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 さて、そんな風にとんでもない痴態も晒してしまったことだし、それをタネにムツにあーだこーだ言われないようにするためにも、いよいよ俺は本格的に恋愛小説の執筆を始めなければならない。
 翌日・文芸部的生活六日目、もうすっかり当たり前の居場所となった図書館書庫に赴いた俺は、朝駅前で会ってから全く口を利こうとしないムツを一体どうしたんだろうといぶかしみながら、神川に用意してもらったノートパソコンの前に陣取ってスクリーンセーバーを眺めていた。宇宙飛行していたスクリーンセーバーは、見飽きた俺の意向で迷路のものに切り替えられており、これはこれで酔ってしまいそうになる。ぐるぐるするんじゃないよ、目が回る。いや、俺が設定したのか。自業自得か。
 ……ところで、昨日午後いっぱいを図書館において恋愛小説を読んで過ごしたことで、一つわかったことがある。
 俺なんかにはあんな話は書けそうにない。否、勘違いしないでいただきたい、俺は恋愛小説をけなすつもりは毛頭ないんだ。その手の話を好物とする読者層が一定数いることは理解しているし、彼等の趣味を否定する気はこれっぽっちもない。
 しかしながら、どうしても恋愛小説を読むことには抵抗がある。アキの言っていた通りにストーリーの参考にしようと読んだ、成れの果てが昨日のアレだ。思い出すだけで頭がおかしくなりそうになる。何てことだ、俺は恋愛小説特有の甘みと苦みがぎっしり詰まった雰囲気に酔っ払い、挙句が帰ろうと声をかけに来たムツにすがりついたんだぞ? 憤死しそうだ、どうかしていたとしか思えない。相手がメグやカナならいざ知らず、よりによっての野瀬睦だなんて。
 結論、俺は恋愛小説には向いていない。
 読むだけでこのザマなのに、書くなんてもっての外ってやつだ。一応は昨日脳にインプットしたストーリーの断片を組み合わせての執筆を試みるけれど、あんな本格的に「恋愛小説」な物語をこの指で綴ろうとすると身体が拒否反応を示す。
「……はぁ……」
 それを編集長気取りたるムツがわかってくれりゃ言うことはないのだが、今日に至っては口を利こうともしないし、そんな事情をわかってくれるとは到底思えない。となると、俺は既存のラブストーリーを組み合わせて書き写すのでもなく、書いていて酔わない程度の糖度低めな独自のストーリーを考えて執筆しなきゃいけない訳だ。
 さぁ、困った。誰か巧いアドバイスをしてくれる優しい御仁はいらっしゃらないことかね。

 と思っていたら、パソコンの前で悩み始めて小一時間、呼ばれて飛び出てアドバイザーが書庫にやって来た。
「やほーん、愛しき大魔王サマに召喚されて地獄の底から成瀬理音サンですよー♪ あれ? あっくんいないの?」
 長い後ろ髪を一つにひっ詰めたいつものヘアスタイルに眼鏡を付属させた、どっかで見たことのある鬱陶しいテンションの男子生徒が誰かといえば、演劇部中等一年生代表にして脚本・演出担当、ムツの危険な悪友・成瀬理音だった。
 かなり分厚めな紙の束を抱えた彼は俺の目下天敵であり、よって俺の周囲に対する警戒レベルが引き上げられたのも必然の運びと言えよう。忘れたとは言わせないぞ、演劇部代表として学園祭の時にムツとタッグを組んで俺にやってくれやがったあれやこれやを。
「……今日は何の用だ、理音」
「ユキぴーってば相変わらず刺々しいよねぇ。そんなんじゃあっくんに嫌われちゃうぜ? ああ、まぁ俺としてはそっちの方が好都合かもだけど。……何せあっくんがバレー部に執着しているのはユキぴー達がいるからだもんなぁ。あっくんがお前に興味をなくせば、俺も安心して演劇部にあっくんを引き抜けるって寸法さぁ」
 ムツのことをあっくんと親しげに呼んで慕う理音は、ムツのいない書庫内を見回して短く嘆息する。何の用だかは知らないが、残念だったな。ムツなら今さっき、少し早めに昼飯を買いに出かけていったばかりだ。マッハの勢いでさ。
「おいおい、勝手に睦を引き抜こうとしないで欲しいもんだね。あいつが欲しいのは何もお前達演劇部に限った話じゃないんだからさ。抜け駆けはなしだぜ」
 ずかずかと文芸部の領域に踏み込んできたのは演劇部の代表サマだけかと思っていたら、その後ろにもう一人いた。そいつが誰かというのを脳内回路が三秒かかって弾き出し、俺はかなり意外に思う。
「あれ? 誰かと思えば、合唱部の中津川クンか。こんなところで鉢合わせするなんて穏やかじゃないねぇ」
「穏やかじゃないのは僕も一緒だよ。まさか演劇部の代表さんもお出ましとはね、成瀬クン」
 皮肉めいた会話を交わす二人にひやりとする。お坊ちゃまという表現がまず真っ先に思い浮かぶさらさらとした黒髪を程よい長さで切りそろえ、上品そうに制服を着こなし爽やかすぎる笑顔を浮かべた美少年風の彼は、先日の合唱祭の時に散々世話になった合唱部中等一年生・テナーパートリーダーの中津川隼人だった。
 ムツに言わせると合唱部の部長候補ナンバーワンだという人物だ。言ってみれば合唱部の中等一年代表みたいなもんで、立場的には演劇部で学年代表を務める理音と非常に似ていると言える。どうやら二人が顔を合わせたのはこれが初めてではないようだが、不自然な軋轢があるように感じられたのは果たして俺の気のせいだろうが。
「……お前等、ひょっとして知り合いだったのか?」
「ひょっとするも何も? 俺は演劇部の中等一年学年代表な訳ですし? そんでこの中津川くんは合唱部の実質時期部長ですし? 顔と名前くらいはばっちりお互い把握済みさぁ。噂も色々耳に入ってくるしね。学園祭前には話す機会も何回かあったし」
「それに、ね。……君も知ってるとは思うけど、演劇部と合唱部には過去にお互いをライバル視していたって歴史があるからね。その敵方の代表格ともなれば、気になるのは当然だと思わないか?」
 もしかしなくても、それはムツのことか。演劇部と合唱部が特に熱烈なオファーをしていたっていう。
「久しぶり、隼人。合唱部は最近どんな感じよ? 儲かりまっかー?」
「それにはぼちぼちでんなと答えようかな。……まぁ、実際のところぼちぼちだよ。合唱祭が終わってから入学式までのこっちは基本的にオフシーズンだからね。しばらくはお前のところの演劇部と一緒で大人しくしているつもりだよ、理音」
「お前のところと一緒でっていうのが皮肉に聞こえたのは俺の気のせいかなぁ? いいけどね、オフシーズンなのは確かだし。……だけど、入学式以後も大人しくしていると思ってもらっちゃ困るぜ☆ そこんとこよろしく?」
「わかってるよ。新学期が始まったらそっちも大人しくしちゃいないだろうっていうのがわかってるからこそ、僕等も張り切って戦いの準備を進められるって話だ」
 じりじりじわじわと互いを牽制するような会話を交わす理音と中津川。が、その内容の割には二人の表情は柔らかく、口調も滑らかだ。どうやら俺が思っているほど険悪な関係ではないようだな。
 で、そんな二人が文芸部に何の用だ?
「あー、それそれ。ユキぴー代わりに受け取っといてよ。あっくんに頼まれてたんだ、文芸部の部誌に載せる原稿ってヤツ? 本当なら直接あっくんに渡したいけど、いないんじゃしょうがないしね。そう長居もしていられないことだしさぁ。……隼人もだろ?」
「ああ。……本当なら文芸部の新歓活動に協力している余裕なんてないんだけどね。他でもない睦の頼みとなれば断われないし、『何でもいいからとにかく書いてくれ!』って言われれば、僕は机に向かってペンを握るしかないって訳だよ」
 俺に原稿用紙の束を押し付けた理音に続き、中津川もルーズリーフの十何枚か綴りを差し出してくる。ここにきてやっと事情が飲み込めた。ムツの奴、カナとアキに協力を依頼するだけじゃ満足しなかったらしいな。まさか演劇部と合唱部にまで支援要請に行っていたとは。
「パソコンへの打ち込みは睦がやってくれるっていうから、遠慮なくアナログで書かせてもらったよ。よろしく言っておいてくれ」
「完成したら一部くれるように言っといてな! あと愛してるよーって伝言よろしく、ユキぴー?」
 どやどやと乗り込んできた文化部連合の二人組は、俺に原稿を押し付けるだけ押し付けるとそのまま去っていこうとし――そしてその前に俺の真っ白なワード画面に目を留めたのは中津川だった。
「君は何を書くことになってるんだ? まだ真っ白だね。締め切りは明日までじゃなかったっけ? 大丈夫なのか?」
「あ、本当だ。ジャンル何?」
 中津川の指摘に理音までもが俺の背後からパソコンの液晶を覗き込んでくる。
 俺は頭の片隅で相手を間違えているかも知れないとほんの少し思いつつも、物は試しでこの二人にアドバイスを求めてみることにした。
 すなわち、
「……お前等が執着してやまない野瀬睦サマは、俺に恋愛小説とやらを書けとさ。どうしたらいいと思う?」


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