンド組んでどうするんだよ。百歩譲って楽器が誰か一人でもできるっていうなら、考えてやらなくもない。だけど、バンドで使うような楽器を経験したような人間ゼロ人? そんなので学園祭の軽音ステージ発表、先輩達を差し置いての大取りなんてやったら、間違いなく逆上した軽音の奴等にはっ倒されるぞ」
 俺はそんなことで短き一生を終えたくはないんだ。それは多分、ここにいるメグとミキも同じなはず。
「お前の無茶にはもう飽きた。……去年の学園祭だって、お前の一言で俺達は滅茶苦茶になったんだ。アレの二の舞なら、俺達じゃない奴等とやってくれ」
「……ユキ……」
 きっぱりと一刀両断してやると、ムツは椅子に座り込んで似合わずしょげたような顔をした。が、騙されるものか。去年の学園祭での演劇部発表飛び入り参加、あの事件で学習しないほど俺の頭脳は落ち零れていない。お前と似たり寄ったりの決してよくない成績の脳みそでも、そのくらいの記憶力は所有しているのさ。
「お前がどうしてもやりたいっていうなら、それはやればいい。バンドやりたいっていうお前を否応なしに止められるほど俺達は神様やってないからな……ただし俺達のことは一切巻き込むな、直訳、迷惑かけるんじゃねぇ。言いたいことは以上」
 更にトドメの台詞を突きつけてやり、落ち込んだような困ったようなムツの表情を視界の片隅に捉えたところで、俺はロッカーに向き直り着替えを再開した。全く、お前がしょうもない雑音を叫ぶから、下が制服上がジャージなんて間抜けな格好で着替えを中断するハメになっちまったじゃないか。
 とにかく、俺はさっさと着替えて家に帰り、読みかけの本の続きを読みたい。本当なら着替えないまま超特急で帰りたいくらいだ。しかしそこは「登下校の際は指定の制服を着用すること」の校則があるが故、我慢して着替えているという訳。直訳、お前のくだらない話など聞いている時間はましてない、オッケー?
「ユキっ」
 ジャージを脱ぎ捨て、半袖のワイシャツに袖を通したところで、その羽織ったばかりのワイシャツを誰かに引っ張られた。誰か? 言うまでもなく、今ここでこんなことをするのはムツしかいない。馬鹿、そんな力で引っ張るな。脱げるだろうが。
「ユキ、聞いてくれっ」
 折角着たワイシャツを剥がされる訳にはいかないので仕方なく振り返ってやると、振り返った先でワイシャツを掴んだムツは思ったよりも真剣な顔をしていた。困ったような、焦っているような顔。おい何だ。何なんだ、その顔は。
「俺だって、バンド組むのがどんだけ大変なのかはそれなりにわかってるつもりだよ。何せみんな楽器未経験なんだし、大取りなんて言われちまったらそんなことお構いなしに半端なものは発表できないってのは理解してる。そのための練習時間がどんだけかかるかも問題だしな……わかってんだよ。俺だって色々考えてるんだ」
 どうだかな。間抜け面してるくせに。
「……間抜け面で悪かったな」
 いつもなら掴みかからんばかりの勢いで元気よく、狂ってしまったかのような笑顔で実際掴みかかってくるムツが、むすっとした顔をして大人しくなってしまったので俺はたじろいでしまう。何だお前、本当にムツか。野瀬睦か。
「その間抜け面でも考えることは考えんだよ。……実際、木之本から頼まれた時点でも無理だと思ったんだ。機材無料貸し出しに練習場所も自由開放、加えて本番に大取りを取らせて差し上げますーなんて言われても、学園祭まであと二ヶ月しかないんだぜ? うなずき難いとは思ったんだ、俺だって。……でもな、」
 ムツは尚も真剣な顔をして言う。
 さっきの馬鹿元気な雑音系の声はどこから出していたのか、まるで消えそうなぼそぼそとした声だった。

「……木之本が……どうしてもやってくれって……」

「……」
「他をあたったらしいんだよ、俺のところに来る前に一ヶ月くらい、ほとんど毎日。学園祭で暇してそうな奴等のところ全部回ってみたんだって。でも、みんな有志参加とか部活とか、そんなので……で、木之本も他にアテがなくなって。……もう俺達以外、あいつ、声かける奴がいないんだってさ」
 ムツと木之本が仲が良いか――と尋ねられたら、俺は間違いなく首を横に振る。
 というか現在、同じクラスなだけの関係だ。よく話すかといえばそんなことはなく、むしろほとんど話すことがない方に分類されると思う。俺とメグもそうだし、まして別クラスのミキはまともに会話したことすらないだろう。
 そんなムツに声をかけるくらいだから、相当切羽詰まっているらしい――なんて予想することは、誰にとっても簡単すぎる。
「木之本だけじゃなくて、三年の先輩とか高等部の先輩とか、それに一年の代表もかけられるだけ声かけたらしいんだけど……誰も出てくれなくて。一ヶ月やってだぜ? それでも駄目で……木之本の奴、これで俺達が駄目だったら――目標バンド数に足りないままで、ステージ発表、申請するらしいんだ」
 ……はぁん。
 何となく、話がわかったような気がした。
「そんなのってアリなのかよって俺は思う訳。一ヶ月も頑張ったのに結局報われなくて、発表時間減らされちまうなんてさ……それも、俺のたった一言『やらない』の返事で、だぜ? それってあんまりだろ。軽音の人達もさ、きっと一生懸命練習してきて、それは多分この学園祭のためなのにさ……それが、俺達のやる気のない姿勢それだけで滅茶苦茶にされるなんて、逆の立場だったら絶対腹立つだろ。つーか、泣きたくなると思う」
 つまり。
 木之本に有志バンドとしての参加を持ちかけられ。
 それってどうなんだと思ったところを、木之本から「もしお前で駄目なら諦める」と言われ。
 常人の三倍はあるムツの良心が痛んだ、と。
「だから、さぁ……何とかしてやりたいんだよ。何とかして、木之本と、軽音の人達のことを報ってあげたいんだ。報ってあげられなくても、少なくとも、がっかりさせるようなことはしたくないんだよ」
 何せムツは世界で十本の指に入りそうなくらいのお人好しだ。いつも馬鹿でハイテンションで迷惑ばかりかけているトラブルメーカーでも、やたらと情に厚かったり誠実だったりするんである。銀行強盗してお金を盗ってきてしまったんだ、しかしまだ幼い子を食べさせてやらなくちゃいけなくて、この子が一人前になったら自首するからどうか隠蔽工作を手伝ってくれ――と言われたらイエッサー! と即答で引き受けてしまいそうなくらいだ。
 今回もそんなお人好し精神を刺激されて、こんなことを言い出したに違いない。
「断わって木之本達をがっかりさせるくらいだったら、引き受けて、そのあとどんなに俺達が最悪な演奏をしてぼろぼろになっても、木之本達の演奏時間が増える方がいいって、俺は思うんだよ。だから……」
「だから、引き受けてバンドを組もう、と」
「……うん……」
 ムツはうつむいた。しばらく黙ってやっと顔を上げたかと思うと、俺をまっすぐに見つめてどことなく憂わしげな顔で言った。
「……駄目かな」
 ……ああ、腹が立つ。胸の辺りがむかむかしてくる。いつも馬鹿みたいなニヤケスマイルのムツがそんな悲しそうな、苦しそうな、つらそうな表情をしているのを見ると、正直俺は苛々してくるのだ。いつ頃からだっけな、そういう風に脳にインプットされちまったのさ。
 で、不愉快な状況は一生物としてできるだけ早く打破したい訳であり。
「……駄目じゃねぇ」
 と、俺は自らの心の平穏のために、そう言い放った。
 へ? と、ムツがまたうつむき加減になっていた顔を上げる。
「……わかったよ。そこまで言うなら、付き合ってやる。ただし他のメンバーについてはお前がどうにかしろ。俺はあくまで付き合うだけだ、他には一切協力しないからな、全部責任もって自分でやれよ。それが条件だ。以上」
 あくまで自分のためなので、俺は早口にそう言った。真剣に説く必要はどこにもない、だって俺の言いたいことが伝わってとりあえずムツが元気になればいいのだから。内容は関係ない。ムツにとって重要なのは俺が協力するという結論だけだ。だからそれ以外の理由みたいな部分はいらないと思って早口で言ってのけたんだ、それだけの話。
「……マジで?」
 自分でも訳がわからない言い訳を心の中でつらつらと並べていると、やがてムツが好青年的な二重の目を瞬かせて言った。うるせぇ、マジったらマジだ。聞き逃したんでももう言ってやらないぞ。というかお前、顔。顔が近い。くっそ、近いんだよ馬鹿。
「なぁ、マジで?」
 俺の両肩に手を乗せてくるムツ。二度と言ってやらないって。一回で理解しろよ、もう。やっぱ間抜けじゃねぇか。仕方ないからうなずきくらいしてやるよ。ほら。
「…………ユぅぅキぃぃぃぃいっ!」
 喜びのあまりかムツが、そう絶叫して飛びついてきた。スキンシップが激しいのはいつものことだし、何せ同性としてムカつく面構えをしているムツなので、そんなことで俺は喜んだりしない訳である。よって抱きつかれようと抱き締められようと頬擦りされようと、一切合切関係ないんだ。むしろ苛つく。わかるかな、そこの君? 変な想像しないように。
「やったあぁぁっ! しゃー! ユキならそう言ってくれるって信じてたぜ! 流石うちのエースアタッカー、心が広い! 神様仏様キリスト様もびっくり! どんな無茶でも付き合ってくれる! やっほい!」
 信じてた割には落ち込んでたじゃねぇか。あと、エースアタッカーなのと俺の心が神仏並みに広いのと、どういう関係があるっていうんだ。ついでに言っておくが俺はどんな無茶にも付き合う訳じゃないぞ、国連の最重要機密を一緒にハックしようと言われたら流石に断わる。
 ……突っ込みどころが多すぎる台詞を、ムツは尚も俺をぎゅうぎゅうと抱き締めながら吐いた。いい加減酸欠になりそうだ。
「……喜ぶのはまだ早いんじゃないか?」
 このまま窒息死するのはご免だったので、若干苦しげな言い方になりながらも俺はムツに言ってやる。ほえ? と無駄に間の抜けた疑問符を吐いてやっとこさ離れたムツに、俺はとある二点を指差すことで答えた。
「メンバー。……俺だけだぞ、まだ」
 もちろん、俺の人差し指の先にいるのは、今まで俺達のやり取りをずっと見守っているだけだったメグとミキだ。俺はやると言ったが、この二人はやると決まった訳じゃない。ついでに、他のメンバーについては自分で責任もって集めろとも俺は言った。直訳、二人に声をかけるならお前がやれ。
「あ、そっか。……やー、何せうちじゃユキが一番頑固だからなー。そのユキを説得するんで頭いっぱいで、正直他を忘れるぜ、こりゃ」
 ムツはくるりと俺の身体を反対に回し、今度は背中側から俺に抱きつきながら、
「で、メグ、ミキ。お前等、やるだろ?」
 おい。
 何だ、その「やるの当然」みたいな物言いは。
「まぁ、ユキがやるんならね。ユキがやるのに僕らが断わるのは何か申し訳ない気がするし」
「そうそうっ。それに、ムツとメグと俺だけじゃちょっと不安だけど、ユキがいるんなら何かと安心だしねっ」
 二人も笑顔でうなずいてる場合じゃないぞ。つーか、俺を色々ときっかけや理由にするな。何なんだ、その「○○君がやってたから僕もやりましたー」みたいなせこい苛めっ子風の台詞は。
「おっしゃあっ、じゃあこれで決まりだなっ!」
 肺が押しつぶされそうになる攻撃を背後から受けながらの、俺の心の叫びを百パーセント無視して、その攻撃の繰り出し主であるムツは元気よく雄叫びを上げた。
「メンバーは俺、ユキ、メグ、ミキ! バンド結成の歴史的な瞬間だ、おめでとう! コングラッチュレーションズ! 複数形のSを忘れるなっ!!」
 さっきまでの真剣な表情は本当に何だったのか、ムツは俺の背後から鼓膜が破れんばかりの大声でそんなことを言うのだった。メグとミキも一体何を考えているんだか、ぱちぱちと拍手なんか贈っていやがる。思わずため息。ここにまともな人間はいないのかね。
 がしかし、そのため息がまだ早かったということを、俺はムツの次の一言で思い知ることになる。
「じゃあ、これから早速軽音に初心表明演説でもしてきますか! 楽器決めとかもしたいし、軽音部室に直行だ! ……おい野郎共、さっさと着替えちまえっ!」
「今から行くのかよっ!」
 ……さっきのムツの暗い顔は、もしかして俺を付き合わせるための演技だったんじゃないだろうな。だとしたら、俺はまんまとこの阿呆面同級生に嵌められたことになる。この程度で騙されるとは、やれやれ、俺もまだまだ修行が足りないな。
 なんてことを。
 軽音部室へ連行される途中、俺はため息混じりに思っていた、らしい。


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