* * *

 眠れる森の美女。
 演劇部の学園祭、視聴覚室各学年公演に無理矢理参加させられることになってしまった俺は、翌日の昼休み、図書館に赴いてその演目たる物語について調べた。
 何せ昔、一度だけ妹と一緒に某アニメ会社の映画版を見たきりで、詳しく覚えていなかったからな。申し訳ないことにチャイコフスキー大先生のバレエバージョンも見たことがなく、ストーリーについての記憶はかなり曖昧なんである。
 学園祭までは二週間しかない。
 その二週間の間に、物語の流れと台詞と所作を片っ端から覚えなきゃならないんだから、だったらせめて物語の部分だけでも先に頭へ叩き込んじまおうと思った訳だ。
「……俺って意外と真面目?」
 そんなキャラ設定はなかったと思うんだが。まぁいい。
 フランスの作家、シャルル・ペローによる昔話集を文庫本のコーナーから見つけた俺は、それを手に閲覧机へと落ち着き、手擦れのした本のページをめくる。
 眠れる森の美女、別題・いばら姫。
 お話は昔々、子供が長年できないでいる王様とお妃様がいて、ようやくのことその間に女の子が生まれ、お城で洗礼式が行なわれるところから始まる。小さな王女様の名付け親として、国に住む七人の妖精達が招かれることになり、その全員から、王女様は贈り物を受けることとなるのだ。
 洗礼の儀式が終わり、盛大な宴会が開かれる。そこに、一人の年老いた妖精がやってくる。その妖精は儀式には呼ばれておらず……つーのも、そいつは五十年以上もの間姿を現したことがなかったもんで、てっきり死んでしまったか何かと思われていたっていうのだ。随分と酷い話だな。ていうか、その妖精、滅茶苦茶かわいそう。
「……敵役に同情するな、俺」
 で、その年老いた妖精は儀式に呼ばれなかったことを怒って、王女様にとんでもない贈り物をする。
 それが、あの伝説の贈り物「紡錘に手を刺されて死ぬだろう」。あ、紡錘っていうのは糸を紡ぐ機械の部品で、鉄製の細い棒な? これに糸を巻きつけてよりをかけるんだ。
 この恐ろしい贈り物に、一同は震え上がった。当然だ、他の妖精達は世界一美しくなるとか、頭がよくなるとか、歌が上手くなるとか、そういうことを贈ったっていうのに、いきなり「死んでしまう」だからな。
 しかし、そこへ最後、その状況を予知して壁掛けの後ろに隠れていた頭のいい妖精が出てきてこう言うのだ。
「『お嬢さまは、けっして死ぬようなことはありませんから。なるほど、わたくしごときの力では、あの年長のかたのいわれたことを、なにもかもとりけすには足りません。王女さまは紡錘に手をさされるでしょう。けれども、そのために死ぬのではなくて、ただ、ふかい眠りにおちるだけのことでしょう』……」
 その眠りは百年の間続く。丁度百年が経った時、一人の王子様がやって来て、彼女の眠りを覚ますのだ――と。
 あとは有名なあの展開である。王女様は贈り物通りに指をぶっ刺して眠りにつき、それと同時にお城の人達も全員、あの善良な妖精によって眠りにつかされてしまう。百年後、王女様が目覚めた時に、全員が死んでしまっていて誰もいないんじゃ困るだろうからって訳だ。その妖精、頭よすぎる。
 お城はいばらで閉ざされ――それが、グリム兄弟版の「いばら姫」の題名に通じる訳だ――百年後、本当に、一人の王子様がお城へとやってくる。
「……ちょっと待てよ」
 休み時間終了のチャイムが鳴り、そこまでを読んだところで、俺はふと、妹と共に自宅でビデオ鑑賞をした在りし日を思い出した。
 ペローの昔話はいい。けれど確か、一番有名であるところのその某アニメ会社版「眠れる森の美女」って、最後……
 最後――

「これが、俺が潤色した『眠れる森の美女』の台本だよ」
 その日の放課後、再印刷した台本を四部片手に視聴覚室で理音はそう言って、一部ずつ俺達に手渡していった。受け取ったCチームの面々は、それぞれ思い思いにページをめくりながら理音の台詞の続きに耳を傾ける。
「で、あっくんからのオファーもあり――折角だから、お前達四人にはメインキャラの四役を担当してもらおうと思うんだよなぁ」
 つまり。
 主役たる眠れる森の美女・理音の脚本版ではオーロラ姫と、助けにやってくる王子様・フィリップ、悪い妖精、いい妖精の四役。
 これを、俺達で分担しろというのだ。
「まぁ、俺としてはあっくんに、フィリップの役をやって欲しいなぁと思うんだけど?」
「んー。そこは、公平にくじ引きで決めようぜ」
 というムツの発案によって、授業プリントを切り分けてくじが作られ、それで役を決めることになった。俺はもう、ここに至っては何も反論しなかった。ムツに「この役」と押し付けられるよりはマシだと思ったし。
 だけど。
 だけど――
「おっ、何だ。結局俺様はフィリップ君かよ」
 と、王子様の名前が書かれたくじをひらひらさせているのはムツで、
「僕はいい妖精だね。某アニメだとメリーウェザーかな?」
 眼鏡の奥の目を、そう言って笑わせているのはメグ、
「うわー、俺悪役だし! 悪い妖精! 超ウケるーっ!」
 馬鹿に爆笑して机をばしばし叩いているのはミキ。
 ということは、
「俺……俺が……オーロラ姫……?」
 俺の手の中にあるプリントの切れ端には、確かに「オーロラ姫」と――あのムツの雑多な字で記されている。
 何で!
 何で俺が!
「……ミキ」
「何、ユキ?」
「代わってくれ」
「やだよっ!」
 拒否された。
「何で俺がユキと代わってお姫様やんなきゃいけないんだよっ」
「だってお前なら違和感ないし……」
「あー、それ酷ぇ。傷ついた」
 ミキはきりきりと眉を吊り上げる。
「俺は確かに女顔かも知れないけど、だからこそ、お姫様役だけは死んでも嫌だねっ。俺だってたまにはヒロインじゃない違う役やりてぇよ」
「そっか……それもそうだな。じゃあ、メグ……とか……」
 言って俺はメグを見た。机の上に座っているのは眼鏡でポニーテールで、……長身の男。
「うーん、僕だとちょっと難しいんじゃない? 髪の長さ的にはオッケーだけど、この身長じゃね……ムツより大きいし。王子様と比べてお姫様の方が大きいんじゃ、やっぱり格好つかないよ」
 格好つけてどうする!
 こんなたかが中学校演劇で!
「理音」
「何で俺?」
「演劇部員だろう」
「脚本・演出専門ですが」
 助けを求めようとした俺が馬鹿だった。
「何で……何で俺が……」
 嗚呼、神様。
 地球が百八十度回転し突如として肥大し始めた太陽に飲み込まれるようなことがあっても絶対に、オーロラ姫の役だけはやりたくなかったのに。なのにどうして俺なんですか?
 千歩譲って女役はいい。万歩譲ってお姫様役もいいとする。
 だけど――
 オーロラ姫の役だけは、死んでも嫌だっ!
 俺は昼休みの図書館で、思い出してしまったのだ。
 だって、だって、眠れる森の美女、その衝撃の結末といえば――

 百年の眠りについていた王女は、王子様のキスで目覚める――なのだから。

「そんなの絶対嫌だ!」
 と、今日も薄暗い視聴覚室に俺の叫び声が響く。
「いい声してるねぇ、ユキぴーもなかなか」と理音に言われたが、俺が問題にしているのはそういうことでは断じてありません。ええ、ありませんとも。
「億歩譲ってオーロラ姫役もいいとする! だけどっ……相手のフィリップ役がムツだっていうのは何をどう頑張っても絶対に嫌!」
「おいおい、嫌われたもんだな、ユキ嬢ちゃんよ」
 ムツが肩をすくめて苦笑した。
 そうやって呼ぶなぁっ!
「大丈夫だユキ、心配ねぇよ。この台本パラ見してみ? そのキスシーンの辺りは、ちゃんと直前で暗転することになってんぜ」
 慌てて台本のページをめくった。確かにそうなっている。
 だけどな、ムツ、
「俺が問題にしてるのはそういうことじゃない。お前とキスするような役を割り振られるのが嫌なんだ!」
「うわー、俺もしかして今、滅茶苦茶振られてる?」
 信じられないようなものを見る目でムツ。
 俺の方こそ、お前がフィリップ役で俺がオーロラ姫役だなんて信じられん。
 悪い夢だ、これは悪い夢だ。
「だけどなぁ……くじ引きで決めるっつった時、お前反対しなかったじゃん。しょうがないだろ」
「引き直そう!」
「……ユキって冷静そうに見えて実は思考回路が無茶苦茶だよな……まぁ、それでこそユキだけど。でも、俺はリオリオにフィリップやってくれって言われちゃってるし、メグとミキはこの配役でオッケーみたいだし、これ以上変えようがねぇ。あ、何なら俺と換わるか? お前がフィリップ王子で俺がオーロラ姫」
「そもそも解決になってねぇ」
 お前とキスシーンを演じなきゃいけない役が嫌なんだって言ってるだろうが。
 人の話はちゃんと聞け。目を見て。
「はん、お前の目なんか見ても儲からねぇよ。……ってユキが言ったんだろーが……つーか、もう面倒くさいからはっきり言うけど、俺はこれが最善の配役だと思うぜ? オーロラ姫なら、冒頭の宴会のシーンは赤ちゃんで台詞ないし、後半もほとんど眠ってるから台詞ないし。例の紡錘で指ぶっ刺して倒れるシーンくらいしか喋るところないから、二週間であんまり覚えられる自信がないならお勧めするけどな、俺は」
「うっ……」
 台詞が少ないのは魅力だ……
 しかし、相手がお前だというのは……
「……メグ、ミキ。ムツとフィリップの役代わってくれないか」
「うーん。僕もあんまり、台詞覚えるのに自信がないんだよね。それに、フィリップは殺陣のシーンがあるでしょ? 悪い妖精の使いと戦うシーンがさ。僕、殺陣はちょっと……」
「ユキ、俺が王子様でもいいのっ? お姫様役で違和感ない顔だって言ったのは他でもないお前なんだけど?」
 俺に救いの手は差し伸べられそうもなかった。
 特にミキ。
 ……姫役で違和感ないとか言うんじゃなかった!
「……理音」
「だから、何で俺?」
「演劇部員だろう!」
「だから、脚本・演出専門ですが」
 ああもう。
「……。そんなに俺が相手役なのが嫌なのかよ」
「うん」
「即答かよ!」
 即答した。
 この時ばかりは即答した。改行するスペースも惜しいくらいだった。
「はー……随分と嫌われちゃったもんだな、俺様も。だけどそれなら尚のこと、お前に俺のハニーちゃんを演じてもらいたいね」
「……何でだよ……」
 どうして俺にこだわる。
 するとムツは、脳みその足りていなさそうな馬鹿丸出しの笑みをにたぁっ――とその整った顔に浮かべた。
「嫌よ嫌よも好きの内。『人の嫌がることは進んでしなさい』とも言うし。……そこまで俺のこと嫌う奴、追いかけずにはいられねぇんだよ。追われれば逃げる、逃げるもんは追う――それが俺の生き様さ♪」
 最悪だ。
 心の底から最悪だ。
「……そもそも男子校なのに、女の役があるとかおかしくねぇ?」
「何言ってるのさ、ユキぴー。男子校だからこそ女の役があるんじゃない」
 わかってないねぇと言って、やたらムカつく所作で緩やかに腕を広げる理音。
「男ばっかりじゃ潤いがないからね。年に数回の演劇部の公演でくらい、キュートでセクシーな女役にうはうは言ってもらおうというささやかな心遣いじゃないか」
「ささやかすぎるだろ! つーか、男が演じる女でうはうは言えるか!」
「俺は言える!」
「……理音、お前もしかしなくても変態だろ」
「あれー? ユキぴー、今更気づいたの? おっせー」
 むっかつくー……。
「だからさ、ほれ、俺がユキぴーのオーロラちゃんにうはうは言ってあげるから、大人しくお姫様役を演じなさい」
 そして俺に、逃げ場はないのだった。
「……わかったよ、もう……」
「うん、あっくんが相手の王子様役で♪」
 ……死にてぇ。
 明日辺り、本気で逃亡先のリストアップにかかりそうだ。
「じゃ、まずは! うちの部員が演じる役も呼んで、みんなで台本の読み合わせだな!」
 丸めた台本をメガホンにして視聴覚室中に向け叫ぶ理音を始めとして、俺以外の奴等全員が元気だった。

 この世界は常識人に冷たい。


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