* * *

 かくして、いつもの通りのムツ独断によるチェンメの送り主探しは、怒涛のテスト終了後に幕を開けることとなった。
「だ・か・らぁ! 何で『She studies English every day.』の『studies』を『studys』ってつづるんだよッ!」
 テスト最終日最終枠、英語の試験が必要以上にできたらしいムツは、俺に向かって唾を飛ばしながら怒っているんだか笑っているんだかわからない顔をした。
「何でって、三単現だから動詞に『S』をつけるんだろ? 何も間違ってねぇじゃん。授業でも『スタディーズ』って発音したし」
「お前、実は馬鹿だろ!」
 他の科目は数学と理科を中心に壊滅的な点数を取るくせに、何故か毎回英語だけはクラスでもトップレベルなムツは、俺のことをびしっと指差して叫ぶ。
「……お前にだけは馬鹿って言われたくないな」
「だけど、ふっつーに馬鹿だろ! 何で『Y』の後に『S』つけるんだよ!」
「だって、『play』には普通に『plays』って『S』つけるじゃねぇかよ」
「それとこれとは話は別だろうがぁぁぁぁッ!」
 殴られた。
 痛い。
「わっかんねぇ……なんでお前に殴られなきゃならない訳?」
「ユキが阿呆すぎるからだッ!」
 ムツは吐き捨てるようにそう言うと、俺の隣の席にどかっと腰を下ろして腕を組み、そのままそっぽを向いてしまった。本当、わからない。「なぁ、この問題の選択肢って四番の『studys』だよな?」と確認しただけで、それをちょっと間違えていただけで何をそんなに怒鳴られなければならないのだろうか。
「えっとね、ユキ。でもそれは、ムツの言う通りだよ」
 と、ムツと俺の間に仲裁役の如く突っ立って、メグが言う。
「子音の次にある『Y』は、三単現にする時は『Y』を『ie』に書き換えて、『S』をつけるんだよ」
「……そうなのか?」
「ユキ、聞いてなかったの? 先生が授業中に説明してたけど」
「……。読書してたんじゃないかな、その授業の時」
 くそ。だからってそこまで怒鳴られる筋合いはない。というかムツ、お前はその理論ちゃんと理解してたんだろうな?
「理解してなくたって、ふつーに『studys』とはつづらねぇだろうが! どう考えたって『studies』だろ! 何だよ『ys』、『ys』ってさぁっ!」
「……」
 メグと俺は顔を見合わせる。
「……もしかしてムツ、英語、感覚で解いてるの?」
「ったりめーだろ! あんなの感覚でクリアできるじゃんか!」
 爆弾発言だ。
「俺から言わせれば語順問題なんて馬鹿のための設問だよ! 何だよありゃあ! 何が『he/very/soccer/likes/much』だぁ? 『He likes soccer very much.』以外にどう頑張ってもありえねぇだろうが! 地球がひっくり返っても『He very much soccer likes.』とは言わねぇだろ! 舐めるな、俺はそこまで阿呆じゃねぇ!」
 文法という単語もこいつの前では形無しだった。
「『What』の次で『Mike eat every day?』の前に来るのはリズム的に『does』だろ! 誰だ『do』って答える奴! 文法とかじゃなくて、普通言わないだろうが! 『is』とか言うようならぶっ飛ばしてやる!」
 そんないい加減な感覚で、こいつは毎回学年トップクラスの点数を取得していやがるのか。こんな阿呆に英語でクラス五位以内を与えるなんて、神様って奴は一体何を考えているんだろうな。
「とにかく、機嫌直してよ、ムツ」
 そんなことを言いつつメグはムツの肩を叩き、口をへの字に曲げたイケメン面をなだめにかかった。
「やっとテストも終わって、これから探すんだろ? チェンメの送り主。そんな顔してないでさ」
「……ん、そうだったな。どっかの馬鹿のせいですっかり忘れてたぜ」
 端整な顔をしかめて俺を睨みながらのムツの台詞にはいらっとする単語が一つ含まれていたが、俺はそれに対する「何だその物言いは。お前なんか数学で方程式の両辺をXで割ったくせに」という反論をぐっと飲み込んだ。もう敢えて何も言うまい。俺も最近黙っておくことを覚えた。
「そういえばムツ、ミキのことは誘ったの?」
「んあ? ああ、朝の時点で声かけたんだけどさ、」
 ミキというのは、俺とムツとメグのチームでマネージャーを務めてくれている隣のクラスの超絶美人で、フルネームを服部実紀という。クラスは俺達と別ながら、練習チームメイトになったのを期に基本ずっと一緒にいる、外見半分女子みたいな可愛い同輩だ。
「今日、マネージャーはテスト後で外せないミーティングやるみたい。『興味はあるんだけどなー。あーあ、俺もやりたかったなーっ。じゃあ、結果だけ教えてよっ』って言ってた」
「ミキはそのメール、受け取ってるの?」
「いんや、回ってきてないって言ってたぜ。見せてって言われたんだけど、丁度先生来てさ。見せられなかった」
「そっか」
「別に三人でもいいべ? 五人も六人もいてもしょうがないしさ」
「そうだね。確かに三人くらいが適当かな」
 俺を差し置いて、ムツとメグとの間でどんどん会話は進んでいく。何も言わずにいても、俺が参加することは既に決定事項のようだ。
「じゃー、早速探しに行きますか!」
 訂正。チェンメの送り主探しは、テストではなくこんなくだらないやり取り終了後に、幕を開けることになった。

「ムツは誰から送られてきたの?」
 メグの問いに、ムツはズボンのポケットから携帯電話を取り出し、例のメールを探し始めた。折畳式の携帯電話を開いてすぐにキー操作を開始したところを見ると、テスト中も電源は入れてあったらしい。テスト中は電源切るのが決まりだろ、何で切ってないんだ。
「かくいうお前だってサイレントのくせに」
 ……。
 そうだけど。
「俺はアキからだな。ほれ」
 言ってムツは、俺とメグの方に小さな液晶を突きつけてきた。表示されているのは例の想い人探しの文面と、「From瀬田彰」の字。瀬田彰――通称・アキは、バレー部の練習Bチームに所属している補助アタッカーだ。活きのいい少年風の能天気はその性格故かムツと仲がよく、どうやらその繋がりで流れてきたらしい。
「アドレス詳細表示……っと。アキは、俺と、カナと、あと誰だか知らない他の一人に回したみたいだな」
 カナというのは同じくBチームでチームリーダーを務めているセッターで、佐渡要一という。黒髪に眼鏡、無表情で座った目というメグとはまた違った感じの優等生面はアキと幼馴染だが、性格はまるで正反対、セッターらしい冷静沈着といった人柄だ。
「アキとカナか。A組だよね……もう部活行ってるかな?」
「いや、教室で飯食ってるだろ。行ってみようぜ」
 ムツはぱちんと携帯電話を折りたたむと、椅子から立ち上がり、向かい合って座っていた俺の頭にぽん、と手を乗せた。
「つー訳で、行くぞ、『ys』」
 引っ張るな。

 * * *

 A組に赴くとムツの予想通り、カナとアキの二人が教室の中央辺りで机を向かい合わせにし弁当を広げていた。ムツが教室に入ると、二人同じく部活へ行く前に昼食を取っていたA組の連中の何人かが驚いたような目でムツを見る。こいつのホストのなり損ないみたいな外見はどこへ行っても人目を引くからな。そんなどよめきにももう慣れた。
「おーっす、今日も仲がいいねぇ、お二人さん」
「いきなり何だよ、ムツはさぁ」
 購買のカレーパンをかじっていたアキはムツを振り返って、不機嫌そうな声を出しつつも顔を笑わせた。そういう表情を見ると、確かにムツと似ているかも知れないと思わなくもない。
「だってそーじゃん。お前等いつも一緒だろ? ほぼ四六時中っていうかさ。生き別れて再会した兄弟よりもべったりしてんじゃね?」
「……そこまでじゃない」
 低い声でぼそりと返事が返ってきたかと思ったら、カナからだった。女子みたいな通称からは全くかけ離れている無愛想な無表情は、アキの正面でもくもくと弁当箱の中身をつついている。続きの台詞があるかと俺達はしばし黙るが、カナはそれきり何も言わなかった。元々こいつは言葉数の少ない男だ。
「……しょうがねぇじゃん」
 代わりにアキが、通訳の如くムツに向かって両手を広げた。
「だって俺達、近所だし、幼稚園も小学校も一緒だし、通ってた塾同じだし、部活の同輩だし、現在進行形クラスメイトだし、つーかクラスわかれたことないしぃ……」
「うわー、べったりだー」
「っうるせぇっ、黙れよっ」
 ムツとアキの会話がくだらないものになりかけたところで、「ちょっとちょっと」とメグが二人の間に割って入った。何だかんだでメグはこのチェンメの送り主探しに乗り気らしい。
「ムツ、聞くことがあるんでしょ?」
「うん? ああ、そうそう。……あのさぁアキ、携帯貸してくんね?」
 唐突過ぎるだろ、それ。理由を説明しろよ理由を。
 見ると案の定、アキが眉間にシワを寄せて困った顔をしている。
「何で?」
「あ、アキさぁ。昨日ムツに、チェンメ回したでしょ?」
 いきなり且つ一方的なあの台詞からして詳細を説明する気は全くなさそうなムツに代わって、メグがアキに言った。
「アレの送り主を探そうって話をしててさ。で、アキが誰からあのチェンメ送られたか教えて欲しいんだ。ついでに、アキ以外の誰に回されたのかも」
 ストレートだな、メグ。阿呆臭いこと極まりない理由をそうもべらべらと話してよくも恥ずかしくないものだ。
「ああ、そういうこと? いいよ。あー、でもとっておいてあるかな……」
 が、アキはその理由にはまるでノータッチでうなずくと、ポケットから黒い無骨なデザインの携帯電話を取り出して「電源切ってるから少し待って」と言って折畳式のそれを開いた。テスト中に電源を切っている律儀なところは評価できるが、送り主探しに突っ込みを入れるどころかもはや何の疑問も抱いていなさそうなところを見ると、やはりアキは常識人からは程遠いかも知れない。
「あったぜ。……あ、そうだ。俺は爽大先輩からだよ。先輩は、俺と、他のバレー部の先輩に送ったみたい」
 相馬爽大先輩か。俺達よりも一つ年上で二年生の爽大先輩は、俺と同じエースアタッカーを務めている。今時の学生といった感じの雰囲気がどことなく近寄り難くはあるが、話してみると意外と気さくな人で、先輩達の中では一番アキと仲がいいんじゃないだろうか。
「そっか。アキは? 俺と、A組の奴と、あとはカナとで合ってる?」
「合ってるよ」
「おっす、了解。さんきゅー」
 ムツはアキと短い会話を交わすと、軽く手のひらをさらして教室を出て行こうとする。メグがムツと同じようにありがとね、と礼をいい、俺もじゃあな、なり何なり言ってムツに続こうとした時――
「おい、ムツ」
 俺達の先頭を行くムツを誰かが呼び止めた。誰か? 三人そろって声のした方を振り返ると、カナだ。
「……気をつけろよ」
 カナは弁当箱と箸を机の上に一旦置いて、相変わらず何を考えているかわからない目で俺達をじっと見ながら、そう言った。
「よくわからないけど、あのチェンメ……何か嫌な予感がする」
 何だそりゃ。
 しかし、口数の少ないカナがわざわざムツを呼び止めてまで言うことだ。きっと何か根拠があるに違いない。
「……わかった。ま、ほどほどにやるわ」
「ああ」
 同じセッター同士、ムツがカナに対して何を思ったかは知らないが、一応奴はカナにうなずいてみせた。頼むぜ、お前のやることに関わるとろくなことがないのは、俺も経験上知ってるからな。カナの「嫌な予感」が的中しないように、せいぜいおとなしく動いて欲しいものだ。


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