昔話をしよう。
 と、今から昔話をすることに意味があるのかと問われると、俺はどうにも返事に困る。その昔話は聞き手にとって聞いてよかったと思える話ではとてもないし、反面教師の一面すら持ち合わせているか怪しいからだ。ならば必然、意義は聞き手ではなく語り部である俺の方にあることになるが、実はそうでもないのが現実である。俺がこの昔話をするにあたって得るものといったら、自分と自分を取り巻く友人にまつわる暴露話をした後の、得も言われぬ羞恥心だけさ。
 そんな感じで、人間のすることには大抵意味なんかないんじゃないかというのが俺の持論だ。意味と同じく、目的や結論があることも少ないように思う。俺の好きな小説家某氏の言葉に「『ふうん。それであなたは一体何でそれをしたいわけ?』とか、目的の目的を訊かれたりすると、人間はえてして沈黙しがちです。」というのがあったが、何だよ意味わかんねぇと深読みした後で単純になってもう一度読んでみた時、無条件に心に響くものがある。
 手段や行動、言動には、必ず、意味や目的、ないし結論が纏いつく。
 が、その意味や目的そして結論に、意味や目的加えて結論があるかといえば、実際そんなことはなかったりする訳だ。
 ……哲学っぽい話になっちゃったな。
 申し訳ない。話をやたら難しい方へ持っていこうとするのは俺の悪い癖だ。今のは他愛ない戯言みたいなものである。狐につままれたと思って、忘れて欲しい。
 だから、これから俺がする目的と結論と意味と理由の物語に、目的と結論と意味と理由はない。
 価値などあろうはずもなく。
 でも、咲く意味やその目的を考えずとも、咲き誇る花は無条件に綺麗だと思うだろう?
 花屋に行って花でも眺める気分で、特に構えたりせず、この話を聞いて欲しいと思う。





フラワーストーム


『大通りの花屋に新しく入った店員が結構な美人らしい』
 というのが、俺が中学二年生の途中までを過ごした某私立中高一貫男子校、ついでに所属していたバレー部に流れた小さな噂だ。
 その頃俺は中学一年生最後のテスト、すなわち三月の学年末テストを一週間後に控えていて、いつものニヤケハンサム顔で持ちかけられたそんな噂にあまり興味はなかった。
「相当なんだってこれが! 俺もちょっとこの前覗いてみたんだけど、」
 と、そのニヤケハンサム顔――面食い女子が刹那も置かずに飛びつきそうな極上のルックスを持つクラスメイト兼部活のチームメイト・野瀬睦、通称・ムツは、向かい合わせた机から身を乗り出して言う。
「まぁたこれが噂通りっていうかさ。花屋に超ぴったりな可憐なイメージ? ……あそこって今まで、威勢のいいおばちゃんが店番してたじゃん。それが、いる人間が変わると店の雰囲気まで違って見えるもんなんだな!」
「ふーん……」
「今まで『お花屋さん』だったのが、一気に『フラワーショップ』に変わった感じ? おばちゃんを守る荊の鉄壁みたいだった花もホラ、何と不思議、彼女自身も花みたいな美人さんを包む風のカーテンみたいに……」
「ふーん……」
「……。ユキ、聞いてる?」
「聞いてるよ」
 聞いてはいたが、真面目にではもちろんなかった。机の上には数学の問題集が広げられている。そのページ最後の問題に取りかかると、ムツはむぅ、と不満げな顔をした。
「何だよーユキ。人が折角話しかけてるのにさ」
「話しかけてくれって言ったかよ」
「興味ないの? 眠れる花屋の美女の話」
「ないね、残念ながら今は」
 全くないと言ったら嘘になるが、だからって今聞きたいとは思わない。あのな、テスト前なんだぞ? 花屋の美女はテストが終わっても美人だろう。でも、テスト勉強はテストが終わった後にしてもあまり意味がない。
「そもそも、お前が残って一緒にテスト勉強しようって言ったんだろうが。なのに何で一人でべらべらしゃべってんだよ……さっきから手、全然動いてないじゃねぇか」
「だってやる気しねぇもんっ」
「……殺す」
 湧き上がるこの感情は間違いなく殺意だ……
 人を付き合わせておいて、やる気しねぇもんとはいい度胸じゃねぇか。
「なぁ、メグもそうだよな?」
 ムツは言って、俺達の横から連結させた机で英語のノートに向かっているもう一人のクラスメイト、兼部活のチームメイト・浜野恵、通称・メグの肩を叩く。今まで俺達の会話(というかムツの一方的トーキング)には全く無干渉だったメグは、そこでやっとペンを止めた。
「やる気のあるなしの問題じゃないと思うけどね、僕は」
 と、メグは小首をかしげる。
「折角一緒に勉強してるんだから、ただ話してるのはもったいないんじゃないかな。やるならちゃんと勉強するべきだと思うよ?」
 おお、流石エセ優等生面の長身眼鏡ポニーテールを持つ男の台詞。
「……何でこの学校の奴ってみんな、テスト前はそれなり真面目にやるんだろうな。俺、受験する学校間違えたかも」
 ムツはぼそりと言った。自業自得。他に二校受験して、どっちも落ちた自分の学力を恨めばいい。
「むっかつく……お前だって一校落ちてるくせにっ!」
「俺はここの校風嫌いじゃないしな。お前と違って」
「うっざぁっ……」
 そうだろうそうだろう。これで、テスト勉強中に話しかけられて鬱陶しく思う俺の気持ちもわかったか。わかったら黙ってその英単語帳読んどけイケメン面。
「でも、その花屋さんの女の人の話だっけ? 結構噂になってるよね」
 が、そこでメグが話を元に戻してしまった。何てことしやがる、メグ。
「いつ頃からだっけ……一月の終わりくらいかな? その花屋さんの家、お葬式があったでしょ。それから例のおばさんを見かけなくなったから、多分おばさんが亡くなって親戚か何かの人が相続したんだろうね、あそこの店。それがその女の人なんじゃない?」
「ふーん。まぁ、そこら辺はどうでもいいな」
 俺が軽く睨んでいるのを知ってか知らずか笑顔のメグに、ムツはうんうんとうなずく。
「とにかく重要なのは、それでその店に入ったお嬢さんが美人だっていうことだよ! 相当なんだって!」
「花屋の店員如きでそこまで興奮してるお前も相当だ」
 突っ込みを入れると、ふーん? とムツは目を細めて軽蔑するように俺を見た。何だ、そのどこか勝ち誇ったような表情は。
「ふん、ユキは実際に見てないからんなことが言えんだよ。……マジで凄いんだぜ? ついでに言うと、お前好みストライクゾーン」
 ……。
 どういうことだか言ってみろってんだ。
「超、ロリ顔」
 ムツは俺に顔を近づけてにやりと笑った。
「年上でー、女の子でー、背が低くてー、髪はロングでー、目が大きくてー、体型はスレンダーでー、指が細くて綺麗でー、色白でー、可愛い系でー」
「……」
「そして何より、メイド服が似合いそうっ!」
「……」
「エプロンドレスがきっと似合う! ……以上、お前の好み」
 てめぇ……
 人の性癖勝手に暴露してんじゃねぇよ。
「あとは、下ジーンズで上半身裸とか、白衣に眼鏡の女医さん司書さん、黒髪で背が低いツンデレ魔女っ子、ツインテールにピンク色のセーラー服とか?」 「マニアックな好みをばらすな」
 口が軽くて困るな、ムツは。
 俺がそうため息をついた時だった。
「何なに、何の話っ?」
 教室のドアががらりと開いて、俺達と同じに紺のダブルブレザーの制服を着込んだ男子生徒が一人、駆け込んできた。隣のクラスに所属している部活のチームメイト・服部実紀、通称・ミキだ。ミキはドアを閉めると、教室の中央に陣取っている俺達の方へ来て、適当に椅子を引き出して座る。
「上半身裸でエプロンドレスの魔女っ子とか、ツインテールに白衣のツンデレメイドとか、ジーンズのセーラー服に髪がロングで女医さんとか?」
「混ぜんな」
 訳のわからないことになってるぞ、ミキ。
 と言いながらも俺がミキに強い言い方をできないのは、鞄を床に降ろして机に頬杖をついた彼の外見に原因がある。髪が長くてハーフアップ、目は二重でぱっちり、体型はスレンダーを通り越して小柄、すなわち背が低く、肌もガラス細工みたいな綺麗さ。
 どこをとってもケチのつけようがない完璧可愛い系、それがミキだ。要するに、さっきムツが言った俺の好みストライクゾーン。
 ……同い年で、男だけど。
「花屋の美人なおねいさんの話だよ。知ってるだろ?」
「あー、眠れる花屋の美女の話かっ。知ってる知ってる、超有名じゃんっ」
 ムツの振りに、ミキは屈託のない笑みを浮かべる。
「え、何? その花屋の女の人がユキの好みストライクゾーンな話をしてた訳?」
「そーそー」
「そっかぁ。そりゃ、メイド服なんか着てるんだったら当然だねっ、ユキ」
 勝手にメイド服着せるな。そんな設定はまだないぞ。
「じゃあ、着せればいいじゃん」
 俺がため息をついたところで、ムツはそう言って開いていた英単語帳を閉じた。立ち上がって、やけにむかつくにやけた笑顔を浮かべる。
「そこまで強情なユキがその人見て鼻血吹いて倒れるところ見たいし。……な、これから行かね? 花屋」
 何言ってやがる。
 テスト勉強は?
「少しはしたじゃん。な、いいだろ、メグ?」
「うーん、そうだね。もうそろそろ三十分くらい経つしね」
 うなずくなよ、メグ……。
 お前は味方だと思っていたのに。
「それにそもそも勉強しようっていう話になったの、ミキがマネージャーミーティングがあるから、それを待つならっていう話だったし。ミキが勉強できなくていいなら、僕はいいと思うよ」
「俺? 行きたい行きたいっ、まだ俺もその人見たことないんだよっ!」
 挙句ミキまで笑顔で言い出す始末だった。そんなにその花屋の店員が見たいのか。先輩達にファンも多い我がバレー部が誇る美人マネージャーがそんなことでいいのかよ。
「やだなぁユキ、俺だってメイド服と機関銃だよ」
「セーラー服だ」
 しかも意味不明。
「ったく……マジで行くのかよ」
 ムツはもちろんのこと、メグもミキも、問題集やノートを片付けたり机を元に戻したりと準備を始めてしまっている。ここまできたら、もはや俺に拒否権はないのが日常だ。
 やれやれ、この流されやすい性格、何とかならんかね。
 数学の問題集を鞄に突っ込みながら、俺はため息をついた。


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