* * *

 その日の夜、自室にて。
 その年いよいよ小学四年生になった生意気盛りの妹に「お兄ちゃん、アイス部屋に持ち込んで食べるのやめなよ。みっともない」とか言われつつもみっともなくベッドの上でアイスキャンデーを貪っていたところ、机の上に放置してあった携帯電話が唐突に着信メロディを奏で出した。
「はいはい、誰ですかー……ムツだったりしたら出ねぇ」
 ベッドから手を伸ばして携帯電話を引っ掴んで見ると、サブディスプレイに表示されていた名前は、

『浜野恵』

 ほう、メグか。メグが自分から電話してくるなんて珍しい。
 独り言で言った通り、これがいつものようにムツの無駄話オンリーで十分続く電話だったりしたら確実に出ないのだが、相手が相手故に俺は即刻電話に出た。
「はい」
「……ユキ?」
 電話の向こうから聞こえてきたほんの少しびくびくしているような声は、間違いなくあのエセ優等生面のミスター平凡・メグだ。
「ういっす。どした?」
「え、や、別に……ていうか、ちょっとビビっちゃったよ。ユキが電話出る時の『……ハイ』って言う時の声、何か怖いんだよなぁ」
 別にそんな怖い声で電話に出てるとは思わないけどな……。
 ため息交じりに苦笑する。
「別に怖くなんか言ってないだろ、普通だ普通。……どうしたんだよ、お前から電話してくるなんて珍しい。それこそ天変地異の前触れか? 特別用もなければ電話もメールも滅多にしてこない省エネ野郎がさ」
「省エネって……」
「で。そんなお前が電話してきたってことは、何か話があるんだろ」
 ほぼ毎日学校で会っている間柄とはいえ、電話で話すのは久しぶりのことだ。俺が尋ねると、メグはまだ若干ぎこちない話し方でこう答えた。
「話っていうか、報告、かな」
「報告?」
「うん。実はさ、」
 メグは電話の向こうでわずかに、話そうかどうか一瞬迷ったように黙ると、妙に緊張している感じのおずおずといった口調で再び喋り出した。
「……実はさっき、あの彼女に電話してきたんだよね。それで、決まったんだ。デートの日付と、行き先」
「へぇ。いつ? どこ?」
「今度の日曜日。できるだけ早い方がいいって彼女が言うからさ。行き先は、……ていうか地元なんだけど、横浜になったよ。彼女、新横浜の子でさ。近いしいいんじゃないかって」
「そっか」
 で。
 と、俺はアイスを少し舐めてから、何となく気になったことを尋ねてみることにする。
「それで、それを俺にわざわざ電話して話したのは何でだ?」
「えっ、駄目だった? ごめん」
「駄目って訳じゃないけどさ……俺に報告してどうするんだって。何? 惚気? ははは、お前、幸せそうでなかなかにムカつくぞ」
「ち、違うって。惚気てないよ」
「じゃあ何だよ。同じ話すならムツにしたら良かったんじゃないか? あいつなら、きっと自分から電話してでも聞きたがるぞ、お前の色恋沙汰」
「あのさ、ユキ。常識で考えようよ。……例えばユキが僕の立場でさ、自分の恋愛のことでムツに電話しようと思う?」
「……思わないな。そっか」
 例えば恋愛関連のことで話がしたい時でも、ムツに電話することはほぼ百パーセントありえないと思う。
「その点ユキは口が堅いし、何ていうか、話しやすいんだよね」
「いや、話しやすいとか関係ないし。俺に話して何の意味があるんだって」
「だ、誰かに聞いて欲しいんだよっ!」
「聞いて欲しいのか!」
 メグが激しくキャラ崩壊してきているぞ……。
 大丈夫かな。何か色々と。
「さっき電話した時、訳もなく滅茶苦茶に緊張しちゃってさ……まだ今もどきどき持続中なんだよね。で、ユキに話聞いてもらって、心を落ち着けようかと思って」
「俺はお前の精神安定剤か」
「い、いいじゃん。たまには僕の話を聞いてよ!」
「……いいけどさ……」
 口にアイスを入れたり出したりしながら、曖昧な言い方で俺は答える。俺やムツ、ミキが滅多にメグの話を聞かないのは実のところ本当なのだ。たまには話を聞けと言われると、それが惚気的内容であったところでどうにも断わりづらい。
 ていうか基本的に、メグが自分の話をしないんだよな……いっつも聞き手に徹してて。
 そんなメグが、珍しーく自分から電話、ねぇ。
「……恋愛は人を変える、か」
「え、何?」
「何でもないよ、ただの独り言だ。俺は独り言が服を着て歩いているような人間だからしてな……とにかく、聞いてやるから話があるなら話せよ」
「う、うん、ありがと」
 いや、礼を言われましても。
 むしろ、普段メグに聞き手ばかり任せている俺の方が謝るべきじゃないのか?
「あの、さ。えっと、それでね、ユキ」
「うん。何?」
「時に、ちょっと相談があるんだよね」
「……聞きたくなくなってきた」
 超マジになっている声色でメグにそんなことを言われると、どうにも耳をふさぎたくなるのはどうしてなのかね。悪いが、俺にも聞ける相談と聞けない相談があるぞ。
 つーか怖ぇよ。この電話超怖ぇ。
「……聞いてくれるって言ったじゃないか」
 メグが電話口で凄んでいる。
 怖いよー。恐怖だよー。
「……わかったよ。相談って何?」
「その、デートの当日のことなんだけどさ。僕は一体何をしたらいいのかな?」
「そこからかよっ!」
 つーか相談ってその程度か!
 てっきりデートするのに金がないから貸して欲しいとか、そういうもっとヘヴィな話かと思ってたのに!
「わっ、ユキ、声でかいって。耳が割れる」
「……悪ぃ……つーか、お前も悪いだろ。何だよ、一体何をしたらいいのかって」
「だ、だって本当にわからないんだよっ! デートというだけは言ってみたけどさぁ! ムツに勧められた時はなるほどなって納得しちゃったけど、思えば僕、そういうのって何したらいいものなのか全然知らないんだよね! どうしよう!?」
「……俺に言われましても……」
 知らないのにデートすることにすんなよ。
 メグって、勉強とかはできるくせに、こういうことになるととことん無能なんだな……。
「行き先は決められたんだろ。だったら、何したらいいのかもおのずと決まってくるだろうが」
「そういうものなのかな……? ていうか僕、行き先も彼女の方から『行き先は?』って聞かれて、ない知恵絞って決めたんだよね」
「それを先に言え」
 本当に無能じゃねぇか。彼女に言われて初めて行き先考えるってどんなだよ。
「つーか、つくづく疑問に思うんだが……じゃあメグ、デートっていうのは何をするもんだと思ってたんだ?」
「えっとー」
「うん」
「……えっとー」
「……おう」
「……と、とりあえず一組の男女が並んで歩いてたらデートなのかな、とか」
 俺はアイスを噴き出した。
 ベッドのシーツに液状のアイスが飛んで、慌てて俺はティッシュで拭う。シミになったら母親に怒られるもんでね。
「並んで歩いてたらって、メグ、それは散歩だ……!」
「と、図書館!」
「いつの時代のカップルだよ! 今の時代、もっと他に行くところがあるだろうが!」
「一緒に勉強するのとかどうかなっ?」
「お前なんかフラれちまえ!」
 電話を耳から離し、思わず怒鳴った。
 図書館で勉強デートなんて、どんだけ勤勉な学生カップルだよ。
「……ユキ、耳が痛いよ……」
「自業自得だ、因果応報ともいう。……あのな、メグ、そりゃ駄目だろ。デートで何するか知らないのに、何でムツの提案聞き入れたりなんかしたんだよ」
「だってさー……」
 俺に怒鳴られるだけ怒鳴られてへこんだのか、しょげたような声が電話の向こうから返ってきた。
「だって、知らないなりに何とかなるって思ってたんだよ。一応小説読んだりドラマ見たりして、どんなものかは大まかに知ってるつもりだったしさ」
 嗚呼、こいつにとってデートとは小説やドラマの中の話なんだな。
 何か哀しくなってきたぞ……。
「出かけるとはわかってたんだよ? ただ、出かけて何をすればいいのかわからなかっただけでさ……それに、」
「何だよ」
「いざとなればネットで調べればいいと思ってたし」
「それはネットで調べることじゃねぇ!」
 いや、調べてもいいけども!
 お勧めデートコースとか、検索すると五万と出てきたりするけどもさ!
 お前はそれを調べる前段階からわかってないだろうに!
「ま、前段階はわかってるよ! ちゃんと辞書で調べたし!」
 辞書で調べたんだってさー……。
「……おう。何だって?」
「@日付。年月日。A異性と待ち合わせて会うこと。また、その約束」
 だろーねー。
「……もういい。わかったよ、メグ。俺がわかる範囲で一緒に考えてやるよ」
「本当に!? わっ、ありがとう。助かるよ」
 呆れ返りつつ深いため息をついて俺が言うと、電話口のメグはぱっと声を明るくした。それが目的で電話してきたんだろ。やれやれ、全く手間のかかるオトモダチだこと。
「行き先は横浜なんだっけ? 日曜日だって言ってたな。……どんなことが好きかとか、彼女に聞いたか?」
「あっ、と……、……。聞いてない」
「馬鹿。聞け」
 恋愛経験のこれっぽっちもない俺がどうしてこいつのデートプランを一生懸命考えているのだろうとか疑問は色々抱きつつも、知っている限りでメグにあれこれ教授する俺である。
「まぁ、彼女の興味パターンが何かはさておき……飯を食う。ウィンドーショッピングする。どっか行って遊ぶ。ひとまず、年頃の男女がデートでやることって言ったらこんなもんだろ」
「そうなんだ。ユキ、詳しいね」
 ……。
 え、普通だろ?
「横浜なら、そういうデートコースは元町・中華街方面とみなとみらい方面にわかれるな。前者なら、飯は中華街、ショッピングは元町って感じで、後者なら飯はランドマークとか、ショッピングはワールドポーターズ、遊びはコスモワールドで遊園地だろうな。ああ、みなとみらいなら、赤レンガ倉庫とかも面白いんじゃないか?」
「ふむふむ」
「ちょっと距離はあるけど、歩いて大さん橋や山下公園に行くのも洒落てていいよな。氷川丸とか乗っても楽しいんじゃないの? マリンタワーに登るとか、とりあえず横浜なら行き先には困らないと思うぜ。時間が遅くてもいいなら、横浜スタジアムにナイター見に行くとかさ。いわゆるスポーツ観戦デートってやつ?」
「なるほど」
「横浜駅前でもいいかも知れないけど、あそこはどうにも飯とショッピングくらいしか楽しめないからな……ま、駅前なら俺よかお前の方が詳しいだろ。一応お勧め言っとくと、彼女の趣味にもよるけど、俺はビブレ行くのがいいと思う」
「……凄く詳しいね、ユキ」
 え、だから普通だろ?
「何か経験者みたいだよ。頼りになるなぁ」
「そうかな……」
 メグ相手に知識披露すると、どんなにくだらないことでも感心された上褒められるので、何だか照れくさい俺である。アイスを口に咥えたままぽりぽりと頭を掻いた。
「まぁ、とりあえずこの程度で。あとはそれこそ、ネットで調べてみろよ。俺が今言ったキーワード打ち込めば、ある程度の情報は出てくるだろうからさ」
「うん、わかった。ありがとう、助かったよ」
「いやいや、このくらいは、さ。いつもお前には迷惑かけてるし、世話になってるしさ。対価みたいなもんだろ」
「そうかな。そう言ってくれると、僕も気が楽なんだけど」
 当たりつきアイスを一本食べ終わり、綺麗に舐めた棒を見てみると、案の定というかやっぱりはずれだった。
 メグの恋愛沙汰は、あたりだといいけどね。
「じゃあ、ほどほどに頑張れよ」
「うん、ありがと。あ! ユキ、最後に」
 電話を切ろうという段階に至って、メグが少し大きな声を上げた。
「何だ?」
「……あのさ、」
 おずおずといった感じの声で。
「……また、困ったことがあったら、こうやって色々聞いたりしてもいいかな……?」

 電話じゃ動作は見えないだろうけれど。
 俺はため息をつき、両手を広げて肩をすくめたのだった。
 お手柔らかにな、メグ。


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