* * *

 それは前々から、理音に言われていたことだった。
 今月・十月の始め、定期テストが終わった後のちょっとした騒ぎで演劇部を訪れた時から、理音はムツにこう言っていた「今度の学園祭。一年生の舞台、お前出る気ない?」。
 演劇部の学園祭での劇は、二日ある日程の内一日目の体育館舞台で行なう中等部・高等部それぞれの劇の他、本拠地たる視聴覚室で各学年がそれぞれ二公演ずつ行なう劇がある。
 体育館での公演はもちろん、夏休み中大会用に練習を積み重ねてきた劇だから、厳格たる雰囲気で(だからこそ理音はあまり積極的に参加しようとしないのだ)部外者が首を突っ込む隙もない。
 しかし、視聴覚室での各学年公演なら、割と自由な雰囲気なのだそうだ。各学年ごと、脚本・演出担当が中心となって演目を決め、役者・音響・照明・衣装・大道具・小道具・メイク担当一体となって一つの劇を作り上げる。一学年に十人程度しか部員がいないことから、そこまで大掛かりなことはできないのだが――だからこそ、部外からスタッフを募ることもできるらしい。
 で、理音が言っているのは、その各学年公演の内の一公演に出演しないか、ということだった。
「俺達の演目は、ずばり『眠れる森の美女』。あっくんには是非とも、格好いいフィリップ王子の役をやって欲しいんだよねぇ。どう?」
 緑色の表紙の台本を軽く振って言った理音に、ムツは腕を組んで少し考え込むようにする。
「嫌だって言ったら?」
「やだなー、あっくんが俺の脚本を演じる折角の機会を自らの手でぱーにする訳ないじゃん。俺の脚本至上主義のあっくんがさ」
 本当に楽しそうに、意地悪な笑みを浮かべて理音は続ける。
「それに、あっくんは俺達に負い目だってある訳だろ? 『多分入部します』って堂々宣言までしておいて、いきなりバレー部に行っちゃった負い目がさぁ」
「……」
「ぶっちゃけ、キャストと裏方の兼ね合いがぎりぎりで、あっくんに入ってもらえると助かるんだけどなー。そうしたら、お前が演劇部に入ってくれなかったこと、不問にしてあげてもいいんだぜ?」
 ムツが入部先を演劇部からバレー部にいきなり変更してしまったことを、実は理音はかなり根に持っている。そりゃそうだ、俺と立場交換したいなんて言い出すくらいムツにのめり込んでいるのだから。
 仮入部期間中、二人の間でどんなやり取りがあったのか知らないが、読書一筋の文学少年たる俺の妄想、もとい想像では……「俺は役者で理音は脚本。二人でいい劇作ってこうぜ♪」「きゃー、あっくん格好いいー☆」。こんな会話がされていたんじゃないのかな。
 多分それを、ずっとグチグチ言われて続けているのだろう。



「今度の学園祭。一年生の舞台、お前出る気ない?」


「ふぅん……」
 ムツはらしくもなく迷っている様子だった。
 悩んでないでさっさとやるって言っちまえばいいのに、と俺はそんなムツを見て思う。
 理音の言った通り、ムツは理音の書く脚本というのがとことん好きだ。今までも、時々ふと思い出したようにバレー部の部室を出て行っては、理音から貰ったという脚本片手にスキップしながら帰ってきていた。それから部室でその台本を広げ、最終下校時刻まで何度も何度も読み返すのである。次の日には部活を正式に休んで演劇部へ赴き、その台本で練習に参加してきたと嬉しそうに俺に報告していた。
「理音はマジで天才だぜ。俺さ、童話とか民話とか伝承とか、何つーの? 古典的な話っていうのが今一つ苦手だったのな。同じ演劇でもシェイクスピアとか訳わからないし。……だけど理音がリメイクする『シンデレラ』とか『白雪姫』って、すっげー現代風のアレンジで面白いんだよ! 俺は演劇が好きだけど、それは半ば理音のおかげだね」
 って、言ってたくらいである。自分一人で演劇部を訪ねるだけでは飽き足らず、最近では今日のように部活をサボり、俺達Cチーム面子を引き連れて視聴覚室へ遊びに出かけるほどだ。
 だから、この話だってムツに断わる理由は何一つない。まだ演じたことのない理音の脚本で学園祭の舞台に立ってみないかなんて、ムツにとってはヨダレものの提案なはずなのだ。
 プラス、これもまた理音の言う通り、ムツには入部を宣言したにも関わらず演劇部に入らなかった負い目というものがある。それを不問にしてやるといわれているのだ、尚更断わる理由がない。
 なのにムツはやたらと神妙な顔をして、理音と、理音が摘み上げている台本とを睨んで指先で顎を撫でている。
「よっしゃ。それじゃあ理音、俺からも一つ条件がある。お前が喉から手が出るほど欲しがっている役者の俺・野瀬睦からの、唯一にして最大の条件だ」
 相当黙って悩んだ後で、ムツはそう言って顔の横にぴんと右手の人差し指を立てた。何だい、と理音。このやり取りすらも面白くてたまらないという表情で、ムツの台詞を待つ。
「キャストが足りないってんなら……俺以外の人間が参加するのも当然ウェルカムだろ? よって、俺だけじゃなく、こいつ等――バレー部Cチームメンバーもキャストに加える。これが俺の、演劇部中等一年生視聴覚室公演に参加するに当たっての条件だ」
「ちょっ……待っ、」
 いきなり何を言い出すんだこの馬鹿!
 俺は目を見開いてムツを見た。
「ふぅん……メグみんとミキてぃ、それからユキぴーも参加させる、ねぇ。その心は? あっくん」
 謎かけのように答えて愉快そうににやついている理音に、ムツは腕を組んだ仁王立ちで答える。
「確かにお前の言う通り、俺はお前達演劇部に負い目っつーもんがある。入部宣言しといてとうとう入らなかったっていう負い目がな。……だけど理音、それで俺を責めるのはこの場合筋違いってもんだぜ? 何故なら――俺が演劇部でなくバレー部を選んだ原因は、現チームメイトたるこいつ等にあるんだからな」
 メグとミキ、そして俺。
 指で順番に示して、ムツは演説を続ける。
「責めるべきはどう考えても、俺じゃなくて俺のことをお前達から略奪したこいつ等だろ? だから、俺が心の底から魅せられちまったこいつ等の実力っつーのを、リオリオ、お前は知るべきだと思うね」
 訳のわからない理屈を捏ね始めた……。
 いかん、頭痛が。
「俺は現在、演劇部ではなくバレー部に所属する身分だ。そんな俺を、そちらさんはバレー部から引き抜こうとしてるんだから――俺を奪われまいとこいつ等が奮闘するのは当然のことだよなぁ?」
 にやり、とムツが笑う。妙に演技くさい笑みに俺は頭を抱えた。
 何故俺達がお前を演劇部に奪われるのを阻止せねばならんのだ。第一奪ってないだろ。それに、万歩譲ってメグとミキはいい。どうして俺が参加しなきゃならないんだ。俺からすりゃ、お前が演劇部に奪われてくれるのならばそれ以上に喜ばしいことはないんだぞ。
「なーるほど? 演劇部VSバレー部Cチームで、あっくんを奪い合うって構図か……面白いこと考えるねぇ、相変わらず」
 台詞の矛先である理音は決してムツに突っ込みを入れてくれはしない。ただただ楽しそうに、猫のように笑うだけだ。
「それで?」
「俺はもちろん、Cチームから離れるつもりはないから、こいつ等の側で戦うぜ。もし俺達の本番の演技がお気に召さなかったら――どうぞ、俺をバレー部から引き抜いてくれよ。転部だろうが何だろうが、全部お前の思い通りさ、理音」
「俺達が完敗したら?」
「そん時は、俺はお前の書いた脚本を演じられて、更には演劇部を裏切ってバレー部に入っちゃったことを不問にしてもらって万々歳だ。学園祭のいい暇つぶしにもなるし。……あー、それだとちょっと足りねぇな。よし、俺達側が最高の演技をしたら、学園祭に関する俺のとある計画に、お前は演劇部代表として協力すること! これでどうよ」
 ……とある計画って、お前は学園祭で他に何をする気だ。
 俺の頭痛の種が、目前でどんどんと育っていく。
「へえぇ……あっくんが何を企んでるのか知らないけど、面白そうじゃん。いいよ、その勝負、乗った!」
 理音は闊達に笑うと、丸めた台本をばしりと叩いて言った。
 ……やめてくれー……。
「なかなかいい交換条件だね。流石あっくん、そこにシビれる憧れるぅ! ……演劇部側は、お前達の演技に納得いかなかったら、お前をバレー部から奪い返してしごける訳だ? んで、仮に負けちゃったとしても、他でもない野瀬睦様を学園祭の公演に引っ張り出せる、と。どう転んでもこっちにとっちゃ悪くない」
「そーそー。どうだい、成瀬理音君? 君の心は動いたかな?」
「揺れまくりさぁ」
 あーもう。
 こいつ等のこういう勝手なノリが嫌いなんだ。つーか黙って見てないで突っ込めよ、メグ、ミキ。このままだとお前等、揃って演劇部の舞台に引っ張り出されちまうぞ。
「……待て、ムツ。暴走の時間はそこまでだ」
 メグとミキに何でもいいから止めてくれと視線を送り続けていた俺だったが、二人ともにこにこ笑っているだけで何も言おうとしないので、結局はいつものように俺がムツを止めることになってしまう。全く、どうしてこういう厄介な役を毎回毎回押し付けてくるのかな、お前等は。
「あーん? 何だよ、ユキ。いい感じで話がまとまりかけてたのに。何か文句あんのか?」
 ダッシュしてムツに飛びつきそうだった勢いの理音を制止してから、ムツは不愉快そうにその整った顔を歪めて言う。
「あるね。大有りだ」
「やだ、聞きたくないぞ」
「聞け」
 イラっときたので手元にあった理音のペンケースを投げた。
 寸でのところで避けたムツは「うわっ」と驚いた声を上げる。
「お前、何、カンペンとかおっそろしーもん平気で投げてんだよ! 顔に当たったらどうするんだ!」
「整形外科に行け。そしてその前に俺の話を聞け」
「二分だけでもいいか?」
「黙れ」
 理音のペンケースを拾い上げてようやくのことムツが大人しくなったので、俺は口から台詞を紡ぐ。
「お前が演劇部に行こうがバレー部に残ろうが、それはお前の勝手だ。それを賭けた勝負をするのもお前の自由だ。お前の行動をいちいち止めるほど俺は神様やってないからな」
「じゃあ、止めるなよー」
「いいや、止めるね。何故なら、お前の話によるとその勝負に俺達が巻き込まれることになってるからだ。……戦うなら一人で戦えよ。どうして俺やメグやミキまで演劇部の劇に参加しなくちゃならないんだ」
「その理由はさっき粗方述べただろ? やだなーユキ、人の話はちゃんと聞こうぜ。目を見てな」
「お前の目なんか見ても儲からん。……その理由に納得がいかないからそう言ってるんだろ。疑問じゃない、反語だ。全訳するか? 『何故俺達もお前と共に戦わねばならないのだ、いや、戦う理由はない』だ」
「……ユキ、俺が古典嫌いなの知っててわざとそういう風に言ってるだろ」
 玩具を取られた子供のような目で、ムツは俺を非難がましく見た。
「やだね。それこそどうして、俺が一人で理音達と戦わなくちゃならんのだ。反語法、いや戦いたくはない、だよ。ユキ」
「だったら変な勝負なんてしなくていいだろ。学園祭は大人しくクラスの休憩所でかき氷でも食ってろ、誰も止めないから。……演劇部の劇への参加は諦めるんだな」
「ぶー」
 ムツは口を尖らせた。
「ユキはいっつもそうだよな。はん、お前には俺の気持ちはわからねぇよ。自分の信念に従ってバレー部に入ったのに、それを非難される俺の気持ちなんかな」
 わかりたくもないからな。
 つーか、非難されてる原因だってお前にあるんだろ、それ。
「だから、だったら一人で戦え。俺達のことは巻き込むな。お前の選択肢は、『一人で演劇部と戦う』か『演劇部との勝負は諦める』かどっちかだ。それ以外はない」
「ふー。ユキぴーは物わかりが悪いねぇ、ねぇ? あっくん」
 と、俺達のやり取りに口を挟んできたのは理音だ。丸めた台本で自分の肩を叩きながら実にだるそうな口調で言う。
「そんな奴の仲間なんかやめちゃって演劇部に来いよ。もっと大事にしてあげるよー?」
「ははは、悪くないけど却下。……ユキのこの言動も、俺思ってのことっすから」
 俺の言動に勝手な意味を付属させるな。
 ムツを睨みつけた俺に、理音はため息をつく。
「ふーん、怪しいなぁ。俺はどうにも違う気がするけどねぇ……ねぇ、ユキぴー。お前はあっくんのことを何とも思ってない訳? ただ同じクラス、同じ部活にいるだけのそういう存在だって? 冷たいねぇ。心底呆れちゃうよ」
「……何が言いたい」
「仮にもあっくんを友達だと思うなら、協力してあげなよ。いいじゃん、劇に出るんでも。減るもんじゃあるまいし」
 ムツとお前の独断でだと、減るような気がするぞ。
「それに話は、演劇部中等一年生代表たる俺と、Cチームリーダーたるあっくんの間でもう決まってしまった! ……リーダーの言うことは絶対だよ。バレー部は違うのかな?」
「……」
 ムツがチームリーダーをやると言った時、全力で止めればよかった。
 あーあ、リーダーは基本的にセッターがやるもんだしいいかって思っちゃったんだよなぁ。
「……リーダーの言うことだろうと何だろうと、その部下が全員反対したら意味はない。だから俺は、数に頼る」
 俺はメグとミキを見た。
 黙って事の成り行きを見守っていた二人に、俺は尋ねる。こうなりゃ多数決だ。
「お前等二人はどうなんだよ? ムツの独断と偏見で、学園祭の舞台に立たされることになっちまってもいいのか?」
「うん、僕は構わないよ」
「もちろん! 俺はムツに賛成っ」
 ……。
 裏切り者めっ!(涙)
「だってさ。へーえ……さっき何て言ってたよ、ユキ嬢ちゃん?」
 ムツがもの凄く嬉しそうだ……。
 もう死んじゃいたい。
「…………数に頼る、だ」
「頼れたか?」
「…………わかったよ!」
 苛立たしげに俺は返事をした。
 ああもう。どうして俺には拒否権というのがいつもいつもいつもいつも存在しないんだ! 国連が羨ましくなるね。アレは、常任理事国・非常任理事国の内一カ国でも反対したら国連軍は派遣できないんだろ?
 つーか、メグもミキもどうして反対しないんだよ……世界七不思議の一つに数え上げるべきだ。
「僕は、ムツが演技してるの見るのは好きだし。やるのはちょっと苦手だけど……でも、楽しそうだからね。部活もそこまで忙しくないからいいんじゃないかなって、思ったんだけど。駄目かな? ユキ」
 駄目に決まってんだろ、メグ。
「ぎゃはは、俺はユキの考えの方が理解できないぜっ! 舞台に立つのはムツが言う通り、滅茶苦茶楽しいよ? まして学園祭の公演に参加できるってんなら、ヒーローやりたい俺が反対する訳がないよなっ。方程式解くより簡単な結論っ!」
 忘れてた、お前の思考はムツと同程度だったな、ミキ。
 ……ため息をついてがっくりと肩を落とす俺の目の前で、今度こそ理音がムツに飛びつく。
「やっほう! じゃああっくん、話は決まりだな! お前と、お前のお仲間とで演劇部の視聴覚室公演に参加! やったね! お前の演技をまた指導できるぅ!」
「ははっ、俺も楽しみ楽しみ。リオリオ、これから二週間よろしくな!」
「もっとよろしくしてあげてもいーんだぜー?」
「うーん、それは俺のお仲間に聞いてくれ」
 猫だったらごろごろと喉を鳴らしているだろう嬉しそうな表情で抱きついている理音の頭を撫でながら、ムツはちらと俺を窺う。
 挑戦的な、高圧的な、にやついた視線。
 ……何が言いたいんだよ、もう。

 俺はアメリカくらいの発言力を持つ人間になりたかった。


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