* * *

 ムツの貸した私服により三段くらいグレードアップして男前なメグと、想い人とのデートに向けて気合ばっちりのお洒落な服装に身を包んだ彼女との微笑ましいカップルは、桜木町駅から歩くこと約五分、横浜みなとみらいのメインデートスポットともいうべきランドマークタワーへと入っていった。俺達も後からついていくが、二人はその後クイーンズスクエアの方へと足を運び、建物の中をうろうろと歩いて、どうやらウインドーショッピングを楽しんでいる様子である。
「あ……これ、浜野君似合いそう、かな」
「うん? そうかな? 試着してみるか」
「えっ……本当に?」
 その間の会話は全て俺達に筒抜けなのだが、そんなことなど何一つ知らないメグは結構軽快に彼女と話している。後で知ったら何て言うだろう。
「うん、いいぞメグ。その調子だ」
 で、そんな二人のデートを見て、俺達……というかムツとミキは完全に面白がっているのだった。二人から少し距離が開くと、ムツなんかジャケットのポケットからオペラグラスを取り出してまで観察を続ける始末である。そんなものまで持参したのか。どんだけ力入ってるのさ。
 その後メグ達は、そろそろ昼飯時という時間になってからランドマークの建物に戻り、前々からメグが見繕って俺に相談していたとある店に入店。メグを追いかける俺達は、運良く丁度良いくらいに離れた席に通され、うっかり気づかれたりしないようくれぐれも注意しながら二人の様子を見守った。
「凄い……浜野君、こんなお洒落なお店も知ってるんだね……」
「そうかな? 普通じゃない?」
 中学二年生という年の割には大人びた、彼女の言う通り洒落たランチである。おかげで、後をつけている俺達もかなりの出費になってしまったが……文句は言うまい。横浜値段、というヤツさ。
「馬鹿、『普通じゃない?』は禁句だっての」
 食べている間もムツはメグの言動チェックに余念がないようで、熱いミルクティーをすすりながら度々小声で駄目出しをしていた。食ってる間くらい黙ったらどうだ。
「これからどうしようか? どこか行きたいところとかあるかい?」
「んー……ど、どこでもいいよ」
「そっか。じゃあ三択かな。一、またちょっとウインドーショッピングする。二、何か甘いものでも食べる。三、遊ぶ。どれがいい?」
「そう、だなぁ……ショッピングは結構満足したし、お腹ももう満たされちゃったから。どこかで遊びたい、かな」
「じゃあ行き先決定だ。コスモワールド行こう。遊園地嫌い?」
「う……ううん、全然っ」
「野郎、結構手馴れてるじゃねぇか。ふふん、感心感心」
 席を立つ前に交わされたそんな会話を聞いて、ムツが感想を述べる。アイスコーヒーをストローで吸い上げながら、複雑な気持ちでそれを聞く俺。すいません、今のメグの台詞は俺がいつぞやの電話で教授した内容です。
「最初デートすることになった時はどうなることかと思ったけどさっ。メグの奴、案外やるじゃんっ」
 ミキがにやにやと大層おかしそうに笑いながら、鞄から財布を取り出して席を立った。

 その後、遊園地――みなとみらいのシンボルの一つとも言うべき観覧車・コスモクロックでお馴染みのコスモワールドへ向かった中学生カップルは、友人たる馬鹿な男子の群れが自分達をじっくり観察しているなんて露とも思っていない様子で、どっかネジが外れちまったみたいなはしゃぎようで遊び回った。
 次から次へと、アトラクションを乗り継いでいく。
 はしゃいではしゃいで。
 ふざけて。
 時に笑い合いながら。
 だけど――
 途中から、俺達も、そしてきっとメグ本人も、そのことに気がついていただろう。少なくとも俺は気がついていた。
 今日の朝、待ち合わせの時に彼女がメグに向けていた眩しいものを見るような目。
 それがだんだんと、変化していることに。
 その変化が何を意味するのかも。
「……いよいよ潮時か」
 これでしめだというように、観覧車へと乗り込んでいったメグ達を見送りながら、ぽつりとムツが呟いた。コスモクロックのデジタル時計に表示されている時刻は午後四時過ぎである。それを見つめる寂しそうなその横顔に、俺は猛烈な既視感を覚えた。あれは去年のクリスマス・イブのことだったけれど、ムツもあの時のことを思い出しているのだろうか。
 そして――今のメグと彼女の状況に、その日の自分を重ねているのかも知れない。
 あの、雪の降ったクリスマスのロマンスの結末に。
「……どうするよっ?」
 ムツと俺の傍で所在なさげにしていたミキが、しばらくの沈黙を経て呟いた。まるで自分自身に問いかけているかのような言い方だった。
 それに対してムツも、独り言のように答える。
「まーな。でも、まだそうなるって決まった訳じゃねぇし。そうなったところで俺達にどうこうできることでもないだろ」
「……ムツ」
「メグはかわいそうかも知れないけど。だけど、それで俺達に同情されたところで惨めなだけだろうし。……何せ人生は思い通りにいかないからなぁ。運悪くってこともあるだろ。メグもそれはわかってると思うしさ」
 でも、と。
 もう何度口にしたかわからない逆接の言葉をもう一度呟いて、ムツは再度観覧車を見上げた。俺とミキも、つられるようにしてデジタル時計を睨んでいた。メグは今頃、あの頂上辺りにいるだろうか。
「でも……だからってさ、メグ。お前まで、俺の二の舞になる必要はないだろうに」
 改めて確認するまでもないことだった。
 三人が三人とも、もはや気がついていた。

 メグを見つめる彼女の目に、前ほどの熱がこもらなくなっていたということに――

 観覧車から降りてきた二人が、お互い気まずい感じの距離感で遊園地の出口へと歩いていく。
 俺達も後をついていくが、俺もミキも、あれだけメグと彼女との会話にうるさく意見し続けていたムツすらも、その間一言も喋らなかった。いや、きっとあれは喋らなかったというよりも、喋れなかったんだろうな、と今は思う。
 ムツが手にしていたトランシーバーからは、もう午前中のような楽しげな会話は聞こえてこなかった。
 ……沈黙を守っているトランシーバーと、必要以上に距離を取って歩く二人を見ていれば、さっき観覧車の中で何があったのか容易に想像ができた。だからこそ、俺もムツもミキも、何も言えずに二人についていくことしかできなかったのだ。
 しばらく無言で歩き続けて、夕方の桜木町駅前にて。
「……あの、浜野君」
 久方ぶりに、トランシーバーから彼女の声が届いた。
 今までは二人の声がする度喰らいつくようにトランシーバーを顔に近づけていたムツが、その声色を聞くと小さく舌打ちをした後で首を緩やかに左右に振り、手にしていた無骨な機械を半ば押し付けるように俺に渡してくる。
 受け取るしかなかったが、本音じゃ俺はそうしたくなかった。
 だけれど――ここまで見守ってきたんだから、最後まで付き合ってやらねばなるまい。
 意を決した俺とは対照に、ムツは逃げるように俺の元から離れていく。
「この前の……朝に、言ったことなんだけど」
 遠回しな彼女の切り出し方が嫌過ぎる。
「……うん。何?」
「……やっぱり、取り消してもらえないかな」
 それは、本当なら直視に堪えない光景だったはずだ。
 けれど俺は、その直視に堪えないはずの光景に思わずはっと目を打たれて、トランシーバーから他人事のように聞こえてくる二人の声を聞きながら、呆然とその場に佇んでいた。
「ご、ごめんなさい。凄く勝手なこと言ってるって、わかってるんだけど……」
 残酷な台詞だった。
 何よりも罪深いのは、その台詞の内容も然ることながら、それを言う彼女の声色だ。焦燥にかられたような悲壮感に満ちていて、うっすらと涙が滲んでいるように思える。俺もムツがしたように舌打ちをした。これだから女は嫌いなんだ。奴等は……ずるい。
 泣けば何でも許されるとでも思ってるんだろうか。
 悲劇のヒロインを気取っているんじゃあるまいな。
 泣きたいのはきっと――メグの方なのに。
「今日一日、ずっと一緒にいてみて思ったんだけど……浜野君は……私が思っていた人とは結構違ったみたいで。わ、悪い意味じゃないの。浜野君自体のことは、今でも凄くいい人だなって思ってるの。でも……」
 この距離からじゃ、彼女の正面で立ち尽くしているメグがどんな表情をしているのかは窺えなかった。それはこの残酷なる状況下において、唯一俺達にとっての救いだったといえよう。
 だけど――救われるのは俺達だけで。
 メグは決して、救われない。
「うん……大丈夫。ちゃんとわかってるよ、言いたいこと」
 やっとのこと放たれた、メグの一言。
 やたら気丈に振る舞っているのが、逆に哀れだ。
「でも、ちょっと困る、かな……逆に僕、好きになっちゃったよ」
 このメグの台詞は、彼女が大きな後悔に襲われるに充分な一言だったに違いない。けれど、罪悪感を感じてるかのように自分のパンプスの足元に瞳を伏せている彼女に、俺はこれっぽっちも同情を覚えなかった。
 これくらいは、不可抗力だろ?
 そのくらい、正当な代償だろう。
 多分メグは、あんたよりもよっぽど傷ついてるぜ。

「本当に――ごめんなさい」

 メグが今日の最後に彼女から聞きたかった言葉は、きっとこんなものじゃなかったはず。
 俺は二人からようやくのこと目を離し、少し離れたところで居心地が悪そうに佇んでいるミキと、かなり離れた場所でみなとみらいの風景を眺めているムツとを順番に見た。それからもう一度、メグへと視線を戻す。
「……どうする? 横浜駅まで送っていこうか?」
「ううん、いいよ。ここで」
「そっか、じゃあ」
「はい、じゃあ」
 さようなら。
 もう二度と会うことはないだろうという、そんな二人の冷ややかな別れの言葉が、聞くに堪えないくらいつらかった。
 彼女が一歩、メグから距離を置く。メグは歩み寄らない。彼女がもう一歩、身を引く。メグは動かない。彼女は泣きそうな顔をした。メグに向かって深く一礼したかと思うと、くるりと背を向けて、一目散に駆け出した。
 それきり彼女はメグを振り返らなかったし、立ち止まりもしなかったし、メグの方も、そうして逃げるように去っていく彼女を追いかけるような真似はしなかった。
 追いかければいいのに。
 思って、横浜の夕凪に呟いた。
「……修羅場、終わった? よぅし」
 いつの間に俺の傍に戻ってきていたのか、ムツは背後でそう言うと、俺の手からトランシーバーを取り返してやたら軽い足取りで歩き出した。すれ違いざま一瞬だけ見えたその顔は、さっきまでの苦しそうな面持ちは演技か何かだったのか、相当に清々しそうな明るい。
 俺はついていくか一瞬迷い、もう一人、俺と同じく所在なさそうにしているミキを振り返る。ミキは俺と目が合うと、悲しそうに一度瞳を伏せた後でへにゃっと力なく笑い、そのままムツに続いて駆け出していった。
 俺もそれに続く。
 色々苦しいけれども。
 だけど、ここでメグを放置しておくのはもっと苦しいだろうからな。
「よーっす、メグ兄さん。お疲れ様ー。いかがでしたか、初デートは?」
 いつもをなぞってのチャラけた口調で言いながら、ムツがメグの肩を叩く。彼女が消えていった桜木町駅の建物の中をじっと見つめていたメグは、そこで初めて俺達が傍にいたことに気がついたようで、深いため息をついてから、
「……やっぱりいたか」
 とだけ、小さな声で言った。
 それからほんの少し間を置いて、
「……そんなことじゃないかとは思ったんだよなー」
 ムツに合わせたのだろうか、変に明るい口調で困ったように言い、くしゃりと笑う。いつも大人びた微笑ばかりを浮かべるメグにしては珍しい、随分と子供っぽい照れたような微笑だ。
「もしかしなくても、今日の一部始終、見てたんだろ。……お見通しだよ。そもそもがあの放課後に彼女と会った時に居合わせてたんだから、むしろ今日ついてこないのは不自然だと思ってた」
「ふふん、お前の考えることなんか全部まるっとお見通しだ! と言わんばかりだな? しかしメグ兄さん、俺をあんまり見くびるもんじゃねーぜ? 何せただ見てただけじゃないんだからなー」
「どういうこと?」
「うん。会話も聞いてた」
「……どうやって?」
 自分が貸した、メグが着ているジャケットの胸ポケットに手を突っ込むムツ。
 まるで四次元ポケットから秘密道具を取り出す猫型ロボットのように、
「ぱんぱかぱっぱっぱーん! 盗聴マイクぅ」
「……ムツ、それ、犯罪」
 冷たい目を向けるメグの反応は至極当然のものだろう。つーかムツ、それは失恋したばっかりの友達にとる態度じゃないだろうに。
「まぁ、でも……ムツが私服を貸してくれた時点で、まず疑っておくべきか……盗聴マイクねぇ。迂闊だったよ。まさかそこまでされるとは思わなかったな」
「俺様の辞書に抜かりという言葉はないんだぜ!」
「ナポレオンの真似しても駄目だよ、ムツ。全然格好よくないから」
 メグを元気づけているつもりなのか必要以上にふざけまくるムツに、メグは呆れたように眉をひそめてため息混じりに突っ込みを入れる。
 その後、何がおかしくなったのか急に声を上げて笑い出した。
 最初はどういうことなのかよくわからず、狂ったように笑うメグに俺もミキも唖然としていた。が、やがてムツがそれに合わせて爆笑し始めると、何だか意味もなくおかしくなってきてしまって、俺とミキは同時に噴き出した。
 夕方の桜木町駅前に、男子中学生四人分の笑い声が響き渡る。
 年端もいかない少年ばかりが四人も集まって馬鹿みたいに爆笑している様子は、傍目から見ればかなり異様な光景だっただろう。でもそんなことは俺達にとっちゃどうでもよかった。気が済むまで、目に涙が滲むまで、延々と俺達は笑い続けたのだった。
 今日の茶番を、そして今日までの一連の事件を、心ゆくまで笑い飛ばした。
 だってさぁ。
 これが笑わずにいられるか?
「あー……あー、ふぅ。あはは。みんな、ありがとう」
 俺達の腹の中で騒ぎ出した笑いの虫がようやく収まり出した頃、まだその顔に笑いを滲ませながらメグがやっとのことそれだけ口にした。ムツとミキと俺は、その言葉を受けて一度互いに顔を見合わせる。
 それから三人を代表してムツが、
「あーん? 礼を言われる理由がわかんねぇけど?」
「慰めてくれてるんだろ?」
「今ので慰められたの?」
「……まさか」
 今のですっかり慰められるほど傷は浅くない――とでも言うかと思ったら、メグはそんな弱音は吐かなかった。どころか実にさっぱりとした表情で、
「この程度に慰められなきゃならないほど、僕は傷ついてないよ」
「おっ、言うねぇ、メグ兄さん」
「……あのさ、ムツ。そのメグ兄さんっていうのやめてくれない? 馬鹿にされてるみたいでムカつくんだけど」
「おうよ、だって馬鹿にしてるんだもん♪」
「ムツ……今度の満月の夜は注意した方がいいよ」
 まぁ、そんな強がりが出る程度には、慰められたと思っていいんだろう。
 またも眉をひそめて不機嫌そうに言ったメグは、それから元の穏やかな表情に戻る。言い方を返れば、また、あの打ちひしがれたような寂しそうな顔になった。
 そんなメグに、ムツもそれまでのにやけた笑みを一切取っ払って、静かな口調で尋ねる。
「で、漫才はこの程度にしておいてだな。……本音のところはどうなんだよ。今日とか、今日までのこととか、そこら辺を全部ひっくるめてさ。人生初の色恋沙汰を経験したメグ、お前の感想は?」
「ずっと見て聞いて知ってたんだろ。説明する必要なんかないんじゃ?」
「そりゃ見て聞いて知ってたけどさ。てめーの感想を聞いてるんだよ。俺様が聞いてやってんだから答えやがれ」
 偉そうに仁王立ちしたムツに、メグは短く息を吐き出す。いつか俺と交わしたのと同じようなやり取りに、一見すると怒ってるんじゃないかってくらい険しい表情をしているが、そのムツに向けている視線に力はない。眉根を寄せてこう言った。
「……見てわからないかい?」
 そしてその台詞も、数日前のあの時みたいに。
「死にそう」
 ……だろーな、メグ。
「そうかそうか、死にそうか。そりゃよかったぜ。いつ死ぬんだか知らないけど、何にせよ葬式には呼べよな」
「勝手に僕のこと殺すな。死にそうって言っただけで死ぬなんて一言も言ってないだろ。……まぁ、いずれにせよ、そうだね。ムツの質問にもうちょっと踏み込んで答えるとするなら、今、僕はこう思っている」
 もっともらしく腕を組んで、メグは言った。
 ミキがにやにやとした笑みを浮かべながら問う。
「うん、何?」
「……今日の僕は普段に比べてちょっと喋りすぎた。心も痛いけど喉も痛い」
「…………」
 短い沈黙。
 それから、
「ぎゃはははっ!」
 闊達な笑い声を上げて、ミキが言った。
「何かメグ、今日一日だけで色々と悟ったんじゃねっ? 今、超格好いいんだけど」
「それはあるかもね。いや、今日は長い一日だった。何か一日にして経験値が五倍くらいになった気分」
「てぃろりろりー♪ ちゃらららちゃちゃちゃっ、ちゃちゃちゃんっちゃちゃちゃんっ」
「……ムツ?」
「メグの経験値が三十四上がった! メグのレベルが二十三に上がった!」
「僕はポ●モンか」
 呆れたように突っ込みを入れたメグは、もうすっかりいつもの笑顔。
「なぁ、そんな気にするもんじゃねぇよなぁ、メグ! ドンマイドンマイだ! 一回フラれたからって何だってんだよ。一人取り逃がしたからってどうしたっていうんだ。考えてもみろ、この世界の人口の約半数は女なんだぜ? 果たしてこれが嘆くべき状況だろうかいや違うっ!」
 反語法まで使って滅茶苦茶頭の悪そうなことを言うムツに、本来なら全力で突っ込みを入れるべきところ、メグは実に真面目な顔で、
「うん、そうだよね。今日の彼女も、考えてみると三十億人の内のたった一人に過ぎないんだもんなぁ。落ち込む方が損って感じだ」
「そうそうそうっ! この世界の人口の約半数中には、お前のことを全身全霊かけて本当に愛してくれる人が必ずいる! ただ、それがたまたま今回の彼女じゃなかったってだけのハナシだ! それだけのこと! メグ、お前は何にも悪くねぇ! 落ち込むな!」
「うん! 落ち込まない!」
 西日が照らし出すみなとみらいの景色に向かって、ムツとメグは謎めいたテンションではしゃぎ合って腕まで組んでいたけれど、一体あれは何だったんだろう。恋愛面に難を抱いた者同士の友情の確認か何かだったんだろうか。
 人生初失恋者と、永遠の片想い。
 二人へとミキが飛びつくのを真似する訳にもいかず、俺は橙色に染まった横浜の海風に乗せて短くため息をついた。
 あるいは。

 ……あるいは、二大ヒーローの夢の共演気取り、とかね。

 彼女のヒーローは、きっとメグじゃあなかったんだろう。
 哀しいことだけれど。
 そう、それは……勘違いだった。
 錯覚して、思い違い、勝手に思い込んで。ただそれだけのことだった。恋愛というのは得てして勘違いから始まるものだ。恋に恋するというか、何というか。相手が自分の究極的な理想のカタチだと思い込んでしまう、あれは一種の熱病である。
 熱が冷めてしまえば――勘違いだとわかってしまえば、あとは破滅するしかない。
 上手くいった恋愛というのは、勘違いに気がつかなかった恋愛のことだ。
 熱が冷めない、ということ。
 メグに対する彼女の熱は、今日の一連ですっかり冷めたのだろう。
 考え方を変えれば、「勘違いが解けた」。
 ただそれだけのことである。
 そんな彼女を相手に、恐らくメグは敗北したのだ。
「……僕じゃなかった、ただそれだけのこと、ですか」
 けれど。
 敗北したとはいったものの、今のメグは全く敗北を喫したようには見えなかった。負けて悔しいとか、そんな情けない要素は歳の割にでかすぎるその背中からは微塵も窺うことができなかった。どころか俺の目には、今のメグがかなり清々しい佇まいをしているように見える。
 敗北を喫した自分に――ちょっと自信を持っているように、見えた。
 ……もう一皮剥けて欲しい、か。
 そういう意味じゃ、全てが全てムツの思い通りにいった訳じゃないけれど、それでも今回の色恋沙汰を乗り越えた結果、メグは確かに「一皮剥けた」んだろうな。
 フラれちゃったけれど。
 失恋しちゃったけれど。
 敗北しちゃったけれど。
 滅茶苦茶格好悪いけど。

 でも、ムツと肩を組んでいるメグが、俺にはヒーローに見えた。

「……お疲れ様」
 日頃は一歩下がってサポート役に徹している脇役万歳なミスター平凡に、今日までの活躍を称えて、俺は心の中で小さな拍手を送った。
 ショーもそろそろ潮時、心と喉の痛いヒーローは幕の中に引っ込む頃合である。


[ディアマイヒーロー 了]
[読了感謝]

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