* * *

「連れてきたぞー!」
 俺達の最高すぎる平和をぶち壊すそんな大声を上げて、これまた嵐の如くムツが舞い戻ってきたのはそれから十五分もしない内のことだった。部室内に満ちていた心地よい静寂はドアが勢いよく開け放たれるどばん! という音に見事に破壊され、そのあまりにも大きな音にテトリスを続けていたミキが「うわっ!」とやけに可愛い悲鳴を上げた。
「連れてきたっ、追加メンバー! ほれほれほれ!」
 再び痛みに襲われることとなった耳をまたも手で労わりつつ振り返ると、そこではムツが満面の笑みをその端整な顔に浮かべつつ、両腕に二人の人間を抱えている。その二人に見覚えがあった俺は、あのなぁとため息をつきかけた。
 見覚えがあるどころの話じゃない、部活のある日は毎日のように合わせている顔だ。
「なっ、相変わらずお前は乱暴だな! 腕痛いよ、離せよっ!」
 ムツの左腕に掴まっているちょっと小柄な男子生徒は、その茶色い頭をぴよぴよさせつつ抗議の声を上げる。後ろ髪だけ軽く伸ばした髪型と、ミキほどではないにせよ猫目といった感じの大きめな目、程よく気崩されたジャージ姿が特徴のそいつは、俺達と同じ一年生でバレー部練習Bチームに所属している補助アタッカー・瀬田彰、通称・アキで間違いない。無駄だと知っているだろうにも関わらずムツに腕を捕らえられてじたばたと暴れている活きのいい少年風は、子供じみた顔立ちにこれまたあどけない不満げな表情を浮かべた。
「大体な、ムツ、俺達やるって言った訳じゃねぇぞ! なのに何でこんな――」
 どうやらムツに半ば無理矢理連行されてきたらしいアキは、口をひん曲げてどこか悲愴な響きさえ従えた抗議の声を上げ続ける。ムツに「他に適任がいねぇ」と自己中にも程がある理由を言い返されると、いよいよもって納得いかないという顔になり口を尖らせた。それから、自分と同じようにムツの腕に捕われているもう一人の男に声をかける。
「……要一も黙ってないで何か言えよな」
「……」
 そうアキに促されても無言の男・佐渡要一、通称・カナは、同じくBチームでセッター兼チームリーダーを務める、メグ並みかそれ以上の長身の持ち主だ。中途半端に伸ばされた黒髪と眼鏡、何を考えているかいまいち読み取りづらい無機質な目は、メグとはまた違った優等生風。いつも浮かべられている冷静沈着な性格故の無表情が、しかし今宵ばかりはどことなく苦痛に歪んでいるように見えた。
 って、待て、ムツ。よりによって連れてきたのはこの二人か。
「そうだけど? あんだよ、何か文句あるのか?」
 文句というんじゃないが、言いたいことだったらある。このBチームの幼馴染コンビ・カナとアキは、ムツが事あるごとに人数合わせで連れてくる常連の顔ぶれだ。去年の十二月、球技大会やスキー教室の時も、何だかんだで俺達のごたごたに付き合わされていたかわいそうな二人組である。恐らく今回も、体育館で先輩達の試合を観戦していたところを無理矢理引っ張られてきたのだろう。しかしながら、またしてもお前はこのデコボココンビをお前の自己中に付き合わせる気なのか。いい加減にしろ、俺達Cチームメンバーはそりゃあお前のチームメイトだし仕方ないと思わないこともないが、Bチームの奴等は基本的に部外者だろうが。迷惑かけるんじゃない。
「いいじゃん、友達なんだから」
 ムツは右腕のカナと左腕のアキをぐっと引き寄せると、口を尖らせて言った。無茶苦茶だ、友情の存在を主張すれば何でも通用すると思っているんじゃないだろうな?
「それにだ、俺は今回別に適当なところで妥協したつもりはないぞ、ユキ! この二人は今回の俺達のプランにまさにうってつけの二人なんだ!」
「俺達のプラン」の「俺達」がムツと誰なのか知らないが、絶賛爆走中の脳内常夏男はそんな俺の胸中での突っ込みを華麗に無視して、無駄に自信たっぷりに叫ぶ。
「アキはな、こう見えてもボイパの真似事ができるんだぞ! 練習すればきっとRAGのおっくんもびっくりなボイパの達人になること間違いない! ……それに、カナはその外見にぴったりな大人っぽい低音ボイスの持ち主! その声の使い道がベース以外にあろうかいやないっ!」
 反語法まで使って一気にまくし立てるムツに、俺だけでなくメグもミキも、ついでにムツの腕の中にいる二人組も、心理的距離にして十メートルくらい引いていた。始まった、こいつの何でも自分にとって都合のいいように解釈する攻撃。やめてくれないか、切実に。
「あの、俺ができるのはあくまで真似事であって、練習してもできるようになるかはぶっちゃけわかんねーぞ……」
「できるようになるッ! 俺が言うんだから間違いないの!」
 恐らくは本音だろうことを言ったアキにも、ムツはぶっ飛んだテンションでそう言い切った。
「カラオケ行った時にお前がふざけてやってたボイパもどきを、まさにその場に居合わせて聴いてた俺が言うんだから間違いねぇ! お前は絶対絶対ぜーったいっ、できるようになる! 俺を信じろそして自分を信じるんだ、信じる者は儲かるぞアキ!」
 信じる者は救われる、だろ。そっちは漢字の覚え方だ。
「……部活はどうするんだ」
 今まで何も言わず黙ったままだったカナが、妙に可愛いその通称とは裏腹なムツが言う通りの低音ボイスでぼそりと呟いた。もっともだ。聞いたアキも反対側の腕の中でうんうんと大きくうなずく。……お前、こいつから逃げられるなら口実は何でもいいと思ってるだろ。
「部活? 部活だって? へっ、いい子ぶってんじゃねーよッ!」
 グレた不良学生のような口調で吐き捨てるムツ。
「どうせこれから先、顧問は高等部の先輩達の春高バレー向け練習に付きっきりだろ? 俺達みたいな中等部生、更には下っ端の一年生なんかに構ったりするかよ。大丈夫大丈夫、サボって別のことやっててもバレないって!」
 滅っ茶堂々とサボり宣言をするムツだった。どうもこいつは部活を軽んじる節があるな、何のためにバレー部に入ったんだ、お前。
 ……とまぁ、心の中であれこれと突っ込みを入れつつ、俺はカナとアキが二人揃ってムツの頼みを断わってくれることを真剣に祈っていた。今回俺達は人数が揃わなければムツの無茶を聞かずに済む訳で、平和な時間を少しでも継続させたい俺としては何としてもそうなって欲しい。隣を見ればメグも同じ思いなのか、複雑そうな顔をしてカナとアキの顔を交互に見比べていた。
 が、しかし。
「……わかった。いいだろ、確かにムツの言うことにも一理ある」
 と、ため息混じりに言ってうなずいたのはカナだ。信じられない思いで俺は寡黙的優等生面を見つめた。何だって? カナよ、いつものクールなお前の判断基準はどこへ吹っ飛んじまったんだ。
「確かに、これからの時期俺達は暇だ。必要な時には最低限練習に出させてもらえるなら、俺達が断わる理由は特別ないだろ」
 カナは淡々とした口調でそんなことを言う。腕を抱えて掴まえているムツが、嬉しそうににたぁっと笑うのが見えた。
「……要一がいいなら、俺も別にいいけど」
 更にはアキまでそんなことを言い出す始末だった。何てこった。
「ムツの言う通り、もどきでいいなら俺、一応ボイパできる訳だし。……多分、練習すればある程度できるようになると思うし。うん、部活もこれから暇になるのはそうだと思うし。それに要一がやるって言ってんのに俺だけ断わるのも……」
 要一要一って、お前はカナが右と言えば右なのか。自主性を持て、自主性を。そして自分の意思で断わってくれよ。
「それにさぁ、」
 と、ムツの腕の中でアキはにまっと小さく笑ってみせる。いたずらな子供の目だった。ムツがろくでもないことを思いついた時にする目とそっくりだ。
「……実は俺も、一回アカペラやってみたかったんだよなー。だからボイパもどきやってたんだし。うん、ムツ、いいよ。俺頑張るよ!」
 何だそりゃ……結局お前も中身はムツと同程度なのか。
 俺が心の中で鼻から牛乳的バッハのショッキングテーマを奏でているのを知ってか知らずか、ムツは「おっ♪」と楽しそうに笑い返した。
「何だよ何だよ、だったら最初っから素直にそう言えばいいのにさー? 全く可愛くないですねぇ、アキ嬢ちゃんは」
「その呼び方はすんな!」
「あっはは♪ ……まぁ、兎にも角にもこれで決まりだな! メンバーは六人揃った!」
 ムツはこっちの耳の都合なんて全く気にする様子もない相変わらずの大声で宣言すると、俺を見て勝ち誇ったような表情を浮かべた。
「で、ユキ? お前の言った通りに追加で二人、揃えたぜ。……人数集まったらやってくれるって言ったよなぁ? しかもご丁寧に保障までしてくれちゃったよな」
「……ああ、したともさ」
「うん、何か言いたいことは?」
「…………ねーよ」
 確かに人数揃ったらやってもいいって言っちまったし、自業自得というか因果応報というか。
 で、うなずく俺。ムツがますますもって勝ち誇ったようににやりと笑った。……くそ、そんなニマニマ顔で俺のこと見んなよ。ムカつくんだよ、クソが。その顔コンクリートで塗り固めて東京湾に沈めるぞ。
「決まりだな! ……メグとミキは? 何か意見あるなら聞いてやらないこともないぜ?」
 もはや事後承諾だ。二人の参加は暗黙の了解だと言わんばかりの口利きである。
「まぁ、ユキがやるって言っちゃったんだし、しょうがないよね。いいよ、僕も参加するよ。アカペラって面白そうだと思うし」
「俺も別にいいよー。……わははっ、全然聞いてなかったから詳しくはわかんないけど、ユキもメグもやるんだったら何でもいいから俺も混ぜてよっ! プラス今回はカナとアキってんだから、もうとことん面白そうだよなっ!」
 すっぱり諦めがついたのか人の好さそうな微笑を浮かべるメグと、訳もなく楽しそうに笑いながらうなずくミキ。……お前等にも自主性はないのか。
「おっしゃあっ!」
 この場にいる全員から参加承諾を得たムツは、どっからそんな元気が湧き出てくるんだか知らないが、カナとアキを唐突に解放するとぎゅっと握り拳を作り、衰えることのない馬鹿でかい声でもってこう叫んだ。
「歴史的アカペラグループ結成の瞬間だぜ! 同志よ魂の歌を歌え、ザコ共よ俺達の歌を聴けぇ! ……パートはコーラスがハイテナー・ミキ、ローテナー・ユキ、バリトン・メグで、ベースはカナ、ボイスパーカッションはアキ! そしてリードボーカルはこの俺!」
 部室の中央でくるりとターンし、不可解なポーズを決めるムツ。リードボーカルはお前がやるのか、一番おいしそうなところはちゃっかりと持っていきやがって。……まぁ、そう言うんじゃないかとは思ったけども。
「さて、パートも決まったことだし、早速楽譜をもらう約束をとりつけてくるとしますか! 時間が惜しいぜ! ……んじゃなっ、行ってきます! アディオスアミーゴぉぉぉぉっ!」
 ムツはそう言うが早いか、またも勢いよく部室を飛び出していった。楽譜をもらうって、どこへ行くんだか。残された俺とメグ、ミキ、カナとアキは、ムツが走っていった先を黙って呆然と見つめることしかできない。久方ぶりに部室に戻ったその静寂は、何だかとても淀んでいた。
「……本当にいいのかよ、お前等はこれで」
 しばらくしてやっとのことでそう尋ねると、カナは少し考えた後で静かに口を開いた。
「……ああなったムツはもう止められない。下手に抵抗していらない傷を負うよりは、騙されたと思って付き合った方がいいと思うよ、俺は」
「アカペラは平気なのか」
「やってできないことはないだろ。自信はないけどな……ふぅ」
 冷めた視線をどこか遠くへ向け、カナは軽くため息をつく。それきり黙ったところを見ると、俺に対する返答はそれだけのようだった。続いてアキを見れば、ムツとどこか近いところがあるらしい能天気少年は肩をすくめてこう答える。
「さっきも言ったけど、俺もアカペラ興味あるからさぁ。……前途多難そうではあるけどな。でもうん、要一の言う通り、騙されたと思って付き合ってみるのも悪くはないかなー、って。今までのあれこれも、色々大変ではあったけど実際楽しかったし」
 アレを楽しかったと言えるのか。なかなか素敵な神経をしているな、お前は。羨ましい限りだ、ちょっとくらいわけてくれ。
 そんなアキとは正反対に心の中に薄く暗雲が立ち込め始めた俺は、これから起こるだろう色々を思って憂いのため息をついた。憂鬱だ。本当、誰でもいいからあいつの暴走を止めてくれはしないだろうか。一日だけでもいい、神様俺に平和をください。
「……はぁ……」
 ため息をつくと幸せが逃げるというが、俺の場合、ため息をつくことで少しでも心の中の憂鬱をどっかに追いやりたいもんだね、全く。
 それにしたって、アカペラ、か。
 けれど。

 そんな憂いの中で、少しは――本当に少しだけだけれど、アカペラをやるんだというムツのこれからの「暴走」に、俺が期待を抱いていたと言ったら――  果たしてお前は、一体どんな顔をするだろうな。ムツよ。

 読書に戻りつつ俺がもう一度ついた苦笑交じりのため息は、あまりに小さすぎて誰の耳にも届かなかったことだろう。


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