* * *

 案の定、今にも泣き出しそうだった空は体育館で練習している最中にますます暗くなり、午前中の活動が終わる頃にはしとしとと静かに雨が降り出した。
 テスト前最後の休日練習はバレー部の鬼監督の温情により、ありがたいことにも午前中の三時間で終了。早々にジャージから制服に着替えた俺を予告通りとっ捕まえたムツは、やっぱりブレザーの下に厚手のパーカーを着込んで校則に違反しながら、俺の手首をきつく握り締めて学校から連行しやがった。
 ムツは傘を持ってきていなかった。
 天気予報は見なかったのだと言う。
 仕方なく自分のビニール傘に入れてやって、俺とムツは今にも雪に変わりそうな冷たい雨の中を相合傘で歩いて駅へと向かい――
 そして。
「ふぅん……なるほど。カナとアキがまさかそんなことになってたとはな」
 俺からじっくりと話を聞くために、昼飯を兼ねて入店した駅前のファストフード店――全国的にも有名なチェーン店であるマクドナルドで。
 二人がけの席に俺と向かい合って座ったムツは、注文したビッグマックにかぶりつきながら俺の話を聞き終えると、まず最初にそんなありきたりな感想を言ってのけた。俺はチキンフィレオを齧りながら、次にこいつがどんな台詞を繰り出すのかを待つ。
 窓際の席。
 外の空気との温度差で窓ガラスがうっすらと曇っていて、外の様子がどうなっているのかは窺えない。路面を濡らした雨水が車道を走る車に撥ねられて立つ音だけが、今も雨が降り続いていることを店内の俺達に教えていた。
「で? お前はアキとカナに、それぞれ何て言ってアドバイスしてやったんだよ?」
「……。アキには、気まずいだろうけどひとまず謝れって。カナには、アキがどうにも気まずく思ってるみたいだから、ちょっと声かけてやってくれないかって。それだけだけど」
「ふーん……それだけ、ねぇ」
 意味深な口調で呟いたかと思うと、ムツはセットにしたコーラに手を伸ばしてストローで中身を吸い上げる。相変わらず表情は険しいままだった。
「たったそれだけをアドバイス、か。……ユキらしくねぇなぁ。お前ってそういうキャラだったっけ? 俺が知ってるユキっていうのは、周りで人が揉めていようが何だろうが『うるせーな。満足に読書もできないじゃねぇか』みたいに嫌そーな顔するだけで口出しはしない、そういう薄情なキャラだったはずなんだけどな」
 面と向かって薄情なキャラとか言いやがった。
 ……友達相手にそういう容赦のないことをずばずば言える神経というのは全くもって理解しかねるな。まぁ、こいつは出会った時からこんなだし、今更気にするほど俺は繊細でもないのだが。
「……うるせぇな。俺らしくないことしたっていうのは重々承知してるさ。それをわざわざ口にして馬鹿にすることはないだろ」
「馬鹿にしてる? 俺が? ユキを?」
 むっつりとした顔で俺が答えてやると、ムツはコーラをテーブルの上に戻して肩の上で両手を開いておどけるような表情を作った。こいつのこういう人を常に小馬鹿にしたような飄々としたところが、出会った時から嫌いだ。
「――別に馬鹿にしちゃいねーよ。ただ、人間、慣れないことはするもんじゃねーよなぁっつってんだ」
 ――へらへらしているようで、吐く台詞はかなり辛辣なところも。
 不真面目が具現化して歩いているような適当人間なくせして、言うことが案外鋭いところも。
 苦手だ。
「お前が二人にそれぞれどんなアドバイスをしたのか正確には、俺は全然知らねぇよ? 俺様はジェネラリストではあるけど、生憎超能力は使えないからな――だけど、お前っていう奴が、そういう人間関係についてエラソーにアドバイスできるほど精通しているんじゃないってことは知ってる」
「……何が言いたい」
「よくわかりもしないで横槍入れんなって言ってんだよ」
 一切の容赦なく。
 ニヤけた微笑のまま、厳しいことを。
「中途半端に余計な口出しはすんなって――そう言ってるんだ」
「……別に、俺は」
 こういうことを言い出した時のムツに言い訳などするだけ虚しいとわかっていても。
 痛いところを突かれれば、俺も傷つくのが何よりも怖いただの人間であるからして、つい保身に走ってしまう。
「俺はただ……そんな大した問題でもなさそうだし、俺が相談に乗ることで丸く収まるならいいかと思っただけで、」
「俺が相談に乗ることで丸く収まるだって? 言ってくれちゃうねぇ。だけどよ、ユキ。……お前そんなこと言っておきながらさぁ、人の関係に口出しできるほど人生経験豊富な訳? 何? お前に相談すればどんな喧嘩だって丸く収まるっていう素敵な統計の結果でもあるんか?」
 人嫌いで厭世家気取りのくせして。
 わかったようにアドバイスとかしてんじゃねーよ。
 短く鼻で笑い、ムツはそんなことを言う。
「ろくに人と喧嘩したこともないような奴が、他人の揉め事に口出して上手くいく訳があるかよ。別に、お前が人脈豊富で喧嘩の仲裁とかに慣れてるんだったら何の文句も言わねぇよ? だけど、ユキは違うじゃん。人の口論に割って入るどころか、人と衝突なんか死んでもしないような事なかれタイプじゃないかよ、お前は」
「……それは」
「そんな不慣れな奴に相談なんかしたアキもどうかと思うけどさ。……だけど、それに乗せられて調子乗ってほいほいアドバイスするお前も相当な馬鹿だと思うぜ。てめぇみたいに中途半端なのが、生まれた時からかれこれ十何年つるんでる奴等のいざこざに口出して、どうにかなるとでも思ったんか? 笑わせんじゃねぇよ。……余計こじれるに決まってんだろうがっ!」
 そして唐突に――
 ムツは拳をテーブルに叩きつけたかと思うと、マックの店内全域に響き渡るんじゃないかというような大声で怒鳴りつけてきた。
 実際、傍にいた客の何人かが驚いたようにこっちを振り返る。やめろ声がでかい、と言って止めようとしたが、怒りの導火線に火のついたムツはその時にはもはやとっくに手遅れだった。
「大体がな、俺はてめぇのそういう態度が気に喰わねぇよ。気に喰わないも気に喰わない、全然気に喰わねぇなぁ! 何だ、丸く収まればって? 二人の心の片隅にわだかまりが残ろうが何だろうが、ひとまず表面上収まってくれればそれでいいんか? これ以上こじれるようなことにだけはならないように、波風立たせないような、そういう卒ないアドバイスができればそれでオッケーなんか? ……それでいいと思ってんだよな、お前はな。何せ静かに読書できりゃあ後のことはどうでもいいんだもんな」
「お、い――」
「そういう適当でいい加減な態度で人様のいざこざに口出してんじゃねぇよ――ちゃんと二人の仲立ちできて、きちんと最後まで面倒見て、それでちゃんと解決できるんじゃなきゃ、例えアドバイス求められたところでほいほい相談なんかに乗るんじゃねぇ! ……ちゃんとお互いの間を取り持つことができないなら、例え放っておいたらもっと酷くなりそうでも、我慢して黙って見てろ!」
 こうなったムツは、もう俺の手には負えない。
 俺はただ、烈火の如く激しく怒りをあらわにするムツに、ひたすら怒鳴られるだけだった。
「丸く収まればいいとか波風立たなきゃいいとか、そういう生易しいモンじゃねーんだよ、人間関係っていうのは――友情っつーのはよ! お互い言いたいことも言い合って、時には喧嘩だってして、くっついたり離れたりを繰り返して、友情ってのはだんだん強くなってくるんだろうが! 仲良きことは美しきかな――表面だけ仲良くたって美しくも何ともねーわ、阿呆! そういう適当なムカつく価値観で、本気でぶつかり合ってる奴等の間に口出そうとか思い上がってんじゃねぇぞっ!」
「……っ! てめぇっ――」
 言わせておけば――言いたい放題言いやがって。
 思わず反論が口から出かかり腰が浮く。寸でのところで思い止まって握った拳を膝の上に戻した俺を、ムツは再度鼻で笑った。
「怒ったのか? 図星を指されて痛いか? はっ……つまり自覚はあったんだ? 自分らしくもないことをしてるって――てめぇが人様の人間関係にあれこれアドバイスできるほど経験豊富じゃない、事なかれ主義で放置プレイ万歳のカスみてーな人間だって自覚はあった訳だ? ……なのに何、頼られて調子乗ってアドバイスとかしちゃってんの?」
「……い……」
「しかも、やるならやるでちゃんと話聞いて、慣れてないなりにも二人の間取り持ってやりゃあよかったのに、そうしないとかよ――適当なこと言ってその場はごまかそうっていう、小ぎたねぇ魂胆が見え見えなんだよ」
 駄目だ。
 ここでキレたら――駄目だ。
 俺は必死で、湧き上がってくる反感に堪える。
「かわいそうだよなぁ、カナもアキも? そういう適当なあしらい方されて、その上余計にこじれちゃったりしてさぁ……っざけんじゃねぇぞ! テメーがそういういい加減な気持ちで口出しなんかしたから、あいつ等はもっとこじれたって考え方もできるんだからな! 俺は前からな――」
 俺は前から。
 ずっと前から。
 ムツは俺を睨みつける。
 ありったけの憎悪のこもった目で、俺を。

「――お前のそういう、中途半端なところが大嫌いだったんだよ」

「っい――」
 いい加減に。
 いい加減に、しろよ。
 いい加減にしろよこの野郎――!
「……!」
 ばん、と。
 思わず机を叩いて勢いよく立ち上がってしまったところで、ようやくのこと俺は我に返る。立て続けに大きな音の上がった俺達の席の方を、今度は付近といわずほとんど店内の目の届くところにいる客全員が振り返っていた。
 感情の赴くままムツを怒鳴りつけようとしていた俺はそんな風に視線を浴びて、やっとのことで喉から出かけた激情を呑み込む。
 そんな俺のことを、ムツは優雅に脚を組んで椅子にふんぞり返ったまま、不機嫌そうに腕を組んで軽蔑したような表情で見上げていた。
「ふーん、やっぱユキって沸点低いんだな。元々キレやすい奴だとは思ってたけど。まさかちょーっと痛いところを突いてやっただけでこんだけ怒るなんて……熱しやすく、冷めやすい? まぁでも、あんな痛いところ指摘されたら誰だって怒るわな」
「……お前、それ以上口開くんじゃねぇぞ」
 感情を押し殺した唸るような声でそう告げるだけでやっとだった。
「殺したくなってくる」
「ふーん。じゃ、殺せば?」
 口を開けば、俺の激情を煽るようなことばかりを言う。
 上等だ。
 お前が俺の中途半端なところが嫌いだったと言うなら――俺もまた、お前のそういう腹立たしい口の利き方が、ずっと前から大嫌いだったんだ。
「但し、お前に俺が殺せるんならな」
「……黙れ。死ね」
「黙れ? 死ね? あーあ、またそれだよ。論理的な言い返しができなくなったら、そーやって言い捨ててごまかせばどうにかなると思ってんだ。……だけど、それにしたってお前さぁ、他に何かこういう時に言えるもっとマシな言葉知らない訳? お前より頭悪ぃ俺が言っても説得力ないかも知れないけどさ、それ、すっげぇ頭悪く聞こえるぜ。殺すだとか黙れとか死ねとか、地獄に落ちろだとかさ。……そこらの脳みそ空っぽなチンピラヤクザが言ってるのとおんなじじゃん」
「――、帰る」
 もう我慢できなかった。
 食べかけのチキンフィレオを怒りに任せ無理矢理に口に突っ込んでから呑み込むと、それをコーラで一気に流して、そのドリンクカップを乱暴にトレイに叩きつけた。そのままトレイを持って早足で席を離れる。
 食べ終わったごみの回収ボックスにろくに分別もしないで全てを突っ込み、トレイを馬鹿でかい音を立てて所定の場所に叩きつけてから、俺は店を飛び出した。
 ――ムツは追いかけて来なかった。
 俺がごみを処分している間も、ただ黙って脚と腕とを組んだまま椅子に座ってこっちを睨みつけているだけだった。
「……のやろぉ……!」
 差したビニール傘の下、いくつもの水溜りを撥ねながら駅までの道のりを走っていく。まるでこれじゃあ俺があいつから逃げているみたいだとか、そんなことを考えて余計に腹が立った。
 否。
 実際、逃げているんだろう。
 俺はあいつに負けたのだ。
 痛いところを突かれて――図星を指されて。
 似合いもせず激昂してしまった。
 激昂するだけして――結局、最後まで何も言い返せなかった。
 これが負けでなくて、一体何だというのだろう。
「……ざけやがって……馬鹿。死ねよ、マジで」
 ふざけているのも、馬鹿なのも、マジで死んだ方がいいのも……全部、俺だった。
 全部ムツの言う通りだ。
 人嫌いで厭世家気取りのくせに、相談されて調子に乗って、ろくにできもしないアドバイスを、丸く収まればいい程度の軽い気持ちでして、結果的に余計にカナとアキの関係をこじれさせた。
 いい加減で適当で、曖昧ではっきりとしない、何よりも中途半端な――俺。
 気まぐれが服を着て歩いているような人間が、そうして気まぐれにも口を出して、失敗した。
 何もかもが中途半端だったから。
「――っ、」
 頭ではそうわかっていても、それを認めるのはやっぱり腹立たしくて、俺は忌々しくそう呟くとぐっと傘の柄を握り締めた。
 ……ムツ。
 俺をキレさせるなんて、本当に馬鹿な奴だ。自分は傘持ってなくて、俺が先に帰っちまったら駅までの道で困るくせに。校則に違反してまでブレザーの中にパーカーを着込むくらい、寒いのは苦手なくせに――こんな冷たい雨の中、傘も差さずに帰る羽目になるなんて。
 だから、さっきまで俺の傘に入って、ウザいくらいくっついてきて、相合傘だった……くせに。
 本当に馬鹿な奴だ。
 だけど。
 だけどあんな奴――もう知ったことか。

「……馬鹿。あんな奴、もう知らん」

 丁度今朝、アキがカナに対して言っていたのと同じことを。
 雨の中、傘の下。
 俺は呟いた。
 吐き捨てるように言ったつもりが。
 声は震えていた。

 やっぱり、気づかない振りをした。


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