* * *

 で、こうなっている、と。
「いやー、ミキの髪はふわふわだなー、いい匂いがするなー♪」
「シャンプーの香りじゃないかなぁ……」
 アリスの衣装に身を包んだミキを椅子に座らせ、ムツは楽しそうにその長い髪を弄りながら鼻歌混じりに言う。手にはヘアケア剤と、自宅から持参したらしいヘアアイロン。慣れた手つきで女の子のように艶々とした髪をセットしていくイケメンというのは、何だか奇妙な光景でもあった。
「ところでムツ、お前はそんな女々しいもんを所持してたのか?」
 ミキの髪をくるくるとアイロンに巻きつけ、見事なカールを次々と作り出していくムツに俺は尋ねる。プロのスタイリストも顔負けの滑らかな手さばきだ。
「んー、俺のじゃねぇよ。姉貴のをちょっとな、パクってきた」
「へぇ」
「つーか、休日に姉ちゃんの髪セットしてるの俺だし、半分くらい俺のもんみたいなものだけどさ」
 お前、そんな趣味があったのか。
 初めて知ったぞ。
「おうよ。姉ちゃんが中学生とか高校生の時は、毎朝髪結ばせてもらってた」
 ……ムツはシスコンだ。
「あっくん、やるねぇ」
 猫のように目を細めて笑いながら理音が言う。結局昨日ムツとの賭けに敗北した(その時の態度は実に愉快そうだったが)演劇部の協力者は、今朝になって衣装担当渾身の作であるアリスの衣装を手に俺達の元を訪れ、更にはメイク担当を呼んでメイクまでしてくれた、というのがこれまでの流れだ。
「まぁた新たなるあっくんの魅力を発見しちゃったって感じかなー。実はちょっと心配してたんだけど、この分だと後は任せて平気っぽいね」
「うむ。ご苦労だった、リオリオさんよ。後は俺様でできるから、演劇部に戻ってくれていいぜ? これからまた、視聴覚室で学年の公演あるんだろ」
「うん。じゃっ、お言葉に甘えてそうしようかな」
 ムツとそんな会話を交わすと、理音は一度暗幕ルームの中に引っ込み、メイク担当が残して帰っていったメイク関連の道具が入った工具箱を持って出てきた。
「おし、あっくん頑張れな! 目指せ優勝!」
「目指せ優勝ー☆ また何かあったら頼むかも知れんわ」
「あらほらさっさー」
 最後にそうやり取りをして、理音は教室の前扉から出て行く。
「あ、理音、じゃあね、ありがとね。……ただいまー。戻ってきたよ」
 それと入れ違いで教室に入ってきたのは、俺やムツ同じく制服のズボンとクラスTシャツという出で立ちのメグだった。昨日は演劇部の劇に出演する都合上コンタクトだったのだが、今日は普段の眼鏡姿に戻っている。メグはうちのチームの眼鏡っ子要員的な部分があるから、俺としては、コンタクトよりもこっちの方が何となく落ち着くね。
「うわっ、ミキ、凄いね」
 かき氷にたこ焼き、甘焼き、焼き鳥、と両手を食い物にふさがれた状態で帰ってきたメグは、完璧なるアリスになりきったミキの有様を見て驚いた声を上げる。近くの机に収穫物のいくつかを置いて、次の瞬間には如才なく微笑み、
「うん、よく似合ってるよ」
「褒めてねぇよ、それっ!」
 俺には恥ずかしくて到底言えないことをさらっと言っちまうのだった。
「あ、でこれ、はい。ミキがご所望の、高等三年C組の焼きそばね。お待ち遠様」
「わーっ、さんきゅー! ありがとー、いただきまーすっ!」
 小さい身体なのに燃費が悪いのか驚くほどの量をばくばくと食す体質のミキは、差し出された焼きそばを、ムツに髪を弄くられながら嬉しそうに受け取って食べ始める。
 ……キュートなアリスが焼きそばなんてジャンクフードをもそもそ食っている光景が見られるのは、世界でもここくらいじゃなかろうか。
「ムツ、かき氷、ここに置いておくね。……ユキは? 何か食べたいものある?」
「あー……その溶けかけたアイスが気になるかな」
「じゃあどうぞ、食べて。お金は後でいいからね。……ミキも、他に食べたいものがあったらどんどん食べていいよ。あ、ミキの食費は全部僕が出すから」
「えっ、いいのかよっ? やったね。俺、そのたこ焼きもお好み焼きもビーフンもフレンチトーストも全部食いたいっ!」
 食い意地の張っているアリスだった。
 ちょっとは遠慮しようぜ。
「食うのはいいけど、ミキ、後でちゃんと口ゆすいどけよ? 歯に焼きそばとかの青ノリが残ってると間抜けだからな」
「わははっ、言えてるー! わかったよ。メグ、何か飲み物ない?」
「あー、ごめん。飲み物は買ってくるの忘れちゃった。何がいい? 今自販行ってくるからさ」
 もはやパシリだ。
 まぁ、四月にバレー部に入部して早々先輩達のパシリ的立場になっていたメグだから、こうなってしまうのも無理はないといえば無理はないのだけれど。
「うーん。あれば午後ティーかなっ。なかったら普通にお茶でいいや」
「うん、わかった」
「メグー、俺、コーラ」
「……ミキの分はおごるけど、ムツはちゃんと後でお金出してくれよ」
「……ちぇ、メグちゃんのケチんぼ。へいへい、わかったよ」
 帰ってきたばかりだというのに健気なことにもメグは再び教室の外へと繰り出し、ここにはムツと俺、ミキの三人が残される。程なくムツによるミキの髪のセットも終わり、「よっし」と言ってムツが立ち上がった。
「じゃかじゃぁぁぁん、完成! どうよミキ、鏡で見てみ?」
「うわっ……うわー。すげー、何これ!? 昨日の演劇部の時よりも五割増くらいですげぇんだけどっ!」
 手渡された手鏡に映った自分の髪の有様を見て、ミキがげらげらと(汚い笑い声を上げ)爆笑し始める。
 けれどまぁ、実際ムツ渾身のヘアメイクは凄いものになっていたのだった。栗色の髪が細かく丁寧にアイロンで巻かれくるんくるんしており、それがワックスとヘアスプレーで軽く固められてふわふわさを増している。頭の上には向きを正された黒いリボンのカチューシャ。曲がることなくつけられたそれが、ミキが笑う度にぴょんぴょこはねているのがまた、たまらなく可愛くて、何というか、まぁ、ええ、悪い気は全くしませんね。
 ただ、これはミキが立派に男だっていうことを忘れて惚れちまう輩が出てきちゃうんじゃないかなぁ?
「はははっ、俺様の自信作だぜ! ……これでミキの魅力は百二十パーセント引き出せた! 優勝は間違いなしだな!」
 とか言うムツの手柄では全然ないだろうが、確かにこれならミスコン優勝も夢じゃなさそうだ。……お前はミキが優勝したからって調子に乗るんじゃないぞ。ミキの可愛さは他でもないミキ自身のものなんだからな。
「ふぃ。これでもうできることは全部したな。ユキ、今何時?」
 言われて俺は、ズボンのポケットから携帯電話を取り出して時刻を確認する。ここの教室の時計は何分か遅れていて頼りにならないからだ。
「あと五分くらいで十一時だ」
「嘘、マジで? やっべ、企画の参加団体の最終打ち合わせ、始まっちまう」
「何時からなんだ?」
「十一時だよ!」
 何とまぁ。
 悠長にメグへコーラ希望してる場合じゃないじゃないか。
「あー、しかもこの打ち合わせ、代表だけじゃなくて副代表も出なきゃいけないんだよ! ユキ、一緒に来てくれ!」
「わかった。……って、俺、副代表なのか? 初めて聞いたぞ」
「ごめん、書類記入する時に必要で勝手に書いちまったんだ。別にいいだろ?」
 悪くはないが、せめて後になって確認してくれるか、最悪今朝言って欲しかった。
「じゃ、ちょっくら俺達出かけてくるから。……いいかミキ、何があってもここを出て行くんじゃねぇぞ! 企画が始まる前に人の目に触れちまったら価値は半減しちまうんだからなっ! 焼きそば食うんでもたこ焼きでもお好み焼きでも何でもいいから、外の用事は全部メグに任せてここで大人しくお留守番してろよ!」
「は〜いはい、わかったわかった」
「はいは四回だ!」
「はいはいはいはい! 何でこんないいノリ求められるんだかな……つーか普通それを言うなら一回じゃね?」
 再び焼きそばを貪り食うことに没頭し始めたミキは、口いっぱいにそばをほおばったまま面倒くさそうにそう言って、ひらひらと手を振った。それを見届けて、ムツは勢いよく教室を飛び出していく。打ち合わせまで時間はあと三分。ちょいと急いで行かなきゃまずそうだ。
 ムツを追って教室から出て行く直前、俺はドアのところでミキを振り返って言った。
「じゃあな、ミキ。すぐ戻ってくるから」
「はいよ、いてら〜」

 嗚呼、何故あの時、メグが帰ってくるまで待っていなかったのだろう。
 十一時から打ち合わせだろうと、それに団体代表者のムツだけじゃなく俺も行かなきゃならないんだろうとそうでなかろうと関係なく、俺達は、ミキを、ミスコン優勝候補の超絶美人を――この校舎の片隅にある教室に一人、残していくべきではなかったのだ。
 せめて代表のムツだけを先に行かせて、俺は自販に行ったメグが帰ってくるまで待っていればよかったのに。

 そうすれば――あんな大変なことには、ならなかったのに。


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