* * *
本番一時間半前に開かれた最終打ち合わせでは、当日になっての急遽辞退者がいないかどうかを確認し、一連の流れの説明が行なわれた。ここに至って参加を辞退する団体っていうのは、女装して出場する本人が「やっぱり嫌だ!」とか駄々をこねて今日の学園祭をボイコットしたとかそんなパターンなのかなぁとくだらない想像をしつつ、俺は基本的に代表者たるムツが聞いておけばいいだろう話を右から左へ聞き流していた。
この打ち合わせ以降の参加辞退は、基本できませんのでそのつもりでいてください。
実行委員の担当者が最後にそうしめて、実行委員会室における打ち合わせはつつがなく終了した。
「よっし、これでいよいよ本番だな」
最終確認を終えてわらわらと散っていく他の参加団体の人達に混ざって部屋を後にしながら、ムツが背筋を伸ばして言う。特に反論する理由もないので俺は「そうだな」と適当に相槌を打って受け流し、携帯電話を取り出して時間を見た。
時刻は只今十一時二十分。開会、実行委員長の言葉、校長の言葉、審査員の紹介、候補者の紹介、審査、表彰……とそれだけなら五分もありゃ一通り説明できそうなことを長々と話されたため、ミスコン本番はあと一時間近くにまで迫っていた。参加団体の集合は十二時十五分だから、実質もう一時間ない。
「早く帰ってミキの最終調整をしなくっちゃなぁ……ん、」
「どうした?」
頭の後ろで手を組み、来場者でごった返した一階の廊下をのんびり歩いていたムツが、急に足を止めたので俺も急ブレーキをかけた。唐突に廊下のど真ん中で立ち止まるんじゃねぇ、通行人の邪魔だろうが。一体どうしたっていうんだ?
「なぁ、あれ……メグじゃないか?」
ムツが指差した向こうに、見慣れたポニーテールが揺れているのが見えた。高等部の先輩達とどっこいか下手をしたらそれ以上の長身は、離れていてもよく目立つ。
「……何やってんだ、あいつ」
「まだ自販に辿り着けてないとかじゃねぇよな?」
どうやら少し焦っている様子のメグは、人波を縫うようにしてかいくぐりながらだんだんと俺達の方へ近づいてくる。片手に午後ティーのペットボトルとコーラの缶が持たれているのまではっきり見えるようになった頃、俺達はようやくメグの様子が尋常じゃないことに気がついた。
「っはぁっ……やっと見つけた! 遅かったじゃないか、何してたんだよっ」
「何してたんだよって、別に遊んでた訳じゃねぇし。ちょっと打ち合わせが長引いちゃってさ」
結構長い間俺達を探し回っていたのだろう、メグは軽く息を切らして肩を上下させている。眼鏡を持ち上げて額に浮かんだ汗を拭った後の顔には焦燥が浮かんでいた。
「どうかしたのかよ、メグ」
「どうかしたどころの話じゃないよ」
メグの喋り方は、日頃の温和な物言いとは似ても似つかないほど荒い。
眉間に深くしわを寄せたメグは、その荒い口調のまま、とんでもないことを言った。
「ミキがいなくなった」
「……は?」
「しかも、教室の様子が尋常じゃないんだ」
その後ダッシュで階段を駆け上がり高等部教室棟の四階へ辿り着いた俺達は、控室にしていた教室に飛び込むやいなや言葉を失った。
「な……んだよ、これ」
そう驚いた声は、勢いよくドアを開け放ち一番に足を踏み入れたムツのもので、今回もまた急に立ち止まったものだから俺は危くムツの後頭部に顔面を強打しそうになる。危ねぇだろ馬鹿、と言おうとして――
「……うわ、」
俺もまた、そう声を漏らさざるを得なかった。
アリスの衣装に身を包んだミキの愛らしい姿は、もちろんどこにもない。唯一身を隠すことのできる場所である暗幕に覆われた一角の中にもいないのは、一目見れば明確だった。壊されている。ムツが今朝クラスのホームルーム前に登校してきて一人で机を積み上げ作った着替えのためのスペースは、元の机一個一個の状態まで解体されていた。暗幕は外され、無造作にロッカーの上に放り出されている。
てんでばらばらな方向を向いてしまっている机の一つの上に、食べかけの焼きそばと――別の机に、手つかずの食品群。
お好み焼き、たこ焼き、甘焼き、フレンチトースト。全てメグがミキのために買ってきたものだ。
ムツが食べずに残していったかき氷が、発泡スチロールのカップごと床に落とされて、液体に戻っていた。
「これは……酷いな」
痛い沈黙だけが続く教室に、俺の台詞だけがやたら大きく響いた。学園祭の喧騒が聞こえてくるのが、酷く遠い。
「僕が飲み物買って、帰ってきたらこうだったんだ」
メグが静かな口調で言う。
「ミキはいなくて……電話してみたんだけど、出ないんだよ」
「出ないってどういうことだ」
「『おかけになった電話は、電波の届かないところにいるか、電源をお切りになっています』……」
ますますどういうことだかわからない。
ミキの失踪。荒らされた控室。食べかけの焼きそば。繋がらない携帯電話。
「……こんなの、何が起こったかなんて、答えは一つしか出ねぇだろ」
ムツが低い声で呟くのが聞こえた。
俺もメグも、滅茶苦茶になった部屋を険しい表情で睨みつけているムツの、次の台詞を待つしかなかった。
「何がどうなったかなんて、結論は一つしかねぇ」
ムツは俺達を振り返り、険しい表情のままこう言った。
「誘拐されたんだよ」
* * *
……真面目に聞いた俺が馬鹿だった。
「……何だって? 誘拐?」
頭が絶賛ライトノベル色に染まってしまっている俺が言えることでは全くないが、こやつの頭はそんな俺と同じかそれ以上にイカれてしまっているとしても何も驚かない。何が誘拐だ。火曜日か水曜日の夜九時枠でやっているサスペンスドラマの見すぎじゃないのか。
「そうだよ。何か文句があるのか?」
ムツはけれど、至極真剣な顔でもってそんな風に言う。文句はないが、突っ込みたいことだったらある。偉そうに腕を組んだ団体代表者に、俺は軽く手を上げて尋ねた。
「何故、ミキがいなくて、教室が荒らされていて、電話が繋がらないだけでイコール直誘拐に繋がるんだ? お前のその思考回路を説明してくれ」
「他に考えられることなんざねぇだろ!」
ないのか。
それは脳に重大な欠陥があることが心配されるな。一回病院に行ってMRIでも撮ってもらえ。
「その一。まずは、ミキがこの教室から一人で出て行くとは考えられない」
俺の忠告は無視してムツは右手の人差し指を一本立てた。
「最終打ち合わせに行く直前、俺はちゃんとミキに『何があってもここを出て行くな』って言ったはずだ。何か外に用事があるならメグに頼めとまでな。ミキがそれを無視してまでふらふらどこかに出かけちまうような奴だとは、俺は到底思えねぇ」
それはまぁ、確かに。
ムツは続いて中指を立てる。
「その二。ミキがそれで出かけて行っちまったんだとしても、こうやって教室が荒らされているのはおかしい。きっと誰かがミキを連れ去りにやって来て、そん時に争ってこうなったんじゃねぇかな」
「ミキが出て行っちまってて、俺達を訪ねてきたのに誰もいないことに腹を立てたそいつが腹いせに暴れただけかも知れないぜ」
「まぁ、その可能性も否定できないけどな。……だけど、だからその三。ミキの携帯の電源が切れてる」
ムツは更に薬指を立て、軽く眉をひそめてため息をついた。
「……ミキが学校で携帯の電源切ったことがないの、お前だってよく知ってるだろ、ユキ」
「まぁな……」
確かにミキは結構携帯電話中毒っぽい。
俺は腕を組んで、再度荒らされた教室を見回す。ミキが食べていた焼きそばが、食べかけの状態で机の上に残っている。
やはりムツの言う通りなのかも知れない。喜んで食っていた焼きそばを中途半端にして出かけるなんて、少なくとも俺の知っているミキはそんなことはしない。外に用があるんだとしても、絶対全部食い終わってから出かけるはずだ。
「それにな、」
と、ムツが台詞を繋いだ。
「心当たりならあるんだよ……どうにも、俺達を目の敵にしてたっぽい団体が、あるみたいなんだよな」
「……そうなのか?」
ムツを振り返る。
真剣な顔でうなずいた。
「代表者会議に出るたんびに、睨まれるんだよ。うーん、睨まれるってのはまたちょっと大げさかも知れないけどな……だけど、とにかく普通じゃない視線だ。そういうのが、会議中、ずーっと、俺を見てる」
「それはどこの団体だい?」
メグの問いに、ムツは首を横に振って声を荒げた。
「わかってたら悩んでねぇ! ……くっそ。ミキを担ぎ上げたことを恨まれてんのは何となく感じてたけど、まさかこんな力技使われるとはな。こんなことになるんなら、理音に残っててもらうんだったか」
舌打ちをするムツは、どうやら相当頭にきているようだった。日頃から脳みそがぶち切れているような奴だから今一つわかりにくいが、俺にはわかる。
その証拠に、ムツはさっと身を翻し俺達に背を向けると、苛立たしげな様子でドアを乱暴に開け放って教室から出て行こうとした。
「待って、ムツ! 一体どうするつもり?」
その背中に、メグが問いかける。ムツはドアのところでこっちを振り返ると、「決まってんだろ!」と尚乱暴な口調で言った。
「どこのどいつだか知らねぇけど、それらしい団体の控室回って、ミキを助けるんだ。ついでに、ミキを誘拐した奴等もぶっ飛ばす」
「そんなことしてる時間あるの? ミスコンは?」
「だから、ミキを探してくるんじゃねぇか!」
「それで間に合えばいいよ。だけど、万が一――本番に、間に合わなかったら?」
ぴしり、と、世界が凍りついたような気がした。
ムツが固まる。
俺も固まっていた。
時にミスコン本番まで、一時間。
万が一――本番に、間に合わなかったら?
――この打ち合わせ以降の参加辞退は、基本できませんのでそのつもりでいてください。
『この打ち合わせ以降の参加辞退は、基本できません』。
「……やべ、」
ムツが言った。
「このままだと、出場者に穴が開いちまう」
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