* * *

 学校から最寄駅まで大体徒歩二十分なのだが、住宅地の中を十分程度歩くと駅近くの大通りに出て、それを少し脇へ入った角にその花屋はある。
 生花店、「Flower Storm」。
 直訳すると花嵐、になるんだろうけど、その名前の通り一年を通して色とりどりの花が並ぶ噂の本拠地に、俺達は二月も終わりの日差しの中を歩いて辿り着いた。
「あ、あれじゃね?」
「えっ、どれどれっ?」
 ムツが言って、花屋の中を細い脇道の反対側から指差した。興味津々といった様子のミキと同じように、俺も何気なしにムツの示した先を見る。
 そこで、一人の女性が花束を作っていた。
 店先に並べられた花のバケツの向こう、店の奥にあるガラスケースの手前。そこに設けられたカウンターの上にピンク色で統一された花々を並べている彼女を見て、俺の心臓は一瞬止まりかける。彼女はとてつもなく綺麗だった。いや……綺麗というよりも、可愛い。
 歳は二十歳を超えているんだろうけど、そんなことはお構いなしに公共交通機関を半額で利用できそうな、どこかあどけない雰囲気を彼女は持っていた。ムツの前情報通り、背が低くて髪はロング、スレンダーな体型に人形みたいな格好がよく似合っている。花を弄ぶ指は真っ白な上に細くて、そこに大きく潤んだ目が視線を落としていた。
 そう、まさにメイド服でも似合いそうな……
「おお、凄い。ユキが見入ってるぞ」
 ムツに意地の悪い言い方をされて、やっと俺は正気に返った。危ない。いかんな、見ず知らずの女性にメイド服を着せようとしては。
「綺麗な人だねぇ……」
 後ろでメグも感心していた。隣にいるミキは言うまでもなし、「すっげー」とさっきまでの俺同じく見入っている。そうさせるだけの魅力が、彼女にはあるようだった。
 強いて問題があるとすれば。
 その魅力のせいで、俺達は完全に彼女の観察に気を取られてしまっていた。
「……あら?」
 と、彼女は作っていた花束から顔を上げた。まずい、と思った時にはもう遅い。彼女のやたら大きな目はしっかりと俺達を捉えている。気づかれた。
「いらっしゃい。珍しいわね、男の子が来るなんて」
「え、いや、あの……」
 笑顔で声をかけられて、ムツは完全にしどろもどろだった。ムツに限ったことじゃない、ミキもあわあわと慌てているし、俺もまた然り。まさか彼女を見るために来てずっとここから見てた、なんてこの状況下で一体誰が言えるっていうんだ?
「あの、それ……トルコキキョウですよね?」
 慌てるばかりの俺達の背後から、何でもないようにそう言った奴が一人だけいた。メグだ。エセ優等生面は如才ない微笑を浮かべながら、落ち着き払って彼女が手に持つ花束を指差す。
「え? ああ、そうそう。凄い、よく知ってるわね」
 彼女はメグに指差された、花束を構成する花の一本に指を触れる。それは薔薇によく似た、花弁の多い花だった。
「えっ、あれ薔薇じゃないのっ?」
 俺と同じことを考えていたらしい、隣でミキが驚いた声を上げる。メグはうなずいた。
「そうだよ。リシアンサスとかユーストマとも呼ぶんじゃなかったかな。リンドウ科だから、バラ科の薔薇とは全然違う種類なんだけどね……でも、確かに薔薇にそっくりかも。……何ていう品種ですか?」
「リネーションピンク。……詳しいわね。びっくりしちゃった」
 細い道を挟んで知識披露をするメグに、彼女は言って微笑む。花のような笑顔。メグが若干顔を赤らめるのを見た。
「あの……そこのショーケースに入ってる、青っぽい紫色の似たような花も、そうだと思うよ」
 少ししどろもどろになりながらメグが指差した先では、彼女が手にしているのと似たような形をした青紫の花が、行儀よくバケツに収まっていた。感心したようにムツが「へえぇ」と言う。
「すげぇな。俺はてっきり青い薔薇かと思ったぜ」
「青い薔薇はね、完全に青いものは作れないって、言われてたの」
 彼女は言いながら花束をカウンターの上に置き、ショーケースからその青いトルコキキョウとやらを取り出して、俺達を手招きした。折角の誘いなので道を渡り、店の中に入る。しかしメグが花について詳しくて助かった……。
「青い色素が花に含まれている薔薇って、昔は見つかってなかったのね。今では薔薇独自の青い色素を持っている品種が見つかったんだけど……それまでは、この青いトルコキキョウを薔薇に見立てて贈る人も多かったのよ?」
 へぇ……それは知らなかった。
「だから、昔は赤い薔薇から赤い色素を抜いて、青っぽく見せるっていう方法で『青っぽい薔薇』を作ってたの。でもそういうのって、やっぱり生花店には滅多に流通しないから……あ、ごめんなさい。ついしゃべりすぎちゃった」
 私って話が止まらなくて長くなっちゃって。
 そう言って肩をすくめる彼女に、俺達はそろって首を横に振る。
「……綺麗ですねー」
 ミキが言って、薔薇に似た青い花をまじまじと眺める。本音かどうかは知らないけれど興味津々といった感じのミキに、彼女は優しく笑って言った。 「じゃあ、折角だからあげるね」
「えっ、いいんですかっ? ……売り物ですよねっ?」
 差し出されたトルコキキョウを受け取りつつもそう申し訳なさそうな顔をしたミキに、いいのよ、と彼女は手を振った。
「気に入ったみたいだから。……綺麗でしょ?」
「お姉さんも綺麗です!」
 そこですかさずそんなことを言いやがったのはムツ。てめえ、何をちゃっかり彼女の傍、キープしてやがる。
「うふ。ありがと」
 彼女はそう言って恥ずかしそうに頬を染めた。
「でも、お姉さんは恥ずかしいかな。……あ、私は五十嵐菜津子」
 人見知りをしないらしい明るくはつらつとした彼女と――
 俺達の、最初の出会いだった。
「貴方達は?」

 * * *

 菜津子さんが「Flower Storm」で働くようになったのは、つい一ヶ月前くらいからなのだそうだ。それまでは都心の駅中にある生花店で働いていたのだが、昔からここに店を構える母親が亡くなったのを期に引っ越してきたらしい。菜津子さんがあのおばちゃんの親戚なのでは、というメグの予想は当たった。
「昔から働き詰めだったからね、母は。父が早くに亡くなって……それからずっと、私を女手一つで育ててくれたの。大学まで行かせてくれたんだから」
 そんな風に菜津子さんは言っていた。
「大学出てるんですか? ……菜津子さんいくつ?」
 ムツが尋ねると、菜津子さんは「女の子に歳を聞いちゃ駄目よ」と笑ってから、短大を出て三年になると遠回しに教えてくれた。
「短大……ってことは、えっ! 菜津子さん、今二十三っ!?」
 ミキは驚いた声を上げたけれど、確かに歳の割には菜津子さんは滅茶苦茶に若く見えた。制服を着れば中学生でも通じそうだ。そう俺が言うと菜津子さんは、
「うふ、ありがと。でも中学生は無理かな」
 そう肩をすくめて笑った。猛烈に可愛かった。

 だからという訳ではないが、俺達はそれからよく「Flower Storm」に足を運ぶようになった。出会ったのが丁度テスト前で部活が一週間休みになる時だったというのもあって、俺達は放課後になるとテスト勉強はそっちのけで花屋へ通った。
「ちわーっす、菜津子さーん」
「あ、むっちゃん達。いらっしゃい」
 ある日「Flower Storm」を訪ねると、菜津子さんはカウンターの上に籠と色とりどりの花を並べて何かを考え込んでいた。俺達はいつものように菜津子さんと挨拶を交わした後で、カウンターに近寄る。
「何してるんですか、菜津子さん?」
「これ? アレンジメントフラワーを作ろうと思って、」
 籠を見たミキが尋ねると、菜津子さんは微笑んで答えた。
「この近くに老人ホームがあるでしょう? 二週間に一回くらい、配達のついでにボランティアで持っていくの」
「へぇっ。……凄いですねー」
「皆さん喜んでくださるから。花を見て楽しいのは、いくつになっても同じなのね」
 でも、と菜津子さんはそこで表情を曇らす。
「どういう風にしようか……色々出してみたんだけど、どう合わせたらいいかなって」
「俺は、これがいいと思うんだけど。どうかなっ?」
 と、ミキは後ろのショーケースの中を指差した。バケツに入っているのは橙色と桃色を足して二で割ったような色をした、花びらの細長いマーガレットに似た花だ。バケツにつけられたカードには「ガーベラ」と書いてある。
「へぇ……ミキはこういうのが好きなのか?」
「好きっていうかさぁ、これ、凄く花っぽいじゃんっ」
 なるほど、そう言われてみれば確かに幼稚園児が絵に描きそうな形をした花だ。俺からすると、そういう「花っぽい」の代表になるのはチューリップだったりするんだが。
「チューリップだったらこっちにあるぜ」
 ムツに言われて店先を振り返ると、その言葉通り赤やらピンクやらのチューリップがバケツから空を仰いでいた。そうそう、それだ。プランターや鉢に植わって庭に咲いている印象が強い花でも、こうしてバケツに入っていると花屋の花っていう感じがするから不思議なもんだ。
「じゃあ、タンポポとかもバケツに入ってるとそれっぽく見えたりするのか?」
「それは……ないだろ」
 そんな俺達のやり取りを見ていた菜津子さんは、少し考えるようにした後で言う。
「ガーベラとチューリップ……か、いいかもしれない。あ、ミキちゃん、じゃあそのガーベラを持ってきてもらえる?」
「あ、はーい」
「むっちゃんは、そのチューリップをお願いね」
「了解っす」
 こんな感じで、菜津子さんを俺達が手伝うこともしばしばだった。
 菜津子さんの手さばきは大したもので、俺達と話しながらもどんどん花を籠に盛り付けていくと、しばらくして形も逸品物のアレンジメントフラワーなるものが完成した。バケツにただ入っているのもいいが、こうして菜津子さんが贈答用に飾ったものもいい。いや、それは菜津子さんが作ったものだからとかいう意味ではなくて。
「題名はずばり『陽だまりで絵を描いたあの日』かな?」
 メグが何やらすかしたことを言って、そうね、と菜津子さんは笑った。つくづく、笑顔とおしゃべりのよく似合う人だと思う。
「……花って、何で綺麗なんでしょうかね?」
 細い指先で最後に形を整えている菜津子さんに、特に深い理由はないが尋ねてみた。菜津子さんはカスミソウというらしい白くて細かい花をアレンジメントフラワーに足しながら、俺を振り返らずに言う。
「花は、咲いた後に実をつけるでしょ。子孫を残すために咲くのよね……ユキちゃん。そこに、ミニバラの植木鉢があるでしょう?」
 示されたカウンターの向こうを見ると、そこには菜津子さんの言う通りに植木鉢に小さな花が植わっている。いくつか膨らみかけの蕾に混ざって、小さな薔薇の花が二、三個咲いていた。
「花の根元を見て? 茎が少し、膨らんでるでしょう。細い茎に対して大きな花を咲かせるために、そこにエネルギーを詰め込んでるように見えない? ……私、これを見るとね、ああ花を咲かせるために一生懸命なんだなぁ、って思うの」
 菜津子さんはその植木鉢を見やり、少しだけ寂しそうな笑顔で言った。
「そうやって一生懸命花を咲かそうとするのは、花の後に実をつけて、子孫を残すため。いつまでも自分の種が地上に絶えないように、こうやって頑張って……だから綺麗なんじゃないかなって、私は思うな」
「実をつけるために咲くから……ってことですか?」
「そのために一生懸命だから、よ。自分の子孫を残す――そのためのエネルギーが溢れていて、それが綺麗に見せてるんじゃないかな。……人間はそうやって咲かせている花を、切り取って、実をつかせないで売り物にしてしまうんだから、そう考えると少し申し訳ないわ」
 相変わらず寂しそうな笑顔で肩をすくめる菜津子さんを見て、きっと心底花を好きなんだろうと俺は思った。俺と菜津子さんの視線の先ではアレンジメントフラワーと鉢植えのミニバラが、一生懸命に咲き誇っていた。


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