* * *

「ふぅん、恋愛小説ねぇ。ユキぴーみたいなのにそんなのを頼むなんて、あっくんもよくわからないなぁ。ま、そういう一筋縄じゃいかないところがあっくんのあっくんたる所以だけどねぇ」
 くつくつと喉を鳴らす耳障りな笑い方をして理音が言う。
 長居はできないとか言っていたくせに、理音はすぐ傍から放置されていたパイプ椅子を二脚引き摺ってくると、一つには自分が腰掛け、もう一つを中津川に勧めた。中津川も特に異を唱える訳でもなくその椅子に座り、よってここに二人のアドバイザーが偉そうに恋愛小説指南をする舞台が整ったという訳だ。
「……俺みたいなのってどういうことだよ、みたいなのって」
「だってそうじゃん? 恋愛になんてこれっぽっちも興味がなさそうな、今時欲のないツマンネー男に恋愛小説書かせようなんてさ。俺があっくんの立場だったらまず間違いなく、ジャンル決めのくじを引き直させるよ」
 だったらそうムツに言ってやってくれないか。そうしてくれれば俺も助かるんだが。他に何のジャンルが残っているんだか覚えていないが、少なくとも恋愛小説よりはまともなものが書けると思うんでね。
「睦の命令は、絶対♪」
 何やらムカつくことをさらりと言った中津川は、パイプ椅子に優雅に脚を組んで座り、やけに爽やかな微笑を浮かべていた。……思うに中津川の容姿はムツに引けを取らないよな。見たら近所の女子校の子連中が黄色い声を上げて喜びそうだ。
「ところで、お前等は何を書いてきたんだ?」
 中津川によると、ムツは二人に対し「何でもいいからとにかく書け」と言ったらしいので、運良くどちらかが恋愛小説を書いてきてくれていたりすると、俺は恋愛小説を免除になるかも知れない。
 そんな淡い期待を抱きながら、机の上に置いてある二人の出した原稿を横目で見て尋ねたが、生憎文化部連合の答えは、
「俺は童話のパロディだよー。俺に何か書けって言ったってことは、あっくんが求めてるのってそういうものだと思ったんだ。要するに俺が普段脚本に書いているようなことを求められたってことだろ?」
「僕はお粗末ながら純文学系を書かせてもらったよ。睦が純文学はあんまり好きじゃないからな、どういう反応をされるかはわかったもんじゃないけど……でも何でもいいからって言われた訳だし、多分文句は言われないよね。言われたとなったら書き直しかな」
 というものだった。……童話のパロディに純文学ねぇ。どっちも恋愛小説に比べれば書きやすいように思えてしまうとは、俺もそろそろ末期だろうか。いずれにせよ小説を書くのは並大抵の苦労じゃないっていうのに。
「ていうかー。ユキぴーは何が思い浮かばなくて書き出せずにいる訳? ストーリー? 文章? 登場人物? 世界観?」
「……ストーリーだな。何せ恋愛小説なんてまともに読んだことがないから、どんな風に書けばいいのか右も左もわかんねぇんだよ」
「……普通に一組の男女の恋愛模様を書けばいいと思うんだけどなぁ」
 腕を組んで小首をかしげ、中津川がそう提案してくる。一組の男女の恋愛模様だぁ?
「実体験を書くっていうのはどうかな? 実際にあったことを書いて、フィクションだってことにしちまうっていうのはさ。……君にも一回くらいはなかったか? 誰かのことを好きになったりだとか、付き合っただとか、可愛い女の子と二人だけで出かけたとか、告白されたとか」
「それは嫌味か、中津川?」
 そういう発想が普通に出てくるってことは、きっとこいつの十三年余りの人生にはそういうことが少なくとも一回はあったってことだよな。ふざけんなよ、殴るぞ。
「殴るのは勘弁して欲しいところだけど……でも、既存の恋愛小説を組み合わせて書き写すのもできないとなったら、あとはそうするしかないだろ。本当に何もないのか? 別に恋愛めいたことじゃなくてもいいよ、男と女が一人ずつ登場して少しでももどかしい関係にあってくれれば、それでもう恋愛小説と呼べないこともないんだからさ」
 あったところで書く気にならないね。自分の過去を、しかも恋愛めいたものに読まれる可能性のある過去を小説にするなんて、まともな精神の持ち主ならできる訳がないと思うのだが。
「ったく、ユキぴーは我侭だなぁ! そんなこと言ってたら恋愛小説なんて一向に書けっこないだろ! ……俺も隼人のはいい案だと思うけどねぇ。自分の恋愛体験談を元に小説を書けば、リアリティも出るし、何よりあっくんはそっちの方が喜ぶんじゃないかなぁ」
「……何でそれでムツが喜ぶんだ?」
「知りませーん。知りたかったらあっくん本人に聞くんだね」
 理音は憎たらしい口調でそう言うと何故かぷいっと横を向いた。ムツやメグも思わせぶりなことを言ったりするが、こいつにやられるとそれ以上にムカつくね。
「本っ当に一つでもない訳? この際異性じゃなくてもいいし、恋愛なんか知らなかったガキの頃のことでもいいよ。誰かとそうやって特別に仲良くつるんだ経験。それを適当に肉付けして恋愛小説っぽくすればいいのさぁ。ねぇ、何かないのかよ?」
 ないもんはねぇよ。
 と、理音に対して言いかけたところで俺の唇が止まった。異性でなくてもいい。恋愛を知らなかった小さい頃の話でもいい。それならいくつかないことも……ない。
「っていうことは、あるんだな? それを書けばいいよ。理音の言うように多少話を膨らませてさ」
 そうは言われても、お前等やムツが思っているような恋愛話にはなりそうにもないんだが。それでもいいのか?
「書かないよりはマシだと思うぜ、俺は? それとも何? ユキぴーは締め切りぶっちぎってあっくん特製の罰ゲームを受けたいのかなぁ? なかなか被虐的な趣味だよね。あっくん相手なら俺と話が合いそうだけど」
 お前がムツに対してドがつくMだっていうのはどうでもいいんだ、理音。そんなことは誰だってよく知ってるからな。
 ……それにしても、だ。
 異性相手でなくてもいいのなら、ミキとは間違いのように一時交際してしまったことがある。あの話を書くべきだろうか? いや、あの話は既にムツにもしてあるし、それを小説にしたってすぐに元ネタがわかっちまうだろう。それに、ムツやメグといった知り合いにならともかく、見ず知らずの第三者にもぺらぺら話せるような話では、アレはないし。
 そうじゃない。
 そうじゃなくて――
「書けそうか?」
 どこかニヤついた微笑を浮かべて尋ねてきた中津川の声を背中で受け止めながら、俺はパソコンに向かってようやくのこと指を動かし始めた。上手く書けるかはわかったもんじゃないが、理音の言う通り、このまま何も書かずに最終締め切りを迎えてムツの罰ゲームを受けることを考えれば、迷っている暇はないだろう。
 いざとなったら書き直せばいいんだ。最初からな。
 動き始めたカーソルが紡いだ第一文は、丁度こんな感じになっている。

「倉内愛美の話をしようと思う。」


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