昔話をしよう。
 ……といつものように書いてしまってから、これから自分が綴ろうとしている昔話が全然「昔話」ではないことに気がついて焦っている只今の俺である。では具体的にどのくらい昔ではないのかといえば、高校二年生の一月を迎えている現在の時系列の俺から数えて約二ヶ月ほど前のことだ――いくら俺の記憶が一千年前の古代壁画の線より曖昧だといっても、流石に二ヶ月前のことを昔と言ったりはしない。じゃあいつも同じ書き出しで語っている三、四年前のことなら昔と言ってもいいのかと問われると、それに関しては俺が十七年の生涯をもって磨いてきたスルースキルを全力で発動して聞かれなかったこととするので、お願いだから突っ込みを入れないでいただきたいところである。
 ……何か調子がおかしいな。筆が滑っている気がする。そうだ、話を少し変えようか。
 という訳で話題転換。
 昔話をしよう、と言って昔話をしているということは、その話が過去になるくらいの時間が経過しているということで、つまり「今」があるということだ。俺が今大学ノートに愛用の銀色シャープペンで綴っている物語の中で、友人の一挙一動に突っ込みを入れたりため息をついたり肩をすくめたりしている「俺」というのは、今の俺から見てそれこそ三、四年昔の俺である。
 当時中学一年生から二年生。
 それから数年が経過した現在の俺はさっきも書いた通り、とある県立高校に通うちょっと趣味趣向の変わった高校二年生だ。もっと踏み込んで話をすると、当時バレー部に所属していた事実からは微塵も考えられないことに、現在の俺はその県立高校において文芸部に籍を置いている。こうして自分の過去話を小説にしているのも、実を言ってしまえばそれが故なのだ。文芸部とは文で芸をする部活ナリ。俺を部に半ば強引に引っ張り込んだはた迷惑な同級生の命を受け、俺は今日もしこしこかりかり、コクヨのキャンパスノートに物語を綴っているという訳なのである。
 小説に関してはかつてもっぱら読む専門だった俺が、今となっては一文芸部員として執筆する側になっているのだというから驚く。自分の日常が赤裸々に語られていると、あの当時の俺が聞いたら一体どんな顔をするだろうね。
 が――そうして綴ってきた過去話のネタも、いい加減ちょっとストックが減ってきた。もちろん、俺の過去にはまだまだ小説にできそうなくっだらねぇエピソードが満載なのだけれど、何せ記憶の曖昧さには定評がある俺だから、小説にするためにそんな自分の過去を思い出すのには人並み以上の努力が必要なのだ。……自慢げに言えたことじゃないけどな。
 という訳で、新しい話のネタを出すまでの時間稼ぎをするために、つい最近の話題でひとまずは一話分ごまかそうというのが、今回の昔話の背景にある思惑だ。
 昔というほど昔のことでもない、つい最近の物語。
 遡れば二ヶ月前の出来事。

 ……只今、放課後の文芸部室で隣の席から例の同級生にノートを覗き込まれて次作を期待されている俺が綴る、ちょっとした日常の中の非日常な話だ。





シークレットベース


 という訳で、二ヶ月前の話。
 今が一月初めだから、二ヶ月前とは数えてみると十一月初頭に当たるのだけれど、実際にはもうちょっと時間を遡った十月半ばのある日のことである。
 その日の俺は、先述の文芸部で、その高校を志望校とする中学生向けの学校説明会的行事に向けて発行する部誌の製本作業に蹴りをつけたところだった。その部誌向けに書いた、コレをお読みの皆様もきっとご存知の小説「フラワーストーム」を無事脱稿してから早一ヶ月。例の同級生にしつこく迫られる小説のネタに、丁度詰まり始めていたのもその頃だ。
 放課後の部活動を終えて大和市南林間にある自宅に帰り着き、夕食も取り終わって風呂にも入ってしまって、最近飼い出した黒猫と自室で戯れていた時のことである。
「せっちゃーん、電話ー」
 今宵中学一年生になった妹の声がドアの向こう、もっと言うと階段下の一階から聞こえてきた。猫じゃらしを手にベッドに寝そべっていた俺が電話? と首をかしげると、突然部屋のドアが開いてそこから妹がずかずかと入ってくる。
「ノックくらいしやがれ」
「できることならノックどころかこんな部屋入りたくもないの。ったく、携帯なんかリビングに放置しないでよね。鳴ったら届けなきゃいけないのはあたしなんだからさぁ」
 俺が当時から三、四年経って流され傍観者度に磨きがかかったのと同じように、あの頃と比べて毒舌と暴言に磨きがかかった我が妹は、言うが早いか俺の方に黒い塊を放り投げてきた。俺が今いるのはベッドの上だし、アンダースローで投げてきてくれているから平気だとは俺も思うが、だからって万が一壊れたら困るんだから携帯電話は投げないで欲しい。
 そう俺が文句を言うと、
「だったらリビングに放置しないでよね、せっちゃん。……今度忘れてあたしに届けさせたら、その時は床に叩きつけてやるんだから」
「冗談でもやめろよな。……あと、そのせっちゃんっていうのもやめろ、馬鹿」
「何それ。部活の友達にはそう呼ばれても怒んないくせに。ばーか」
 一方的に暴言を吐き捨てたかと思うと、妹は本当に俺の部屋に一秒たりとも長くいたくないのか、さっさと退散していった。深くため息をつく俺。妹が俺に対して必要以上にとげとげしいのは昔からだが、せめてせっちゃんはやめて欲しい。
 ……以前高校の友達を自宅に呼んだ際に俺が呼ばれていたのを聞いて以来、そうやって呼んでくるのだ。恐らく、というか間違いなく馬鹿にされているんだと思う。同じ馬鹿にするんでもいいから昔みたいにお兄ちゃんと呼んでくれないもんかね。
「妹に萌え萌え幻想を抱くのは、実際に妹のいない奴だけだよな……ったく、」
 ため息に乗せて呟くと、止まったままの猫じゃらしにじゃれていた黒猫が「にゃー」と言って同情してくれた。お前だけがこの家で俺の味方だよ。名前はないけどな。
「……ではなくて」
 妹に投げつけられた――もとい渡された携帯電話のフラップを開く。下のリビングで着信を受けてから今に至るまで優に一分近くは経過しているため、もちろん着メロはとっくに止んでしまっている。一体こんな時間に誰だろう、ひょっとすると部長か会計から緊急の部活連絡でも来たのかなと思って着信履歴をチェックすると、そこには意外な名前が記されていた。
 すなわち、

『野瀬睦』

 と。
「…………」
 俺が沈黙したところで、再び携帯が激しくバイブレーションし、けたたましい着信メロディを奏で始めた。当然今度の着信も、発信者は同じ名前である。
 俺は数秒迷ってから、通話ボタンを押して電話を耳に当てた。
「はい」
「やっほーい! 野瀬睦でーすっ! 日本全国の誰よりも笑顔が似合う、元気百パーセント濃縮還元の男子高校生っ☆ そちらは俺の可愛い可愛いユキ嬢ちゃんですかー?」
 切った。
 ……今のは間違いなく間違い電話だ……そうだと信じたい。
 が、ここで素直に引き下がってはくれないのが、かつて俺が通っていた中高一貫私立男子校時代の友人である野瀬睦、通称・ムツが野瀬睦たる所以である。通話を一方的にぶっちぎって十秒と経たない内に次の着信が入った。
「……ハイ」
「やっほーい! 野瀬睦でーすっ! 日本全国の誰よりも笑顔が似合う、元気百パーセント濃縮還元の男子高校生っ☆ そちらは俺の可愛い可愛いユキ嬢ちゃんですかー?」
 ……。
 懲りねー奴だな、本当に。
 これでもし電話に出たのが俺じゃなかったらどうするつもりだったんだろう?
 と、意味もなくいたずら心を起こした俺は、今度は通話を切らずにしばらく黙っておいてみることにした。
「……」
「やっほー? ユキ嬢ちゃーん? 聞こえてる? 俺様の素敵ダンディボイスは届いてますー?」
「……」
「え……と、ユキちゃん……ですよねー……?」
「……」
「え、嘘? ちょ、マジで? 俺間違えた? まさかだけど間違えたっ?」
「……」
「うわー……うわーうわーうわー! ごめんなさい、本っ当にごめんなさい素で間違えましたっ! それじゃあ失礼しま、」
「いや、合ってるぜ。何?」
 思ったよりも電話の向こうでムツが取り乱してくれたので気を良くした俺は、通話を切らずにいてやることにしてそう言った。姿の見えないかつてのクラスメイト兼部活のチームメイトは「うわあっ」と大げさな驚きの声を上げたかと思うと、次の瞬間には盛大にため息をつく。
「はーぁ……驚かせんなよ。ユキって相変わらず性格悪いのな」
「相変わらずは余計だ」
「え、じゃあ性格悪いはいいのか?」
「あえて否定はしないさ。……だがしかし、驚かせんなよは間違いなく俺の台詞だぜ。何なんだ、さっきの第一声は」
 百パーセント濃縮還元ってジュースかお前は、と突っ込みを入れてやると、電話の向こうで友人は闊達に笑って言った。
「いやー、俺も久々に中二病真っ盛りだったあの頃の自分に戻ってみようかと思ってさ。ぶっちゃけ、結構懐かしかっただろ? あの意味もないハイテンションの俺」
「そんなノスタルジックな感情は一切沸き起こらなかったぞ……」
 むしろ悪夢の再来といった感じだった。
 しかしながら、そうして意図しなければ当時のハイテンションを演出することができないということは、こいつも高校二年生になって多少は落ち着いてきたってことだろう。高校生になってまであの頃みたいに暴走しているだなんて想像するだけでも恐ろしいことなので、そこは素直にありがたい。
「で? 随分と久しぶりだな。夏休みにタイムカプセルの関連で会った時が最後だから……いや、違うな。その後にもう一回会ってるよな、その時が最後だから――でも、かれこれ二ヶ月半ぶりくらいか」
「もうそんなに経ってるっけな。いやー、何か最近月日の流れが速くって参っちまう。光陰矢の如しとはよく言ったもんだと、この頃の俺はつくづく感心してるぜ。どうよ、ユキ? 元気してる?」
「元気といえば元気かな……ここ数週間くらい忙しくしてたんだけど、それも一段落してようやくのんびりできてる感じだ。ちょっと面倒くさい同級生に次の作品を急き立てられて、精神的にはどうにも便秘気味だが」
「精神的に……?」
「いや、こっちの話」
 というか自主規制。
 別に隠したいってほど隠したい訳ではないが、俺が小説として俺やムツなんかの過去話を書いて発表している、なんていうのは少なくとも積極的にバラしたいことではない。ましてそれで次以降の作品のネタに詰まっているなんて、それこそムツ辺りには何の関係もない話だろう。
「そういうお前はどうなんだ? 部活、先輩達も引退して色々大変なんじゃないのかよ。インハイ終わってもう二ヶ月ちょいだろ?」
「まーね。大変っちゃ大変だけど、そこまででもねーよ。メインで監督にしごかれてるのはやっぱどこまでいってもAチーム、せいぜいBチームまでだしな……あ、だからカナとかアキ辺りは結構忙しくしてるよ? でも、Cチーム以下は部活、今まで通りな感じだな」
「ふーん」
「んでもって、俺達はむしろ部活以外のところで忙しくしてる」
「部活以外?」
 中等部・高等部共に全国大会の常連である元・俺の所属部たるバレー部で、いかに下位の練習チームとはいえ部活外に手を伸ばしている暇などあまりないと思うのだが。
 とは言いつつ、転校前は俺も奴等と一緒に練習の合間縫って遊びほうけてたけど……ふむ。
「さてっ、ここでユキ嬢ちゃんにくーいずっ! ……十月の日本での古い呼び方は、」
「神無月だろ? 出雲大社がある島根県じゃ神様が集まるから神有月らしいけどな」
「でーすーがー? ここからが本題っ、十月といえば何でしょうっ!?」
「……電話切っていいか」
 ていうかそれはクイズなのか?
 これもまた俺が転校する前の中二病的テンションのつもりなのか、口調がウザいし。
「そんなの知るかよ。俺にとっては十月といえば部誌発行と編集・印刷作業だけど、人によって違うに決まってるだろ」
「うーん、それに関しちゃ特に否定はしないけどさ。だけどユキ、折角なんだからもっとノリよく行こうぜ? ほらほら、俺達にとって十月といえば絶対に欠かせないアレがあるだろ?」
 何だ。回りくどい言い方をせずにはっきり言ったらどうだよ。
「……ノリ悪っ……。あーあ、お前は昔からそういう奴だよ。はい、解答! ユキ、カレンダーを見よ」
 いきなりそんなこと言われたって困る。カレンダー? と俺はベッドから降りてごっちゃごちゃの机の上を掻き回し、どうにかして卓上カレンダーを発掘した。
「見つけたぞ。カレンダーがどうした」
「書き込め。……来週の土日、十月二十四日と二十五日は、我が男子校の学園祭です」

 ――――。

「……ああ、もうそんな時期か。言われてみればそうだな、十月といえば学園祭の季節だ」
 答えがわかってしまえばどうして今まで思い出せなかったのか、そっちの方が不思議に思えてくる。
 なるほどな。そういえば中高一貫私立男子校時代の俺は、毎年十月になれば学園祭なる行事に振り回されていた。経験した二回ともが俺にとってかなり印象深い思い出であり――その内一回は同時にあまり思い出したくない過去ではあるものの、まぁ、今となってはいい思い出と言えなくもないかも知れない。
「おおぅ? おいおい、俺に言われるまでマジで忘れてたみたいな言い方だな」
 てっきりとぼけてるのかと思ってたのに、と笑いながら言うムツに、俺は電話口で肩をすくめた。書き込めと言われたものの書き込むまでのことでもないと判断し、手にしていた卓上カレンダーを机の上に戻す。
「マジで忘れてたんだよ。しょうがないだろ、この五年で三つも違う学校に通ってるんだ。行事感覚なんておかしくなって当然さ」
「はっはー、それもそうか。ちなみに今お前が通ってるガッコ、学園祭いつなの?」
「六月。……とっくだよ。あのタイムカプセル騒ぎがもう少し手前だったら、呼んでやったんだけどな」
 ついでに言うと学園祭じゃなくて文化祭だが。
 ちなみに先月九月には我が高校で一番盛り上がる行事であるところの体育祭が行なわれたが、それに呼ぶという案は俺の頭の中からはその時すっかり抜け落ちていて、申し訳ないので敢えて言わない。
「しかしどうよ、ユキ。今度こそ懐かしいだろ? 俺達の青春の記録だもんな」
「青春というにはあまりにも忌々しい記憶だけどな……一年生の時のは。二年の時のも今から思えばめっちゃ恥ずかしいし。で? その学園祭がどうした」
「……お前、ここまできたら空気読めよ」
 電話口のムツは呆れたような声でそう、今度こそ嘆息した。

「さっきお前が言ったことと同じだよ。……折角あのタイムカプセル騒ぎを期に国交正常化したんだ。学園祭、呼んじゃる」


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