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 迎えた十二月二十四日土曜日、冬休みの初日は、うっすらと雲が敷き詰められた空模様だった。お世辞にもいい天気とは言えないが、本日の主役たるムツが雪でも降るような天気を望んでいる以上、デートとはいえどこういう天気の方がいいのかも知れない。俺はといえば寒いのはとかく苦手ときているので、雨が降ればそのまま雪になりそうな冷気の下、今年の秋口に買ったダウンジャケットを羽織り首をすくめながら、ムツが待つ町田駅に向かうべく最寄の南林間駅から小田急線に乗った。ムツと彼女との待ち合わせ場所は彼女の学校最寄の横浜駅だというので、町田駅から横浜線に乗ってしまおうという寸法だ。
 約束の十分前の時刻に待ち合わせ場所に赴くと、俺同じく冬の装いに身を包んだムツが我ここにあらずといった様子で先に待っていた。コートのポケットに手を突っ込み、改札近くの壁にもたれかかってほんの少し上を仰いでいるだけで様になる格好をしているムツだが、特別力を入れてきた訳ではあるまい。こいつは適当に選んだ服装をしても、それがとんでもなく洒落っ気を出しているように見えるような奴だ。
「よ。流石に早いな、デートともなれば。落ち着かないのか?」
 いつもなら俺の後に来るのに今日は俺より先に来ていたことをそんな風に茶化して言ってやっても、ムツは「まぁな」などと曖昧に微笑むだけだった。いかんな、相当に上の空と見える。いつもなら同じように軽口を叩き返してくるところだ。
「……行くか、ユキ」
「……ああ」
 言って電車に乗ってからも、ムツは俺が話しかけない限りは終始無言だった。同じ部活の同輩兼練習チームメイトであるメグ・浜野恵やミキ・服部実紀にはこの話をしたのかとか、待ち合わせた後彼女とはどこへ行く予定なんだとか、何時まで一緒にいるつもりなのかとか、全てが終わった後で本屋に寄ってもいいかとか、そんなことを尋ねてやるとぽつぽつと返事を返すくらいで、あとは車窓の外を眺めてぼうっとしている。横浜駅まで残すところあと二駅くらいになると、折角空席があって座っていたというのに、落ち着かないのか早々にドアの方へと移動する始末だった。これは重症だな。
 彼女との約束の時刻は十一時だという。何も待ち合わせ場所に四十五分前に着く必要性はどこにもないと思うのだが、言って聞くような今日のムツではなかった。待ち合わせ場所、横浜駅の中央改札を出てしばらく行ったところにあるルミネの入り口付近に着いたムツは、やたらきょろきょろと辺りを見回したり、入り口の端から端をうろうろと歩いたり、柱にもたれかかって天井を仰ぎ深いため息をついてみたり、とにかく落ち着かない。これはもう駄目だな、完全に頭の中がピンクになっていやがる。俺はそんなムツのお目付け役となってしまい、待ち合わせ時刻までどこか本屋で時間を潰すという俺の完璧な計画はここにお蔵入りとなってしまった。せめて人の自由を妨害しないでいただきたいな。というかムツ、柱の周りをそうやってぐるぐる回るのはやめてくれないか、他の人に迷惑だから。
 が、待ち合わせの十五分前になり彼女がやってきたところで、俺はそうしてムツが落ち着かない様子だった訳を初めて、そして瞬時に知ることとなる。
「ごめんなさいっ、お待たせして――」
 言いながら小走りにやってきた彼女を見て、俺の目は点になった。とんでもないクラスの美人がそこにいた。二重でぱっちりとした大きな目、ムツと同じような明るい褐色の瞳、桜色とでもいうべき唇、肌は血管が透けて見えそうなまでに白く、黒い豊かな髪はふわふわと髪にかかっていた。全体的にすらりとして見えるのは、上品なくらいに短いプリーツスカートにヒールの低いブーツ、ファーのあしらわれたコートという格好のせいだけではあるまい――ムツよりほんの少しだけ高そうな背に細身の身体が、そう見せているに違いなかった。健康そうにうっすらと上気した頬、笑うとそこに小さくできるえくぼが愛らしい。ムツ共々見つめられ、俺は背筋が急にぴんとするのを感じた。
 ってくらい、彼女は魅力的な女性だった。ムツから聞いたところによると中学三年生、すなわち二歳年上の彼女は、その年齢以上に大人びて見える。そのあまりの美人っぷりに圧倒されながら、俺は今年の夏合宿にムツから聞いたこんな話を思い出していた。
「やっぱさ、同じ彼女にするなら美人で且つ可愛い子がいいよな!」
 練習合間の休憩時間中、である。
「白い肌と長い髪は欠かせない! 黒か、すっげぇ薄い茶か。もちろん染めてるのはなしな? あとは二重の目。黒目がちがベストだろ。瞳の色はまぁ、特別こだわらないけど……で、脚がすらぁっと長くてさ、腰はアレだ、きゅっとくびれてて……そりゃあもう、美人じゃなくちゃあな。あと、背が高いこと! 俺より五センチか十センチくらい高けりゃもう、うふふって感じですな」
 言い方が変態臭いぞ、お前。
 という俺の突っ込みを無視して、ムツはそれにしかしな、とこう続けた。
「しかしだ、問題がある」
「……何だ」
「俺は、自分より背の高い女が好きなのな」
「ああ。それで?」
「でも女は、自分より背の低い男は嫌いなのな」
「……」
「困ったもんだ」
 ……以上回想。
 すなわち、ムツの好みがそのまま具現化したような皆目麗しい女性が、目の前にいる訳である。
 しかも、自分より五センチくらい背の低そうなムツのことを、特別嫌がる訳でなく、どころか好いてまでいるようなのだ。これはもう、ムツじゃなくても頭の中がピンク色になるわな。
「俺達も今来たところです」
 約束の四十五分前から待っておいて何を言うか、と思ったが、言わないでおくことにした。それならよかった、とほっとした表情を見せる彼女に、ふと横を見るとムツの顔もわずか緩んでいる。……これはもう助からなさそうだ。
「ところで……そちらの人は?」
 言われてムツは慌てた顔をしたが、彼女が俺を示してそう尋ねてくるのは至極当然の運びだろう。説明の義務は連れてきたムツにあるので、俺はそうさせた後に頭を下げるだけに留める。あんまり彼女と話してしまうとムツの立場がないと思ったからだ。俺は今日に限っては単なる付属物である。
「えっと、こいつは俺の同級生で。ちょっと横浜に用があるからって、一緒についてきちゃって、」
 こら。
 勝手に俺の用事を作るんじゃない、お前が引っ張ってきたんだろうが。折角ついてきてやったのにそういう言い方をするか、お前は。もう二度と頼まれてやらないぞ。
「……まずかったですか? だったらとっとと追い払いますけど……」
 更には自分で連れてきたくせにとんでもないことを言い出すムツだったが、そんなムツに彼女は首を横に振ることで即答した。
「全然っ、大丈夫。いてくれていいよ」
 それは良かった。気遣いを嬉しく思う……ところだが、しかし俺はそうありがたく思うよりも先に、ちょっとした疑問に首をかしげた。彼女は今大丈夫と言った時に、というか俺がムツの同伴者だとわかった瞬間に、ほっとしたような顔をしなかったか? 何故俺がいることに彼女が安堵するんだろうか。もしも彼女に「その気」があるのなら――ムツはそれを望んではいないようだが――俺など邪魔者もいいところなはずだが。ムツと二人になると困ることが、彼女にはあるというのだろうか。
「えっと。どこ行きます?」
「貴方は、どの辺りがいい……?」
「俺ですか? えー……元町の方とか、ちょっと遠いけどみなとみらいとか」
「あ……なら、知っているお店で、少しいいところがあるの。どうかな……」
 歩き出したムツと彼女の後ろを二、三歩離れてついていきながら、俺はとある嫌な予感を感じていた。昔からいらない勘を所持している、それが俺だ。格好つけた言い方をするなら「虫の知らせ」ってヤツさ。


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