* * *

 軽音部に所属する中等部の先輩達のライブを少し舞台裏で見学しながら出番を待ち、すぐに順番は回ってきた。俺がバレー部員として一年半を活動してきた体育館は、窓に暗幕がかけられいつもとは全く異なった表情を見せている。袖幕から楽器を抱えて舞台の中央へと出て行けば、二階部分のギャラリーから舞台照明でまっすぐに照らし出され、その眩しさに目が眩んだ。
 舞台上に設けられたスタンドに、俺もムツもミキも自分の楽器を一度立てかけ、そこへ舞台袖から木之本がアコースティックギターを持ってやってくる。それを手渡されたムツはチューニングをし、その間俺達は軽音の部員によるバンド紹介を聞きながら、マイクの位置調整なんかをしていた。
「オッケー。やろうか」
 準備が整ったところでムツが言い――バンド紹介に対する拍手がやんだところで、こつこつとアコースティックギターのボディーを叩き、一曲目をスタートさせた。
 俺達の一曲目は、シングルの隠しトラック「シャドー」。
 深いようで全然深くない歌詞を、ムツがかき鳴らすギターとミキが叩くタンバリンの音に合わせて、四人全員が舞台の中央に集まって歌えば、客席からは笑いが起こった。
 やっぱり俺達は芸人だからよ、ちょいと笑いも取っておこうぜ――そんな馬鹿を言ったのは、いつもの如くにムツだったか。
 歌いながら、隣に立って歌うムツの表情を横目で伺う。
 もう、一年半も隣で見てきた、鬱陶しい馬鹿丸出しの笑顔だ。
 反対側の端を見れば、そこではミキが、身体中のあちこちを使って馬鹿笑いしながらタンバリンを打ち鳴らしていた。
 出会った当初思わず陥落しそうになった、愛らしい笑顔。
 この笑顔達にも、俺は本当に、別れてしまう。

 ――なのに――

 一曲目は終わり、俺達は舞台上に散らばって定位置につく。ドラムのメグが最奥、ギターのムツが俺の左手側、ベースのミキが右手側、……中央はギターボーカルの俺。
 二曲目は、シングルのカップリングから「ホリデイ」。
 俺もずっと家で練習を続けてきた一曲だ。

『失敗しない 後悔しない 人生がいいな
 少し考えてみただけさ 有り得ないって解ってる』

 ――俺は――

『貰った花 色とりどり ちゃんと咲いたよ
 いつまでも続けばいいな これは夢だって気付いてる』

 二曲目の「ホリデイ」も終わってしまい。
 残すは、最後の一曲のみになってしまった。
 客席からまばらに聞こえる拍手の音の中で、俺は熱い照明のせいで零れ落ちた汗を拭う。左隣ではムツが客席に手を振っていて、右のミキは照れくさいのか背を向けていて、後ろを振り返ればメグが俺と同じように額の汗を袖口で拭っていた。
 それからムツが、メンバー紹介を始める。
 まずは俺、ギター担当の中等部二年B組・野瀬睦。
 次にベース。二年C組・服部実紀。
 そしてドラムは、二年B組・浜野恵。
 呼ばれるその度に、客席から拍手が起こる。
「最後、頼れる我等のギターアンドボーカル! ――」

 ――俺は。

 一体、何をやっているんだ?

「んでは、短い間でしたがお付き合いいただき感謝感激雨霰! いよいよラストソングです。メグ、よろしく?」
 ムツの、少々長くなったメンバー紹介の最後の台詞が体育館に響き――メグによる最後の一曲のオープンハイハット四連打が鼓膜を刺したところで、
「待って!」
 俺は、訳もわからず叫んでいた。
 出足をくじかれて、メグのドラムもムツのギターも、ミキのベースもばらばらに緊急停止する。滅茶苦茶になったラストソングの残骸が体育館を数秒の間満たして、それが消え、しばらく経った後で、客席がざわつき始めた。
 一体何が起こったのか、わからずに戸惑っているようだ。
 それは、舞台上の俺以外も同じで。
「……待ってくれ」
 俺はマイクに向かって、息を吹き込む。痛い視線が身体中に突き刺さるのを感じた。客席からも、舞台上からも。特に左側のムツからは、一体何をしたいんだよと言いたげな空気が伝わってくる。
 俺自身も、どうして演奏を止めてしまったのか、わからなかった。
 ただ、このまま――
 このまま、終わってはいけないと。
 何故か、強くそう思った。
「……えっと……いきなり、演奏止めちゃってごめん」
 少し思考してから、俺は舞台でも客席でもないところを見つめて、誰にともなく言った。
「さっき、実行委員の人が説明してくれたけど……俺達は、軽音楽部と有志バンドの発表の、最後のバンドです。それで……実は、終わりの時間まで、もう少しだけ時間がある」
 何が言いたいんだ。
 左から苛々しているムツ、右から不思議そうなミキ、後ろから不安そうなメグの視線を感じる。
「それで……よければ。みんながよければ、もう一曲――俺以外の、このバンドのメンバーのために、俺に歌わせて欲しいって思うんだけど」
 俺は言い切って、客席の反応を待った。
 しばらくの間戸惑っていた客席が、やがて暗闇の中でぽつぽつと拍手で答えてくれる。
 その音を全身で感じながら、俺はようやくのこと、思い出した。
 嗚呼――
 この学校の、こういう雰囲気が好きで、俺はここに入学しようと思ったんだ。
 昔のことすぎて、忘れていた。
「……ありがとう」
 言って、ギターのネックを握り締める。
 イントロを、奏で始める。
 躓きながら、何度も繰り返したギターリフ。
 それは今までの練習で、候補曲として練習してきていた曲の一つ。
 ムツとメグとミキが、訳もわからないままで俺のギターに音を重ねてくれた。元々やる予定じゃなかったのに、ずっと前から練習していたみたいに、音が一つの曲を構成する。
 俺は歌い出す。

『明日はとうとう 出発する日だ
 最後の夜なのに する事がなくて
 入りの悪い ラジオなんか聴いて
 調子外れの 口笛なんか 吹いていた……』

 BUMP OF CHICKENの、シングル「天体観測」のカップリング――
 ――「バイバイサンキュー」。

『上着もちゃんと カバンに詰めた
 切符も財布に入れた ついでにあのコの写真も
 今日のうちに皆に会っておこう
 これから しばらく ケンカもできない

 明日の朝 発って 丸一日かけて
 夢に見た街まで行くよ
 こんなにステキな事 他にはない だけど
 ひとりぼっち みんないなくて
 元気にやって いけるかな――』

 ここまできて、声を張り上げた。

『僕の場所は どこなんだ
 遠くに行ったって 見つかるとは限んない
 ろくに笑顔も作れないから
 うつむいて こっそり何度も 呟いてみる……』

 バイバイとかサンキューとか、簡単だけど。
 サヨナラすらろくに言えない俺からの――

『僕の場所はここなんだ
 おじいさんになったって 僕の場所は変わんない
 これから先 ひとりきりでも
 ―うん、大丈夫!
 みんなは ここで見守っていて 見守っていて――』

 ――精一杯の、意思だ。


『ひとりぼっちは 怖くない…』



……。


「……。……」
 歌い終えて。
 演奏し終えて。
 俺は軽く息を切らしながら、客席に広がる闇を見つめる。
 拍手は起こらない。
 それでいい。
 俺は言う。
「聴いてくれてありがとう。だけど今は、客席のみんなだけじゃなくて――誰よりも、ここにいる、このステージにいる仲間に、この言葉を贈りたいと思う」
 ムツもミキもメグも。
 何も言わない。
「……メグ。いつも色々と話、聞いてくれてありがとう。お前には愚痴ばっか言ってたような気がするけど、文句も言わないで笑って聞いてくれて、嬉しかった。ずっと心のどっかを支えてくれてたのは、メグだって思ってる」
 補助アタッカーのメグ――浜野恵。
「ミキ。……お前のおかげで、俺の男子校生活はずっとずっと楽しかった。多分、ミキがいなかったら、もっと早くに学校に来る気なくしてたかも。これからも、今まで通りの無邪気で元気なお前でいてください」
 マネージャー、ミキ――服部実紀。
「最後、ムツ。……お前のことは、心の底から本当に、マジで、真剣に、大っ嫌いでした。馬鹿だし、うるさいし、暴走するし、後先考えないし、人を平気で巻き込むし。だけど……自由奔放なお前のことが、俺は嫌いなどっかで、凄く羨ましかったです」
 セッター、ムツ――野瀬睦。
 こいつらと出会って、チームメイトになって、もう、一年半が経とうとしている。
 そしてその一年半に今、俺は、終止符を打とうとしている。
 終わらない音楽はない。
 始まれば、必ず終わりが訪れる。
 始まったから、だから俺は、終わるのだ。
 全てのものには始まりがあり、始まりがあるということは、終わりがあるということ。
 ただ、それが早いか遅いかの違いだけで。
 俺の場合は、早かったってだけのこと。
「……なんか湿っぽい雰囲気になっちまったな。ごめん」
 ステージの上で、似合ってないだろうけど、苦笑混じりに言ってみた。
 ムツの野郎は何を思って、俺をボーカルにすると言ったのだろう? 俺には、BUMPの藤原さんのような歌声もないというのに。
 だけど今は、ただひたすらに、感謝するだけだ。
 俺は体育館の闇をまっすぐに見据えた。
 ――俺の終わり。終演。終焉。最終回。――
 ギャラリーから向けられる舞台照明が眩しくて、その中で、叫べるだけ、叫んだ。

「それでは、ラストソング!」


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