* * *

 そうして。
 そうしてボウリング場を後にした後、俺達バレー部Cチームと望さんが連れ立って向かった野瀬姉弟行きつけのクレープ屋で、バナナチョコ生クリームクレープをもそもそと貪りながらムツが言った台詞が以下である。
「あの人ぁ正真正銘の化物だ。そもそも俺なんかが勝てる訳ねぇんだよ、んなことは勝負する前からわかってたさ。……だってあの人、確実にアベレージ200超えてんぜ? 姉ちゃんがトータル190割ったところなんて、俺滅多に見たことねぇからな」
 ちなみに今俺達が食している、本来ならムツの奢りであるはずのクレープは、渋々鞄から財布を取り出したムツを制して望さんがお金を出してくださったものだ。不機嫌そうに語るムツの話に耳を傾けながら、俺は焼きたてのチョコバナナクレープを齧った。……甘い。
「知ってるか、ユキ? アベレージ200超って、女子ならプロ目指せるレベルなんだぜ。しかもあの人、俺の知る限り中学生の頃からずっとそれを維持してんだ――普通に考えて、普通じゃねぇよ。信じられるか? あの店の最高記録持ってんの、あの人だぞ。しかもそれが中三の時の記録で、パーフェクトゲーム一歩手前のトータル289だ。尋常じゃねぇよ」
 あまりの内容に、咄嗟にはクレープを齧る以外のリアクションが思いつかないね。
 そんなに凄い人なのか、お前の姉貴は。俺にはちょっと美麗度の高い普通の女子大学生にしか見えなかったんだけどな。ひょっとして今アップルカスタードのクレープを嬉しそうに頬張っている望さんも、お前と同じようなトンデモプロフィールをお持ちだったりするのか?
「いーや。ユキのお察し通り、極々普通の女子大学生さ」
 それぞれイチゴチョコ生クリームクレープとバナナチョコスペシャルクレープを食しているメグ・ミキと談笑している姉をちらと見やり、ムツは肩をすくめて言う。
「首都圏にあるちょっと頭のいい大学に通ってるだけの、ちょっと綺麗でちょっと可愛い、年齢イコール彼氏いない暦の十九歳。特技がボウリングってだけで後は大した特徴もない、至極ありふれた成人前の女の子だよ。……もう一つプロフィールに書き加えることがあるとすりゃ、それは俺の姉貴ってことくらいだな」
 また数口クレープを齧ってから、こう付け加えた。
「都内にある中高一貫私立男子校に通ってるだけの、ちょっと格好よくてかなり馬鹿な、年齢イコール彼女いない暦の十三歳、英語と体育が得意で他は軒並み壊滅の――ちぃっとばかし頭がぶっ飛んでるだけで後は至極ありふれた男子中学生の、唯一無二のお姉ちゃんさ。……弟に厳しくて甘い、どこにでもいる普通の姉だよ」
 惚れるなぁ、と。
 弟の友人と会話しながら時折楽しそうに声を上げて笑う望さんを離れたところから見つめ、ムツはぽつりと呟いた。
 俺は自分の手中にある食べかけのクレープに目を落とす。さっきそこのレジで、苦い表情で金を払おうとしたムツを遮り、ぽんと五千円札と小銭を会計トレイに載せた望さん。驚きのあまり目を皿のように見開いていたムツに彼女が言った台詞は鮮烈だ。
 ――「当たり前でしょ。姉の私が、弟のあんたに奢ってもらう訳にはいかないもの」。
 つまり賭けのやり直し云々は、卑怯な弟を戒めるためだけに望さんが言った嘘だったのだ。彼女は最初からムツにクレープを奢ってもらうつもりなんてなかった。それは颯爽と全員のクレープ代金を支払ったあの姿を、その時の表情を見ればわかる。
 実の姉にそこまでされたら、そりゃあムツじゃなくても骨抜きだ。一生逆らえる訳なんてないと思って当然だろう。
 それくらい見事な飴と鞭。一度こてんぱんのぺっしゃんこにしどん底へ突き落とした後で、さりげなく救いの手を差し伸べる――そうして弟を絶対的に服従させる、望さんの強かさ。
 ……厳しくて甘い、ね。
 普段俺達を勝手気ままに振り回しておきながら実のお姉さんには弱いだなんて、こいつにもなかなか可愛いところがあるじゃないか。
「なぁ、ムツ」
「んだよ」
「もう一つクレープ食うとしたら、何がいい?」
 落ち込んでいるのか嬉しがっているのか判別し難い微妙な表情で望さんを見つめ続けるムツに、気まぐれを起こした俺は気がついたらそう声をかけていた。
 ムツは弾かれたように俺を振り返り、望さんがさっと横からお金を出していったのを見た時と同じように目を丸くする。
「何それ、どういう意味?」
「いいから。何が食いたい?」
 鞄から財布を取り出しながら言えば、ムツにもこの質問がどういう意味かわかるだろう。
 案の定、そんな俺を見て呆然としていたムツは、クレープのバナナスライスが落ちそうになったところでようやく我に返って俺にこう言ってきた。
「え、嘘。奢ってくれんの?」
「馬鹿、誰がてめぇにタダで奢ってなんかやるか。一個貸しだからな、今度自販か購買で何か奢れよ」
 望さんが第一・第二ゲーム両方の代金を一括で支払った後、俺達の誰からも立て替え分を受け取ろうとしなかったため、今日の俺はボウリングに纏わるあれこれを一切払ってない。浮いたゲーム代分くらいなら、何やら複雑な心境を抱いているらしい友人にクレープの一つや二つを奢ってやってもいいだろう。
 ムツはしばし、大きめの二重の目をこれでもかというほど見開いていたが、やがてその目をやはりこれでもかというほど幸せそうに細めて微笑み、甘えるようにこう注文してきた。
「シナモンアップルがいい。な、ユキ、半分こしようぜ、半分こ」
「はいはい、わかったわかった。……買ってくるから、その間これ持っててくれ。食ったら殺すぞ」
 たったそれだけのことで普段通りに戻った単純な友人に食べかけのチョコバナナクレープを託し、俺はクレープ屋の注文口へと向かう。ふと店のガラスを見ると、映った自分の口角が僅かに持ち上がっていて、それを見て無表情になった。信じられないことにどうやら俺は笑っていたらしい。
 いかんいかん、らしくないぜ。あのムツ相手に甘い顔を見せちまうとは。
 両手でぺちぺちと頬を叩いて伸ばしてから、もう一度ガラスで自分の表情を確認し――それでも俺が店員に注文したのはムツがご所望のシナモンアップルクレープだった。

 多分、嬉しかったのだろうと、今となってはそう思う。
 ムツにも、俺と同じように、どうしても敵わない存在がいることが。
 出会って早八ヶ月、見つかった自分との小さな共通点が。
 普段最も近いところにいるくせして、俺にとってムツはそれでもどこか「遠い」存在だった。外見、性格、趣味、思考、価値観、そして能力。何もかもが百八十度間逆で、俺とは違う世界に住んでいるような、そんな人間……それが俺のムツに対する評価だった。
 ああ、俺とこいつとは、きっと一生判り合えることはないんだろうな、と。
 そう思っていたのに今日、自身の姉に絶対敵わない相手としての尊敬と畏怖――何より心地よい敗北感を抱いていると知って、不意にムツがとても身近な存在に思えたのだ。
 確かに特異な人間かも知れない。面食い女子が刹那もおかずに飛びつきそうな極上のルックスと、今すぐ芸能事務所にスカウトされてもおかしくない完璧なモデル体型、はた迷惑なくせに何故か人を惹きつけてやまない明るくポジティブな性格、疾患なんて欠片もない花マルの健康体、球技に限ってずば抜けた能力を発揮する運動神経、英語以外には能がない欠陥だらけの思考回路、人間離れしている超能力じみた勘、後先考えず思うままに動く人並み外れた行動力、馬鹿と天才は紙一重的珍妙奇天烈な生き様。甘いものと可愛いものが大好きで、そして何故か中学で初めて友達になった俺に異常な執着を見せる……野瀬睦は、そんな一般人類とは一括りにできない変わった奴だ。
 騒ぎのあるところに奴の姿あり。
 台風の中心たる手に負えない暴風雨、吹き渡る烈風の化身。
 古今東西に並ぶ者なきご意見無用で問答無用。
 天上天下唯我独尊に喧嘩上等天下無敵の――究極の、トラブルメーカー。

 けれど、そんなムツだって、結局のところは俺と大して変わらない極々ありふれた一男子中学生に過ぎない。

 そんな小さな発見が、きっとこの時俺の口角を持ち上げさせていたのに違いない。
「……厳しくて甘い、か」
 普段ムツが変なことを言ったりやったりする度にばかすか脳天を殴っているくせに、こういう時に限ってクレープなんか奢ってやっている俺ももしかすると望さんに負けず劣らずの飴鞭の名手なんじゃないかとか思って、そんなことをふと呟いた。
 飴鞭と言えば聞こえはいいが、言い方を返ればこれってただのツンデレなんじゃないか、とか。
 まぁ、何だっていい。いつも冷静で無表情、取り乱すことが決してないのが数少ない個性なんて言いつつ、俺だって年がら年中理屈を捏ねて生きている訳じゃない。特に理由もわからず親近感を抱くことだってあるし、それが妙に嬉しくてにやけてみたりもする。飴鞭だツンデレだというのは言いたい奴に言わせておけばいい、俺なんかが気にすることじゃないのだ。
「……と、」
 シナモンアップルクレープを店員から受け取ったところでふと向こうを見やれば、望さんがメグとミキの会話に耳を傾けつつ俺を見つめている。目が合ったと思ったら、ぱちんっ、と片目を瞑って下半身が総ゲル化しそうなとびきりのウインクをプレゼントしてくれた。
 ……やれやれ、流石はムツのお姉さんといったところか。
 もしかしてこんなところまで貴方の計算の内だったのですか、望さん。

「……惚れるなぁ」

 どうやら俺にもまた一人、一生敵うことのなさそうな存在が増えたようだと思いながら、俺はシナモンと林檎の甘酸っぱくてスパイシーな香りがする焼きたてのクレープを片手に、注文口の前を離れた。
 言いつけを無視して勝手に俺のチョコバナナクレープを食っていやがる友人の脳天に、まずは一発、空手チョップを打ち込むために。


[テンピンズギャンブラー 了]
[読了感謝]


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