* * *

 つい十分くらい前までいた体育館棟へ一気に駆け戻った俺達が向かったのは、体育教官室前だった。バレー部では体育教師の巣であるその部屋の前にマネージャー各員が集まり、顧問の鬼監督を交えてミーティングを行うのが日常になっている。
 上履きを乱暴に脱いで体育館へ入り教官室の方へ向かうと、丁度ミーティングが終わったところらしい、マネージャーの面々がわらわらとそれぞれの練習チームのところへ散っていくところだった。
「ミキっ!」
 その中に一際小柄な姿を見つけて、ムツが演劇部にも認められた大声で呼びかける。ミーティングも一応は部活の一環、上Tシャツに短パン姿のその人影――ミキは、その声に反応してめくっていたノートから顔を上げた。
「あ、ムツ。おっ帰りーっ」
「おっ帰りじゃねぇ!」
 ムツはミキが返事をしたかと思うと勢いよく駆けていき、いきなりミキのTシャツの胸元を両手で掴んだ。おいおい、いくら何でもそれはやりすぎなんじゃないのか。あんまり酷い乱暴をするようならしばくぞ。
「ミキ、てめぇどういうつもりだっ!」
 そんな俺の心の声が聞こえていないらしいムツは、泡を飛ばしつつミキを怒鳴った。一方、いきなり怒鳴られたミキは何が何だかわからないらしく――当然だ――それでも降参するように、両手を頭の横に挙げる。
「何なに、何の話だよっ!?」
「とぼけんなっ!」
 完全に頭に血が上っているらしいムツは、体育館にいる全員が驚いて振り返るような大声を上げてミキを更に締め上げた。おいこら、やりすぎだ。ミキを離せ熱血馬鹿。
 ムツがミキを睨みつける。ひぃ、とミキが小さく悲鳴を上げた。
「どういうことだよ、凄く好きになっちゃって困ってるって! 誰だ! うちの学校の誰に惚れたんだ、お前! 女子校生だなんて何をうっかり信じちまいそうな嘘をついてやがるっ! お前は女子校生じゃなくても充分可愛いだろうが!」
 嗚呼、そっちかよ。
 俺はため息をついた。ふと見ると隣のメグも呆れた顔をしている。同感だよ、メグ。ムツの馬鹿も末期だな。
「な、何の話っ!? 俺ってばさっぱり――」
「まだとぼける気かコラァ! 吐け、さっさと吐いちまえ、ゲロしろ! 楽になれるぜ!」
「ムツ、離せ。お前はどこの刑事だ」
 きりがなさそうな上にこのままだとミキが窒息死しかねないので、俺は言ってムツのワイシャツの首根っこを掴む。ついでに頭を平手で殴ってやると、痛っと呻いてからやっとのことでミキを解放した。
「は、離せー! 俺は許さねぇ、断じて許さねぇ! ミキに男なんて、絶対に許すものかーっ!」
「はいはい、そのくらいにな」
 お前はどこの頑固親父だ。
 全く懲りる様子がないムツの耳たぶを掴んで思いきり引っ張りながら、俺はミキに向き合った。
「いきなりごめんな、ミキ」
「……いや、別にいいんだけどさぁ……」
 よほど苦しかったらしい、ムツに掴まれた辺りを擦りながらミキはよくわからないといった顔をした。
「何があったの? つーか俺が誰某に惚れたとか、何の話?」
 そうそう、当然そう思うよな。でも、そう思うことがそもそも俺達にとっては納得いかない訳だ。
 ミキよ、ちょっと話を聞かせてもらおうか。
「あのさ、ミキ。この文面に見覚えはない?」
 人目を盗んで携帯電話を取り出したメグが、ムツから回された例のチェンメを開いて、ミキに差し出す。ミキはメグの携帯電話を受け取ると、液晶に表示された文章を読み進めつつ、キーを動かした。大きな目がぱちぱちとよく瞬きする。
「あ、ムツが言ってたチェンメ? 送り主、見つかったんだっ」
「一応、それらしい人がね」
 もっともらしく人差し指を立てて、メグが言う。
「ムツから辿っていったらね、ムツ、アキ、爽大先輩、和奏先輩、理音っていう順番で――」
 メグの話が核心に触れる。

「理音に回したのが、ミキになってたんだ」

「……」

「しかも、理音を含めて十五人に回したのがね」

「……お、俺っ?」
 しばらく黙った後で、引き攣った笑みを浮かべつつミキが言った。大きく見開かれた目は、全く身に覚えがないことをありありと語っている。それを見たムツが「まだとぼけんのかよ!」と再度飛びかかろうとしたが、俺に耳たぶを掴まれているため実現しなかった。
 俺はムツを拘束したまま、うなずく。
「ああ。……覚えはない?」
「全然っ、ないよっ」
 ミキは勢いよく首を左右に振った。それからちょっと待ってて、と言うとメグに携帯電話を返してから走って体育館を出て行き、自分の携帯電話を持って戻ってくる。
「だって、手元に残ってないしっ……」
「でも、消しちゃった可能性もあるから何とも言えないよね」
「消すって……メグ、俺もう一ヶ月くらいメール整理してないよっ」
 困ったような声を上げながらミキは一通りメールを探す。俺とメグ、ついでにムツが見ている中で送信ボックスを確認していき――最後のメールに辿り着いたところで、ミキは再度首を横に振った。
「俺じゃないよっ……」
「……まぁ、俺もまさかミキだとは思ってないけどさ、」
 ミキだったところで困りはしないしな。思って、複雑な顔をするミキに言ってやる。
「でも……何の覚えもない訳?」
「ないよっ、そんなメール今日知ったし! 第一俺、あんな言葉遣いしないし、誰も好きになってなんかっ――」
 念を押すように尋ねた俺に、ミキはすがるようにそう言って――
 その台詞が途切れた。
 何かと思って見れば、ぽかんとしたようにミキの口が開かれている。
「……あ」
 そして台詞の続きの代わりに、ミキの口からそんな感嘆詞が漏れた。ほとんど無意識の内にだろう、手の中にある折畳式の携帯電話をぱたんと閉じると、メグに手を差し出す。
「メグ、さっきのチェンメ、見せてくんない?」
「……いいけど」
 首を傾げつつメグが携帯電話を渡すと、受け取ったミキはもう一度、例のチェンメに目を通す。最後まで行ってはまた最初に戻って、何度も何度も文面を読み返し――
 その顔が、だんだんと険しいものになっていった。
「これ……もしかして……」
「……ミキ?」
 滅多に見せない表情を浮かべるミキに、声をかける。
 ミキは携帯電話を閉じると、ありがと、と言ってメグに返してから、俺達に改めて向き合った。
 そして言う。

「今日さ。これから、部活サボれる?」


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