* * *

 そうして、俺達バレー部練習Cチームの怒涛の演劇漬けな日々は幕を開けた。
 夏の全国大会を終えてもう一ヶ月が経過した当校バレー部は、参加はまるきり自由になってしまっている。放課後の部活で真面目に練習していないといつもは烈火の如く怒る鬼監督も、学園祭直前の今は、何か言いたげでこそあれど練習をサボっても黙認してくれるのだ。誰も彼もクラスの有志とかで忙しいからな。
 で、それは演劇部に飛び入り参加することになった俺達も決して例外ではない訳であり、放課後になると毎日、視聴覚室へ通って劇の練習に打ち込むこととなったって訳だ。
『あ、貴方は――貴方は、もう五十年も姿を現したことがないという――!』
『お亡くなりになったのではなかったのですか!?』
『勝手に殺さないでいただきたいものですわねぇ……ねぇ、国王陛下?』
 学園祭の本番までは二週間を切っている。一ヶ月以上も前から練習を続けている演劇部員の面々はいいとして、俺達はこの二週間で台詞と所作、舞台の進行を全部覚えなきゃならないんだから大変だ。
 今俺は、演劇部・中等一年生で役者を割り振られている部員と、視聴覚室の片隅で、台本の読み合わせというのをしている訳だが、二週間で全てを頭に叩き込まなければならないとなれば、いかに自分の台詞がないシーンでもないがしろにする訳にはいかない。
 全員で丸くなり読み合わせを進める中、俺の正面で台本を振り回しているミキの台詞の言い回しはなかなかのもので、台詞を覚えるのも演技をするのも苦手な俺はひたすらに焦るばかりだ。
『どうして呼んでくださらなかったのかしら?』
 ところで理音は、ミキが悪い妖精の役に決まってしまうといきなり、その妖精を性転換させて女にしてしまった。翌日になって悪い妖精の台詞を新しく書きかえた台本を手に参上した理音に、ミキは「どうしてどこまでいっても俺は女役なのっ!?」とショックを受けていたが、やり始めてしまえば結構気に入ったらしい、ムツが教えたぶり声の作り方を駆使して女言葉を喋っている。
『い、いえ……何せ、塔の中に五十年以上も閉じこもっておいでと聞いておりましたから、このような人の集まる会はお嫌いかと……』
 国王役に任ぜられた演劇部員の一が卒なく自分の台詞を読み終わると、ミキは台本から顔を上げ、彼のことを艶かしい下目で見て、
『そうねぇ、確かに、大勢の人間が集まる騒がしくて華やかな場所は嫌い。だけど――仲間はずれにされるのは、もぉぉぉぉっと大ッ嫌い!』
 ……可愛いです。
 凶悪な面をして高飛車な口調でおほほほほなんて笑って台詞を吐いていても、可愛いもんは可愛い。こりゃあ本番、本気で惚れる客も出るんじゃないかな。  理音と意見が一致するのは気に食わないが、こんな悪役も悪くないと思う。
『さて、では、私からも王女様に贈り物を差し上げましょうか……ふんっ。貴方達の大切な王女様は、いずれ紡錘に手を刺されて死んでしまうでしょうよ!』
 ミキの台詞を受け、どよめく演技をする全員。
 出番でない俺とムツ、演出担当の理音だけは、黙って進行を見守っている。
 ミキの出番はこれまでだ。ト書きを挟んで次の台詞は、あまりの恐ろしい贈り物に震え上がってしまった一同にこう言う、いい妖精――メグから始まる。
『王様もお妃様も、ご安心なさいませ』
 台本片手に優雅に微笑んだメグは、場に不釣合いなことにいかにも楽しそうに自分の台詞を読み上げる。
『王女様へはまだ、わたくしからの贈り物が残っています。……お嬢様は、決して死ぬようなことはございません』
『どういう……ことですか?』
『なるほど、わたくしごときの力では、あの年長の方の言われたことを全て取り消すには足りませんが――しかし、お嬢様は紡錘に手を刺されても、亡くなりはいたしません。ただ、深い深い、眠りに落ちるだけのことです』
 メグはここまで言ってから、俺と、俺の隣で台本の字を目で追うムツに、意味深な視線を送ってこう台詞を続けた。
『その眠りは百年の間続きますが、丁度百年経った時に、勇敢で心優しい一人の王子様がやって来て、彼の口付けで、王女様の眠りを覚ますことでしょう――』
 嗚呼……真剣に嫌だ。
 どうしてその台詞のところで俺達の方を見るんだ。メグって、にこにこと人害無縁そうな顔をしておきながら実は超性悪なんじゃないのか?
「よし、今のシーンはそこまで。……ミキてぃもメグみんもなかなかいいねぇ。ミキてぃは可愛くも毒々しい感じがよく出てると思うし、メグみんは優しくて頼りになって善良な感じがちゃんと演じられてる。あとは二人とも、もうちょっと歌うように、メリハリをつけて台詞を言う癖をつけてみて?」
 手にしていたメガホンを叩き、そう言って演出担当の理音が一旦終止符を打つ。
 それから、「じゃあ」と言って、俺の方を見た。
「七ページへとんで、ナレーションが入った後からいってみようか、ユキぴー?」
「……わかった」
 ナレーションが入った後のシーンは、さっきのシーンから十五年の時が経ち、俺が演じるオーロラ姫が皆目麗しい(?)美女に成長してのシーンだ。
 汗ばむ手で台本を握り締め、俺は演劇部員演じる国王・お妃の二人が田舎の別荘へ出かける時のやり取りと、お城の天守閣で一人のお婆さんが紡錘で糸を紡いでいるところへ出くわす場面に立ち向かう。
『ここで何をしていらっしゃるの、おばあさん?』
 悲しいくらい自分の台詞は棒読みだ。
『糸を紡いでいるのですよ、可愛いお嬢さん』
 悪い妖精が扮したという設定のお婆さんの台詞を、ミキがしわがれた声で読み上げるが、それと比べると尚のこと俺の棒読み具合が際立って聞こえるから嫌になるね。
『まぁ、なんて素敵なンでショー……』
 だんだんもっと嫌になってきた……
『どんな風にするのですか? 貸してください、私にも上手くできるものなのかやってみたいのです』
「はーい、ストップすとっぷSTOP!!」
 理音がメガホンをぶっ叩いた。それから俺に向かって、
「ユキぴー、台詞に感情がちっともこもってないよ! もう一回!」
「無茶言うな」
「無茶じゃないぃ。できなきゃ困るんだよ、ユキぴー! ……今のミキてぃとのところ、もう一回、ちゃんと気持ちを込めて読んで」
 はいスタート、ともう一度理音がメガホンを打ち鳴らし、俺は仕方なしに台本にある台詞を読み上げる。
 もうどうすりゃいいんだよ。わっかんねぇ……
『ここで何をしていらっしゃるの、おばあさん?』
『糸を紡いでいるのですよ、可愛いお嬢さん』
『まぁ、なんて素敵なんでしょう!』
 ちょっとマシになったか?
 と、安心して気を抜いたのがまずかった。
『どんな風にするのですか? 貸しっ……貸してくださいな』
「はいー、ユキぴー台詞を噛まなーい」
 ……やっちまった。
 一気に恥ずかしい人になる俺。演劇部の奴等は当然として、演技慣れしているムツ、それに何故かメグとミキも、台詞を噛むことは滅多にないから、台本読み合わせでこうして突っかかるのは俺一人だけだ。
 もう嫌だー!
「つーかさぁ、ユキ、どうやったらその台詞で噛めんのっ? 俺としてはそっちの方が不思議なんだけどさぁっ」
 ぺらぺらと台本をめくって悪い妖精……もといミキが言ってくる。
「発音練習で早口言葉の時も、何かお前だけ引っかかってねぇっ?」
「……悪かったな、早口言葉は苦手なんだよ」
「ふーん。日頃の小生意気な台詞はすらっすら言えるくせにこういうのは苦手なんだなぁ、ユキ姫ちゃんは」
 にたにたと笑みを浮かべて嫌味ったらしく言ってくる隣のムツは拳で殴った。そのにたにた笑いも顔が整っている故無駄に格好よく見えるから、それがかえってムカつくんだ、この男は。
 第一、ユキ姫ちゃんって何だよ。ユキ嬢ちゃんの方がまだマシだぞ、それ。
「『この高竹垣に高竹立てかけたのは、高竹立てかけたかったから、高竹立てかけたのです』。……言ってみ、ユキぴー?」
「……。この高たgっ……」
「そこで駄目なのかよ!」
 もう嫌だ……
 これは苛めだ。絶対に苛めだ。
「……ユキぴーには特別個人レッスンが必要みたいだねぇ……」
 理音が目を細め、馬鹿を見るようにそう言ってきたのはいらない駄目押しだと思います。
 泣きたい気持ちでため息をついた。


←Back Next→



home

inserted by FC2 system