* * *

 それからあっという間に、学園祭の当日はやってきた。
 二日ある学園祭の内の二日目にバンド発表を控えた俺達は一日目、クラスの有志参加の合間を縫っては軽音部に顔を出してバンドの最終調整を行なわせてもらい、時間はあっという間に過ぎていった。光陰矢の如し、とはよく言ったものだな、と思う。
 ムツの知り合い、というか滅茶苦茶仲のいい奴が所属している演劇部の発表をムツと共にちょっと冷やかす時間があるくらいで、その忙しさの中に、俺は転校する――という現実をわずかな間だけ、忘れることができた。
 けれど、一人になれば思い出す。思い出してしまう。
 転校の日取りは、学園祭が終わってすぐに決まった。切りよく十一月からの転校にしよう、というのを最終的に決めたのは親父だったが、それは学園祭までは残りたいと言った俺の意見を踏まえた上だ。
 とりあえず、木之本から頼まれた軽音有志参加のステージには出なくてはならない。
 そして願わくば、それまでの間に、転校することをそれとなく伝えられたら――
 俺はそう思っていた。某俳優に似た英語科教諭の担任の口から伝えてもらうという手段もあったが、やはりこういうことは自分から言わなければならないような気がして、自分から言うことに決めた、のだけれど。
 言おうとして、いつも躊躇ってしまう。
 躊躇する。
「ユキ」
「……」
「ユキ?」
「…………、あ。悪い。何?」
「大丈夫? 何か、上の空って感じ」
 学園祭の二日目を迎え、軽音部室で最後の調整を行なっている合間の休憩時間、メグに顔を覗き込まれて俺は我に返った。一年半もの間付き合ってきたエセ優等生面は心配そうに歪められていて、少し、胸が痛む。
「練習にもあんまり集中できてないみたいだし……本番まであと少ししかないよ。平気?」
「あー……多分」
「多分じゃ困るよ」
 ドラムセットの中にうずもれるようにして座り、眼鏡を外して額から流れる汗をスポーツタオルで拭き取りながら、メグはおかしそうに笑った。
 俺もそれに肩をすくめて苦笑を返したが、正直いつも通りに笑えている自信はない。
「まぁ、ムツに命令された通りちゃんとこいつを毎晩抱えてたし。平気だろ」
「うーん……技術的な部分を心配しているんじゃなくて、何か様子がおかしいから不安なんだけどな」
「――」
 少し、閉口する。
 顔に出てしまっていたか。俺らしくもない。いつも冷静で無表情、取り乱すことが決してないのが俺の数少ない個性だろ、それなのに。
「……遅めの夏バテかな」
 再び肩をすくめて、俺は言った。
「ユキ、季節ずれてんぜ! まー、こんなもん買ってる俺が言えたことじゃないけどな」
 そこへ、ミキと出かけていたムツが、赤いシロップのかかった山盛りのかき氷片手に騒々しく帰ってくる。すぐに二人とも放置されていた楽器を抱えて、練習は再開され俺とメグの会話はそこで打ち切られた。
 最後の練習をしている間も――俺はずっとぐるぐると考えていた。
 果たして。
 果たして、俺がこの学校を去ると知ったら、この三人は一体どんな反応をするだろうか? 寂しがるだろうか? 悲しむだろうか? それとも飛び上がって喜ぶだろうか?
 俺が転校を打ち明けることを躊躇ってしまうのは――もしかしたら、それが怖いからなのかも知れなかった。
 担任の口から告げられることを拒んだのも、あるいはそういう思いがあったからなのかも知れない。
 三人がどう思うか知ることが怖い。
 これまでずっと、同じ部活の練習チームメイトとして一緒に過ごしてきた仲間。奴等は俺の転校をどう捉える?
 もし――もしも、だ。
 そんなことがあるとしたら、俺は――
「……おう、今行く」
 ふと気がつくと、ムツが軽音部室の入り口のところで木之本相手にそう返事をしていた。ついに俺達の出番が来たのだ。
 このステージを終えれば、俺の男子校生活もほぼ同時に終わりを迎える。
「よしっ、お前等! 出番だぜ!」
「待ってましたっ。待ちくたびれちゃったよ」
「上手くできるといいけどなぁ」
「……」
 ムツとミキはそれぞれフライングVとジャズベースを片手に、そしてメグはドラムスティックを手に、最後に俺が、短い間だったが相方となってくれたレスポールスペシャルの国産コピーモデルを手に――控室となっていた軽音部室を後にした。
 全員そろいの、制服のスラックスと黒いポロシャツ、それぞれ色の違うネクタイ、そして俺だけ上にワイシャツを羽織る、という姿で。
 目指すは体育館。

 結局、転校することを言い出せないまま、俺は学園祭の最後のステージへと向かう。


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