* * *

「愛」をテーマにして恋愛小説を書けって。今時幼稚園児でももっとマシなことを考えるんじゃねぇか。
 とか今更のように文句を言ってみたところで時間は巻き戻らないし、ムツの下手な字で「恋愛小説」と書かれたくじが「ファンタジー」だの「学園モノ」だの「ミステリー」だのに変わるはずもない。第一このジャンルとテーマを決めたのは厳密に言うとムツではなく、実に公正な二回のくじ抽選によるそれこそ神様の思し召しなのだから、俺の如きただの一人間がどうにかしようと思ってどうにかなるものでもないのだった。
 そんな俺にできることがあるとすれば、文芸部員の神川から「執筆には部の備品のノートパソコンを貸すから使って」と言われて貸し出された一世代前のノートタイプパソコンを目の前に置き、椅子に座ってもっともらしく腕を組んで気難しそうな顔をし、これから書かんとする小説の内容を悩んでいる振りをすることくらいだ。
 ブランチの時間帯の図書館書庫は、日もあまり差し込んでこないため肌寒い。
「書き出さないのか、ユキ? 締め切りは一週間後だろ。もうそろそろ書き始めないと間に合わないんじゃないかな」
 宇宙飛行をするスクリーンセーバーをもう十五分以上も流している俺用のパソコンとは対照的に、白いワード画面が映ってそこにコンスタントに新たな文字が刻まれている隣のパソコン。その操り主であるメグはカタカタと慣れた様子でブラインドタッチ入力をしながら、銅像の真似をし続けて固まっている俺にそう言って勧告してくれた。
「そうだけど……」
 本日は春休み二日目である。メグは一週間後と言ったが、ムツが締め切りに指定した日付までは実質あと六日となっており、メグの言う通り確かにそろそろ書き出した方がいいのかも知れない。
 でもなぁ。何を書くかも決まってないのに書き出したってしょうがないだろ。
「何を書くかは決まってるじゃないか。恋愛小説だろ?」
 さらっと言ったメグに殺意が沸く。お前、他人事だと思ってないか。
「他人事みたいなもんだよ。正直僕も自分の原稿を書くのでいっぱいいっぱいだからね。……白状しちゃうと、あと六日で全部仕上げるのは結構つらそうなんだ。小説を書くのって、思ってたよりかなり難しいし。毎日読んでるからって自然と書けるものじゃないんだね」
「当たり前だろ、そんなことは……。読んでるだけで書けるようになるなら、俺は今頃小説家の大先生になってるさ」
 言いながらメグの操っているパソコンの画面を覗き込む。確かお前が引いたのはミステリーだったはずだけど、それと「愛」ってテーマを絡めて、どんな話を書いているんだ?
「推理小説で『愛』を引っ掛けろってなったら、やっぱりどろどろした愛憎劇に関する殺人事件がセオリーかなと思ってさ。そんな感じでプロットは立ててみたんだけど、……でもどうなるんだろうね。僕も書きながら話を探っている感じだよ。最終的には出来上がってみてからのお楽しみかな」
 どろどろの愛憎劇ねぇ。それって不倫だとか嫉妬だとかっていうのが絡み合って女が男を殺して保険金目当てがどうのこうの、みたいな話だろ? ついこの間まで小学生だったガキんちょ共にウケるかね。
「ガキんちょって……一つしか違わないよ、ユキ? それについこの前まで僕達だって小学生だったじゃないか」
 そんな僕達でも楽しめるような話を書こうとしているんだから何とかなるよ、とメグは鮮やかな指捌きで小説の続きをタイプしながら言った。ふん、と俺は鼻で嘆息。……何でもいいけど、スキー教室の時の推理ゲームみたいに、俺なんかに看破されるようなチャチなトリックは書くなよ。もう少し歯ごたえのあるシナリオにしてくれよな。
「その台詞、期待してるよって言われてると思っていいんだよね? ……まぁ頑張るよ。読書家のユキをどこまで満足させられるか、僕もどきどきしてるけどね」
 律儀な神川が用意してくれたホットの紅茶を一口飲んでから、メグは画面を見つめたまま困ったように微笑んで肩をすくめた。紙コップを机の上に戻すと、「で」と言って話を変えてくる。
「僕の小説についてはこの際どうでもいいよ。ユキはどうするつもりだい? 『愛』がテーマの恋愛小説。実を言うと、僕、すっごく楽しみにしてるんだけど」
「……何でだよ」
 きらきらと期待に満ちた目を向けられると無意識に背けたくなってしまう。う、そんな目で見るな。それに、何で俺の書く恋愛小説にそんな興味津々なんだ。そこまで執着するのはムツだけでいいのに。
「いや、だってさ、」
 と、メグは文章をタイプする手を一旦止めて、少し考えるように腕を組んで小首を捻った。ポニーテールが揺れるが可愛くはない。むしろ理知的な印象を受ける。
「合宿の時とか、スキー教室の時とか、あと夏休みにPV撮影の関連でユキん家に泊まった時とか。そういう時って大概恋バナするけど、ユキって僕達の話を聞くばっかりで、自分の恋愛経験についてだとか恋愛観だとかについて、ほとんど何も話さないじゃないか」
 そうだっけか。
「そうだよ。それに、ユキって僕達Cチームのメンバーの中で、一番そういう浮いた話がないんだよね。……あいや、僕もないけどさ。でも、浮いた話はないにしろ、色々恋愛に対する価値観だとか語る訳じゃないか、僕は。だけどユキはそれすらないよね」
「……聞きたいのか? 俺の恋愛に対する価値観なんて」
「興味はあるね。ユキって凄くシャイでストイックな印象だから、恋愛に対してはどんな風に考えているのかっていうのには、少しと言わず結構興味があるよ」
 うんうんと何故かもっともらしくうなずいて、メグは眼鏡レンズの向こうの目を柔和な笑みの形にする。
「きっとムツも、そう思ってるんじゃないかな」
「……は?」
「だからユキが『恋愛小説』を引き当てたんじゃないかって、何だか僕はそんな気がするんだよ。……そりゃあ、ムツがくじに何か仕掛けを施したとか、そんなことはないんだろうけどさ。でも、ムツがジャンル決めのくじに『恋愛小説』を加えて、それをユキに引かせたっていうのには、何ていうんだろう――ただの偶然じゃない、何か意図的なものを感じるんだよね」
 メグは人差し指で自分の顎を撫でつけながら、何かを考える顔をする。
「たまに思うんだけどさ。ムツには何ていうか、自分の願いを実現させる力があると思うんだ。……チェーンメール騒ぎの時に送り主を捜し当てたのも。学園祭で、演劇部の劇に参加した時の配役決めのくじでムツが王子様を引いてユキがお姫様を引いたのも、ミキが誘拐されたにも関わらずミスコンで僕達のチームが優勝したのも。野球大会の一回戦、コールドゲームになりそうだったのに最終的には勝ったのも。百人一首大会でムツとユキが決勝戦で戦うことになったのも。合唱祭のステージに立つのを実行委員の方から打診されたのも――そもそもが、僕やミキやユキがムツと同じCチームに振りわけられたのだって、全部ムツがそう願ったからじゃないかって、そんな気がするんだよ」
「……そんな気がするって……つーかそれ、某有名ラノベのパクリだろ」
「うん、まぁ、そうだね。もちろん僕はムツが神様だとか言い出すつもりはないけど」
 どうやら俺もよく知る某有名現代ファンタジー小説のシリーズを愛読しているらしいメグは、再び紅茶を一口口に含んでから続きを喋り出した。
「でも、ムツがどこか神がかり的な力を持っているように感じるんだよね。そんなことを考えちゃう僕はおかしいかな? 少なくともユキは、同じような認識をムツに対して持ってくれていると思ってたんだけど」
 意味もなくにこにこするメグを視界の片隅に捉えながら、俺は真っ黒い宇宙空間を映すパソコンの画面を見て短く嘆息した。
 言われるまでもなく、俺も薄々そんなことは感じている。この世界はライトノベルの世界じゃない訳だし、当然ムツは何の裏プロフィールもない極々普通の男子中学生だが、けれどその枠の中だけに収まり切らない何かを持っているような感じが、長い間奴と一緒に過ごしていると確かにするのだ。
 まず手始めに――あいつは勘が良すぎる。
 メグが言及したチェーンメール騒ぎや、百人一首大会の決勝戦で俺とムツが戦った時なんかは典型だ。
 チェーンメール騒ぎの時は、ムツはその送り主のことを「知っているような気がする」と言い、実際にその送り主は、厳密な意味での知り合いではなかったものの結果的には知り合いの親族という、知っているに含んでもいいような人物だった。
 百人一首大会の決勝戦では、最後の一枚を取り合う運命戦になった時に読まれる札を、言い当てた。「君がため惜しからざりし命さへ」――俺とムツが決勝戦で戦うことが判明する遥か前、あいつが俺に手渡した一枚の紙切れ。それに書かれていた一首が実際に決勝戦で、しかも重大な勝負を決する最後の一首として読まれただなんて、普通に考えれば尋常じゃない。
 そのおかげで俺は優勝することができた訳だが……そこまでがムツの策略であり、奴の手中だったのだとしたら、それこそ普通ではない訳だ。
 本当、超能力者かと思うくらい、異常なまでの勘の良さを発揮するのである。
 勘の良さ?
 否。
 未来や真実をムツが予知しているのではなく――未来や真実の方が、ムツの言動に合わせて変化しているのだとしたら。
「それこそ……神様だって言ってもあながち間違いじゃないんだよな……」
 自分の願いを実現させる力、ねぇ。
 あるいは、自分の思った通りに現実を捻じ曲げる力、というか。
「力じゃないかも知れないよね。ひょっとすると持っているのは力じゃなくて、現実が自分の思った通りに変化してくれるっていう、そういう特別な運の良さなのかも」
 メグはそう言うが、いずれにせよ俺としてはぞっとしない話だ。
 だって、その理屈に沿って考えるなら、今回俺が「恋愛小説」のくじを引き当てたのも、神様ならぬムツ様の思し召しってことになる訳だろう?
「だから、きっとムツもそう思ってるんじゃないかなって言ったんだ。……ムツは多分、ユキの恋愛観みたいなものが小説に書かれるのを期待しているんだよ。日頃聞いても絶対に話してくれない、ユキの恋愛に対する価値観を知りたいと思ったから、ジャンルの一つを『恋愛小説』にして、ユキにそれを引かせた。それが特別な力によるものか、それともただの運の良さによるものなのかはさておきね」
「だけど、それにしたってだ。……何で俺の恋愛観を知りたいだなんて思ったんだ、あいつは? ムツが特別な何かを持っているっていう理論には賛成するにしても、俺にはいまいちそこが解せないぜ」
「それも言っただろ。普通に聞いたってユキは話してくれないからだよ。合宿や宿泊研修の夜みたいに、男同士が腹を割って話す機会があったところで、ユキは恋愛に関する自分の考えについては頑なに口を閉ざしてきたでしょ? だからそれを知りたいと思った。……別に不自然な考えじゃないと思うけどね」
 どう考えても不自然だろうが。俺が話そうと話さなかろうと、そもそも俺の恋愛云々自体に興味がなかったら知りたいと思わないだろうが。俺が引っかかるのは、どうしてあいつが俺の恋愛観なんかに興味を示してるのかってことだ。
「さぁ……僕はムツじゃないからね。そこら辺は推測でものを言うしかないんだけど、」
 紅茶を啜ってメグが言う。
「何となく――ムツはユキに対して、何ていうんだろう。距離、というか壁というか……そういう明確な一線、みたいなものを感じているんじゃないかな。そこを越えてもっとユキに近いところに行こうとしても、絶対に越えさせてもらえない、そういう隔たりをさ。僕もそれはたまに感じるんだけどね……」
 ここまで言って、メグは少し顔を曇らせた。
「ユキって、つかず離れずというか、僕達に対してはっきりと一線を引いて付き合っているような感じがするんだよな……見えない透明な壁を隔てて話している感じがする、とでも言ったらいいかな。来る者はそこまで拒まないけど、明確な一線を引いていてそこは越えさせない、っていう感じがするんだよ。おいでー、但しそこのラインまでね、みたいな」
「――」
 俺は閉口した。
 意外なことを言われたからではない。自分でも自覚のあることを、そこまで的確に言い当てられたことに驚いたからだ。
 メグの話は続く。
「別にユキとしてはそんなつもりは一切ないんだろうけど……僕やムツとしては、いまひとつ打ち解けてもらってない感じがするんだよね。僕達はユキに対して何でも腹を割って話せると思っているし、それだけ信頼もしてる。でもユキの方は僕達をそういう風には思ってないんじゃないか、って」
「……なるほどな」
「僕もムツも、ついでに多分ミキだって、ユキには何でも話して欲しいと思ってるし、信頼して欲しいって思ってるけど――でも、ユキはそうはしない。絶対に言えないと思ったことについては頑なに口を閉ざし続けるし、つかず離れず距離を置いて僕達に接する。それがね、勝手なことを言っているとは思うんだけど……ちょっと寂しいなって、思う時があるんだよ」
 ムツも多分そうだと思うんだ、とメグは言った。
「それで、ユキの恋愛小話を読みたいだなんて思ったんじゃないかな。今までいくら聞いても絶対に話してくれなかった恋愛に対する考え方をユキに教えてもらうことで、ムツはユキとの間にある一線を越えたいんじゃないか、って思う。……ついでに僕もそう思ってるよ。だから、ユキがこれから書く恋愛小説っていうのに物凄く興味がある」
「……」
「仲良くなった相手のことをもっと知りたいって思うのは、割と普通のことじゃないかなって、思うんだけどね」
 言ってメグは照れくさそうに頭を掻いた。いつの間にかスクリーンセーバーに切り替わっていた自分用のパソコンのトラックポイントを動かして画面上の宇宙飛行を終了させると、何事もなかったかのように原稿の続きを書き始める。
 明確な一線を引いて付き合っている――か。
 メグ、鈍い振りして案外鋭いよな。
「……。別に、お前等のことが嫌いだとか苦手だとかって理由で、一線を引いてる訳じゃ、ねぇよ」
 随分冷めてきた自分の紅茶に口をつけてから、俺はぱたぱたとキーボードを叩くメグのしなやかな指先を見つめて言った。
 メグが画面から視線を外し、きょとんとして眼鏡のレンズ越しに俺を見つめる。
「……何ていうか。俺が一線を隔てて付き合ってるのは、多分お前等だけじゃなくて、他の誰に対してもそうだし。それに、そういう他の奴等に比べれば――俺は比較的、お前等に対しては、その、壁みたいなものは作ってないつもりだよ」
「……」
「俺ってそこまで人付き合いが得意な方でもないし、むしろ人間嫌いの節もあるからさ。誰に対しても何となく身構えちまうっていうのは、確かにあると思うんだ。だけど……俺としては、これでも昔に比べたら何とかなってる方なんだよ。日頃一緒につるんで、馬鹿やって、くだらないこと話して、っていうのができる友達が最低でも三人はいるなんて、昔の俺と比べたら随分な進歩なんだ」
 俺の周りに人がいなかったことはない。
 いつだってたくさんの人間に囲まれて生きてきた。
 けれど、そんなたくさんの人間の中で、俺はいつだって本質的には一人だった。
 いつも一人で本を広げ。
 そうすることで周りの人間を遮断し、周囲との関わりを断絶してきた。
「俺って昔は、そんなだったから」
「……ユキ、」
「ま……そんなでも、積極的に俺と関わりを持とうとしてくる奇特な奴は当時からいたけどさ。だけど、それにしたところで。……ここまで深く、長く、日常的につるむ連中としては――俺にとっては、お前と、ミキと、それからムツとが、ほとんど初めてみたいなもんなんだよ」
 もう一口分の紅茶で口を潤す。
「だから……。本当の意味でお前等と打ち解けて、腹割って何でも話せるようになるまでには、もう少し、もしかしたらかなり長く、時間かかるかも知れない。俺なりに努力はするけど、基本的に人間嫌い設定は変わんないし、そもそももっと打ち解けられるのかってのも疑問だし……だから、打ち解けられる保証はしかねるけど」
 打ち解けたところで何でも話せるとは限らないけど。
 俺にだって、気安く人に話せない過去や思いの一つ二つくらい、あるから。
「でも。……少なくともお前やミキやムツがそう思ってくれている内は、何とか頑張ってみようと思うよ」
 何となく気まずい感じがして、俺はふとメグの指先から視線を逸らした。自分の手元に目を落とせば、紙コップの中の薄紅色の液体から柔らかそうな白い帯が立ち上っている。
 が、不思議と嫌な気まずさではなかった。
「……あんまり無理しなくていいよ。今ので充分だからさ」
 くすぐったい微笑が耳朶を掠めてきて、そんなことを言われたと思って顔を上げると、メグはやけににこやかな笑みを浮かべて執筆作業を再開させるところだった。再びぱたぱたと、キーボードの叩かれるリズミカルな音が書庫の中に響き出す。
 ……今ので充分、ねぇ。
「はは。それよりも、何でユキが恋愛小説なんか書けないって言ってるのか、今の話でそっちの方がわかったような気がするよ」
「……わかってくれたんなら俺とジャンル交換してくれないか」
「申し訳ないけどお断わりかな。何だかんだでもうこのプロット、三割くらいは書き進めちゃったからね。今更交換はちょっと苦しいよ」
 わかってるよ、んなこと。マジになって馬鹿丁寧に断わってくれなくても大丈夫だって。
 俺は短くため息をつくと、今度こそ何か書けやしないかとトラックポイントを動かしてスクリーンセーバーを吹っ飛ばした。液晶に舞い戻ってきたワードの白い画面。メグに負けないくらいのブラインドタッチ入力を見せつけてやろうと指の方はやる気満々だが、生憎その指先がキーを叩くまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
 メグはふふっと唇の間から笑みを零して、それきりまた執筆作業に集中し出す。
 会話の相手を失った俺の新たなる話し相手として、ミキがネタ集めと言って出向いていた図書館から帰ってきたのはその数分後のことだ。


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