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 兎にも角にも部誌発行作業の一連は終了し、それとほぼ同時に春休みもまた終わって、いよいよ新学期がやって来た。
 本日・四月五日より名実共に中学二年生となった俺達は、クラス替えもないので昨年度と同様にムツとメグと俺がクラスメイト、ミキだけが別クラスで寂しがるという振りわけのままだ。俺のことを春眠暁を覚えず状態にしようとしているとしか思えない、スリープの呪文でも唱えているかのような校長の長い挨拶に開始一分でKO負けした始業式が終わった後のホームルームで、今年もまた俺の隣の席に座っているムツは終始ご機嫌であり、その後ろではこちらも去年と同じようにメグが楽しげににこにこしていた。
 中庭で読書をして過ごした後の午後からは、入学式に参列しにやってくる新入生向けに、各部活が勧誘のビラを撒くことになっている。我がバレー部でのビラ撒き担当は俺達Cチームで、フェイバリットな缶コーヒーで一服していたところをムツに呼ばれて出向いた校門前では、メグとミキが一足先にスタンバイしていた。
「そっかぁ、」
 と、続々とやってくる新品の男子中学生達を眺めながら、感慨深そうに言ったのはメグだ。
「原稿に追われっぱなしでつい忘れてたけど……文芸部が出す部誌が『新入生歓迎号』ってことは、僕達にも後輩ができるってことなんだよね」
 今更何を言っているんだ。そんなのはずっと前からわかっていたことだろ?
「んー、そうなんだけどね。何ていうか、文芸部の活動ばっかりしてたから、新入部員が入ってくるのは僕達のバレー部もそうなんだっていうのを、すっかり忘れていたような気がするんだよ。ユキだって本当は忘れてたんじゃないか? ……ここにいる新一年生の内の何人かはバレー部に来て、僕達の後輩になるんだよ」
 言われてみれば確かに忘れていたかも知れない。二年生に進級し、新一年生が入ってくることはずっとちゃんと認識していたけれど、その内の何人かが部活の後輩になるんだという――つまり自分達が先輩になるのだという自覚は、なかったように思う。
 在校生の先輩達に大量のビラを押しつけられながらも緊張の面持ちをしている新入生を見て、ようやくのことはっきりとそのことを自覚する。先輩か。先輩ね。
「ようこそ我が男子校へ、って感じだな。……甘いときめきはないけど、せいぜい青春を謳歌してくれ、とでも言うか」
「甘いときめきが欲しかったらどうぞ近所の女子校にお出かけください、かな?」
 柔らかい微笑を浮かべたメグが、目の前を通りかかった新入生に「バレー部です。よろしければどうぞ」と声をかけてビラを渡す。営業スマイルで全力操業中のメグを横目に、俺は短く嘆息した。
 甘いときめきのない男子校へ進学を決めた新入生諸君に配られる、「愛」がテーマの文芸部の部誌。
 そう考えると、ムツがアミダくじでテーマに「愛」を引き当てたのも、ただの偶然ではないような気がしてきてしまう。ひょっとするとあいつは、色恋沙汰に飢えざるを得ない男子校生活を送ることになる彼等のために、そんなテーマを無意識の内に選択したんじゃないか、とかね。
 ……ま、考えすぎだろうが。
「……アイラブとアライブって似てるよな」
「アイラブアライブライフライブ、なんてどうだい?」
 メグと中身のない会話を交わしながらふと向こうを見れば、そこではビラの束と俺達が作った部誌の見本を手にした神川も勧誘活動に励んでいた。
 その傍ではムツとミキが一際大きい声を上げてビラを配っていたが、その内ムツの方が空になった手をひらひらさせながらこっちに向かって歩いてくる。
「ユキ、メグ! 俺の分のビラ、終わったぜ。半分ずつちょーだい? どーせお前等は真剣に配ってないべ? 特にユキ」
「……うるせぇ」
「ムツ、もう大分配ってくれただろ? ユキと一緒に少し休んでなよ。残りは僕がミキと一緒に撒いてくるからさ」
 そう笑顔で言って、ムツと入れ替わりにメグがビラを持ってミキの元へ小走りに駆けていく。その後ろ姿を眺めていると、俺の隣でムツが「むふふ」と怪しげな笑みを零した。
「……何ニヤニヤしてるんだ。気持ち悪い」
「んー? いや? ……この内の何人が、俺達の小説を読んでくれるかなってさ」
 俺は自分が書いたあんな小説が読まれるなんて恥ずかしいと思う以前に怖くて仕方がないが、ムツはそんな俺とは脳みその造りが違うようにできているらしい。
「何だよ、ユキちゃん。随分と浮かない顔をしているじゃないですか? 何、お前はこの春休み、楽しくなかったの? 悪いけど俺はかなり楽しかったぜ?」
「……あまりにも精神的に切羽詰まって、楽しむ余裕がなかったよ。俺の今後の人生でまた小説を書く機会があるんだとしても、恋愛小説だけはごめんだな。それだけは確かだ」
「えー、そうなのか? 何だよ、また機会があればユキにはラブストーリーを書いてもらおうと思ってたのにさ。……えっへっへ。俺がモデルだってのはちょい微妙だけど、お前が書いたかと思うと、あの恋愛小説はなかなかに面白かったぜ」
 変に緩んだ笑みを浮かべて馬鹿げたことを言うムツの頭をご要望通りぱすんと一発平手で殴ってやってから、再度俺はため息をついた。こんな何も考えていなさそうなムツの笑顔を見ると、果たしてメグの言っていたことは合っているのかと疑いたくなってくる。
 ――今までいくら聞いても絶対に話してくれなかった恋愛に対する考え方をユキに教えてもらうことで、ムツはユキとの間にある一線を越えたいんじゃないか、って。
 ……そんな複雑な思惑が、本当にこいつにあったのかね、なんて。
「……なぁ、ユキ」
「んぁ?」
 楽しそうに新入生の列と在校生の群れを眺めていたムツに呼ばれて、俺は視線をメグとミキから自分の隣へスライドさせた。
 ムツは俺ではなく、校門の脇に植わっている桜の木が大量の花びらを散らしているのを見つめていて、それからそれまでと打って変わって静かな声色で言う。
「……いつかさぁ。いつか、本当に、ずっと先のことでもいいから――いつか絶対に、俺に恋バナしてくれな。恋愛小説みたいなフィクションじゃなくて、お前のマジモンの恋愛話ってヤツを、さ」
「……」
 静かな声ながら、まるで冗談のような口調だったけれど。
 それでも何となく、それだけがムツの本音だったような気がしたのは、多分前にメグが変なことを言ったからだ。
 ムツにとっての俺。
 見えない透明な壁。越えたい一線。俺との間を隔てている何か。
「……そうだな。いつか、な」
 聞こえないような大きさの声で言ったつもりだったのだが、どうやらムツにはしっかり聞こえたようだ。直後ムツは弾かれたように俺を振り返り、目を丸く見開いて驚いたような表情を見せた。
 それから――開いていた目をゆっくりと細めて、口角を持ち上げて微笑を作る。
「うん。……いつか」
 見慣れたムツの笑顔。
 普段と何ら変わりない、年齢不相応に整った顔立ちに浮かべられたそれが――
 何故かこの時、酷く寂しげに見えた。
「よぉぉっし! ユキ、お前が持ってるそのビラ、二人でさっさこ撒いてきちまおうぜ!」
「っは? お、おわっ、ちょ、ムツ!」
 が、それも一瞬のこと。
 次の瞬間にはムツはがっちりと俺の右手首を掴んで、俺がまだ何も言わない内に校門の方に向かって駆け出していた。
 この一年間で、すっかり見慣れた光景。
 一年前の今日、入学式のあった初日。ホームルーム中であるにも関わらず隣の席から「おい、お前」と小さな声で呼びかけてきたムツ。始終俺に付き纏い、同じ部活に入部した挙句どんな超能力を使ったのかチームメイトにまでなって。それ以来ずっと、俺を勝手気ままに振り回してきたムカつく同級生。
 俺の右手首を掴んでいたのはいつだってこいつだった。
 ムツに引き摺られるようにして、俺もやがて走り出す。
 少し前まで、離れるまでにはもっとずっと時間がかかりそうだと思っていたムツの右手が――
 この人ごみの中、そのままだと離れてしまいそうな気がしたから。

 俺の手を引っ張って先を行くムツの茶色い頭の向こうに、青い空から大量の桜吹雪が降ってくるのが見えた。

 ――うん。……いつか。
 そう言って俺に見せた笑顔の裏に隠されたムツの真意を知ることとなるのは、もう少し先のことだ。
 俺の右手首から、本当の本当に、ムツの手が離れることになったのは――更にその、ずっと先のこと。
 けれど、その時は着実に迫っている。
 刻一刻と。

 原稿用紙に最後の一文字が記される日は、確かに、近づいてきている。


[アイラブリタラチャー 了]
[読了感謝]

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