* * *

「あ、それ僕が出してきますよ!」
「監督呼んできます!」
「何かすることありますか?」
「それ、部室から取ってきましょうか?」
「何か飲み物買ってきますね!」
 ……以上、バレー部で浜野が先輩に対して多く言った言葉ベストファイブ。
 すなわち浜野はパシリだった。
「じゃあ今から、教えたようにスパイク打ってみてもらうからなー」
「僕、ボール返します!」
 仮入部中の新一年生に混じって俺が先輩達相手にバレーを教わっている傍らで、既に正規部員の浜野は忙しく動き回っていてせわしない。何だこいつ。入部して数日の一年生の立場か、それが?
「あー、じゃあよろしく」
「はい、任せてください!」
 浜野はそう笑顔で言ってネットの向こうに走っていく。そして、先輩がスパイクを打ち込めと命じた辺りにスタンバイ。
 何だかなぁ。
「……何なんだよ、お前」
 体験途中、こっそりと列を抜け出して浜野に近づき尋ねると、浜野は既に慣れた手つきで仮入部者の打ち込んだ緩いスパイクを処理しながら小首をかしげた。
「何なんだって、何が?」
「何でお前、パシリみたいなことやってるんだってこと」
「え、僕は別にパシリじゃないよ?」
 上の人間の手となり足となってあれこれ用を果たす、つまり必要なものを取りに行かされたり人を呼びに行かされたり飲み物を買いに行かされたり、そういう人間をパシリというんじゃなかったか?
「うーん。僕の場合は、行かされてるっていうより自分から行ってるって感じだからなぁ。それに、パシリっていうとどうしても嫌々やらされているイメージがつきまとうけど……僕はこの立場、全然嫌いじゃないからね」
 受けたスパイクのボールをネット向こうへ返して、浜野は楽しそうに微笑む。
「僕はね、みんなの喜んでる顔を見るのが好きなんだ。みんなが心配事一つなく一生懸命に打ち込める状況を作るのが、凄く好きなんだよ。少しでも誰かの役に立てるように、少しでもみんなのためにあれるように――それが僕の生きがい。大げさに言うなら生きる意味かな?」
 それはとても凛とした笑顔だった。
 だから、俺は何も言い返すことができず唖然としてしまう。
 こいつ、そんなことを考えてパシリみたいなことやってるのか……?
「確かに大変ではあるけどね。でも、みんなの笑顔を見るためなら僕はいくらでも頑張れるし、そうやって頑張ってる僕自身のことも好きだからさ。だから、全然? 大変でも嫌じゃないし、いくらでも頑張れるよ」
「……へぇ」
「あ、何か自分のこと好きって言うとナルシストみたいだね。あははっ」
 言って浜野は屈託なく笑う。
 それはとても眩しくて、少しだけ直視するに堪えない笑顔だった。
「そろそろ休憩時間かな……あ、列に戻りなよ! 並んでないと順番回ってこないよ」
「ああ……うん、そうする」
「じゃ、頑張ってね」
 浜野に手を振られながら、俺はスパイク体験の順番待ちの列へと戻った。
 しかしながら、どうだろう。
 ……お人好しもここまでくるとある意味変人だな。

「よしっ、始めんぞーっ」
 休憩時間も終わって体験が再開され、ポジションはセッター(バレーボールで、攻撃技であるスパイクを打ち易い位置にボールを上げる「トス」を行なう役目の選手のこと)だという緩い雰囲気の先輩が、言ってトスを上げていく。チャンスは一人三回だそうで、俺と同じ一年生の仮入部者は慣れない動きでボールを叩き始めた。そのボールを、浜野が相変わらず楽しそうに捌いていくのがネットの向こうに見える。
「はーい、次ー」
 それにしたって結構な仮入部人数だ。軽く見積もっても二十人くらいは並んでいるように窺える。
 というのも、浜野に聞けばこの学校のバレーボール部は中等部・高等部のどちらも全国大会の常連なのだそうだ。高等部に至っては歴代の最高成績がインターハイ四位、だとか。そのため入部希望者が多いらしいが、練習がそれなりにハードで、何よりも種目が種目であるため、多くの一年生が入部を諦めるらしい。
 バレーボール。
 やってみると、このスポーツが他の球技と比べても見た目より俄然難しいことに気がつく。腕を駆使してボールを上げ、いかにボールを地面に落とさないようにするかを競う、たったそれだけの単純なスポーツなのに、その簡単そうな動作が意外にも複雑なのだ。現に体験中の仮入部者のほとんどが、ろくなスパイクを打てていなかった。
 基礎ができないと面白くない、けれどその基礎が結構複雑なスポーツ。
 ……なのだろう、多分。
「じゃ、次。行ってみようか」
 同級生達を観察している内に、とうとう俺の順番が回ってきた。お願いします、と俺が頭を下げたのを確認して、先輩がトスを上げる。
 俺は今さっきエースアタッカー(スパイクを主として打つ役目の選手のこと)だという先輩から教わった通りに、タイミングを見て助走をつけ、踏み切り、振りかぶり、打ってみた。
 浜野のいる辺りを狙えばいいのか?
「おっ」
 スパイクを教えてくれた先輩が、後ろから声を零した。俺の右手はボールに上手くヒットして、ボールが体育館の床に叩きつけられて音を立てる。
「上手いっ。ナイス」
 と、セッターの先輩。もう一回と再びトスを上げる。俺ももう一度、教わった通りにスパイク。
 一二っ、三っ。
 ……決まった。
「……もう一回やってみようか?」
「あ、はい、お願いします」
 再びトス。
 教わった通りスパイク。
 ヒット。
「…………」
 後ろに並んでいる他の一年生達から微かにどよめきが上がった。ネットの向こうの浜野が、きらきらと目を輝かせているのが少し怖い。
「……君さ、入る部活決めてる?」
「いえ、まだ……ど、」
「じゃあもう、バレー部に入っちゃいなよ!」
 どころか部活に加入するかも決めてません。
 と言う前に思いっきりエースアタッカーの先輩から勧誘され、言葉に詰まる俺。うーん、どう答えればいい? 日本人が得意の「考えておきます」という真意は「いいえ」な台詞で乗り切るか?
「うん、君、絶対向いてるよ! おいでよ、バレー部にさ」
 とは、ネットの向こうから駆け寄ってきた浜野の台詞。
 うわ、断われない雰囲気だ……くそ。どうして俺が関わる人間って一癖も二癖もあるんだろう。そんな明るい笑顔で言われたら、嫌だなんて絶対言えないじゃねぇか。
「えーっと……じゃあ、うん、まぁ、その……」
「入ってくれるんだ!?」
「えー……」
「うわ! やった、先輩また新しい部員ゲットですよ!」
「……」
 断わりきれなかった。
「これからよろしくね!」
「……ハイ」
 ……。
 もう諦めよう。腹をくくろう。うん、騙されたと思って入ってみるのも悪くないだろうし。
 浜野が子供みたいに喜んでいる傍らで、俺は漠然とそんなことを考えていた、らしい。

 かくして、俺はバレー部に入部することになった。
 中学校生活を左右する部活動すら、流されて決まった俺だった。
 ……情けない。

 * * *

 けれど、そうして入部することになってもすぐには入部届を出さないのが俺の悪いところで、結局その後一週間くらい経っても、俺の入部届はバレー部に提出されないままだった。や、何か面倒くさくて。遅くとも月末までに出せばいいかと……げふんげふん。
 それでも一応この部に籍を置くんだと覚悟を決めた俺は、練習には浜野と共にちゃんと毎日顔を出していた。入部届を出さなかったのは、本当に面倒くさかったからだ。
 それが急に提出を見ることになったのは、俺が入部を決めて十日くらい経ってからだった。
「浜野ー」
「うん、何?」
「次の土日、部活あるのか?」
「うーんと。土日は先輩達の練習日だから、特に僕達が来てもすることはないと――」
「――浜野ぉぉぉぉぉっ!!」
 部員同士らしい会話を浜野としていた休憩時間中、体育館の向こう、仮入部の群れから飛び出してきて大声を上げた馬鹿が一人。
 そいつの面を見た瞬間、俺の顔が芸術的なまでに引き攣った。
「そいつはな! 授業中に本読みながらニヤニヤしてたり、体育の授業中何もすることない時一人でニヤニヤしてたり、朝電車の中で音楽聴きながら一人でニヤニヤしてたり、信号待ちの後ニヤニヤしてたり、変な奴だぞっ!」
「死ねよ」
 野瀬だった。
 何でお前がここにいるんだ。
 ……何でお前がここにいるんだ!
「え……あれ、野瀬君?」
「お前のような凡人面如きに扱える人物じゃないぞこの男は! お前が思っているほど平凡な奴じゃないんだユキは! わかったか! わかったら即刻避難しろ!」
「だから死ね」
 駆け寄ってきた野瀬の頭を拳で殴る俺。
 ひえっ、と浜野が小さな悲鳴を上げた。

「そっかー、野瀬君、仮入来たんだ」
「うん。今まで演劇部とかに顔出してたんだけどな? うちの学校のバレー部全国レベルだっていうし、一応行くだけ行ってみようかなってさ」
 その後、休憩時間中に野瀬と浜野は凄い勢いで仲良くなった。弾む会話、飛び交う笑い声、……本当何なんだこいつ等。
「ていうかさー。俺、ユキがまともに会話してる人間なんて、俺以外で初めて見たぜ」
 感慨深そうに俺と浜野を見比べる野瀬。俺はまたも少々むっとする。お前は俺を一体何だと思っているんだ。
「え、そうなの?」
「おぅ。……こいつとノープロブレムで話せる浜野って、実は凄い奴?」
「別に凄くないよ……」
 くいっと小首をひねる野瀬と、苦笑いする浜野。……野瀬、本当にお前は俺を何だと思っているんだ!
「ところでさ。ユキ」
 それから野瀬は、唐突に会話の矛先を俺に向けてきた。
「……何だよ」
「お前、バレー部に入る気?」
「……別に。そんなのお前に関係ないだろ」
 いい加減野瀬がうざったい俺は、眉を顰めつつそっけない口調でそう返答した。すると野瀬が、口を尖らせムキになって言い返してくる。
「そうだよ関係ねぇよ! だから聞いてもいいじゃん!」
 何だそれ。新手の逆ギレか?
「……何でお前に教えなくちゃならないんだよ」
「何で俺が教えてもらっちゃいけないんだよ? 関係ないんだから教えてくれたっていいじゃん。そりゃ、関係あるなら教えたくないのもわかるけどさ?」
 よくわからないことを言い出す野瀬だった。面倒くさいので、さっさと会話を打ち切る方向で返答する俺。
「……入ろうとは思ってるけど」
「……ふぅん」
 すると野瀬は急に神妙な面持ちになった。いつもふざけてばかりの緩んだ間抜け面しか見ていないから、整った顔立ちに浮かべられる珍しいその表情に、少しばかり俺は視線を奪われる。馬鹿一筋のこいつもたまにはこんな顔をするのか。
 しばらく野瀬は黙ったまま、眉を寄せて難しい顔を維持していた。
 それからその顔のまま、真剣な口調でこんなことを言った。
「わかった。じゃあ俺も入る」
 ふーん。
 ……。
 ……はい?
「ユキがバレー部に来るんだったら、俺もバレー部入るよ。いいだろ、浜野?」
「うん? もちろん! 僕は仲間が増えるのは大歓迎だよ」
 突っ込め浜野!
 全力で突っ込め! ハリセン持ってきてこいつを撲殺する勢いで突っ込め!
「……何でお前が……」
「一人より二人、二人より三人、三人よりたくさんだろ? 浜野プラスユキなら、浜野プラスユキプラス俺の方がいいじゃん」
 訳わからん理屈はいらねぇ。
 とりあえず黙れ、そしてそのまま帰れ。
「えーと。浜野、お前ファーストネーム何?」
「僕? 恵だよ。『めぐみ』って書いて『けい』」
「ふぅん。じゃ、お前はメグな? 俺のことはムツでよろしく!」
 野瀬は浜野との間で意味があるのかどうかさっぱり不明の取り決めをすると、次の瞬間には俺の手首を掴んでにたぁ、と脳みそ不足気味のガキそっくりな笑みをそのハンサムフェイスに浮かべたのだった。
「よし、ユキ! そうと決まれば入部届を出しに行くぞ!」
「はぁ? ちょ、何で今から――」
「善は急げぇぇぇぇぇっ!」
 死に急ぎたくはありません。

 俺と野瀬の入部届がそろって提出されたのは、その十五分後のことだ。
 ……死に急いだかも知れない。


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