* * *

 つまり望さんが提案したのは、ムツVS俺達の勝負を白紙に戻し、同じ条件で改めて自分とボウリング勝負し賭けをしろということである。
 アレだけ強いんだから相手が俺達から望さんに代わろうとうろたえなんかしないだろうと思っていたのに、何故かそれを聞いたムツは慌てふためいてごねた。
「い、いやいやいや! 何で姉ちゃんが俺と賭けしなきゃなんないの? いや、別に俺がクレープ奢るのが嫌とかじゃなくてな、仮にも姉上が俺達全員にクレープを奢るとなったら決して安い出費ではない訳でありー……弟としてそれは看過できないというか、そもそもクレープ食いたい云々が俺のわがままなのに奢ってもらうなんてそんなん姉ちゃんに申し訳ないというかー……そう! これは男同士の勝負でしてな、お姉さまの出る幕はございませぬ故、」
「黙りなさい」
 望さんはそう言ってムツを一蹴。その迫力はこの弟にしてこの姉ありといった感じだ。順番的には逆なんだろうけどな。
「いいじゃない、奢らせる相手がみんなから私に代わるだけでしょ、何の問題があるの? 普通に勝負して勝てばいいだけの話でしょ。正々堂々私と賭けをしなさいよ」
「いやー、いやいやいやいや! つか俺、そう! もう一ゲームするだけの金持ってないし!」
 野瀬睦、姉に向かって嘘をついた瞬間だった。てめぇゲーム始める前、受付のところで三ゲームやるかとか言ってたじゃねぇか。
「いいわよ。そうしたらゲーム代、私があんたの分も払うから。それなら文句ないでしょ? とにかく私ともう一勝負しなさい」
 思い切りのいい姉の言い分に形無しのムツである。それでもしばらくの間「あぁ、うぅ」とか「そのー」などと呻いて反論の糸口を探していたが、その間に望さんは呆然としている俺達に向かって、
「とりあえず今やってるゲーム、最終フレーム投げてきちゃってくれる? あ、もちろん勝負なんて気にしないで、好きに投げてくれていいからね。賭けのことは全部私に任せてちょうだい」
 強張った表情で唇を噛んでいるムツを傍らに放置し、そうてきぱきと指示を出した。当然俺達も彼女の采配に従うより他はなく、言われた通り順番にアプローチに出向いて投球する様はさながら風に吹かれてくるくる回る風見鶏だ。
「睦」
「……何でございましょう、姉上」
「あんたも投げてきなさい」
「……はい」
 俺とメグとミキが投げ終えた後に続いてムツも最終フレームを投げさせられ、そうして終えたゲームの結果は投球者順に、ミキが最終9・スペア・7でトータルスコア109、俺が7・2でトータル121、メグが6スプリット・2でトータル96、そしてムツが9・スペア・7でトータル189。ちなみに三人連合の共同スコアはトータル155という結果で、ムツとまともに競うことすらできずに終わった三マーク差だったが、それも今となっては全く関係ないというのだから俺にも何が何やらだ。
 その間に望さんはさっさと受付に赴いて新規ゲームを申し込み、彼女が戻ってきた時にはディスプレイに映されたスコア表のプレイヤー名が変わっていた。
 順番は先攻がムツ、後攻が望さんである。
 さっきまで当事者だったにも関わらず突然舞台からの退場を余儀なくされた俺・メグ・ミキは、ベンチに座って事の成り行きを手に汗かいて見守るより他はない。
「さて。……それじゃあ選手宣誓ね。お互い正々堂々と、全力を尽くして戦いましょ」
 ロングブーツを脱いでボウリング用の貸し靴に履き替えた望さんは、言ってムツに右手を差し出した。ムツはちっと舌打ちをするとそれを無視して自分のハウスボールを手に取り、早々にアプローチに立つ。
「何よ、その態度? 敵同士とはいえ、握手くらいしたっていいじゃない」
「うっせぇ」
 ムツは吐き捨てるようにそう言うと、急いては事を仕損じると言わんばかりに早速ボールを放った。オイルの引かれたカタパルトに射出された弾丸は、滑るように右から二番目のスパット上を通過し、これまでと同様にピンの手前で左へとカーブする。相変わらず見事なフックボールだ。
 かぱんっ、という派手な音と共にピンが飛び散る。ディスプレイ上のスコア表に表示された結果は、さっきまで奴と戦っていた俺にとってすっかり見慣れた蝶形のマーク――すなわちストライク。
「……」
 おら、これでどうだよ、と言わんばかりに自身の姉に向かってガンを飛ばしながらムツが戻ってくる。一方の望さんはまるで動揺することなく、さっきまで俺が使っていた九ポンド球を手に、入れ替わりでアプローチへと出向いた。その時にちらりと横顔が見えたのだが、美しき面立ちにはどこかいたずらげな微笑すら浮かんでいる。……大した余裕だ、ムツのあの安定した投球を見ても尚、そうして微笑んでいられるなんて。
 アプローチに立った望さんが、ボールを構えてレーンの向こうに並ぶ十本のピンを見据える。と思った次の瞬間にはもう彼女は動き出していた。
 ムツとよく似た、ボウリング教本のお手本のような四歩助走と投球フォームで、レーンに向かって勢いよくボールを送り出す。捲り上げたチュニックの袖から露になった白い腕がしなやかに身体の横でスイングした直後だった。
 ごぉっ、と鋭い音を立てて、レーンをボールが滑る――ファウルライン上で中央に放り出されたにも関わらず右へカーブ、右から二番目のスパットの上を通り、再びピンの手前で左にカーブし、レーン上を弧を描くように転がったそれは、ポケットへと吸い込まれるようにして突入し。
「……お、」「わ……」「ひえぇ」
 ベンチに座って様子を見守っていた俺とメグとミキの三人が、同時に息を呑んだ。
 かぽーんっ、と爽快な音を立てたピンがばらばらとピンデッキ上で散らばり、その全てがくるくるとレーンを滑って奥のピットへと落下する。直後に降りてきたレーキが掃いたのは、空気しかない無の空間だった。
 もちろんストライクだが、それ以上に俺にとって強烈だったのは、望さんのあの大して頑丈そうには見えない腕が十本のピンを全て吹っ飛ばすほどのパワーハウスを披露したということだ。信じられん。あの細い腕のどこにそんな力があるんだ?
「はい、お次どーぞ」
「……」
 終始挑戦的な微笑を絶やさない望さんとは対照的に、ベンチを立ったムツはむっつりとした無表情で再びアプローチへ。
 即座に投球モーションへと入り、ボールを放った。打ち出されたボールはこれまでと同じようなラインを描いてピンへと突撃し――そして結果を見た俺はまたも目を見開かされることになる。
 望さんの時とは違う意味で信じられない光景がそこにはあった。
 だって、嘘だろう? さっきまでダブルだターキーだ何だと騒いでいたムツが、第二フレームの一投目で三本もピンを残すなんて。
 ディスプレイのスコア表に、ムツにとっては屈辱的だろう「7」の数字が点灯する。
「……」
 無言のままムツがボールを取りに戻ってきて、それからピンセッターがセットした残りの4・5・9ピンに挑む。一見すると何も動揺していないように見えたが、果たしてその時ムツの心境はどんなだったのだろう。
 ぱかん。
 同じようなフックボールで狙い打ち、三本全てを倒してスペアに打ち取るムツ。
「らしくないわね。ここでスペアなんて」
 そんなことを言って望さんが立ち上がった。悠々とした足取りでアプローチへ向かう姿はムツと対照的だ。
 じっと見守る俺達の視線を一身に受けながら、しかしちっとも緊張した素振りを見せずに望さんは第二フレーム一投目を投げる。安定した助走と投球フォームで放たれたボールはまたも吸い込まれるようにポケットを直撃し、もちろん十本のピンは一撃で全滅だった。
 これでダブル。
「……くっそ……!」
 唸るような声がしたと思って振り仰げば、ベンチから立ったムツは珍しく苛立った表情を浮かべてやがる。そうすると本気でも出るのか、これまでつけっぱなしで先端をワイシャツのポケットに突っ込んでいたネクタイを解いて、引き抜いたそれを半ば投げ捨てるように俺に渡してきた。
 第三フレーム、第一投。ほとんど力任せにも見えるくらい雑に投げ出されたボールは、ヘッドピンを捉えはしたものの、ピンの手前で左に曲がりすぎたせいかキングピンとテンピンの二本を残すダイムストア(スプリットの一種)の形でピンが残ってしまった。
 ……ありえん。さっきまで絶好調だったムツが二連続でストライクを逃している。
 その後の第二投目、ボールを薄く当てて5ピンを吹っ飛ばし10ピンを倒す技で際どくも第三フレームをスペアで納めたムツだったが――
 それで乗り切れるような危機では、望さんは、恐らくないのだろう。
「睦。あんたの弱点を一つ、教えてあげるわ」
「……」
 戻ってきたムツとすれ違いざま、ボールを手にした望さんが静かに笑って言った。
「それはね――対戦相手が自分よりも遥かに強い時、特に第二ゲーム以降は、集中力が途切れやすいってことよ」
 思わず耳を疑った。何だって? 望さんは今、何と言った?
「……」
 返事もせずに黙って自分を睨みつけている弟の鋭い視線を受け流しつつ、望さんは第三フレームの一投目を放った。揺るぎのない綺麗な助走と投球フォームにより投げ出された九ポンド球が、かかった回転の力で緩やかにカーブしポケットへ吸い込まれる。
 かぱんっ。
 ……ストライク。
 三連続で、ターキー。
「……やられた。くそっ……最悪だ……」
 ベンチに腰かけたままレーンとそこに立つ自らの姉を睨みつけ、そう忌々しげにムツが呟いた。
 普段自信と余裕で満ち溢れているハンサムフェイスからは、その両方が消し飛んでいる。
「最悪って……何がだよ?」
 俺がそう尋ねると、ムツは酷く苦々しげな口調でこう答えた。
 そしてそれは、聞いている俺達を驚愕させるに充分な一言だった。
「……俺、ボウリングで姉ちゃんに勝ったこと、これまで一度もねぇんだよ」

Total
 F  134
Total
     177

 両者とも驚異的なスコアでゲームは進行していく。
 しかしながら、上記のスコア表――これもまたメグがルーズリーフに書き留めてくれたものだ――をご覧になればおわかりいただけるように、ムツと望さんとの実力差は歴然だった。ムツが第一フレーム・第六フレーム・第八フレームでストライクを取った以外はオープンフレームにするか、何とかスペアを取っているかなのに対し、望さんはほぼパーフェクトゲームの勢いである。
 驚異的にも限度ってものがあるだろう、流石に。
 第八フレームが終わった時点で、望さんのトータルスコアは暫定177。一方ムツのトータルスコアは同じ時点で暫定134で、何と四マーク差である。
「ほら睦、さっさと次、投げに行きなさいよ」
「……」
 マークにするかオープンフレームにするかで大逆転もあり得る第九フレーム、それを見事ストライクに打ち取った望さんは余裕綽々を通り越し、最早勝利を確信しているかのようだった。
 否、かのよう、じゃない。実際その通りなのである。
 ムツの第九フレームの結果はスペアで、ここまでのトータルスコアは暫定154。同じ時点でトータルスコアを197とした望さんには、最終フレームで三投連続ストライクを取ったところで到底追いつけない。
 勝負は既についた――
「……姉ちゃん」
「何よ?」
「卑怯だぞ」
 蛇足となった最終フレームを渋々といった具合で投げに行く直前、ボールを手にしたムツが感情を押し殺したような低い声で、唸るように自身の姉に告げる。
「んん? 今更何を間抜けなこと言ってんのよ」
 望さんはそれに怯む様子を見せるでもなく――悪いことを企んでいる時のムツそっくりに、いたずらげににやりと笑うだけだった。
「卑怯? ええその通りね、何とでもほざきなさい負け犬が。……だけど睦、人のこと言える訳? 私はただ、あんたがユキちゃん達にやったのと同じことを、あんたにしただけよ」
「……」
「わかってたはずでしょ? ユキちゃん達があんたよりボウリングが上手くないことなんて。アベレージが180に乗っていれば、普通同い年の友達と勝負して負けるとは思わないわね――それなのに賭けをしようだなんて言ったのは、最初から奢ってもらうつもりだったからでしょ? ……私もあんたに同じことをした、ただそれだけのこと。丁度クレープ食べたかったしね」
「……」
「ねぇ、睦」
 何も言えなくなったムツに。
 望さんはうっそりと微笑んで、とどめを刺す。
「例え地球が上下左右逆さまになろうとも、私はあんたのお姉ちゃんなのよ。――あんたと同じかそれ以上に卑怯で当たり前でしょう?」

 まだまだ甘ちゃんね、と。

 それは、向かうところ敵なしの野瀬睦の敗北を決定づける一言だった。


←Back Next→



home

inserted by FC2 system