* * *

 そんな感じでミキが原稿を提出する前日、つまり俺とメグがパソコンを目の前にちょっとしたぶっちゃけトークをした翌日は、ムツが自分の原稿をそっちのけで更なる助っ人を呼び込んできた。
 どうやら俺達Cチームの四人と正規文芸部員の神川の原稿だけでは厚みが足りないと考え出したらしい。幸か不幸かムツの脳内コンピュータはこういったことを遠慮なく頼めそうな人員二人にすぐさま思い至ったらしく、その日図書館書庫で俺が一人パソコンを前にまたもうんうん唸っているところへ、その二人を引っさげて竜巻の如き勢いで舞い戻ってきた。
「喜べ諸君! 新たなる協力者を捕獲したぞ!」
 という、お前は海に仕掛けた罠で新種の深海魚でも捕まえてきたのか的な台詞を言い放ったかと思うと、ムツはその「新たなる協力者」を俺に向かって差し出す。面食らっている不憫な二人組の襟首を左右の手に掴んで、浮かべている表情はどこまでも得意げだ。意味がわからない。
「ゆ、ユキ……一体何のことなんだ? ムツには『とりあえず何でもいいから面白いものを書いてくれ! ペンと紙を持て、話はそれからだッ!』って言われたんだけどさ、」
「……」
 そんでもって、いきなりのことに理解がついていかないらしくわたわたとしている小柄な少年と、その隣で既に何もかも諦め悟りの境地に入ったかのような無表情で沈黙を紡いでいる長身の男のコンビは、……もうここまで言えば大体の人はわかってくれるよな。そう、バレー部Bチーム所属の名物幼馴染コンビ、アキこと瀬田彰と、カナこと佐渡要一だった。



「喜べ諸君! 新たなる協力者を捕獲したぞ!」

 この前の合唱祭関連の騒ぎの時もムツに助っ人要員として半ば強引に参加させられた悪運強き二人だが、当人達はさほど迷惑とも思っていないらしい。というのを、その合唱祭が終わった数日後に話され、ムツに伝言するように頼まれて俺は言われた通りに伝えたのだが、どうやらムツはそれをしっかり覚えていやがったようだ。
 そんなこんなで、ムツは連れてきたデコボココンビに今回の事の成り行きをかいつまんで話して聞かせ、最後に「そういう訳で、部誌に載せる原稿を書いて欲しいのだ!」の一言で、真剣に聞いていたって事情の把握しづらい説明に終止符を打った。
「まぁ、書けって言われりゃ何かは書くけどさぁ……どうせ部活は暇だし。でも、何でもいいから面白いものって言われても……」
「……」
 アキは自分の伸びた後ろ髪を掻き回しながら困り顔で、カナは眼鏡の向こうで表情筋をぴくりとも動かさずに沈黙を守っていた。ムツはとにかく説明といわれる内容の話をするのが極端に下手くそな人種だから、そんなリアクションになるのも致し方ないことと言えよう。
「ムツ。俺達と同じように、何かジャンルを指定してやったらどうだ?」
 困り果てているカナとアキ(カナの方は困っているのか表情からだけでは判断しづらいが、これで困惑していないことはないだろうと俺は勝手に判断した)に助け舟を出してやるつもりで俺がそう提案したことを受け、ムツはそれから二人に書いてもらう文学作品のジャンルを一方的に指定した。くじ引きで決めさせた俺達Cチーム面子とはえらい扱いの違いだが、「歴史小説」を書くように言われたカナ、「詩・ポエム」を書くように命じられたアキ――共に異論はないようだったので、ならば俺が異議申し立てをするのもおかしな話だろう。
 ちなみにそうして二人の分のジャンル決めが行なわれた時の様子を描写すると、
「カナは……お前はどうせ歴史モノしか書かないだろ?」
「……まぁな」
「んじゃそれでよろしく! お前こういうの得意そうだし、期待してるぜ! そんでアキは……お前はなぁ……何だろ。適当にポエムでも書いとけば?」
「て、適当にって……」
「そうだな、うん、小説と小説の間に一編ずつ詩が入るといいかも知れない! 決まり! アキ、お前は詩を書け! ……あっそうそう、全員に共通のテーマが『愛』だからな、それに沿った内容にしてくれよ! そんじゃよろしくさーん♪」
 ……。
 何というか。
 これがムツの、自己中心的で一方的で他人の迷惑を考えないと言われる所以である。今更言ったって直らないだろうし、直ったらそれはそれでムツのパーソナリティが失われるので、誰も矯正しようとしないけどな。
 俺を除いては。

 そんなことがあって、俺達Cチームの対文芸部協力活動に強制的に参加させられることになったカナとアキは、それでも健気なことに文句の一つも言わずその当日から原稿を書き始めた。
 二人とも実に熱心なもので、丁度その日から一般生徒向けは閉館となり貸し切り状態となった図書館で資料を探したり、閲覧机に向かってルーズリーフにペンを走らせたりと、二日前に執筆を命じられたというのに何も書き出せずにいる俺とはえらい違いだ。そういう何ていうんだろう、根は真面目っぽいところが、この生まれた時からの――生まれる前からの幼馴染コンビの似ているところだな、なんてことも思ったりする。
 特に一見して文才とは完全に無縁そうなアキの方は、傍目から見ていてもいじらしいほどに頑張って原稿に向かっていた。図書館書庫に長年保存されていてすっかり古びた匂いのするようになっていた初心者向けの詩の書き方の本を引っ張り出してきて、それを頭痛をこらえるような顔をしながら読み進めていたかと思うと、次に見た時には閲覧机のところでルーズリーフにカリカリとやっている。そうして少し書き進めては頭を捻り、突如顔を真っ赤にしたかと思うとくしゃくしゃと丸めて傍のごみ箱に放り込む、というのを何度も繰り返すのだった。
 ……そうやって一流詩人ばりに詩を書きつけているアキを見ていると、やっぱり少しくらいは期待が膨らんでくるね。同い年の男が書く「愛」がテーマのポエム。どんな仕上がりになるのか今から興味津々だ。本人が顔を真っ赤にするほど必死になって書いているものとなれば尚更、な。
 ああ、カナの方? あいつに関して言うなら俺は最初からちっとも心配なんぞしていなかった。昼休みにはほぼ毎日のように図書館に通っている俺が、大体毎回そこで顔を合わせるのがカナだ。彼はいつも司馬遼太郎やら山岡荘八やらの歴史小説を読み漁っていて、多分読書量は俺とどっこいかそれ以上であり、それだけの本を読んでいるのだから全く読めもしないメタクソなものを書くことはないだろう。順調に書き進め、順調に書き終えてくれるはずだ。そう、推理小説好きのメグが快調に筆を進めてミステリーの課題を完成させつつあるのと同じようにな。
「どうだ? 書けそうか?」
 ムツに原稿の執筆を言いつけられた翌日には、カナは自分とアキ以外のいない図書館で日本史系の資料の棚から何冊もの本を引っ張り出しており、いかにもやる気満々といった感じだった。自分の原稿がちっとも書き出せずに息詰まっている俺がそう言って冷やかしに行くと、カナは眼鏡の中央をくいっと押し上げて、
「……何とかはなりそうだ。完成品の質の保証はしかねるけどな」
「歴史小説で、テーマが『愛』だろ? 誰を題材にするつもりだ? やっぱり戦国武将の妻とか?」
 この前カナが読んでいた司馬遼太郎氏の「功名が辻」を思い出しながら俺が尋ねると、カナは緩やかに首を左右に振った。
「戦国時代はネタが出尽くした感じがあるし、新一年生相手にそれだと安易な印象があるからな。幕末を舞台にして、変化球を投げてみようと思っている」
 幕末とな。誰が主役だ? 坂本龍馬とおりょうさんか?
「徳川家第十四代将軍・家茂と、その正室である皇女・和宮だ」
 渋っ。
「武家の出身たる家茂と、皇族の出身たる和宮、二人が互いの身分の差を越えて理解し合っていくところに、ムツの求めるロマンを描き出せるだろうと俺は踏んでいる」
「……あんまりマジになるなよ。所詮は中坊相手なんだからな」
 必要以上に真剣になられて文庫本一冊以上に相当するような長編になったら困る。ムツは今のところ神川の命で、全員の作品をA5サイズの冊子一冊分に収めるつもりでいるらしいからな。
「大丈夫」
 カナはミリ単位でうなずいて俺を安心させてくれた。
「そう長々と二人の一生を書くことができないのは承知しているつもりだ。だから、家茂が第二次長州征伐に赴く直前の、和宮との今生の別れの場面にスポットを当てて書こうと思っている」
 歴史ほど俺にとって苦手な科目はないのだが、ええと、何故第二次長州征伐に赴く際の別れが二人の今生の別れになるんだ?
「家茂は征伐の途上大坂城で薨去する。享年二十一歳という若さだった」
 ……それはそれは。
「家茂は長州征伐の際、江戸で待つ和宮への土産として西陣織を購入していたが、その西陣織は家茂の死後形見として和宮の元へ送られてな、」
 はぁなるほど。
「そういった家茂の和宮への細やかな心遣いからも察することができる通り、徳川将軍家の中でも二人の夫婦関係はかなり良好だったと言われている」
 へぇ、それで。
「和宮の葬儀は『家茂の傍に葬って欲しい』という本人の希望で神式ではなく仏式で行なわれ、近年その墓の発掘調査が行なわれた際には、家茂と見られる男性が写った写真が副葬品として出てきたそうだ」
 詳しいな、おい。
「これはまだ序の口だ」
 カナはそう言って再び視線を手にしていた歴史資料集に戻すと、ぱらぱらとページをめくり始めた。
「きちんと史実に沿ったものを書こうとするなら、もう少し詳しく資料を集める必要がある。……だけど、所詮中学生の俺が調べた程度のことじゃ、どの程度歴史的に正確なものが書けるかは微妙だな。だから期待はしないでくれ」
 ムツは面白けりゃいいと思ってるんじゃないか。史実がどうとか言ってあんまり気負うなよ、ほどほどに頑張ってくれ。
「ああ……わかった」
 静かにうなずいてからもう一度ちらと俺を窺ったカナの目がいつになく燃えているように見えたのは、決して俺の気のせいじゃないはずだ。


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