* * *

「えっ、メグ、休みなの?」
 ムツと二人で向かった部室では、ムツ・メグ・俺の練習Cチームのチームメイトで同輩・マネージャーの服部実紀――通称・ミキが、男子にしては大きくてぱっちりとした二重の目をくりくりさせて驚いた声を上げた。
「すげー、珍しいっ。天変地異の前触れだよ、それは」
 ジャージに着替える俺とムツの間でワイシャツを脱ぎ捨てあまりにも華奢な身体を晒しながら、ミキは自分の鞄の中から一冊のノートを取り出す。それ、うちのチームの練習記録だよな。
「あったり。えー、だって、多分チーム組んでから一回も休んでないと思うよ、メグ?」
 上半身裸のままノートのページを繰るミキに、俺は正直視線のやり場に困ってしまった。男子校であるにも関わらず先輩からの告白が絶えないほどの、そもそも女子にしか見えない超絶美人であるミキだ、いくら同性であると頭でわかっていても、大きな目、潤んだ唇、可愛い顔立ち、ハーフアップにされた肩下までの長い髪、細い身体――を目の前にすると、どうしてもそうなってしまうのだ。ていうかミキ、早く服着てくれ、服、服。
「おーいおいミキちゃぁん、悩ましい上半身でメグのこと気にしちゃうんですかぁ?」
 そんな繊細な俺の感覚とはまるで違う神経を持っているのか、早々にジャージに着替えたムツが大胆なことにもミキに背後から飛びついた。何というか、こういうのが男子校のノリなんだろうなぁ、と思う。やめろってばさ、と笑顔で言い返すミキとかーわいーい♪ と抱きつくムツを見て、友達同士の軽い戯れなんだと知りながらも、一人赤面してしまう俺だった。切腹。
「あれ、ユキ、何赤くなってんの? まあいいけど。で、メグだよメグ」
 恥ずかしいことに俺のことを指摘してから、ミキはムツを背中に引っ付けたままノートに視線を落とす。
「……本当、一回も休んでないよ? 入部して、俺が記録取り出してからは一回も休みなし! あって途中まで参加してからの早退だねー。それも全部、練習中の怪我でだよ。しかも、それだってたった二回……わははっ、明日は富士山が噴火するんじゃないかなっ」
 笑顔で言うことなのか、それは。メグに失礼だろうが、あいつを道を横切ろうとする黒猫みたいに言うな。
「俺は関東大震災が起こるのがいいな!」
 相変わらず背後からミキに抱きつきながら、ムツまでがそんなことを言う。俺が無言で睨むと、「んな怖い顔すんなよ、ユキ」とムツはミキから離れてため息混じりにひらひらと手を振った。
「ただの軽いジョークだってーの、ムキになるなって。……そんなに心配なのかよ、メグのこと? あ、何? ユキってもしかして俺様よかメグっちの方が好みだったりしちゃいます?」
 どうしてそうなる。ここは男子校だろうが、というか何故俺が男趣味だという前提なんだ。どっちみち好みっていうなら俺としてはムツやメグよりはミキみたいな可愛い子の方が……っておいおい。
「じゃなくてな……」
 俺は着替え終わって脱いだ制服を一通り片付けながら、どことなく部室内に視線を彷徨わせた。制服を突っ込んだエナメルの鞄をロッカーに詰めながら口から零れ落ちる息は、軽く吐息の体を成している。
 どうも、気になる。
 俺に部活を休む旨を伝えた時――
 メグは申し訳なさそうな表情を作る前に少し、困ったような、焦ったような顔をしなかったか?
 部活を休むのに申し訳なく思うのはいいとして、何故困り、焦るのか。
 そしてその後、手を後ろに回して「ごめん」って。
「――」
 手を、後ろに回して。
 まるで、俺の視界から隠すように。
「……なぁ、ムツ」
「あん?」
「今日のバスケ、お前とメグ、試合の時同じチームだったよな?」
「んー? そうだけど」
 ならば、もしかして。
「……あ、そういうこと? だもんなー、ムツは滅茶苦茶に乱暴なボール投げるからねぇ」
 俺の考えていることがわかったらしいミキが、うんうんと納得したように相槌を打つ。一方のムツは今一つわかっていないようで、はぁん? などと頭の上にクエスチョンマークを浮かべているだけだ。
「いいよ、ユキ」
 やがてそう言って、ミキが俺の肩をぽんと叩いた。振り返ると、男に生まれたことが間違いとしか思いようのない美人マネージャーは、俺の下半身を骨抜きにしかねない極上の笑みで微笑みかけてくる。
「今日くらい休んだって平気平気っ。俺とムツなら適当に練習してるからさ――メグのこと、追っかけていきなよっ」
「……いいのか?」
「もーっ、水臭いこというなよなっ。気になってるんだろ? 駄目とか言えないしっ」
 それから、ぷくっとむくれてみせる。むくれてもミキは可愛い。
「想い人を追っかけようなんていう人の恋路を邪魔するほど、俺達神経図太くないからさっ!」
「おい」
「ムツよかメグの方がいいんだろ? あははっ、ユキがんば☆」
 どうしてそうなるんだ……。
 所詮は軽い冗談であるそれに言い訳しても笑われるだけだと身をもって知っている俺は、ファイトだの応援するよだのとしつこいミキの笑顔の見送りを受けて、制服に着替え直し、十分近く前に帰ったメグを追いかけて学校を飛び出した。
 まさか、だよな。
 追いつくことをひたすらに願いつつ走る最寄駅までの道は、熱せられたアスファルトがまだ、空気をじわじわと暖めていた。


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