* * *

 そんな訳で何とか焼きそばを食い終わり、先輩達にお礼を言ってから俺は体育館へと向かった。
 かつては毎日のように、朝や放課後のバレー部の活動のため訪れていた場所だ。そうして見慣れた体育館も、学園祭のこの日だけはまるで姿を変える。窓に暗幕が引かれ、ギャラリーにはステージを皓々と照らす照明。普通の上履きで立ち入っても大丈夫なようにシートが敷かれた床に、一面パイプ椅子が並べられる。ステージの前は立ち見席になっていて、軽音楽部のバンドライブが行なわれる際はそこにたくさんのサクラが集まることを俺はよく知っている。
「お……やってるやってる」
 厚く重い体育館の扉を開いて中へ入ると、当時から変わらないそんな光景が俺の目に飛び込んできた。同時に、密閉された体育館に満ちている軽音楽特有の少々乱雑な音が全身を包んだ。
 やはり部の規模が小さくなっちまったせいか、集まっている客も当時に比べれば少ない気がする。が、そのおかげで立ち見席の後ろの席が空いていたので、適当なところを選んで俺は腰を落ち着けた。
 それとほぼ同時に演奏が止んだ。それからそのバンドのボーカリストが喋ったことによると、彼等は中等部三年生の有志バンドで、楽器自体は一年前から練習していたらしい。それにしちゃ少し下手だが、まぁそんなもんだろうと俺は勝手に納得した。
 ラストソングの前に、ボーカリストのトークは続く。メンバーが紹介され、俺は彼等がクラスの仲良し五人組だという至極どうでもよさそうな情報を入手した。明後日には忘れちまうだろう。
「……思ったより退屈だな」
 最後に演奏された曲も聴きなれないマイナーなバンドの曲だったので、早々に俺は飽き出した。それがどうにもあまり上手くないとなれば尚更だ。次のバンドがもう少しマシな演奏をしてくれることを期待し、俺は適当に彼等の演奏を聞き流す。
 ようやくのこと最後の曲が終わり、メンバーが全員前に出て一礼、下手からステージを出て行った。
「えー、それでは次のバンドを紹介したいと思います。次は高等二年生の有志で、――」
 それと同時に軽音部員によるアナウンスがなされ、次のバンドのメンバーが同じく下手からステージに入ってくる。
「げっ」
 そうして入ってきた三人のメンバーを見、信じがたいアナウンスを聞いて、これは俺の肺から出てきた息の音である。実に信じられない光景がそこにあった。
 軽音部員によるバンド紹介が行なわれる中、慣れた様子で準備を進める三人組。俺の目がおかしくなっていなければ、それはメグとミキと、そしてムツだった。いつの間に喫茶店の衣装から着替えたのか、皆制服のスラックスに黒のポロシャツ、色違いのネクタイという揃いの格好をしている。
 その衣装は三年前、俺達が有志バンドとして学園祭二日目のステージに大取りで立った時に着ていたのと全く同じものだった。
 ……何やってるんだ、あいつ等!
「…………」
 誰からも何も聞かされていなかった俺はただただあんぐりと口を開くばかりで、ひたすら唖然としてステージ上の三人を見つめる。
 一番奥のドラムセットの間にすっぽりと収まり、ハイハットやタム、スネアの位置を調整するメグ。ステージ下手で身体に対しやたらでかいスリートーン・サンバーストカラーのジャズベースを抱えチューニングをするミキ。そして、上手で――眩しいチェリーレッドのフライングVを手に、真剣な表情で客席を睨んでいるムツ。
 全てがあの時のままだ。
 変わった部分があるとすれば、メグの髪が短くなり眼鏡がなくなったことと、ミキとベースの大きさの比率、ムツが黒いポロシャツの上から袖をまくったワイシャツを羽織っていること、……そして俺がいないこと。
 ムツが今している、ポロシャツの上にワイシャツという格好は、当時俺がステージ中央に立った際していたものだ。
「…………」
 全員の動きが止まったところで、丁度アナウンスも終わった。客席からまばらな拍手が起こるが、当然俺はそれに加わっていない。
 完全に思考停止した状態でステージを見上げる俺の前で、メグがドラムスティックを鳴らした。
 それを合図にムツがギターを鳴らし、同時に歌い始める。

『Wake me up wake me up wake me up when you come back
 I'll be here I'll be waiting here for you』

 俺もよく知る、RADWIMPSの「05410-(ん)」――
 ネイティブと比べても遜色ない滑らかな発音で、ムツはマイクに向かって英語詞を吹き込んでいく。

『I can be your best friend
 I can be your least friend
 I can be your boy friend
 but I don't wanna be your ex-friend』

 僕は君の親友であるかも知れない。僕は君の最低最悪の友人かも知れない。あるいは君の彼氏でもあり、しかし君の元・友人にはなりたくないんだ。

『Wake me up wake me up wake me up when you come back
 I'll be here I'll be waiting here for you
 If the size of the sky makes you frighten then come back
 And then cry so that I might could hug you』

 起こして、起こして、君が戻ってきた時は僕を起こして。
 僕はきっとここで、君のことを待っているからね。
 もし空の広さが君の恐怖心を煽るなら、その時は戻っておいで。
 そしたら僕は君をきっと抱き締めるから、その時は泣いてください――

「05410-(ん)」は「おこして」と読み、一般的には失恋ソングだと言われている。途中日本語詞も挟んで、自分の元を去った恋人への想いが続いていく。
 元はツインギターの曲を、スリーピースバンド用にオリジナルにアレンジしてあった。

『Wake me up wake me up wake me up when you come back
 I'll be here I'll be waiting here for you
 Pick me up pick me up pick me up when you come back
 Until then I will save this song for you』

『Now come back now come back now come back I'll take it back
 I'll be here I'll be here I'll be waiting here for you』

 笑顔を見せて、元気づけて、君が戻ってきた時は僕を明るくして。
 それまできっと僕は、この歌を歌い続けるからね。
 今すぐに、今すぐに、今すぐに帰ってきて――あいや、それは取り消すけどさ、
 僕はきっとここで、きっとここで、君のことをきっとここで待っているからね――

 知り合いの欲目、ってやつかも知れない。しかしそれを考慮に入れたところで、それでも遥かにさっきの中等三年生のバンドよりも見事な演奏を、三人はしていた。
 相変わらずメグのリズムキープは完璧だし、ミキのベースは最初の方の動くベースラインもテンポよく響いていたし、そして特筆すべきはムツだ――ムツの英語の成績がこの学校のこの学年で一番いいのは誰もが知っていることだけれど、それはテストの成績がいいだけでなく、会話や発音にも目を見張るものがあるからなのだった。
 ギターを弾きながら歌うなんて器用な真似が、数週間かそこらの練習でムツにできるようになるとは思わない。恐らくはきっとずっと、長い間練習を積み重ねてきたのだろう。
 演奏が終わると、前のバンドに比べてもかなり大き目の音の拍手が体育館に響いた。一曲目を歌い終えた三人が、それぞれメグは袖口で額に浮かんだ汗を拭い、ミキはチューニングを弄り、ムツが足元に放置していたペットボトルから水を一口飲んで、最後にお互いに顔を見合わせる。
「…………」
 やっぱりぽかんと口を開き続ける俺を差し置いて、ムツが舞台下手に向かって手招きをする。俺もよく知る、三年前にはかなり世話になった軽音部員であるところの木之本が出てきて、ドラムセット横に設置されていたキーボードのところに落ち着いた。
 そして、その木之本が鍵盤を叩き始め、二曲目が始まった。

『君と夏の終わり 将来の夢 大きな希望 忘れない
 10年後の8月 また出会えるのを 信じて
 最高の思い出を…』

 今度はZONEの名曲、「secret base〜君がくれたもの〜」――
 オクターブ下げた低く、しかしどこか爽やかで切ない歌声で、ムツが歌い出した。

『出会いは ふっとした 瞬間 帰り道の交差点で 声をかけてくれたね 「一緒に帰ろう」
 僕は 照れくさそうに カバンで顔を隠しながら 本当は とても とても 嬉しかったよ』

 やがてドラムとギター、その後にベースが加わっていくのを聞きながら、俺はすぐにわかった。
 ああ、ムツは。
 俺達のことを歌っているのか――と。

『嬉しくって 楽しくって 冒険も いろいろしたね
 二人の 秘密の 基地の中』

 ステージの上、右端でムツがスポットライトを浴びている。薄暗い舞台の上で、歌っているムツと、もう一箇所――
 舞台中央、さっきまで前のバンドのボーカリストが歌声を響かせていたマイクスタンドだけが皓々と照らされていた。当然、そのマイクスタンドの前に立つ人間はいない。

『突然の 転校で どうしようもなく
 手紙 書くよ 電話もするよ 忘れないでね 僕のことを
 いつまでも 二人の基地の中』

『君と夏の終わり ずっと話して 夕日を見てから星を眺め
 君の頬を 流れた涙は ずっと忘れない
 君が最後まで 大きく手を振ってくれたこと きっと忘れない
 だから こうして 夢の中で ずっと永遠に…』

『君が最後まで 心から 「ありがとう」 叫んでいたこと 知っていたよ
 涙をこらえて 笑顔でさようなら せつないよね
 最高の思い出を…
 最高の思い出を…』

 二曲目の演奏も終わると、今度はぽちぽちとまばらな拍手の中で、ムツがマイクを握って喋り出す。木之本はその中で誰にも注目されないようにこっそりと舞台上から退場していった。
「えー、どうも。トリクロロメタンでーす。……こうして学園祭のステージに立つのは、実は意外にも二回目だったりするんですけど、更に驚きなことには! 俺達のバンドは今月末で、丁度結成三年だったりするんです」
 しんみりした曲の後で、無意味に声の明るいムツのトークが変な風に体育館中に響いた。
「だけど、こうして三周年を迎えるまでの道のりは、ぶっちゃけあんまり平坦じゃなかったかなって思います」
 ムツは自分の左隣、ステージ中央で薄く照らし出されている無人のマイクをちらりと見た。
「えっと、ですね。……今このステージに立っているバンドのメンバーは、バンドを作った当初のメンバーより一人足りません。ドラムの高等部二年B組・浜野恵、ベースの同じく・服部実紀、それから俺、ギターの同じく・野瀬睦――あともう一人、メンバーがいたんです」
 薄暗い客席を、ムツが柔らかく微笑みながら見渡す。
 俺と目が合った気がした。
「俺達が中等部二年生だった時……三年前の学園祭で、俺達はこのバンドを結成して、ここのステージで演奏しました。でも、それがメンバーが全員そろってやる、最初で最後のライブになった。……転校したんです、そのもう一人のメンバーは」
 誰にともなく、語りかけるムツ。
 客席全体が、しんと静まり返って聞いていた。
「すっげぇ突然のことで、ていうか、それでライブが、学園祭が終わった時に、転校するってことは聞かされたんですけど……正直寝耳に水っていうか青天の霹靂っていうか。え、ちょっと待てよ聞いてねぇし、とか思って、哀しいとか寂しいとか思う前に、何ていうか、驚いたし、ムカついたし」
「……ムツ、それでユキに向かってキレてたもんなっ」
「とかいうミキは、ぐしゃぐしゃになって泣いてたけどね。あはは」
「っメグ、それは言わなくていいから! な、いいからっ!」
 変に湿っぽくなってきた体育館に、ミキとメグのフォローの声がマイク越しに響いた。しばらくステージの上を笑い声が駆け抜けて、それからムツが再び客席に向かって喋り始める。
「まーそんな訳で、今日はその時以来初めてこの学校の学園祭に来てくれる……はずになっているそいつのために、あの時のメンバーマイナスそいつっていうこの三人で、バンドを三年ぶりに再結成したってことです。えっと、三年前の時は本番の二ヶ月前に楽器決めと曲決めをして練習始めたんですけど、今年も同じような感じで、夏休みの……いつだっけ? 半ばかな? そんなくらいから、そいつには秘密でずっと練習を続けてきていました」
 もちろん、ムツがメグやミキと確認をしながら話すそんな裏話は、俺の知るところではない。
 ましてや、その夏休み半ばからの二ヶ月ちょっとの間のみならず――俺が転校して以来、奴等がどんな毎日を送っていたのか、それもまた俺は知らない。
 どんな気持ちでいたのか、なんて――想像すら、できない。
 だから俺は、ただ黙って舞台の上の三人に見入っていた。
「一曲目はRADWIMPSの『05410-(ん)』で、……この曲は、そいつが転校した二月後にRADが出したアルバムに入ってた曲なんですけど、あの時の俺はこればっか聴いて泣いてました。理由は別にいいですよね? ……そんで、二曲目はZONEの『secret base〜君がくれたもの〜』。やっぱ転校の曲で、そいつのために歌うとなったらこの曲かなーってことで、この三人で一緒に決めました」
 そして次の三曲目が、最後の曲です――とムツは言う。
「この曲は、俺達の思い出の曲です。……三年前のライブの時も、この曲で最後を飾りました! またここで歌えることになって、本当、無理矢理参加を頼んだ学年代表の木之本君には感謝してます。拍手!」
 舞台上でムツ達が拍手をすると、客席もまたぽちぽちとそれに答えた。
 今客席にいる客の中に、当時の俺達を知っている人達がどれだけいるのだろうとか、そんなことをぼんやりと考えた。
「そんで、今回俺達のこのライブの立役者である木之本君へと同じように……もう一人。今日、ここに来ているかも知れない『そいつ』に、」
 今度こそ間違いなく、俺はムツと目が合った。
 もう、ムツは寂しそうな顔をしていなかった。
 代わりに、その恐ろしいほど整った顔立ちに浮かんでいたのは、いたずらげな笑み。
 あの頃から全く変わっていない、俺のよく知るあいつのニヤニヤ笑い。
「どうか、拍手してやってくれないでしょうか? 今、このステージに一緒に立っていなくても――やっぱりそいつはこのバンドのメンバーで、俺達の仲間なんです」
 俺は黙ったまま肩をすくめた。ムツに見えたかどうかはわからない。それでも、俺がそんな仕草を通して伝えようと思ったことは、舞台でスポットライトを浴びているあいつにちゃんと伝わっているような気がした。

「じゃあ、今から最後のメンバーを紹介しまっす! 拍手で称えてやってくださいッ! ……我等の頼れるギターアンドボーカル! ――」

 ムツがマイクに向かって叫び終わると同時に、広い体育館を拍手の音が満たした。
 その瞬間、俺は客席のパイプ椅子から立ち上がっていた。
 拍手が鳴り止まない中、通路へと駆け出て、それから一気にステージまで走り抜ける。
 驚く軽音部のサクラ達が退いて作った道を、走り抜けて。
 ステージに飛び乗った。
「――おおーっとッ! やっぱり来てくれてましたっ! 遅ればせながら四人目のごとうじょーっ!」
 最初からこうするつもりだったくせに、わざとらしくマイクに向かって叫んで客席を盛り上げるムツ。何が起こったのかほとんどよく理解していないだろうに、それでも客席はわっと沸いた。
「遅いじゃねーか。どこで道草食ってたんだよ、ユキちゃん?」
 こっちを見てやっぱりにやにやと笑うムツに、俺は再度肩をすくめてみせる。
 すなわち――はいはい、わかってますよ、だ。
「――遅刻した。ごめん」
 目の前のマイクに向かって苦笑混じりに言うと、客席が一際大きく沸き上がる。そう――この学校の、こういう雰囲気が好きで、俺はここに入学しようと思ったのだ。
 ここを去るのを、寂しいと思ったのだ。
「……ふぅ。では、長らくお待たせをしました」
 一度舞台袖へ引っ込んでいた木之本が、久しぶり、と言いながら何かを手に、俺の立つ舞台中央へとやってきた。俺は迷うことなく木之本から差し出されたそれを受け取り、それから客席に向かってそう言う。
 レスポールスペシャルの国産コピーモデル。
 三年前の学園祭も、俺はこのギターを抱えて、このステージに立って、同じスポットライトと拍手を浴びていた。
 そして、今も。

 終わってなんかいなかったのだ。
 あの日から、ずっとずっと、続いていた。
 だからこれは、あの日の続き。
 ラストシーンの後の、失われていたエンドロール。
 いつまでも――俺達の、基地の中。

 俺は体育館の闇をまっすぐに見据えた。
 ギャラリーから向けられる舞台照明が眩しくて、その中で、叫べるだけ、叫んだ。

「それでは、ラストソング!」


←Back Next→



home

inserted by FC2 system