昔話をしよう。
 という語り出しで俺が今まで綴ってきた過去の物語の多くで、語り部たる俺を差し置き主人公的立場にある友人・野瀬睦について、俺が一言で表現するなら多分こんな言葉になる。

 世界一ダイナマイトに近い男・野瀬睦、ここに存在す。

 人間型ダイナマイトと言ってしまえばそんなもんある訳ねぇだろという具合に大げさになってしまうが、けれどこいつと付き合ってきた俺やその他奴の友人諸君からすれば野瀬睦、通称・ムツはまさにそんな印象だった。導火線が短いのかよっぽど扱いに注意せねばならない物体なのか、奴は日々頼みもしないのに学校生活の中で戦隊モノショーの如き爆発を繰り広げた。爆発も爆発、大爆発を通り越してもはや暴発である。俺達がいらぬ衝撃を与えまいといくら努力しても気がついた時にはどかんと一発いっていて、それが何の被害も出さないただの自爆ならまだいいものを、俺を代表とする周囲の人間を容赦なく巻き込むもんだから本当にタチが悪かった。何にせよ、ムツが暴れて俺がろくな思いをしたことはない。
 しかし、だ。  そんな迷惑極まりない人格をしたムツが派手に爆発してやらかしたことの中にも、よくよく思い返してみればちょっとは世のため人のためになったんじゃないかと思えなくもないものだって、実は確かに存在する。俺がそう思っているなんて、近々高校三年生になる当時・中学一年生の時より増長した本人には、とても面と向かって言えたことではないけれど。
 言った暁には、きっと調子に乗って世界を震撼の渦中に陥れる大爆発を起こすだろうからな。その大爆発が、あの時のような結果に向かうのなら、別に何の問題も発生しないんだけど、そうもいかないのが世の中ってヤツだ。
 けれどまぁ――
 俺にちょっとした感動を与えてくれた、あの時の魂こもった爆発については、今回敬意を示しつつ。
 ダイナマイトが具現化したような男・野瀬睦が主役の話を、することとしよう。





レッツシングソウルソング


「アカペラをやるぞっ!」
 と、野瀬睦――俺の所属するバレー部Cチームの一応チームリーダーにしてクラスメイト、名前の「あつし」が「むつみ」とも読めるからという理由で本人がつけた通称・ムツがニックネームのハンサムフェイスは、部室の中央に仁王立ちしてぎゅっと拳を作り、叫んだ。
 ……何だって?
 もはや雑音の域に達している大声によって痛めつけられた耳を軽く手で労わりつつ、俺は俺と同じくその雑音ボイスの餌食となったはずの面々を眺める。
 面食い女子が刹那も置かずに飛びつきそうな極上のイケメン面に某ファーストフード店もびっくりなスマイルを浮かべているムツの向こうにまず見えたのは、同じくチームメイト兼クラスメイトの浜野恵、通称・メグのきょとんとした顔である。椅子に座っていてもよくわかる長身に眼鏡とポニーテールが似合うエセ優等生面は、俺と目が合うとムツとは違った意味で整った顔をいかにもといった感じに笑わせて微笑みかけてきた。いつも通りの人の好さそうな微笑なんだが、今に限っては無駄にムカつく。どうしてお前は俺をそうもムツの相談窓口にしたがるんだ。たまにはお前がこいつの無茶を聞け。
 と、面と向かって言えればいいのだが、状況が状況であるため俺はメグを非難することは諦め、なのにずっとこいつの仏様的微笑を見ていても苛立ちが募るだけなので、早々に視線を逸らしてこの場に居合わせるもう一人のチームメイトの様子を窺うことにする。
 そのもう一人のチームメイトたる我等がCチームの誇る美人マネージャー・服部実紀、通称・ミキは、部室の隅で椅子に逆向きで腰掛け、携帯電話に向かってひたすらキーを連打していた。折畳式携帯電話の小型ディスプレイに注いでいる視線は猫じゃらしを狙う猫の如くに真剣且つ必死で、少女にしか見えない可憐なその外見とはかけ離れた殺気すら放っている。ハーフアップに纏め上げられた綺麗な長い茶髪と、鬼が泣いて逃げ出しそうなその表情とは、できることならモザイクをかけておきたいくらいに不気味な組み合わせだった。校内での携帯電話使用はもちろん校則違反だが、なに、恐らく大好きなテトリスでもやっているんだろう。お前は俺に相談窓口を押し付けるどころかこいつの発言を完全無視か。せめて聞く耳くらい持ってくれ。
「……何か理解したくない不穏な台詞をお前の口から聞いた気がしたんだけど、気のせいとは思いつつもう一回聞いてやる。何だって?」
 どうやらこの場には俺以外にムツと交渉する人間がいないようなので、俺は仕方なく、叫んだままで一時停止しているプチモデルみたいな外見の持ち主に声をかけてやる。するとムツは一瞬にして再生ボタンを自ら押し、俺の危機感を煽るばかりのはっちゃけた笑顔を嬉しそうに向けてきた。
「気のせいじゃないよん! アカペラやろうぜ、ユキ♪」
 二月もようやくのこと半ばに突入したもののまだまだ寒く、憂鬱な定期テストも近いっていうのに元気なこった。そこまで元気でよく燃え尽きないな。寒さやテスト如きじゃびくともしないエナジーが正直羨ましいね、そこまで有り余ってるならテスト勉強向けにちょっとわけて欲しいくらいだ。あるいはいっそそのまま燃え尽きてしまえとも思う。
 この馬鹿でポジティブハイテンション、イベント大好きトラブルメーカーの男・野瀬睦がこんな風にめらめらと燃え上がっていて、俺が得をしたことなんて一度もない。トラブルメーカーとは読んで字の如くトラブルをメイクする人間のこと、そのトラブル(もはやこいつの存在自体が俺のトラブルだが)にいつも頭を悩ませるのが、去年の四月に中高一貫私立男子校たるここに入学し、こいつと友達になって以来の俺の日常だ。
 しかしながら、平凡人生万歳になりつつある俺としては、そうもトラブル続きの毎日からは笑顔で手を振りグッバイを告げたい。よって、許されるままに暴走し続けるこの外見だけは整った悪魔を、何としても黙らせたい訳だ。
 いっそ黙らせるどころか二度と何も言えないように海の底とかに沈黙させたいくらいだが、はてさてどうしたものだろう。
「……アカペラだって?」
「そうだよん! あれ、もしかしてユキ知らないのか? 駄目だなー、今時アカペラを知らないなんて遅れてるぅ」
 殴ってやろうかと思った。
 何だ、その何様的チャラけた喋り方。馬鹿にしているとしか思えない。
「知ってるよ。はっきり一言でいえば『ハモネプ』だろ?」
「何だ知ってるのか。そうだよん! 『力の限りゴーゴゴー!!』っ! アカペラとは広義では無伴奏の合唱様式をいうナリ!」
 辞書で引いただろって感じの説明文句だった。
 ……。
 アカペラ。
 知らない人のためにもう少し詳しく説明をすると、アカペラというのは無伴奏で行なわれる合唱・重唱のことだ。ないしそのための楽曲。音楽史・古楽上など、狭義ではヨーロッパ教会音楽の様式の一つを示すが、こちらの場合は伴奏の有無は問わず、基本的には教会で演奏される合唱曲と思ってもらって間違いない。というか、アカペラっていうのはイタリア語で「聖堂において」という意味であり、英語で言えば「in chapel」に該当する言葉だ。……これテストに出ないから良い子のみんなは注意。
 曲の全体、または一部が、複数の異なる動きの声部が協和し合って進行する「ポリフォニー」。
 簡素で歌詞の聞き取りが容易。
 複数パートで、無伴奏・または歌のメロディーをなぞる程度の簡単な伴奏をつけて歌われる。
 それが近年の日本で急にブームとなったのは、俺達がまだ小学生半ばくらいのことで、その火付け役となった番組がムツの言った通り、かの有名なフジテレビ系の「力の限りゴーゴゴー!!」だ。そう、お笑い芸人トリオ・ネプチューンがメインパーソナリティーの、青春ドキュメントバラエティ番組。その末期の人気コーナーが、アカペラコーラスにスポットを当てた「ハモネプ」である。高校生を中心とした若者のパフォーマンスを応援していこうというあの内容と、従来のアカペラとは似て非なる本物のバンドさながらのサウンドに、中学受験のため塾通いを始める前で暇人だった俺は結構はまったもんだ。テレビに噛り付くみたいにして見てたんじゃないか?
 ……恐らくムツもそうなんだろう。その口から「力の限りゴーゴゴー!!」の単語が出てくるってことは。
「俺達が小四の頃に番組は終わってしまったがな! けれどあの時聴いたきらっきらの青春ハーモニーは、まだっまだ俺の心の中に流れているぜ! その時の気持ちをそのままに、魂の歌を歌わないかユキ嬢!」
「やだ」
 一言で却下した。
 のだが、再び一時停止したムツに、俺は台詞をこう続けた。
「って、言おうと思ったんだけどな。俺も実を言えばアカペラが嫌いな訳じゃない。むしろ好きだし、RAG FAIRとか日頃から聴いてるしな」
 RAG FAIRは、「ハモネプ」への出演がきっかけで有名になった男性アカペラボーカルグループで、俺がアルバムとシングルを集めている数少ないアーティストの一つでもある。俺にとってアカペラ・コーラスといえば、他にゴスペラーズとか……あの人達は確か、「ハモネプ」が始まる遥か前のデビューだったな。でも当初は全然知名度が低くて、バラエティー番組に出てばかりだったとか、そうじゃないとか。
 それが日本中にアカペラブームを巻き起こしたっていうんだから、いやはや世界は何が起こるかわからない。
「おっ、じゃあ!」
「しかしだ。好きだからこそ、お前に言いたいことがある」
 尻尾をぶんぶん振り回して喜ぶ犬のように嬉しそうな顔をして身を乗り出してきたムツに、俺は逆接の接続語を投げかけた。
「しかし、何だよ」
「RAG FAIRは六人。ゴスペラーズは五人。TAKE6も確か六人。……俺達、チーム全員引っ張ってきても四人しかいないぞ」
 ムツ、俺、同意してくれると仮定してメグとミキ。
 四人。
 決して少なくはないが、それより多くもない。
「ボイスパーカッションも含めてやるんだとして、リードボーカル、コーラス、ベース、ボイパ。……これだけでもう四人だ。アカペラやるんだったらコーラスは二、三人欲しいだろ。というか、それだけ集まらないんなら俺はやる気がしない」
 好きだからこそ、中途半端にはやりたくない。これが俺のアカペラに対するこだわりだ。アカペラを好きなのは認めるし、やれと言われて嫌な気はしないのも認めるが、だからこそ一定の人数が集まらない限りは絶対にやらん。
 言うと、喜んで損をしたと言わんばかりにムツは口をへの字に曲げた。
「何だそれ……ちぇっ、珍しく味方になってくれたと思ったらそれかよ。いいじゃん、別に四人でも。ぽちみたいに四人で組んでるアカペラバンドもあるしさ」
「じゃあ三人以下でもいいよな? 俺はやらん。メグとミキを誘って、集まった人数で仲良く楽しくやってくれ」
「……。本当にやってくれねぇの?」
「人数が集まらない限りはな」
 本当は人数が集まってもやるかどうかは気分次第だが。
 ぶっちゃけムツとやると色々問題が付属してきそうな気もするし、こいつとならできればやりたくないというのも本音だ。
 それは流石に面と向かって言わないけれども。
「……ふーん」
 ムツは形のいい眉を寄せ、口をくちばしのように尖らせて難しそうな表情を作る。けど顔だけだろう。どうせ頭の中じゃくだらんことを考えてるに決まってる。そう、俺をどう言いくるめて付き合わせようとかな。
「じゃあユキ、人数が集まったらやってくれるんだな?」
 案の定、ムツは俺を睨んだまましばらく考え込んだ後でそう言った。
「まぁな。保障はしないけど」
「そこは保障しろよ!」
 ばん! と、主に更衣室として機能している部室に据え置かれたロッカーの扉を叩くムツ。やめろ、壊す気か。
「……じゃあ保障する」
 これ以上あっちこっち叩かれて壊されたりしてはたまらないので、しょうがなくうなずいてやり理解人の振り、俺。するとムツはぱっと電球が灯るようにさっきの笑顔に戻った。単純な野郎だ。
「本当だな!? 嘘じゃないよな!」
「……ああ、嘘じゃねぇよ」
「やったっ! 俺が連れてきた追加メンバー見てからやっぱなし、は駄目だからなっ! 後から文句言うなよ、いいなユキ! 約束だからな、男の約束だぞ!」
「わかったわかった」
「よぉしっ」
 さっきも思ったけど、これだけ元気でよく燃え尽きないな。その元気を勉強とか部活とか、もっと他人に迷惑をかけない別のところへ注いでくれたら言うことはないんだが。
「そいじゃ、早速張り切ってメンバー探してくるとしますか! 野瀬睦発進っ! アデュー!」
 ガス欠寸前だったところを満タン給油して復活したスポーツカーの如くに勢いづいてムツは言うと、有言実行、すぐさま部室から飛び出していった。どこへ行くつもりだ? 本日土曜日、すなわち学校は休みの部活は活動日――というか、先輩達が練習試合で俺達は見ていろと言われて来ただけだが――で、基本的に学校に来ているのは俺達バレー部と、その他同じように休日の活動がある部活の奴等だけだ。メンバー探すといっても、そもそも人が少ないのをあいつは理解しているのだろうか?
「……はぁ」
 静寂を取り戻した部室に、俺のため息がよく響く。人間型雑音発生器によって中断させられた読書に戻ろうと手にしていた文庫本を再び開くと、そこへメグが近寄ってきてくすくすと笑いながらこう言った。
「大変だね、ユキは。いつもムツのお世話係でさ」
「……大変だと思うならお前が代わりに相手してくれよ」
「うーん。それでもいいけど、僕なんかじゃ務まりそうもないし。やっぱりここはユキが適任なんじゃないかな」
 メグはいかにも優等生っぽい口調で何やら無責任なことを言いやがってから、やはり楽しそうに笑う。
「……本当、人事だよな。笑い事じゃないだろ」
「でも、笑っちゃうもんは仕方ないし。……やっぱりムツは面白いよね」
 笑い事じゃないと言ってるのに笑うメグは、お気楽そうで何だかとてもムカつく。
「今度はアカペラかぁ。今までも色々やってきてるのに、よくネタが尽きないよね、つくづく感心するよ。……合唱祭が近いからかな?」
 合唱祭か。確かに近い。次の定期テストが終わって一週間すると俺達を待ち受けている、年間で最後の大きな行事が合唱祭だ。ついこの前、と言っても二週間くらい前になるが――から、クラスでも自由曲決めが行なわれたりして、音楽の授業でもその練習がメインになりつつある今日この頃である。
 そっか、あいつ、そんなところからヒントを得たのか。
「……まさか合唱祭のステージに立とう、なんて言い出したりしないよな」
 新たな危惧に心臓を痛めつつ俺が言っても、やはりメグはくすくすと笑うだけだった。
「可能性としてなくもないよね。ていうか、それってまさにムツが好きそうな筋書きじゃないか? ……ユキ、いい加減ムツの行動パターンが読めてきたな」
「経験からの学習だ。……気楽そうだけどな、お前だって場合によっちゃそのステージに立たされるんだぞ? いいのかよ。そうやってけらけら笑ってる場合か?」
「確かにそれは少し嫌だけど……でも、心配しても仕方ないことだからね。それに、今回に限ってはその可能性がちょっとは低そうだって思うよ、僕は」
 メグは眼鏡を直し、同じ笑顔でも微笑と表現すべき優しげな表情を浮かべて言った。
「とりあえず、ユキが四人じゃやらないって言ったから、少なくとも僕等四人だけしか集まらなかったらやらないってことだろ? ……ムツがあと一人ないし二人を引っ張ってこられるとは、正直あんまり思えないからね」
「……それもそーか」
 見た目の割に奇人変人だと最近有名になってきたムツに、自分から喜んで関わろうとする奴はそれほどいない。いることにはいるが、それもムツと肩を並べるくらいの変人だ。その数少ない変人が今日は学校に来ていなさそうなところから、とりあえずアカペラチーム結成は先延ばしになりそうだと予想できる。なに、あいつも二、三日経てばアカペラのことなんてすっかり忘れてしまうだろう。そうなりゃ俺達が悩むことは何もない。
「アカペラをやることになってからのことは、そのためのメンバーが集まっていざやるって決まってから悩むんでいいんじゃないかな? とりあえずは、折角の休日だし楽しまなくちゃ」
「全くだ」
 推理小説片手のメグにこればかりは同意して、俺は読書を再開した。先輩達の練習試合が終わって顧問の鬼監督から練習を命じられるまでは、少なくとも平和な時間が続く。その平和な時間を味わえる時にじっくり味わっておかないと、後になって後悔するかも知れん。
 読書に戻る前、部室隅をちらりと見てみると、ミキは相変わらず携帯電話を弄くっていた。テトリスは佳境だろうか、顔の迫力がしばらく見ぬ内に増している。
 こんなでもまさか俺達の話を聞いてないってことはないだろう、なぁ、ミキよ。万が一にも「メンバー揃えたぞ」なんてムツが暴れ出すようなことがあったら、押さえ込むために是非とも協力して欲しいもんだ。
 まぁ、そんなことは今回に限ってはなさそうだけれど。
「……平和だなぁ」
「そうだねぇ」
 メグと揃って読書の世界へ戻りつつ、つまり俺はすっかり油断していた。
 全く、メグが「可能性は低そう」なんて言うから。

 そう、まさか――まさか、ムツがメンバーを揃えて嵐のように部室へ舞い戻ってくるなんて、これっぽっちも思っていなかったんである。


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