* * *

 夫婦喧嘩は犬も食わないという言葉があるが、俺は丁度そんな感じで、例えば俺の周りで俺以外の人間がとある理由で争ったりしている時に、そこへ介入したりはしないようにしている。
 何故ならそれはそいつ等本人の問題だからで、俺みたいな第三者があれこれ口を出していいことじゃないと思っているからだ。もちろん正直口を出したいこともある。何せ自分の傍で知り合いがゴチャゴチャ揉めているのは目障りだ、のんびり本を読むこともできやしない。俺が口を出してどうにかなることなら、何としても割り込んで彼等の間を取り持ちたいところである。
 ところが俺がそれをしないのは、よっぽど上手く立ち回らないと彼等の間を取り持つどころか余計にこじれさせてしまうことの方が多いということが身に沁みてわかっているからだろう。さっきアキから相談を受けた時のことを書いた時にもちょっとばかし触れたが、俺と妹が当たりつきアイスのラスト一本みたいなくだらん理由で喧嘩になった際、間に母親が入ってきてどうにか解決するのは、そうして介入してくるのが他でもない母親だからである。これが母親以外……例えばこれまた前出の従兄弟の兄ちゃんだったり、親父だったりしたらそうは上手くいかないだろう(うちはカカァ天下なのだ。親父が俺達兄妹の喧嘩に口を出した場合は、まず間違いなく俺も妹も「うるせークソ親父!」となるだろう。特に妹)。
 よって、身近なところで諍いやいざこざが起こった場合、俺はどちらの側にもつかず常に中立に立ち続けることをモットーとしている。どっちに非があるか意見を求められても静かに首を振るし、ましてどちらか一方だけにアドバイスをするなんてもっての外なのだ。
 それが俺という人間の――忌々しいあのイケメン面の台詞を借りるなら、生き様である。
「ま……要するに、ああしてアキからの相談に乗っちまったことは、俺にとってとんでもなくイレギュラーだってことですね」
 五時間目の授業を受けて放課後、掃除を終えて一人校舎内を体育館棟へ移動しながら呟く。チームメイトでもあり同時にクラスメイトでもある野瀬睦、通称・ムツと浜野恵、通称・メグとは同じ掃除場所の担当だが、じゃんけんで負けて特別教室の鍵を職員室へ戻しに行っていたため、一人だけ部活に行くのが遅くなってしまった俺という図だ。
 しかしながら、今日に限ってはそうして一人だというのは都合がいい。
「さてさて……果たしてこの行動は俺らしいのか、それとも俺らしくないのか」
 渡り廊下を渡って体育館棟へ入る。外の通路を歩いてから建物の中に入り、着替えようかと部室棟の方へと歩みを進めた。
 その途中で。
 案の定、カナと遭遇した。
「……よ、カナ」
「……ユキか」
 カナ――こと、佐渡要一。昼休みにアキが図書館で話していた、ひょんなことから喧嘩をしてしまったという幼馴染である。たった今部室で着替えてきたところなのか既にジャージ姿で、手には水筒とスポーツタオルを持っていた。これから体育館へ行ってばりばり練習する気満々といった感じだ。
 そんな佇まいとは裏腹に、何のやる気も窺えない仏頂面のような無表情。俺の知り合いの忌々しいイケメン面ほどではないにしろ割かし整った顔立ちをしているのだから、笑顔の一つや二つでも浮かべれば結構様になるだろうと思うのに、俺が手を翻して軽く挨拶してもにこりともしない。こいつについてはそれがデフォルトなので、俺もあまり気にはしないのだが……逆に、表情豊かなカナというのも想像を絶するしな。
 表情がころころと変わるアキとはそういう意味で対照的だ。茶髪と黒髪、裸眼と眼鏡、小柄と長身、饒舌と無口、可愛いと格好いい。思い返してみるとそういえばアキとカナは正反対な印象である。
 幼馴染でなかったら関わりようもないんじゃないかと思うくらい、それはもう見事に。
「あるいは……ちょっとしたことで口論になってもおかしくないくらいに、とか」
「?」
「いや、何でもない。独り言」
 俺は独り言が服を着て歩いているような男だからしてな、と無表情のまま五ミリ程度首をかしげたカナに肩をすくめて答え、「そんなことより」と話題を変えようとする。
 もしここで会えなくても後で隙を見て話すつもりではいたけれど、思った通りこのタイミングで会えたことだし、聞いておくか。
「ところで、ちょっと小耳に挟んだんだけどさ。……お前とアキとがちょっと喧嘩したって、本当?」
「喧嘩?」
 出会い頭からカナにそう尋ねたのには訳がある。
 さっきも説明した通り、俺の立場というのは基本的に中立だ。どちらかの肩を持つことなんてしないし、どころか二者の間に介入しようとも思わない。それなのにどうしてこうも積極的にアキとカナの仲に口出ししようとするのか? と当然疑問に思われる方もいるだろうが――逆にこうしてカナにも声をかけるのが、俺なりの中立の保ち方なのだった。
 ほとんど一方的に話を持ちかけられたのはそうだが、アキだけから話を聞くんじゃ不公平だろ、という訳である。
 アキから相談を受けたからには、アキの喧嘩相手たるカナからも話を聞かないと公平じゃない……と、そう思ってのことだった。どちらの意見も聞いた上での中立。それが俺の、生き様というか、スタンスである。
「うん。喧嘩っていうか……口論っていうか。それで今、ちょっと気まずいみたいな」
「……別にそんなことはないが」
 てっきりカナの方からも「実は……」と言われると思っただけに、全く身に覚えがなさそうなカナの発言に俺は少々面食らうことになった。
 何だって、別にそんなことはない? つまりさっきアキが話していたアレは、冗談か何かだってことか?
「……いや。確かに何日か前に少し言い合いにはなったよ。でも、そんな大した内容じゃなかったし、少し言い合いになっただけで最後はどちらからともなく引いたからな」
「……はぁん」
 何となく話が読めたような気がした。
 つまり――二人が何らかの原因で口論になったことは事実なのだが、それについて心の中に未だわだかまりを抱えているのはアキだけ、ということらしい。カナの中では、その件に関しては既に決着がついたことになっていたようだ。
 とすると、アキは相手のいない土俵で延々一人相撲を取っていることになる。こうして話を聞いてみた限り――無表情だからどうにも判断が難しいけれど――カナの方はその口論について、ほとんど気にしていないみたいだ。気まずいとか言っていたのはアキの気のせいだろう。何せカナはこの通りの寡黙な男だから、無表情で黙りこくられたら俺にとっては普通の状態の時でさえ話しかけにくい。
 それが、まして喧嘩した後となれば、いくら幼馴染であったところで気まずいだろう。
「そっか……いや、実はさ。今日の昼休みに図書館でアキと会って。何かお前と口論になっちゃって、それ以来何だか気まずい、みたいなことを言ってたんだよ」
 本来の俺からすればここまで深く介入するのはタブーだが、そう揉めている訳でもなさそうだし、だったら二人の仲直りを少しばかり早めてやろうと、俺はそう気まぐれを起こした。
 相変わらず表情筋をぴくりとも動かさないカナの、恐らく読み取れやしないだろう感情を読むように眼鏡の奥を窺う。
「だから、さ。良かったらちょっと、アキに声かけてやってくれないか? 何かあいつ、一人で気ぃ張っちまってるみたいでさ。自分からは声かけづらいみたいなんだけど、お前から何か言ってくれればほっとすると思うんだよ」
「……そうか。わかった」
「ていうかカナ、おかしいとか思わなかったのか? あの能天気なアキがあれくらい――」
 と、俺は図書館の閲覧机に向かい合って落ち込んでいたアキの姿を思い出す。
「――しょぼくれてたら、お前なら多分気づくだろ。何か話によると、アキ、お前のこと避けてたみたいだし」
「……ああ、」
 ここで初めてカナは表情らしい表情を――少し眉根を寄せて、考え込むような、複雑そうな表情を浮かべた。
「……うん。実を言うとな、全く気がついてなかった訳ではないんだ。言い訳に聞こえるかも知れないけどな……彰の様子がおかしいっていうのは、察していた。どことなく避けられてるみたいだっていうのも、感じてたよ」
「そうなのか?」
「ただ……それを俺は、あいつが俺から距離を置こうとしているんだと思ってな。それなら、それを俺が引き止めるのもおかしな話だろうと、そう考えていた」
「……?」
 引き止めるのもおかしな話?
 よく意味がわからないが。
「いや。……日頃の俺達を見てもらえればわかると思うんだが、俺と彰、ほとんど四六時中べったりって感じだろ。もちろん幼馴染で、生まれた時から一緒で……今も近所に住んでいてクラスメイト、部活の同輩でチームメイトでもある、ってなったら、そうなるのも無理からぬというのはわかっているんだが、」
 久しぶりにカナが饒舌になっている。
「だけど、いつまでもそれじゃあ困る、とも俺は思っていてな。……これが男女なら将来的に結婚するとかいう可能性もあるんだろうが、同性じゃそうはならないだろう? そうするといつかは離れ離れになる時がくる」
「……はぁ。なるほど。まぁ、そうだろうな」
 ていうかカナ、アキが異性だったら結婚する気なのか?
 まさかな。
「その時に、俺が傍にいないと何もできません――じゃ困るだろう。だから、あいつが俺から距離を置こうとしているなら、それは悪い傾向じゃないと思っていた」
「……何か、親みたいなこと言うんだな、お前」
「生まれた時から――いや、生まれる前からずっと一緒にいてみろ。家族も同然なんだ。お前だってこうなるさ」
 カナは短く嘆息した。
「まぁ、ユキから話を聞いた限りじゃ、どうもそう楽観できる状況でもないみたいだけどな。……それにしても、彰もいつまでも俺にべったりじゃ良くないだろうし……距離を置こうとしているならそれを引き止めるのは筋違いだと、そう思っていたことは事実だ」
「だけど、アキは……」
「わかってる」
 カナはうなずかずに、口だけを動かしてそう言った。いつも無表情のカナだからこその、有無を言わせない感じの重みのある物言いだ。
「距離を置いている、それが彰の本意じゃないっていうなら……話をしてみよう。ありがとうな、ユキ。それから、すまなかった」
 感謝されてしまった。
 しかも謝罪までされた……ていうか、どうして謝られなきゃならないのか、実はよくわからないんだが。
「俺達のことで、色々と煩わせちまっただろう? それが申し訳ない、という意味だ」
 俺が怪訝な顔をしていると、カナはそうご丁寧に解説してくれた。こういう律儀なところが、カナのカナらしいところだと俺は勝手に思っている。きっとアキも、カナのそんな冷静でありながらも情に厚いところが好きなんだろう。
 しかし、どうにも傍目から見て、カナもアキもお互いのことを色々と気にかけ過ぎだと思うのだが……。
 本当、異性に生まれていたら将来的に結婚してたんじゃないかなんて思えてくる。いかに頭の中が絶賛ライトノベル色に染まっている俺とはいえ、その発想はあまりにも突飛な気はするけれど。
 夫婦喧嘩は犬も食わない、か。
 実は言いえて妙だったりしてな。
「別にそんなことはいいからさ。アキのこと、気にしてやってくれるか。悪いな」
 最後の悪いな、には、手を煩わせてしまったという気持ちの他に、こんな風に二人の仲に介入することになってしまって申し訳ないという思いも含まれていたように記憶している。
 いや、と言って軽く手を振り、俺とすれ違って体育館へと再び向かうカナの後ろ姿を眺めながら、それでも俺は何だか不安だった。
 いかに幼馴染で仲がいいとはいえ、本当にこの程度で修復できるならいいんだけどね。これ以上こじれたりしたら相当に厄介なことになるんじゃないか、とか思う。
 ここまで口出ししちまった以上、そうやってこじれた時にハイそうですかで済ます訳にもいかないだろうし……ふむ。あの二人なら大丈夫だとは思うが、万が一の時のために、一応手は打っておくとしようか。それもいいだろう。
 どうにも俺らしくないことをしているような気もするが、それを言うなら俺は気まぐれが服を着て歩いているような人間なのである。独り言が服を着て以下同文、と同じかそれ以上に俺のことを的確に表していると言えよう。
「……ひとまず部活はサボるか。後でメグとミキに詫び入れなきゃな」
 あのハイテンション馬鹿には入れる詫びはない。
 ……なんて呟いて俺も踵を返し、たった今カナが歩いていった方へと部室棟の中を引き返す。俺の中から、部室へ行ってジャージに着替え練習に参加する、という選択肢はすっかりなくなっていた。
 そうして部活をサボって行く当てがあるのかといえば、ある。
 どこか。

 特別教室棟の四階――第一音楽室、だった。


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