* * *

 時間の流れっていうのは意識しているほど遅いもので、それを学校で、その上授業中で感じる時っていうのは大概は放課後にちょっとしたイベントが待ち受けている時だったりする。逆に放課後に少々心の重い行事がセッティングされていたりすると、時間の流れをやたらと速く感じるもんだ。さて、今日の場合の俺はいかに?
 実に奇妙な気分だった。遅いような速いような、よくわからない不自然な時間の流れを感じた。メグが放課後にどんなことをしでかしてくれるのか興味がある一方、変な展開になってしまい挙句失敗するのではと思うとはらはらせずにもいられないのだ。
 メグと俺には多少似通った部分があると俺自身は思っているのだが、その言い表し難い心情にはそれがある程度関係しているのかも知れない。要するに、今のメグを通して、俺はいつかの自分自身をシュミレートしている気分なんである。俺のある種の化身たるメグが、一体どんな風にこのイベントを乗り切っていくのかを知りたいと思う反面、変に失敗してしまったら自分も将来そうなりそうで気が気じゃないのだ。
 他人事でありながら他人事ではない、か。自分で言っておきながらなかなか言い得て妙だ。
 とまぁ、前置きはこのくらいにしておいて、放課後。
「じゃあ、行ってくるよ」
 帰りのショートホームルームが終わって教室を出、まずメグが俺とムツに言ったのはそんな決意のこもった一言だった。
 ……つーかメグ、力入りすぎじゃないか。
「入ってません」
「入ってんだろ」
「入ってません!」
「って言ってるその言い方に力が入ってんぜ? ウケるー」
 ムツはけらけらと笑っているが、その傍らでメグはにこりともしない。重傷っぽいな。本当に明日から普段通りに戻ってくれるのか、相当に怪しい。
「まぁ、じゃあ行ってこいよ。場所は?」
「……とりあえず、学校の裏手に。あそこなら人も滅多に通らないし」
「わー、メグちゃんってば誘い出す場所が犯罪じみてるぅ! もしかしてそのままアブナイ大人の行為にレッツゴーしちゃうのぉぉ?」
「ムツ。……それ以上言ったら僕でも殺すよ」
 メグの口から初めて「殺す」という単語を聞いた瞬間だった。
 すげーびっくり……メグのボキャブラリーにも「殺す」なんて言葉があったんだな。
「嘘嘘、冗談だって。……それなら誰か見知らぬ奴に聞かれる心配もないな。ゆっくりじっくり話してこい! お前の思いの丈を叩きつけろ!」
「はいはい……」
「はいは三回ッ!」
「はいはいはい! それじゃあ、ミキによろしくね、行ってきますッ!」
 ムツにけしかけられ変なテンションで、メグはブレザーを翻しつつ階段ホールの方へ消えた。揺れるポニーテールが視界から消えるまで、俺とムツは互いに黙ってそっちの方を見ていたのだが、そこへ、
「やっほっ。ついに出陣したか、メグの奴っ」
 隣のクラスもホームルームを終えたようで、チームの中で一人だけ別クラスのミキが向こうからやってきて俺達の肩を同時に叩いた。メグが去った方を背伸びをしながら窺うが、もう見えないだろう。
「おうよ、行ったぜ」
 と、ムツはにやりと笑う。
 ……嫌な予感がする。
 こういう表情をする時のムツは大抵ろくなこと考えてないからな……。
「そして、俺達も出陣だ。メグが彼女にどんな話をするのか、これから現場へ直行して調査するぞ!」
 やっぱりな。そんなことじゃないかと思ったよ。
「……ムツ、まさかと思うが、さっきさりげなーくメグに逢引きの場所を聞いたのは、もしかしてそれが目的か?」
「は? 何言ってんのユキ嬢ちゃん? 俺がそれ以外で場所聞く理由なんざねーだろッ!」
 ねーのか。
「行きたい人ーっ!」
「はーい、俺行きたいっ! 隊長、超行きたいですっ!」
「よし、ミキは隊員一号に決定! さて、もう一人の隊員候補ちゃんはいかがかな?」
「お前等な……いかに他人事だからって、面白がるのもいい加減にしとけよ」
 行く気満々のムツとミキに、俺は深いため息と共に言った。これはメグと彼女の問題だ、俺達が興味本位で首を突っ込んでいいことじゃないだろうに。
 言われてムツは「何だよー」と口を尖らせ不満顔だ。
「ユキ、興味ねぇの? 相変わらずツマンネー男だな。そんなことだからろくに女子から声もかけられないんだぜ。……言っとくけどな、Cチームの面子で唯一誰っからも告白されたことがないのはお前だけだぞ、ユキ。メグにすら先を越されたってのを果たしてちゃんと自覚してるのか? そしてそれは、お前がそういうツマンネー男だからだということも!」
「っうぐっ……」
 厳しい指摘だ……!
 だけど、俺は負けない! 負けませんとも!
 そう、メグの恋路のためにも! 確かにこれから学校の裏手でなされるメグと彼女の会話には多いに興味があるけれども、自分の私利私欲で恋路を邪魔したりなんかするもんか! してたまるか!
「ふーん、強情だな。そーゆー融通の利かないところがいっちばんつまんねーよ、お前は。……こりゃあ、あと五年は彼女作るの諦めた方がいいぜ、ユキ」
「うぐぐ……」
「ていうかさ、そうやって真面目ぶってて楽しい? うわぁユキちゃんってばクール! とか言われたい訳? はん、くだらねぇくだらねぇ。そんなに冷めたフリがしたいなら一人で勝手にやってろよ。クール通り越してオサムイ男と呼んでやるよ」
「……行きたいです!」
 嗚呼、俺は汚れてしまった。本能のままに生きる野生動物になってしまった……。
 ついに欲望に負け絶望すら覚える俺の目前で、ムツは相変わらず元気いっぱいだった。
「そうそう、最初っからそう素直に言っときゃよかったんだよ。そうすればもっと可愛さもアップするのにさー。……ともあれユキも隊員二号に決定だ! そうとなれば、出発するぞ!」
「おーっ」「……おー」
 ごめん、メグ。でもこれは俺のせいじゃない、先に言っておくが俺が言い出したことじゃないからな。ただムツがどうしてもって言うから……あいつの暴走を阻止するのが任務の俺はついていくしかないじゃないか。そうだとも。俺は悪くないですよ!
 ……心の中で言い訳しながら、俺はミキと共に拳を掲げていたとか、いないとか。

 * * *

 学校の裏手は住宅地に面した細い道路で、メグの言った通り人はおろか車でさえ滅多に通らないようなところだ。学校の敷地とその道路とは緑色の防砂ネットで隔てられており、実は体育館の裏手からその通りを見ることができたりする。
「さてさて、うちのミスター☆平凡はっと」
 逆にいえばそれは通りから学校の敷地内が見えるってことだから、俺達は体育館裏の防災倉庫の陰に潜んでくれぐれもメグに見つからないように息を殺して、そっと通りを覗き込んだ。
 防砂ネット越しに、手持ち無沙汰な様子で佇んでいるメグの姿が見える。いい位置だ。ムツが少し身を乗り出した上から俺が同じように頭を出し、更にその上からミキが覗く。今から思えば、そんな俺達三人は端から見ると非常に怪しかっただろう。まぁ、怪しいの一言で正解だが。
「あ、来たっ」
 ミキの呟き通り、視界の片隅から小走りで今朝の彼女がやってくるのが見えた。あっ、とメグが気がついて、軽く手を上げながら声をかける。
「そんな、走ってこなくても良かったのに」
「ううん、それより、待たせてごめんなさい」
「あー、いや。待ってないよ。うん、全然待ってない」
 嘘つけ、もう十分くらいはそこで挙動不審やってたくせに。
「おっ、意外と聞こえるな」
「裏を返せば、俺達の声も下手したら聞こえちゃうってことだよっ。ムツ、いきなり変な雄叫び上げたりすんなよっ?」
「アイサ」
 ムツとミキが、俺を挟んで小声で会話する。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……手紙、読んだよ」
 黙ったままお互いにいーい感じで見つめ合い、一体いつになったら話を始めるんだと俺が焦れ出した頃、やっとのことで一言メグがそうとだけ言った。彼女の方はそう、と小さな声で答えただけで、ちょっとの間沈黙を経てからまたメグが、
「えっと。うん……気持ち、嬉しかった。ありがとう」
「……」
「あの……実はこういうのは初めてだったりするから、色々混乱してるし、何をどう言ったらいいのかわからなかったりするんだけどさ。でも、うん、君の気持ちは凄くよくわかったよ。まずは、好きになってくれて――ありがとう」
「えっ、そっ、そんなっ」
 メグのストレートな言葉とよどみのない笑顔に、あからさまに顔を赤らめて狼狽する彼女。
 青春だねぇ。
「えっと、そ、それじゃあ……」
「だけど、付き合うかの返事は、とりあえず保留ってことじゃ駄目かな」
 明らかに期待のこもった視線を向けられても、メグは意外と平常心を保てているようで、落ち着いた様子で言った。
「ほ、保留……ですか?」
「うん。って言っても、無期限に先延ばしするってことじゃないよ? そうじゃなくてさ、」
 ムツに言われたことを思い出すように一瞬目を閉じた後、軽く一呼吸置いて、
「手紙、読んでて思ったんだけど……よくよく考えたら、僕はあんまり君のこと知らないんだよね。あ、もちろん手紙には君のこともちゃんと色々書いてあったけどさ! だけど、君がどこの誰でっていう外回りじゃなくて、その。もっと、君がどんな人なのか――君がどんな性格で、どんな考えを持っていて、どんなものが好きでって、そういうところを、思えば全然知らないんだよ」
「……、はい」
「で、多分なんだけど、君の方もまだ僕について何もかも知ってる訳じゃあないと思うんだ。そんな状況で、いきなり付き合うっていうのもどうかと思ってね。あ、もちろん、とりあえず付き合うことにして、それからだんだん知り合っていくっていうのも悪くないとは思うんだけどさ」
 彼女は真剣な面持ちでメグの話を聞いていた。
 いいぞ、メグ。いい感じだ。
「でも、僕はどちらかといえば、そういう風にはしたくないんだよ。あんまり知らない相手を易々と恋人にするのは、ちょっと気が引ける」
「……えっと、じゃあ……」
「だから、君のことを知りたいんだ」
 雲行きが怪しくなったと思ったのか眉を情けなくハの字にした彼女に、メグは最強に穏やかな笑顔と口調で言ってのけた。
「折角僕を好きになってくれたっていう君のことを、もっとよく知りたいって思う」
「……」
「ついでに言えば、君にももっとよく、僕を知って欲しいんだよ」
「……」
「やっぱり、付き合うくらいなら――ちゃんとお互いを知って、愛し合いたいって思うからさ」
 甘ーいっ!
 甘いよ、メグ!
 蕩けそうだよ、甘々だよ!
「……メグって実は、すげぇことを素面でさらっと言えちゃうタイプだよな」
 俺と同じことを思ったらしいムツが、ぼそりと呟いた。ちらっと俺を振り返った顔がうっすら赤くなっている。そうだよな、聞いてるこっちが赤面モノだよ、こりゃあ。
「ということで」
 ぱん、と一つ拍手を打ってメグはそう台詞を繋げた。
「デートをしましょう」
「……はい? で、デート、ですか?」
「うん。駄目?」
 俺達と同じかそれ以上に面食らって何も言えないだろう彼女に、そんな有無も言わさない強引な誘い方は時に結構頼もしく見えてたりしてな。
「一日でそんなにお互いを知れるかっていうと、それもまた疑問は残るんだけど……でも、このまま付き合ってしまうよりはいいと思うんだ。二人で休日にでもどこか出かけてみるのはどうかな? きっと、お互いの色んな面が見えてくると思うんだよ。一回、お試しみたいな感じでさ。どう?」
「ど、どうって……」
「あ、お試しって言っても、もちろんそんな軽い気持ちでじゃないよっ? 僕なりに、誠実に応対するつもり――ってぇっ!?」
 メグの驚いた声が学校の裏手に響いた時には、体育倉庫の陰の俺達も同時に面食らっていた。
 驚かざるを得ないだろう。だって、今まで緊張の面持ちでメグの話を聞いていた彼女が、いきなりメグにボディアタックをかましたんだぜ?
 言い方を変えれば、胸に飛び込んじゃったんである。
 おいおい、大胆すぎるだろって。
「あ、あの、」
「浜野君っ」
「はいっ、何でショウっ!?」
「凄く好きですっ」
 やべっ……超青春だ。
 見て聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらい青春だ。
「凄く、凄く、嬉しいです。私でよければ、是非、お願いします」
「えっ、あっ、はい! お願いされましたっ! ――って、いいの!?」
 胸のところに抱きつかれたままうろたえているメグがまた初々しいね。
「僕だって朝から考えさせてもらったんだし、もう少し考えてから返事くれるんでもいいんだよっ? 大丈夫? そんなに早く決めちゃって、後悔しない? 後から嫌になっても後の祭りだよっ?」
「あははっ」
 頬を薄赤く染めたままそっとメグの胸から顔を離して、彼女は本当に嬉しそな顔で笑った。鈴が鳴ってるみたいな笑い声だった。
「浜野君って、結構面白い人ね」
「な、な……ぁ、」
「大丈夫、絶対後悔しません。デートするの、凄く楽しみ。きっともっと、浜野君のこと好きになっちゃうな……浜野君にも、私のこと、好きになってもらえたら嬉しいです。よろしくお願いします」
「……はい、わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします」
 最終的にメグはカッチコチだった。呆気に取られた表情で何とかそう言ったかと思うと、後は信じられないといった様子で呆然としている。気持ちはわからないでもないね。
 可愛い笑顔であんなこと言われちまったら、多分地球上の男の八割は陥落するんじゃないか? こういう時は男女の不平等さっていうのをしみじみ感じるね。恋愛ごとにおいちゃあ、男っていうのはえてして女より弱いもんだ。
 女は弱いらしい。
 だけどそれよりもっと、男は弱いらしい。
「それじゃあ、連絡とかするよね? 携帯の番号とメアド、教えておきます」
「あっ、うん。ありがと。僕のも教えるよ」
 最後はそんな感じで携帯電話の情報を赤外線で交換し合い、二人は別れた。「絶対連絡してね。絶対ですよっ」と彼女は大変可愛い表情でメグに釘を刺すと、嬉しそうに小走りで去っていく。
 メグは遠ざかっていく彼女の姿を、彼女が住宅地の曲がり角を曲がっていくまで、呆然と眺めていた。
「……、よし、いくか」
 学校の裏手に元の静寂が戻り、中庭から部活動の喧騒さえ聞こえ出した頃、ようやくのことムツが口を開いた。その声に俺とミキもまたはっと我に返り、防砂ネットの向こうのメグを見る。青春真っ只中のミスター平凡は、尚も呆然実行中だ。
 防災倉庫の向こう辺りに、防砂ネットが一部破けた部分がある。バレー部の先輩から聞いた話によると、昔他でもない我が部のOBが秘密の出入り口として開けたもので、学校側には未だ知られていないため修理も施されていないらしい。ムツは倉庫の裏から出ると、その防砂ネットの裂け目から学校の敷地の外へ。俺とミキもそれに続く。
 防砂ネット外のつつじの植え込みをばきばきと破壊しながら不意に登場した俺達に、ようやくのこと我に返ったらしいメグがぎょっとした顔をした。
「よー、お疲れさん☆ どうだったよ、人生初の逢引きはさ?」
「……もしかして、見てたのか? さっきの」
「見たぜー、ばっちり見せてもらっちゃいましたよメグ兄さん。うっひょい、羨ましい! あーんな可愛い子に抱きつかれちゃってさぁ、青春だねぇ、くのくのくのー!」
 肘でメグを小突くムツははっきり言ってキモかったが、そんなことはどうでもいい。事の一部始終を俺達に見られていたと知って、メグは深いため息をついた後軽く頭を抱えた。
「そっか……そうだよな、そりゃあ見てるよね。うん、僕の認識が甘かったよ」
「いやー、さっきの彼女に対するお前の台詞ほどじゃねーんじゃねぇの?」
「……ムツ、本当によく見てたんだな!」
「『やっぱり、付き合うくらいなら――ちゃんとお互いを知って、愛し合いたいって思うからさ』。くーっ、甘い、甘いぜメグ兄さん! 格好いい! 男なら一回言ってみたい台詞ナンバーワンだな!」
「あああっ、もう忘れて! アレは忘れてっ!」
 メグは顔を真っ赤にして結構本気で恥ずかしがっていた。いや、お前はいい奴だよ。本当にさ。
「で、メグ、どうだったんだ。彼女との逢引きは」
「逢引き逢引きうるさいよ、全く……ていうか、ユキだって見てたんだろ。説明する必要なんかないんじゃ?」
「そりゃ見てたけどさ。お前の感想を聞きたいんだよ」
「……見てわからないかい?」
 メグは俺に対し腕を組んでみせて、短く息を吐き出す。一見すると怒ってるんじゃないかってくらい険しい表情をしているが、身体が微かに震えていて、何より顔が赤いままだ。眉根を寄せたメグはこう言った。
「死にそう」
 だろーな、メグよ。
「彼女のペースにならないように、彼女に振り回されないように、なるべく僕が話の主導権を持っていこうとしてたんだけどさ……最後の最後でやられたよ。ていうか、弱いね、僕は。心臓がまだばくばく言ってる」
「……なるほど」
「恋愛ってこんな面倒くさいものなのかって、凄く疲れて思ってる自分がいる一方で、反対にこの面倒くささがたまらなく心地いいって思ってる自分もいてさ。支離滅裂だよ。もう何が何やらさっぱり……ただし、一つ言えることがある」
 何だ、メグ。言ってみろ。
「彼女、かなりその……」
「おう、あの子がどうした?」
 ムツに聞かれ、メグは真っ赤な顔のままでぼそりとこう言った。
「…………僕のタイプだ」
 あっ、そう。
「……やば。マジで青春じゃん」
 ぼそりとミキが言った以外、俺もムツも、初めて目にするメグのそういう態度に、呆気に取られて何も言えなかった。
 つまりはこういうことらしいな。

「恋愛は人を変える」。
 これほど、その時のメグを的確に言い表せる言葉もないだろう。


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