* * *

 痛々しいにも程があるラストシーンの直後にいたたまれなくなって言い訳してある通り、俺がムツに命じられて執筆した恋愛小説に綴られたストーリーのほとんどは実話であり、残りの一部はフィクションである。
 具体的にどの部分がフィクションなのかというと、その痛々しいラストシーン、ムツの言うオチに当たる最後の数行のみが該当する。ていうかそこしかフィクションじゃない。逆に言えばそこ以外はほぼノンフィクション、すなわちムツの推測した通り俺の幼少期の実話であり、またラストのそこがフィクションだということは、俺と彼女の別れのシーンには当然別の結末がある訳だ――彼女がやたら元気いっぱいに手を振って公園を出て行き、そうして颯爽と立ち去っていく姿を俺はただ呆然と見つめていた、という結末が。
 倉内愛美は実在する俺の友人の一人である。今も昔も人付き合いの苦手だった俺にとって、唯一親友と呼んでもいい人間かも知れない。
 小説内に書いた通り、出会いは幼稚園の年中組の時、彼女が北九州から引っ越してきて俺の通っていた幼稚園に転入してきたのがきっかけだ。それ以来、これまた小説内に書いたようにして親交を深めていった俺達は、幼稚園を卒園し小学校に入学するに至っても依然として仲が良かったが、その関係は彼女が再び引っ越したことを期に断たれてしまった――という、実際の俺と彼女の間にあるのはただそれだけの物語である。
 作中にあったように、クラスの連中から妬まれたり嫉まれたりするような男女二人組だった俺達だが、恋愛小説の主軸となれるような甘美な感情は一切なく、単純に仲の良い友達同士に過ぎなかった。俺が彼女を異性として意識したことは……二、三度はあったかも知れないがでもその程度で、彼女の方もまた然りだったように思う。
 彼女が北九州へ引っ越すに当たっても、寂しいくらいは流石に思いはしたものの、彼女を失いたくないだなんて恋愛的な何かを自覚するには全く至らなかった。彼女なんて別れ際、笑顔で手を振っていたくらいだしな。「寂しいな」と言っていたのが本当、口先だけなんじゃないかと思うくらい、まるで迷いのない見事な去りっぷりだった。
 それっきりだ。ムツに白状した通り、手紙のやり取りは最初の内だけ頻繁にしていたが、小学校中学年の頃に年賀状を送り合って以来は、お互い全く何の連絡も取っていない。相手をお互いに異性として意識していたら、そんな風には決してならないだろう。毎月のように手紙を出したり電話をしたり、幼いなら幼いなりの微笑ましい遠距離恋愛に励んでいたはずだ。
 それなのに――そんな恋愛対象にも見ていない友人を、ただ美人で可愛かったからという理由だけで恋愛小説のネタにしてしまい、自分の初恋の相手に仕立て上げ、しかも最後オチに困ってキスまでさせてしまうとは。
 あまりにも申し訳なくて切腹したくなってくる。許せ愛美。別に俺はお前に対して何も疚しい感情は抱いていないよ、保証する。お前が俺に対して何も疚しい感情を抱いていないのと同じようにな。そうだろ、親友?
 しかも、この小説のラストシーンが恐ろしく痛いのは、彼女が俺の初恋の人と設定されていることも然ることながら、彼女と交わした口付けがファーストキスということになっていることだ。
 ……あまり大きな声では言えないのだけれど、俺のファーストキスの相手は他でもないあのムツ、野瀬睦ということになっていて、それが公式の設定である。それは周知の事実でもあり、ましてやムツは本人だから――何が言いたいかっていえば、あのオチは読まれた時点で百パーセント完全な嘘であることがばれ、俺は昔の親友をファーストキスの相手に仕立て上げたイタすぎる野郎のレッテルを貼られるってことだ。
 これが痛くなくて何だろう。実際にいい仲であった訳でもない幼馴染の可愛らしい友人をファーストキスの相手に設定するとか、どんだけ妄想激しいんだよって話だ。これは妄想じゃない、恋愛小説を書けと言われてこれしかオチが思い浮かばなかったんだと言い訳したところで虚しいだけであることは、最早言うまでもないと思う。
 ……まぁ、そんな妄想をしたとしてもおかしくないくらいには、倉内愛美は本当に美人で可愛かったんだけどね。
 俺と同い年だから、丁度中学二年生になろうとしているはずの倉内愛美。クラス全員を敵に回しても尚平然と笑っていられるようなエキセントリックな友人だったが、見てくれだけはガチで良かった。ガキんちょだった当時ですら男どもを魅了していたんだから、今となっては更に究極の美女となっているかも知れない。ミキとタメを張れるくらいにはな。……ミキは男だけど。
 更にひょっとすると――今頃、あの日の俺に対する約束を果たして、北九州からこっちに戻ってきている、なんてこともあり得るかも知れないな、なんて。
 それこそ妄想だったが。

 * * *

 という訳で、後日談というか、その後の話をしようと思う。
 その後、ミキが自販から戻ってくる前に自力でムツを振り払った俺は図書館書庫から逃走し、肘子さんみたいな物凄い勢いで追ってくるムツに悲鳴を上げつつ学校の敷地内にあるごみ集積場まで全力疾走、辿り着いたそこに運良く落ちていたライター(ごみ集積所周辺は高等部の先輩達の秘密喫煙コーナーになっているのだ)で最後の一枚を燃やし、危機を退けるに至った。ああ、フロッピーディスクに保存してあった元のデータなら、ムツが原稿を下読みしている間にこっそり抜き出して鞄の中に隠しておいたから問題ない。
 もちろんムツは非難囂々だったが、そんなこと言われたって見せられないものは見せられない。燃え尽きて灰と化した最後のページを目の前に地団駄を踏んで悔しがるムツを見て、俺はほっと息をついたのだった。流石のムツでも燃え尽きた原稿の修復はできないらしい。
 ……これがシュレッダーで粉砕したくらいだと、パズルのように組み合わせて復元してしまう可能性があるからこのイケメン野郎は厄介なのだ。こいつからトップシークレット文書を守り抜こうとしたら、こうして燃やして灰にしてしまうか、さもなくば食ってしまう以外に方法はないだろう。俺にはスタッファーの才能はなさそうだったので、一か八かの賭けではあったが、よくライターの落っこちているごみ集積場までダッシュしたという訳だ。
「納得いかねぇ。……ここまでするほど読ませたくないなんて、お前、本当に何か疚しいこと書いたんじゃねぇのか?」
 そう言って俺をぎろりと睨みつけたムツの勘については、お見事と言うしかない。何せアレは疚しさ満載だったからな。仮に第三者の新入生諸君に読ませるにしても、お前にだけはどうしたって見せられなかったさ。
 とは、思っただけで口にはしなかった。代わりに俺が機嫌を損ねたムツに言ってやったのは、「疚しいことを書いた訳ではないが、あの原稿はどうしても部誌に掲載する気にならない。明後日の最終締め切りには必ず間に合わせるから、俺が書いてくるもう一本別の恋愛小説で手を打ってはもらえないだろうか」云々という内容のことである。
 当然ムツはゴネたが、最終的にはどうすることもできないと判断したのか、しぶしぶといった様子でうなずいた。
「倉内愛美、ね……いつかぜってー真相問いただすからな」
 最後にそう恐ろしいことを宣言されたりもしたが、その程度で済んで御の字と言えよう。
 それと、その日から二日連続で徹夜して二作目となる恋愛小説を書く羽目になったこと――予想していた通り、原稿を出したのが一番最後となったペナルティとして、白雪姫リターンズの罰ゲームを受けることになっただけで済んで、な。

 罰ゲームの白雪姫がどんな内容だったかについては、思い出したくもないことなので割愛させていただくとして、何とか完成・発行に漕ぎつけた部誌について、俺なりの総評を述べていくこととしよう。
 文芸部サイドの代表者である神川を差し置いてムツが本当に編集長のポストに就き、偉そうな編集後記を書いて印刷・製本に口うるさく指示を出した末に完成した部誌は、現在正真正銘本物の文芸部員である高校二年生の俺の目から見ても、なかなかいい文芸冊子に仕上がっていた。もちろん身びいきを差し引いて、である。
 総ページ数・百三十六ページと厚みもばっちり、その分ホッチキスで製本するのにやたらと手間がかかったが、充実しているのは厚みのみならず中身の作品もそうなのだとなれば、それだけの手間を払ったところでまだ足りないくらいだ。
 ジャンルが色々で読んでいて飽きず、なのに「愛」という一つのテーマの下纏まっていて一体感があるのは、今回の一件におけるムツのたった一つの功績と言えるだろう。そのムツは、俺が必死になって止めたのに耳も貸さず独断で書き進めた例のアブナイ学園ラブコメを掲載しており、その内容はムツの頭の中がそのまま文章化されたんじゃないかというようなカオスとシュールが渦巻いている意味不明さだったが、奴を止める権利を持つ神川が何も言わないのでは俺も掲載を黙認するより他になかった。読者になる新入生の反応が一番楽しみで怖い作品だ。
 メグの推理小説とカナの歴史小説、中津川の純文学は極めて本格的で、文筆活動初心者が書いた作品ばかりの部誌の割に全体の仕上がりが高度であることに最も貢献していると言える。神川はその道のプロであることだし、特別言葉を添える必要もないだろう。間にぽちぽちと挟まれているアキのポエム十点も良かったが、読んでいるこっちが恥ずかしくなるほどの耽美な仕上がりで、アキ本人が掲載を渋ったのにも納得がいこうというものだった。……選者は恐らくカナだろうが。
 ギャグパートはもっぱら例の戦隊モノパロディであるミキのファンタジー(?)小説と、理音が書いてきた童話パロディの担当で、ミキの作品が傑作なのは前述した通りであるが、理音の「シンデレラは激怒した」という太宰治オマージュみたいな出だしから始まるドタバタコメディもどうしてなかなか見事だった。王子様と結ばれ一旦はハッピーエンドを迎えたシンデレラがその後王子様の白雪姫との浮気に業を煮やすことになるという、ムツの作品とどっこいどっこいのカオス・シュール具合だったが、笑えたのでいいんじゃないかと思う。
 そして、二日間に渡る徹夜の末死ぬ気で俺が完成させた恋愛小説も、ムツの学園ラブコメと並んで中盤辺りに掲載された。
 最後まで悩んだそのストーリーだが、今作でも何度か言及のあったあのチェーンメール騒ぎを叩き台にし、ムツモデルの男が主役のラブリーなお話に仕立ててやった。半ばやけくそ、しかも真夜中のテンションで書いたので糖度高めの仕上がりとなっている。実際はチェーンメールの送り主たる少女とムツは結ばれなかったけれど、もちろん小説の方ではラブラブのハッピーエンドにしてやったさ。
 自分をネタにされたムツは、俺が最終締め切りの朝に提出したその原稿に目を通して、
「……納得いかねぇ」
 なんて、カナがうつったんじゃないかと思うほどの仏頂面でぼそっと呟いていたけれど、構うものか。これ以上自分の過去をネタにする勇気は俺にはなかったんだよ。物語の主人公にするなら、俺なんかよりよっぽどお前の方が適任だ。
 そんなことを言ってやったら、ムツは無言で俺を睨んだ後で「ふん」と鼻で息を吐き、俺の恋愛小説二作目のプリントアウトされた紙に「決定稿」と赤ペンで記入したのだった。本当のところはどう思っていたんだろうね。自分が主役のラブストーリーを俺なんかに書かれて。


←Back Next→



home

inserted by FC2 system