* * *

 インフルエンザ級の風邪を引いたムツは、しかしどうやらインフルエンザにかかっていた訳ではなかったらしい。
 難しいこと面倒くさいことの次に医者が嫌いな(というか、医者が難しくて面倒くさいからだと思うのだが)ムツは、話を聞くところによるといくら望さんがベッドから引っ張り出そうとしても決して病院に行こうとしなかったらしくそこは曖昧になってしまったが、俺に移らなかったこと、そして――それから二日と経たずに治ってしまったことを考えると、どうやらただの風邪だったようだ。
 そんな訳で、それから二日後。
「――……ふっかぁ〜っつッ!」
 という感じで、迷惑千万な人型台風・野瀬睦は見事復活してきた。病み上がりであるにも関わらずご丁寧に朝の自主練に参加するため早くからやってきたというんだから、何というか、頭の下がることだ。
 早朝の学校最寄駅前で、同じく自主練にやって来たメグとミキは何を勘違いしているのかムツを取り囲んで拍手なんかしてやがる。そしてその中央で自由の女神みたいなポーズを取るムカつくハンサムフェイス。
 改札を通って行く通勤通学の駅利用客の視線が痛い。……お前等頭おかしいのか? ていうか、この学校には俺以外にまともな奴はいないのかね。
「でも本当、大したことなくて良かったよ。実は熱も凄かったってユキから聞いた時は、これは復活までしばらくかかるかなぁなんて思ってたけどね。うん、テストにかからなくて良かったじゃないか、ムツ」
「ふっふっふ、メグよ、この俺様がまさかテスト当日まで休んだりすると思うか? ……数学とかあと一回赤点取ったら成績表に一がつく瀬戸際にいるってのに、風邪で動けないからってテスト休める訳ねーだろ!」
「きゃははっ、『勉学こそ学生の本分だ、テストを休む訳ないだろー!』っていうのが休まない理由じゃないのが超格好悪いなっ。ウケるー」
 学校まで歩き出しながらミキが言ったことには一理あると思う。数学あと一回赤点で成績一って、どんだけ今までの結果悪いんだ。
「ま、それにさ、」
 とムツは目を細め、得意げな表情になって台詞を続ける。
「今回のテスト週間は、そこの可愛い俺のユキ嬢ちゃんに英語教える約束になってたし。……おちおち風邪で休んでもいられねぇって。なぁ、ユキ?」
「……別にメグに教えてもらうんでも全然困らないけどな、俺は」
「とか言っちゃってぇ、それもお得意のツンデレだろ? わかるぜ! 俺はお前のことに関してはエキスパートだからな!」
「殴られたいのか、そうなんだな?」
「……どうして今の流れでいきなり俺のことを殴ろうとするのか、そのメカニズムについてもよ〜く存じておりますっ」
 だから殴らないで、と言ってムツはわざとらしく顔の前に手を翳した。
 俺がこの前散々顔面を殴ったのを気にしているようだ。ご期待にお答えしてその手をすり抜けるようにして顔面を殴ってやる。鼻先にパンチを喰らって二、三歩ムツがよろめいた。ざまぁみろだ。
「……本当、何ていうかさぁ」
 そんな俺達のやり取りを見ていたメグが、くすくすとおかしそうに笑って言う。
「ムツとユキって物凄く仲良いよね。やっぱり二人がこうやって馬鹿やってないと何だか調子が狂うよ」
「あー、それ俺も同感っ。昨日ユキの隣にムツがいなかったのって滅茶苦茶奇妙な感じしたもんなー。セッターとエースアタッカーってのもあるし、よくわかんないけど、お前等二人でセットって感じがするっ」
 俺とムツを勝手にセットにするな、ミキ。俺達はハンバーガーとポテトなのか。
 どちらがハンバーガーなのかというのも気になるところだが、そんなことはいいとして。
「だろー? やっぱ隣にユキがいないとな、俺も調子が狂っちゃうぜ。……だからユキちゃん、一昨日はわざわざお見舞いに来てくれてありがとうなー♪ おかげですっかり治っちゃった☆」
「……一生寝込んでれば良かったんだ、お前は」
「んー? 今何かツンデレった?」
 後ろから俺に抱きつきながら想像するに余る表情をしているだろうムツに、深くため息をついてみせる。ツンデレツンデレってうるさいんだよ、この野郎。
「……あ。カナとアキだ」
 学校までの道を歩いている途中、メグがそんな声を上げたので俺はメグの見つめている先に視線をやった。見ると言う通り、道の百メートルほど先を背の高い黒髪と背の低い茶髪のデコボココンビが並んで歩いている。
 ていうか、
「……何で手、繋いでるの? あいつ等」
 俺に後ろから引っ付いたまま歩きながら、ムツが口にしたのと同じ疑問を俺も抱く。最近視力落ち気味な俺の見間違いかと思ったが、視力二.〇を誇るムツもそうだというなら間違いない。
 アキがカナに話しかけた際、横顔が見えた。
 二人共いつものように笑っている。
 カナはこの距離でようやくわかるかどうかというくらい薄く、アキは例のへにゃっとした笑みを浮かべて――表情筋を最大限緩めて、随分と幸せそうだ。
「……どーやら何とかなったみたいだな。あいつ等も」
 俺の耳元に口を寄せて、ムツは小さな声で言う。俺は肩をすくめた。どうにもそうらしいな。
 意味深長に微笑み合ったムツと俺を見て、メグとミキはお互いに顔を見合わせた後で不思議そうに首をかしげた。生憎詳しい事情を二人に教えてやる気はない。そんなのは別に、べらべらと喋るようなものじゃないと思うんでね。

 ムツがあの日、俺に言いたかったことの意味を知る。
 中途半端に余計な口出しはするな――それはつまり、こういうことだったのだろう。二人の問題は、最終的には本人同士が何とかするしかないのだ。周囲がどうこうアドバイスしたところで状況はそうそう改善しないし、むしろ余計にこじれさせてしまうことの方が多い。それはカナとアキに対する今回の俺の例を取るまでもなく、だ。
 周りが色々と口出しをしたところで、本人達の考えが変わらなければ状況も変わらない。
 すなわち、シズの言っていた「受け入れる」である。
 喧嘩をして仲直りをするということ。相手の主義や主張・意見や価値観などの、一度は思い切り否定したものを、受け入れなければいけないということ。そのために、自分の主義主張・意見と価値観を、犠牲にしなければならないということ。
 その覚悟を促すことは第三者にもできるけれど――実際に受け入れるかどうかの覚悟をするのは、結局のところ問題を抱えた本人達なのだ。
 そして大概の場合は、言われるまでもなく本人達で気づく。
 自分のプライドは少し傷つくけれどそれはぐっとこらえて謝って、その結果より激しい喧嘩になってもいい、最終的には仲直りするのか。
 それとも、自分の安いプライドを守るために意地を張り、相手とは結局ずっとそのまま、どんどん時の流れと共に溝を深めていくか。
 自分のプライドか、関係の修復かの二者択一なのだと。
 どちらが大事かなんて本当にその相手が大切なら、確かに比べるまでもないことだと――自然の内に気がつくものなのだ。
 その過程に、第三者による口出しは無用で。
 夫婦喧嘩は犬も食わないのと、同じこと。
「おーいっ、カナーっ、アキーっ!」
 俺に向かってにやりと笑ってみせてから、ムツが俺の背後から飛び出してそう馬鹿でかい声を上げて二人に向かい走っていく。後ろから迫り来る異変に気がついたカナとアキは同時に振り返って、そこに自分達へと猛ダッシュしてくる校内の危険人物筆頭と俺達の姿を認めると、ぱっと手を離した。
「おっはよー♪ 今日も相変わらず仲良しこよしですねぇお二人さーん。らぶらぶぅ」
「っいきなり何だよお前はっ!」
 容赦なく飛びかかってきたムツを避け切れず正面からモロにボディアタックをかまされながら、アキが顔を真っ赤にして叫ぶ。
 ……アレだけ仲良さそうに手繋いでおいて、今更何を言ってるんだか。
「えー、まさか俺達が見てないとでも思った? そんな激甘いことを思っちゃってました? 流石、生き別れて再会した兄弟よりもべったりな幼馴染コンビ。甘々ですねぇ、色々と」
「何が言いたいんだよっ!」
「可愛らしく手なんか繋いじゃってさ。幼稚園児かっての。ていうか思いっきり喧嘩しちゃった後に仲直りしたばっかりのバカップルみたいな感じ?」
 俺が話したからムツは二人の事情を知っているが、そうとは知らないカナとアキからすれば何でわかるんだ、とか思ってさぞぎょっとしていることだろう。ましてや相手は時に超能力かと思うくらいの勘の良さを発揮するムツである。
「ばっ……違……いや、違わないけどっ。ただその、そう! 俺達もたまには童心に返ってみようかってさ!」
 顔真っ赤にしてわたわた手を振り回しながら言っても全然説得力がないが、多分アキは無自覚だろう。
 そんなアキに透明な視線を送り続けていたカナに、俺はムツの後から近寄っていって話しかける。
「よ。……アキって嘘つけないタイプだよな、本当に」
「……あいつは昔からああなんだ」
 小さく吐息をついてから、カナはアキを見つめたまま口元を少しだけ歪めて微笑みの表情を作った……ように見える。表情筋の変化が基本的にミリ単位だから、よく見ていないとわからないのだが。
「……いつまでも自分にべったりじゃ困るんじゃなかったのか?」
 ちょっと茶化すつもりで言って見ると、カナは今度こそ俺の方を振り返って眉根を寄せた。不愉快そうな顔つきになったが、照れ隠しのようにも見える。
 実際カナは、
「…………生まれた時から。いや――生まれる前から一緒にいて、十三年なんだ。今更こいつが隣にいない人生なんか考えられないだろ」
 と、すぐ傍にいる俺にもやっと聞こえるかどうかというくらいの非常に小さな声でぼそぼそと、そう答えた。
 もちろん、近くで騒いでいるアキ本人とムツに聞こえる訳はないし、俺の後から歩いてきているメグとミキにも聞こえてはいないだろう。
 ……こいつが隣にいない人生、ね。
「生活」と言わないところがカナらしいと思う。本当、男同士じゃなかったらマジで将来的に結婚でもしたかも知れないなんて、あり得もしないことを想像したら何だかおかしくなってしまった。
 こみ上げる笑いを何とか堪えようとしながら、抑え切れずくつくつと喉を鳴らして笑ってしまっている俺にカナはますますはっきりと不機嫌そうな顔になる。
「……何がおかしい」
「別に。何もおかしくなんかねーよ。……ただ、確かにその通りだな、と思ってさ」
「その通り?」
 五ミリ首をかしげたカナに、俺は目配せして言った。
「お前の隣にアキがいないところなんて、俺にも想像できないってことだよ。お前等が仲良くしてないと、こっちまで何か調子狂うから不思議だな」
 そう――それは丁度さっき、ムツと俺が、メグとミキから言われたのと同じこと。
 二人一組で、ワンセット。
 ハンバーガーとポテト。

「最っ強のツーマンセルだよ――俺達はさ」

 アキを羽交い絞めにして頭をぐりぐりしている片割れを見て盛大にため息をついてやってから、そんなことを俺が呟いたなんて、誰にも知られたくない俺の小恥ずかしい過去だ。
 あれだけ散々、どうしてこんな奴と友達になっちまったんだろうとかぶつくさ文句や不満を言っていたくせに、一方ではそんなことも思っているなんて、確かに俺はあいつからツンデレと呼ばれたって仕方ないのかも知れない。少なくとも、あのシズと並べられて文句を言えないくらいにはな。
 けれど、世の中の物事全てが白か黒か、一かゼロかじゃないだろう。
 確かに俺は、暴走癖を持ち合わせた生きダイナマイトなんかと一番最初の友達にならなきゃいけなかった自分の悪運の強さを日々嘆いてはいる。瞬間接着剤か何かで強固にこの手に張り付いた奴の手を、どうにか引き剥がして危険物専用のダストシュートに放り込んでやりたいと思ったことが、果たしてこれまで何度あったことだろう。
 それでも。
 それでもそれが、俺のムツに対する思いの全てではないのだ。
 今回の一連で、それをはっきりと悟った。
 ……いや、知ってはいたのだ。
 つい数週間前に、散々な結果に終わったあの百人一首大会の時に、嫌というほど思い知っていたはずのこと。
 あいつに逆らうのは色んな意味で不可能であり。
 この縁は、ダイヤモンドカッターでも持ってこないと切断不可能なくらいに、強固且つ頑丈なもののようだと――
 ただ、俺は認めたくなかっただけだ。
 あれから実に五年が経った今も、正直言うと全面的に認めたくないと思っている。あの時望さんの前で「ムツと友達になれたことを後悔してない」みたいな実に恥ずかしい甘っちょろいことを言えたのは、ただ単に相手が他でもない望さんだったからだろう。
 あんな奴と出会いたくなんかなかったという気持ちと、一方で、出会えたのはさほど悪いことじゃなかったんじゃないかという気持ちと。
 それは複雑な表裏一体であり、説明しろと言われても四百字詰原稿用紙二百枚程度じゃ全く足りなくて。
 だから、野瀬睦との関係を尋ねられた時、俺が答えるべき言葉はまさにミナの言った、あの台詞以外にないのだろう。
 すなわち。
 俺は意見を持たない――と。
 こういうクサい言い方はあまり好きじゃないが、それが、友達関係ってものなのだと思う。
 友情とはそういうものなのだと、そう思う。
 ……本当、実は今回の話の一連で、世の理ってやつを一番ちゃんと悟っていたのは、ひょっとするとミナだったのかもな。

 主義も主張も意見も価値観も、何もかも捨てて、受け入れられる存在。

 親友を、そう定義すべきものなんじゃないかと、そんな意見を――
 俺は今も、持っていない。


[グレートフレンドシップ 了]
[読了感謝]

参考URL:日本マクドナルド

(敬称略)


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