* * *

 いつの間にか年が変わって、あっという間に大会当日がやってきた。
「一年B組・十三番、二十一枚で勝ちです」
 記録係の先生にそう告げてから、一息つく。正月三が日の二日目、従兄弟の兄ちゃんにエフェクターを渡したついででしこたま練習に付き合ってもらったおかげかはさておき、冬休みが明けて二日目の大会で俺は予選を無事に勝ち上がり本選に突入していた。
「お疲れ様、ユキ。本選も順調だね」
「まだ一回戦、勝っただけだけどな……」
 本選の一回戦を大差をつけて勝ったため次の試合までかなりの休憩時間が生じた俺が、武道場の壁際でまだ試合をしている他の生徒を眺めながらぼうっとしていると、同じように試合を終えたらしいメグが話しかけてきた。年が明けても変わることのない無駄に優等生的な笑みに肩をすくめてから、俺はメグに聞いてやる。
「お前は? 一回戦」
「もちろん勝ったよ。もっとも、ユキみたいに大勝では全然ないけどね」
「そっか」
「でも、本当、ユキは強いね! ……予選、散らし取りで何枚取ったの? 百枚中」
「……六十七枚かな。確か」
「……鬼だね」
「そうなのか?」
「それは鬼だよ!」
 メグに結構な勢いで言われて、俺は閉口する。  確かに、学年百五十人を五人のグループにわけての予選・散らし取りでは、他の人があまりに取れないんでびっくりしてしまった。ちょくちょく俺の様子を観察していたらしいメグによると、奴等が弱いんではなく俺が相当に強いそうなのだが、実はそういうことはよくわからないというのが本音だったりする。まぁ、そう感じてしまうくらい俺が強くなったということで、ここは一つどうだろう?
 そうして予選で百五十人を三十人に絞った後、更にそこに敗者復活戦勝者の二人を加えて、三十二人で本選は争われている。トーナメント戦――一回戦を突破した今、あと四勝すれば、優勝だ。
 あと四勝、ねぇ。
「二回戦も大丈夫そう?」
「場の暗記がな……十五分じゃ正直きつい。相手が強かったら、一回戦みたいなボロ勝ちは無理だろうな」
「こんなに楽勝ムードなのに冷静だね、ユキは」
「どうだか」
 百人一首の試合中は「音」が何より大事で、特に上の句が読まれる直前に音を立てるのはタブーなため、俺とメグはこそこそと小さな声で会話をする。「名にしおはば逢坂山のさねかづら人にしられでくるよしもがな」――三条右大臣の歌が下の句まで読まれたところで、俺達の方へぱたぱたと一際小柄な姿が駆け寄ってきた。
「やっほ、ユキにメグっ」
「あ、ミキ。試合終わったの?」
 ミキだった。戦闘モードらしく、肩下まで長く伸ばした髪を今日はメグと同じようなポニーテールにすっきりと纏め上げていて、それをゆらりと揺らしてミキは口をへの字に曲げる。
「終わったけど、負けちゃったよっ。流石に本選は相手も強いよな」
「でも、予選は組で一位だったんだよね?」
「そうだけど……つーか、マジで相手が強すぎた。ありゃあちょっとやばいね、ユキ」
 先輩達を魅了してやまないキュートな笑顔が売りの超絶美人はそう言って、そんな普段とはかけ離れた難しそうな表情で俺の顔を覗き込む。何のことだ?
「あんまり余裕ぶっこいてらんないかもよ? だって、メグが言う通り予選で四十枚以上取って本選に来た俺が――あっという間に二十枚差で蹴散らされちゃったんだぜ?」
「……」
 黙り込んでしまう。
 そうか、それだけ強かったミキが……ってことか。俺が一回戦で突破した相手は、予選で三十枚ちょっとしか取れなかった相手だったと試合後で聞いた。その上をいく強さのミキに、俺と同じくらいに大差をつけて勝てる、奴?
「ふーん……優勝候補だね、それは」
「だろ、メグ? ……しかも、ただの優勝候補ってだけじゃ、なさそう、なんだよなぁ」
 何かもったいぶった口調で、ミキは俺とメグに向かって言う。
 お互いに顔を見合わせた俺とメグの内、ミキは俺を見て、ちょっと作り物っぽい神妙な面持ちでこう告げた。
「ユキ――正直、相当、やばいと思うよ?」
 俺がその「やばい」の真意を知ることになるのは、もう少し後のことだ。

 全ての組で一回戦が終了し、五分間の休憩時間になった。
 この間は武道場の隣にある体育館で散らし取りを遊んで(?)いる予選の敗者も休みになるから、体育館棟は久々の騒がしさを取り戻す。ついでに体育館棟からの退出が許可されている時間でもあり、メグとミキはそろって昇降口まで自販機に飲み物を買いに行った。仲のよろしいことで。
「よぅっ、ユキ! 元気ですかマイハニー♪」
 武道場を出て廊下のところで天井を仰ぎ一人退屈していると、久々に訪れた俺の最高な退屈を全くもって台無しにする大声で、誰かがそう声をかけてきた。誰か確認する前に、俺は近寄ってきたそいつへ振り向かないまま脚を繰り出す。
「うをっ!? ……おいおい、いきなり蹴るってそりゃあないんじゃないのか? 可愛い顔のクセにやることは極悪だな、ユキ嬢」
 俺の蹴りを見事に膝に喰らったそいつ――ムツは、今となっては忌々しいだけでしかないその極上イケメン面に馬鹿丸出しの間抜けな表情を浮かべた。俺はその面をありったけの憎しみを込めて睨みつける。
「整った顔立ちのクセして馬鹿なことばっかり言ってるどこぞの間抜けよりはマシだと思うけどな? なぁ、ムツ殿下」
「うっわ……何かすっげぇ久しぶりにユキの猛毒を聞いた気がするな。剣呑剣呑ー」
 俺の台詞を猛毒とわかっていながら、ムツは涼しい顔でのん気にそんなことを言ってのける。それがますます俺の苛立ちを増幅させるから、もう自分でもこの沸きあがる憎悪をどうしていいかわからないんだが。
「……まーまー、そんな凶悪犯罪者みたいな顔するなよ? マジで可愛い顔が台無しですから、ね?」
「いい加減黙れよホストのなり損ない。……可愛くないって何回言ったら理解するんだ? 優秀な脳みそだな」
「……俺が挑発したからってそうもあからさまに怒るなよな……まぁ、機嫌直してくれよ。いいもんやっからさ」
 そう言うと、俺のにっくき宿敵はハンサムスマイルを惜しみなくその端整な面に浮かべて、俺に一枚の紙切れを差し出してきた。見た感じルーズリーフの半分をたたんだものだ。何だこれは。絶縁状か? それなら喜んで受け取るけど。
「似て非なるものかな?」
 と、ムツは密やかな笑みで褐色色の瞳を染める。
「まだちゃんと、宣戦布告してなかったからなー? 決闘申込状、召集令状の赤紙、果たし状、そんなところでどうだよ――まぁ、兎にも角にもいずれにせよ、振り仮名は『ラブレター』と振ってくれ」
「……」
 この時俺は、多分もの凄く嫌な顔をしていたと思う。
「アイラブユー、ユキちゃんっ。ばいび」
 ムツは嫌がらせとしか思えない強烈な台詞を何の迷いもなく俺の顔面に投下すると、無理やりその紙切れを俺に握らせて颯爽と去っていった。丁度武道場から出てきた若い女性教師が、その後ろ姿にうっとりとした視線を送っている。全く、見てくれがよければ何でもいいのか、あんた等は。
「……最悪」
 その紺色ブレザーの後ろ姿が角を曲がって消えたところで、俺は呟いてから渡された紙切れを開いた。シャーペンで書かれた雑多な文字が形成している日本語に目を三回通して――俺はすぐさまそれをブレザーのポケットに突っ込むと思わず悪態をつく。
「……クソが!」
 ふざけやがって。
 何が果たし状で振り仮名がラブレターだ。
 馬鹿にするにも程がある。
 絶対に負けない。
 あんな奴に負ける訳にはいかない。
 まして唇など二度も奪われたくない。
 負けてなるものか。

 そんな意気込みが効いたのかどうかは知らない。
 知らないが、その後すぐに始まった二回戦で俺は爆発した。本選の試合形式は正式な競技かるた――場にある「自陣」と呼ばれる持ち札と「敵陣」と呼ばれる相手の持ち札、それぞれ二十五枚ずつで合わせて五十枚を争い、先に自陣の二十五枚をなくした方が勝ちとなるのだが、二回戦で俺は読まれた札を二十五枚全て先取して、ストレート勝ちをしてしまったのだ。
 信じられないことだった。自陣の札を取るのは然ることながら、俺は敵陣の札も取って取って取りまくり、その取った分だけ自陣の札を敵陣へ「送った」ため、あっという間に自陣の二十五枚は消失した。一回戦をそれなりに余裕で勝ち上がってきたらしい相手は唖然としていた。そりゃそうか。
 自分でも信じられなかったが、その好調は更に三回戦、四回戦でも続く。
 三回戦は難なく相手に十枚以上差をつけ(これがいわゆる「束勝ち」。ここまで俺は全ての試合を束勝ちで収めてきた)、続く四回戦……すなわち準決勝でも、何度か危い場面はあったものの、九枚差をつけて勝利を収めた。
「凄いね、ユキ」
 準決勝が終わって決勝までの五分間の休憩中に、三回戦で敗退してしまったメグが声をかけてくる。実に感慨深そうな物言いだった。
「たくさん努力してたのも知ってるし、相当強くなったのも知ってたつもりだったけど……まさか本当に決勝に行っちゃうとは思わなかったよ」
「おい」
 あれだけけしかけておいて言うことはそれか、メグ。
「いや、もちろん決勝に行ってもらうつもりで、僕も色々ユキに協力してきたんだけどさ……でも、ここまでほとんど束勝ちだろ? 準決勝だって九枚差だもんね。本当、ここまで強くなるとは思ってなかったんだ。せいぜい何とか決勝に行けるくらいだと思ってた」
「あのな……」
 期待されてるんだか、見くびられてるんだか。
「侮ってたんだね、多分。だからこそ……決勝、絶対頑張ってね、ユキ。それから……」
 メグはにこやかな笑みで俺にエールを送った後で、急に顔を曇らせた。何だ? それから眼鏡のレンズ越しに、憐憫に似た視線を向けてきて言う。
「……幸運を祈るよ」
 そこで丁度、休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 一回戦、二回戦くらいでは結構な人数が畳の上に座っていたというのに、ここまで来ると武道場には寂しいほどに人がいない。俺が一人上がりこんだそこには試合用で畳が二枚敷いてあるだけで、他には札を読み上げる先生と進行係の先生、審判係の先生がいて、そして彼等が座る座布団が何枚かあるのみだった。畳の上には百人一首歌がるたが置かれている。
 ……最もそれは、準決勝でも見た光景なんだけれど。三回戦までは試合数が多く全ての組で一斉に試合をしたのだが、二試合しかない準決勝は一試合ずつ別々に行なったためだ。
 よって俺は、これから決勝で戦う相手が誰なんだか知らない。
「……まぁいっか」
 先生達に頭を下げてから畳の上に上がる。その畳を近くからビデオカメラが捉えていた。決勝戦の様子を体育館に中継するためだ。俺はカメラを一瞥した後できちんと正座をし直し、目を閉じる。精神集中精神集中。
 相手が誰であろうと、俺はそいつに勝つだけだ。
 勝って、優勝する。
 そう、自分の唇を守るためにも――

「よろしくお願いします」
 今のところ一番聞きたくない、普段聞き慣れた馬鹿にでかい声が聞こえた気がして、俺は目を開けた。
 それからすぐに後悔した。目を開けなきゃよかった何しやがる数秒前の自分と自分自身を心の底から恨んだ。驚きのあまりぽかんと口も開いてしまった。でも、何よりも開いていたのは目だったと思う。颯爽とやってきて畳へと上がり、俺の正面に座ったそいつが誰か――どうしても信じたくなかったから。
「よぅ、ユキ――」
 唖然とする俺の前で、そいつは片目を瞑る。
 絶対に気のせいだ。これは俺がとある境地に達したが故の幻覚だ。そうに違いない。つーか、そうであってほしい。そうであってくれ、そうであってください、神様。
 けれど残念なことに、長い脚を綺麗にたたんで正座したハンサムフェイスの悪魔は、どんなに瞬きを繰り返しても俺の視界から消滅してはくれなかった。
「な……な、なんで、」
 震えてしまった声は、驚愕からか、それとも恐怖からか、わからない。
 ただ、この時俺は――
 ミキが「正直相当やばいと思う」と言った意味を。
 メグが「幸運を祈る」と言った理由を。
 ようやくのこと、理解しようとしていた。
 ……決勝戦の相手がただの強者なら、二人ともあんなことを言わない。
 そういう、ことだ。

「まぁ、ここはお一つお手柔らかに? ユキ嬢ちゃん」

 ムツは。
 野瀬睦は。
 そう言って、俺にうっそりとした悪魔の笑みを向けた。


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