* * *

 その日学校で何があったのかというと、昼休みに学園祭の実行委員企画の参加代表者会議があったのだった。
 部活がバレー部なんて学園祭とは全く縁もゆかりもエニシもない俺達にその会議が関係あるとは、常識さえあればまず考えられない。がしかし、そんな常識なんて信号無視するレベルで華麗に突破するイケメン的面構えの同級生は、俺とミキともう一人のチームメイト・浜野恵、通称・メグが中庭でのんびりと購買で購入したパンを貪っているところへ嵐の如く戻ってきて、
「実行委員企画の――ミスコンに、出場しますっ!」
 ……こやつは脳みそという名の部品を一度交換した方がいいな。
 思った俺はムツの頭に穴を開けようと電動ドリルを探したのだが、昼下がりの学校の中庭にそんなものがひっ転がっている訳がなく、俺はため息をつくことで諦め代わりにこう言ってやった。
「何だって? ミスコン?」
「そう!」
 百万ワットの笑みで答えるムツである。
「学園祭の実行委員企画! ここ・中庭に設置されるステージで行なわれるミス・コンテスト! ただし男子校だからとーぜん男子限定! それに出場するんだよ。ユキも大分話がわかるようになってきたな」
「もったいなきお言葉まことに重畳。……で、誰が?」
「は? 俺達がに決まってんだろ! ……何だ、やっぱユキはユキだな。わかってなかった」
 そーかいそーかい俺達に決まってるのかい。初めて知ったよ。これからはお前の話への理解力に欠ける俺にもよぉぉぉくわかるように、日本国憲法の第零条にでも書き加えておいてくれないかな。
「今日はその参加代表者会議だった訳。……あ、もちろん全てことはこの俺・代表者の野瀬睦サマに任せてくれて全然オッケーだからな? 大船に乗ったつもりでいてくれよなっ!」
 心配だ。
 お前の操縦する大船なんか、航海に出た途端沈没しそうで怖いぞ。
「ミスコンかぁ……アレでしょ? 『コン』はコンテストじゃなくて、コンプレックスの略なんだとか、面白いこと言われてるヤツ」
 にこにこと普段通りの如才のない微笑をそのエセ優等生面に浮かべ、ポニーテールを揺らしてメグが台詞した。眼鏡の向こうの目がやたらと柔和なのがかえってムカつくぞ、お前は。
「おっ、メグよく知ってんな。俺だって今日初めて先輩から聞いて知ったのに。そう! もう五年も続いてて学園祭の恒例企画にすらなっている伝説のミス☆コンプレックス……じゃなくて、コンテストだぜ!」
 こんなくだらなそうな企画が五年も続いているのか……。
 これが俗に言う男子校のノリとかいうヤツか? 勘弁してもらいたい。
 俺はため息をつきながら、やたらと学校行事に詳しい隣の長身優男に聞いてみた。
「で……具体的に、ミスコンって何するんだ?」
「あれ、ユキ、廊下に貼ってあった実行委員のポスター見てないのかい?」
 俺はお前と違って基本的に年中不真面目病にかかっているからな、メグ。いちいち実行委員のポスターになんぞ目を通したりはせん。
「……偉そうに言えることじゃないと思うけどね……まぁ、説明すると、ミスコンはその名の通り、うちの学校のミスを決めるっていう企画だよ。ただし、男子校だからもちろん男子限定。つまり、出場者は女装するんだね」
 ……にこにこ笑顔でそんなこと解説されても困る。
「出場は基本的に有志。コンテストに出るにあたっての資金は全部各団体の自腹。けど、そうやってお金をかけて参加するだけの価値はあるって、うちの部の先輩達が話してたかな。ちなみに部活の団体が多くて、その部屈指の美人が出場するって噂だよ」
「……聞けば聞くほどくだらないって思うのは俺だけかな……」
「うん、ユキだけじゃないかな? 元々この企画自体、『男ばかりで潤いのない男子校に一年に一度くらい喜びを!』っていうところから始まったらしいからね。見に来る人もたくさんいるんだって聞いたよ」
 うちの学校の奴等、馬鹿ばっかりだ。
 もっと言えば、こんな企画を了承する教職員もどうかしている。
 嗚呼、馬鹿馬鹿。日本全国津々浦々馬鹿ばっか!
「ほれ、これ、さっき代表者会議で貰ってきた資料。……『審査員は、セクシーでダンディな男性職員十名と、中・高等部の生徒会役員。賞品は優勝者にトロフィー・準優勝者に盾と――副賞として優勝した団体にはギフトカード一万円分!』」
 ホチキス止めされたぺらぺらの冊子の一ページ目をめくって俺に差し出し、ムツが無駄に得意げに言う。
 何がセクシーでダンディだ。ふざけるのもほどほどにしていただきたいね、本当に。うちの学校の職員は日頃真面目なくせに、こういう変なところではっちゃけるから嫌だ。
 それに、副賞・ギフトカード一万円分って……
「……もしかしてお前、これ目当てで出場する訳じゃないよな?」
「あったりぃ。大当たり! 流石ユキ、伊達に俺と付き合ってないな! 見直したぜ!」
 こんなことがわかってしまうほどムツと伊達に付き合ってない自分が哀しくなってくる。
「この前言ってた『学園祭に関するとある計画』っていうのはこれのことか……まぁ、話は大体わかった」
 反論する気力もなくなってきたので――ムツがこうしたイベントの度に雄叫びを上げるのはいつものことなので嫌になってきたのだ。現に今、俺達Cチームはムツの独断で演劇部の劇に有志で参加することになってしまい、日ごと練習練習の日々である――俺はムツから手渡された冊子をめくりつつ肩をすくめた。
「で、質問がある。……誰が、女装するんだ?」
 ムツが見た。
 メグも見た。
 二人につられて俺も見る。
 ベンチの少し離れたところで、脚を組んで座っている小柄なもう一人のチームメイト……すなわち、
「……俺?」
 ミキ――服部実紀を。
「……そんなことじゃないかとは思ったんだよなぁ〜」
 かったるそうにがしがしと頭を掻き回して、ミキは深いため息をついてそう言った。今まで俺達の会話には不参加で黙りっぱなしだったが、どうやらミスコンの話が出た時点で予想はついていたようだ。
「女装? 俺が?」
「……うーん……いや、ぶっちゃけ、ミキが適任とゆーか……ミキ以外に適任がいないというか……元々ミキにやってもらうつもりで参加登録したとゆーか……つーかミキがやらなくて誰がやるんだってゆー……」
「僕かムツっていうのも何だか微妙だしね……で、残ったユキと比べると、やっぱりどちらかといえばミキなんじゃないかなーって……い、いや、別に、ミキが女っぽいとか言ってる訳ぢゃnっ」
「えー……だって俺、演劇部の飛び入りのヤツで精神的にいっぱいいっぱいだし……ミキなら普段、ムツにやらされたりしてるし、慣れてるんじゃないかなぁ〜なんて……はははっ」
 露骨に言いよどむムツと、台詞を噛んだメグと、笑ってごまかした俺。
 ミキの視線が突き刺さるように痛い。
「……駄目かな?」
「まぁ、普通に考えたら駄目ですねっ」
 あー、やっぱり。
 ミキは露骨に女にしか見えない自分のルックスにコンプレックスを持っている。同性だというのに先輩達から告白を受ける毎日にもうんざりしているし、ムツに命令されてコスプレを(しぶしぶと)するようになったのも本当に最近になってからだ。
 それを、人前で、しかもステージの上でやれと言われているんだから、そりゃあ男のプライドというもんがあればミキじゃなくたって嫌だろう。俺だって嫌だ。
「つーかムツさぁ、こういうのは普通、先に俺の確認取ってから申請するんじゃね? 事後確認かよ。俺が嫌って言ったらどうするつもりなのっ?」
「あー……そん時はまぁ、そん時で、新たに策を練ればいいかと……そう! ユキにやらせるとかな!」
「俺は絶対に嫌だからな。演劇部のヤツだって逃げ出したいくらいなのに」
「メグでもいい!」
「僕が女装したって誰も喜ばないんじゃないかな?」
「……じゃあいっそ俺でもいいッ!」
 うん、そうしろ。その方がみんなのためだ。当日はステージ上で女装したお前を見て客席の一番前で爆笑してやるから。
「……ユキ酷ぇ……。えっと、だけど……できればその、ミキがいいんだけどなー、なんて、思ってたり思ってなかったり」
「思ってないんだなっ?」
「思ってマス」
「……ふぅんっ」
 ミキは脚を組み腕を組んで、眉間にしわを寄せ嫌な下目で俺達を(特にムツを)見ている。鋭い見下し目線に、思わず冷や汗が出そうになった。ミキは美人故、こういう表情をするとやたらに反抗できない雰囲気になる。
「どーしよっかなー」
 顔の前で右手の人差し指を振るミキ。
 俺はメグと顔を見合わせた。
「まぁ、実は出てやってもいいんだけどなー」
 ……やっぱり。
 ミキの奴、ムツを苛めて楽しんでいる。
「どぉぉぉぉしよっかなぁぁぁぁっ」
「……頼む! ミキ! お願いだからミスコン出てくれ! この通りだッ!」
 ついにムツが悲鳴を上げた。中庭の石畳の上にがっと膝を突き、そのままミキに向かって土下座する。……土下座かよ。
「しょーがねぇなぁ〜。そこまで言うんなら、女装してあげようかなっ」
「うおー! サンキュー! 神様仏様キリスト様、ミキ様! 助かります! このご恩は一生かけて返します! ……何なら嫁に貰って責任を……」
「取らなくていいから。な、ムツ? それ以上言ったら真面目に蹴るぞ」
「……ハイ」
 再度ミキに睨みつけられ、ムツは大人しくなった。俺は日頃ムツにやられっぱなしなので、こうしてミキにいいようにあしらわれているのを見るとちょっと気分がいい。
「で、女装ったって何やんの? 衣装は誰が用意すんの? その金はどこから出るの? あんまり派手なのはヤなんだけどさっ」
 次から次へと矢継ぎ早に疑問を投げかけるミキに、俺も小さくうなずいた。確かにそうだ。特に金がどこから出されるのかは聞いておかねばならない。
「衣装は全くもって問題ナシ! 今回、演劇部の劇に賭けの話をしてるだろ? アレで勝ったら、翌日リオリオに提供してもらうってことで、作ってくれるようにさっき話通してきたから」
 理音にか。
 ちなみにその賭けで負けたらどうするつもりなんだろう。
「それはその時でまた別に考える。……つっても、リオリオのことだ、賭けに負けても俺が泣いて懇願すりゃあ提供してくれると思うけどな」
 凄い自信だ。
 その無駄な自信は一体どこから沸いてくるのかね。
「やー、何せリオリオは俺様に惚れてるからねー☆ ……で、金だけど、これは……」
「俺は出さないぞ」
 きっぱり言ってやった。
 ムツが信じられないという顔をした。
「まだ何も言ってねぇって……いや、でもまぁ、出してもらうつもりでいたんだけど。駄目なのか?」
「お前の独断と偏見で無理矢理ミスコン出場に協力させられるのに、どうして俺が金を出さなきゃならないんだ?」
「うー……」
 ムツは苦い顔をした。
 日頃やりたい放題やられているから、その仕返しだ。たまにはお前に振り回される俺の気持ちを味わうがいい。
「俺はムツが全額自腹で、衣装代も各経費も出すんでいいと思うけどな」
「そ、それは……俺だって一介の中学生男子に過ぎない訳で……えー、経済面は決して楽なものではなくー……」
「うん、お前の財布はいつも薄っぺらいもんな」
「……」
「しょうがない。まぁ、メグと三人で、二対一対一くらいの割合でよろしく」
 思ったよりもムツがしょぼくれた顔をしてくれたんで気をよくした俺は、そう言ってムツの肩を叩いてやった。もう参加するってんで実行委員会に申請してきちまったんだろ。今更金がないから参加辞退なんていう訳にはいかないだろうからな。
「……メグは?」
「僕はいいよー。割合も、ユキと三人で割り勘だって別に構わないくらいだよ」
「あ……ありがとー……マジでありがとー! お前等大好きー! 愛してるーっ!!」
 急にテンションの上がったムツが抱きついてきたので、俺はあまりの衝撃に咳き込んでしまった。やめろこら。そういうことするから、いつもお前に協力しないっていうのもあるんだぞ。
「じゃあ、衣装と資金はクリアだな。……アイデアは? 俺は何の女装をすればいい訳っ?」
 呆れたようにメグと顔を見合わせた後で、お気に入りのメロンパンをかじりながらミキが尋ねる。
「よくぞ聞いてくれましたっ!」
 俺に背後から抱きつきながら、ムツはVサインを得意げに突き出して言った。相変わらず、雑音にしかならないほど馬鹿でかい声だ。

「テーマはズバリ、『Alice in Wonderland』――ミキには、『不思議の国のアリス』の、アリスの格好をしてもらいますっ!」

 やたらと発音のいい横文字で吐き出されたその単語に、俺も少し、いや、実はかなり、期待を抱いていたのだった。
 だって、ねぇ?
 あのミキが女装を、しかもアリスの格好をするんだぜ?
 これを楽しみにできないようなら男じゃないってなもんだ。


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