昔話をしよう。
 それは、現在とある県立高校に通う一高校生である俺が、まだ青臭くて生意気なガキんちょだった頃の話だ。青臭くて生意気なガキなんて、それは昔のみならず今もそうなんじゃないかと言われそうだが、そういう突っ込みは今回はなしである。今の俺がガキであろうとなかろうと、そんな今と比べれば昔の俺・私立男子校の中学一年生だった頃の自分の方がよっぽどガキであることに間違いはなく、……こんな言い訳をしているところからもわかってもらえる通り、今の俺も充分ガキであるということは承知の上だ、あえて否定はしないさ。ただ、昔の自分を語るのに少しばかり大人びた自分っていうのを演出してみたかっただけだ。そんな風にやたらと背伸びをしたがる辺りも、ガキと表現して何ら間違いない。
 ……何の話をしていたんだっけ?
 そう、昔の話。俺の過去の話――が、それを「俺の」話として語っていいものなのか、俺は正直判断に迷う。というのも、この話が俺の体験・見聞したものであることには間違いないものの、この話の主軸というのが明らかに俺ではないからだ。主軸。それは言い方を変えれば、そう、この物語の主人公とでも言うべきだろう。
 それは俺じゃない。
 俺ではない、別の人間だ。
 しかも、その過去の話をこうして小説として記述することについて、俺は主人公というべき友人に許可をもらっていないのだ。自分自身の話でもないのに自分の話として語ろうとしている、且つ、語ることについてゴーサインを受けていない、で、今の俺は二重苦であるともいえる。語りたい、しかし語っていいものなのか、身体の内部で天使と悪魔が肉弾戦を繰り広げ、悪魔が辛勝を決めた末、しかし迷いを伴いながら、俺は今こうして原稿に向かっているという訳だ。
 が、そうして悪魔が辛勝の形であるとはいえ勝利を収められたのには理由がある。結局のところあいつは人が好いのだ。俺が彼の話を俺の話として語ろうとも、それについて無許可であっても、全然、全くと言っていいほどに気にしないのである。だからこそ、俺は今回小説を書くに当たって他の誰のでもなく彼の話を選んだのであるし――第一、そんな彼の持つ物語を魅力的だと思う訳だ。
 お人好し、ポジティブハイテンション、笑顔の似合うハンサムイケメン面。  この話は、そんな彼・野瀬睦と、その一友人である俺が、青臭くて生意気な中学一年生のガキだった頃の話だ。
 それは、ある寒い冬の日のこと――





クリスマススノーロマンス


「いっそ雪が降っちまえばいいのになぁ」
 体育館のギャラリーから開けた窓の外を仰いで、野瀬睦――通称・ムツが口を尖らせた。見上げた先に広がっているのは、灰色のペンキを筆で一面に塗りたくったような曇天だ。
 今年もあと残すところ一、二週間の、とある十二月の寒い日である。午前授業の後、所属しているバレー部の放課後練習を三時間で終えた俺達は、真冬であるにも関わらず暑さを感じずにはいられない体育館の、ギャラリー脇の開け放たれた窓を閉める係を先輩達からおおせつかっていた。ムツが外を見やっている窓一つを残して全てを閉め終えてから、俺はムツを振り返る。雪はいいからそこの窓を閉めてもらえないだろうか。練習中はいいとして、正直今相当寒いんだけど。
 と、いう文句の一つを飲み込んで、代わりに俺はムツにこう聞いてやる。
「クリスマスが近いからか?」
「……何で分かったんだ?」
 驚いたような顔をして振り返り、ムツが窓から離れたところで俺はすかさずその窓を閉めた。何かを一心に考えている時のムツに何を言っても無駄なのは、四月にクラスメイト兼部活の同輩になって以来既に知っている。窓を閉めようと思ったら、閉めろ閉めさせろと言うよりもこうした方が早いのだ。
 が、ムツはそうして窓を閉められたことに対して特に残念がるでもなく、頭の後ろで手を組んでやたらと様になるポーズを取ってこう言った。いじめがいのない奴とはこういうムツみたいなのを言うんだろう。
「いよいよクリスマスだーっていう時期なのに雪の一つも降らないなんて、一体全体関東地方の気象予報士は何を考えてるんだろうな? 年に一度のクリスマスだぜ? 曇ったり雨降ったりするくらいなら、雪振らせろっつーの」
 別に気象予報士が雪を降らせている訳じゃないだろ。奴等はお前にとって都合のいいお天気メーカーなのか。どんな勘違いをしてやがるんだ。
「本気にすんなよ、ユキ。ただのアメリカンジョークだ」
 どのあたりがアメリカンなのかさっぱりわからなかったが、とにかく、面食い女子が刹那も置かずに飛びつきそうなこのイケメン的面構えの中学生は、見ているだけでこちらが敗北感を感じるその面に如才のない微笑を浮かべた。
「でも、クリスマスといえば雪だろ。……おっと、もちろんお前じゃなくて降る方な?」
「馬鹿。……まぁ、そうかも知れないけどさ」
「クリスマスってば、道を歩いてたら空から何か白いものがふわふわ振ってきて、それを手に受けて『あっ』とか言う日だろ?」
 そうなのか。俺はてっきり、年に一度の赤い格好をした変態が煙突から不法侵入する日なんだとばかり思っていたが。
「ひっでぇ……ユキ、サンタクロースに何か恨みでもあんのか?」
「あるね、大有りだ。妹のところには来て俺のところにはこない白髭のおっさんなんか、俺は頼まれたって信じない」
「……信じてねーの? サンタクロース」
「あんな胡散臭い奴信じられるか。……俺はな、『どうして俺のところにはサンタさんは来ないの?』って聞いて母親が『サンタさんは太りすぎて死んじゃったのよ』って答えた時から、ついでに翌年『何で俺のところにサンタさんは来ないの? ……妹のところには来たのに』って聞いて同じく母親が『サンタさんは骨折して来られなかったのよ』って答えた時から、あいつの存在なんざ信じてないんだ」
 肥満で死んだり生き返った上で骨折したりなのに妹のところだけに来たり、そんな奴を誰が信じるかっていうんだ。例えいるんだとしても、その正体は百貨店か何かでおもちゃをこっそり購入した純粋な日本人のお父さんに決まってるさ。
「……ユキってば、夢のねーこと言うのな」
 冷めた視線を送ってくるムツだが、何とでも言ってくれ。大人は夢を見るんじゃなくて、子供に夢を見せるものなのさ。それこそクリスマスではな。
「まぁ、確かにそうかもな。でも、大人にしたって夢は見ずともロマンチックくらいはするもんだぜ? 冬のロマンス! ……雪といえばそれには欠かせない小道具だろ」
「そんな欠かせない小道具とかいっても、お前には冬のロマンスなんてないだろうが」
「いや。実はあったりする」
 ムツの口から意外にも程がある否定の単語が飛び出したので、俺は驚いてまじまじとムツの顔を見た。相変わらずのハンサム面は、人を小馬鹿にしたようにによによしているかと思いきや、これまた意外にも真剣そうな、どころか何かを思い悩んでいるかのような表情を浮かべている。
 が、それは俺が振り向いたほんの一瞬のことで、次の瞬間にはにへらっと緩んだ笑みを向けてきているムツだった。
「俺のカレンダーには、今年はクリスマス・イブのところに真っ赤なハートが刻まれてんぜ」
「……マジか」
 あまりに急のことに、俺はとっさの反応ができず、ただムツの顔をまじまじと見てしまう。
「真っ赤なハートだ」
「予定か」
「……だといいな」
「……願望か」
「と、信じたい」
「希望か」
 口を開き、俺の突っ込みを受ける度に、ムツの表情はだんだんと沈んだものになっていく。最後にはギャラリーの欄干にぐったりと寄りかかり、額を押しつける有様だった。どうにも様子が変だ。「真っ赤なハート」の割には、そしていつも明るくポジティブハイテンションなこいつの割には、元気がなさすぎる。いや、元気がないというよりも、日頃これっぽっちも見せない、何かを思い悩んでいるような様子だった。うるさいくらいに元気ないつもも面倒だが、こうして元気がないムツも正直不気味である。
「何があったんだ。彼女ができたにしては、随分と浮き沈みが激しいな」
 できることなら全力で放っておきたいけれど、放っておいてもとてもじゃないが解決されそうもなく、また俺の代わりに解決へと向かわせようとする人間もいなさそうなので、神様か仏様かキリスト様にでも(俺なんかになれる訳がないが)なったような気で、そう聞いてやる。するとムツは、言っていいのかどうか悩むような仕草を見せた後、何か言おうと口を開いた。
「実はな……」
 丁度その時、下にいた先輩達が終わりにするぞ、と声を張り上げた。反対側のギャラリーを見ると、バレー部の同じく一年生達が、ギャラリー出口のある舞台の方へ急いで走っていくところだ。
「……あとで、帰りの時に話す」
 いつもなら構わず話し続けるムツは、珍しいことにもそれだけを短く告げるとそこで俺との会話を打ち切り、小走りで舞台入り口の方へと駆けていってしまった。
「……ふぅん」
 一人残されたギャラリーで、俺は短く息を吐く。それが白い色になって見えるくらいに寒くなった館内の空気に、練習中は温まっていた身体もすっかり冷えきっている。
 そんな冷気の中、もう一度、今度は大きくため息をついて、俺はこれはどうやら相当に重大なことを話されるかも知れないと、この後に待つ帰り道を少しばかり、寒さと合わせて憂えた。


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