昔話をしよう。
自己紹介やプロフィール、その他自分を客観的に分析する機会において、俺は自分の性格について「冷静、冷めている、淡白、理屈人間、傍観者」と答えることが多い。実際にそう思ってもいるし、証明しろと言われればある程度答えることだってできる。周囲の雰囲気に乗って感情的になったりはせず、物事の中心には立たないでいつも一線引いたところから状況を客観的に分析し、誰に対しても感情移入などしない、それが俺の生き様、というかポリシーだ。予期せぬ事態に遭遇し心乱れし時、深呼吸しながら自分に言い聞かせるのは「落ちつけ、いつも冷静で無表情、取り乱すことが決してないのが俺の数少ない個性だろ、落ちつけ」。……そんな風に言い聞かせなきゃいけないような心理状態に陥っている時点でもう冷静じゃない、という考え方もあるだろうけど。むしろその方が正しい気もするけど。
それで何が言いたいのかといえば、俺は周囲の奴等にとっては大層つまらない奴だったんじゃないかということだ。一緒になって盛り上がるということをほとんどしない、共感・一体感という言葉から最も遠い人間。話しかけられればリモコンの自動設定によってオートで出る薄い笑顔で、どんなに仲がよかろうと全く関係なしの他人さながらに応対する俺は、いつも中心になって物事を進めていく主人公タイプの生き方の奴等からすれば相当面白くなかったことだろう。
でも、それを責められても正直困る。俺はそういうバイタリティに満ち溢れた性格と生き様を、もうとっくの昔に諦めているからだ。気がついた時には冷めた視線上等のこの人格が形成されていたし、その性格故に、俺は大事件や大騒動に巻き込まれることは滅多になかった。万が一の確率で巻き込まれるのは、そういう「主人公タイプ」のよからぬ人間と関わった時だけ――だからいつしか、そんな危険っぽい奴を最初から警戒して避ける習慣までついた。彼等に関わってはいけない。関わったら最後、きっと今まで歩いてきた平々凡々普通の道を踏み外すことになってしまう、と。
熱くなっては、いけない。
しかし、それをいつも心がけているとはいっても、四六時中冷静な振りをし頭のよい理屈派であれる俺じゃない。
どんなに達観者ぶっていても、まだまだ修行が足りない。
だからあの時――
真夏の太陽の如くな生き様を貫く馬鹿まっしぐらのあいつに上手い具合に煽られて、つい、熱くなってしまった。
熱中、してしまった。
俺らしくもない。恥ずかしいことだ、要は冷静なのではなく「熱しやすく冷めやすい」というのが俺の本質だったってことだろう。あんなあからさまに挑発とわかる簡単な挑発に乗って、頭に血を上らせてしまった。今でも時々そういうことはあるが、あれほど熱くなってしまったことは、俺の人生において一番の失態だったとしか言いようがない。
まぁ、どんなに冷たい青色の血液の持ち主でも、人生に一回くらいは激情・熱中するってことだろう。
とにかく、そんな風につい熱くなってしまった私立中高一貫男子校での中学一年生時代の俺を、自分自身格好よかったとは思わずとも、若かったなぁとは思う訳だ。高校二年生の今だって、そりゃあまだまだ老けてはいないと思うけどさ。それとこれとは、話は別にして。
年の瀬を挟んでの、俺の小っ恥ずかしい若さ故の過ちの話を、「認めたくないものだな」なんて赤い彗星の男を気取って言う前に、させていただくとしよう。
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