* * *

 数日後には本番の衣装が出来上がった。
「つー訳で、今日の立ち稽古は通しにするからなー。衣装も着て、本番と同じようにやるからぁ」
 という理音の一存で、一、二日前から始めていた立ち稽古――身体の動きを台詞につけ、舞台での演技全般を身につけていく練習――では、俺は当日の衣装である演劇部の衣装担当が力作のドレス……そう、ドレスを着させられ、舞台に立たされることとなった。
 このドレスがまた酷かった。いや、デザインをけなすつもりは毛頭ない。ありませんとも。衣装担当による、露出が少なく、全体的に豪勢でありつつも上品さを持つ意匠はむしろ全力で評価したい。
 足には金属を模し銀色に塗られたヒールの高いブーツ、スカートの裾も長い。そのスカートがふわんと膨らましてあるのには納得がいかないがとりあえずこれも良しとする。袖もひらひらしているが長めで、手は指先がわずかに覗くのみだ。
 だけど……どうしてこう、ムネを強調するデザインなんですか、理音サン。
 つーか担当!
 衣装担当!
「うわっ、ユキすげー! 何そのエロい胸の詰め物? でかくねぇ? 十八歳未満お断りだなっ! あれ、でも俺達十三歳? わははっ」
 とは、悪い妖精の衣装(これまた凄い。毒々しい色彩でまとめられた派手なワンピースは、形は普通なのに胸の中央がぱっくり割れている。セクシー路線?)を着込み今にも悪性電波を強力発信しそうな杖を手にしたミキの談である。こっちは可愛いから許されるけど……俺のコレ、許されちゃ駄目だろう。法律で規制されるべきだ。
 上からドレスの本体となるスカートやら袖やらを着込んでいるのだが……一番下に着ている黒い伸縮性のある生地で作られたベアトップ状の中に、女性らしい胸のふくらみを再現するとある物品を入れられた俺は、視聴覚室の一角で舞台用のギンギンメイクを施されながら意気消沈するしかなかった。
 拷問だ、これ。
 今にも自白しそうだ。
「うーん、なかなかいいねぇ。うちの衣装担当も捨てたものじゃないなぁ! 凄く似合ってるよ、ユキぴー」
「…………理音、お前等マジで頭おかしいだろ! 俺が男だってこと忘れてないだろうな!」
「やだなー、キレないでよオーロラ姫ちゃん? 折角褒めてるのにさぁ。本当に可愛いよ?」
「俺に対する褒め言葉じゃねぇ!」
 メイクが一通り終わり、鏡に映った自分の姿は――うわー。うわぁ……泣きたい。すっごく泣きたい。
 結婚式の披露宴とかで流される、新郎の人生における三大恥ずかしい瞬間の一に確実に加えられそうな格好をした俺が、大きな鏡の中には映っていましたとさ。
 ……しかも、メイク担当の奴が「いやー、お前いい肌してるな! 化粧ノリがいいぜ!」とか言いながら気合入れて化粧しやがったせいで、かえってこの格好が似合ってしまっている自分も悲しい。
 でも泣かないわ、男の子だもん(これじゃオカマだよ)。
「おっ、ばっちりじゃん、ユキ姫ちゃん♪」
 そこへ、聞き慣れた雑音的大きさの声がして、俺は顔をしかめつつ振り返った。視線の先には、視聴覚室とドア一枚を隔てて繋がっている放送室で衣装に着替えさせられていたムツが立っていて、
「おら、どうだよユキ! なかなか格好いいだろ? 惚れ直しちゃうだろ?」
「衣装はな」
「酷っ!」
 俺の衣装が黒と薄桃色を中心としているのに対し、白と水色を基調とした王子様の衣装を着込んだムツは……まぁ、近所の女子校の子連中が貧血を起こして倒れても不思議じゃないくらいには格好よかった、と一応言っておく。
 童話の中の王子様というよりは冒険モノRPGに出てくる見習い冒険者っぽい騎士の格好に身を包んでいる姿は、大げさなまでに豪華なマントをばっさばっさといわせてご機嫌なところを除けば完璧に、夢見る乙女の白馬の王子様だ。



「拷問だ、これ。」


「むぅ……俺のヨメの癖に……」
「なった記憶はない」
「なるだろ! 劇中で!」
「現実と認めたくない」
「あはは、やってるやってる。衣装は王子様とお姫様になっても、ムツとユキはそのまんまだね」
 その後ろから会話に加わったメグはといえば、こちらは魔法使い学校の生徒みたいな全身黒尽くめの格好だった。ミキが役に当たったのを受けて悪い妖精をいきなり女性化してしまった時のように、理音はメグ演ずるいい妖精の役も突然男に変えてしまったのだが、与えられたシックなデザインのインチキ牧師みたいな服は、メグの優等生的雰囲気にとてもよく合っていた。メグ、俺と代わってくれ。
「うん? メグ、眼鏡は?」
「あ、舞台で照明浴びると角度によっては反射しちゃうって言われてさ。さっきコンタクトを入れてきたんだよ」
「へぇー。近眼は大変だな」
「ムツは健康そのものだもんね。うらやましいなぁ」
 眼鏡がなくていいなら俺でもその役できる。だから代わってくれ、メグ。
「……無茶苦茶な理論展開だね、ユキ」
 唯一の理解者だと思っていたメグにまで冷たい目で見られた俺は哀れだ。

 * * *

 そうして、記念すべき第一回目の通し稽古が始まり、無事、とは言い難かったかも知れないが、とりあえず世界が根本からひっくり返るような問題が起こることもなくつつがなく終了した。
 まだ台詞にいくつか覚えられていないものがある、俺を始めとしムツを除くCチーム面子は台本を片手の稽古だったが、理音が倉庫から引っ張り出してきたビデオカメラで撮影していたため、俺は終始緊張しっぱなしだった。「お疲れ様ー。終わりぃ」と理音が録画を止めた時にはやっと終わったかと緊張がほどけ、思わず舞台袖で座り込んでしまったほどだ。
「悪くなかったぜ? 演技も、多少まだぎこちないところは残ってるけど、それはそれで飛び入りの素人っぽくてよかったし。あとはまだ覚えられてない台詞を完璧にすればオッケーかな。衣装は言うまでもなし……音響と照明も、ばっちりだったねぇ」
 照明、のところで理音は舞台上の俺とムツを見る。重い衣装とがっつりメイク、煌々と熱い舞台照明によって汗だくになっている俺達に送られる視線はどことなくにやついていてムカつくな。
 言いたいことはどうせ、あのシーンのことだろ。
「うんうん。ラスト辺りの、オーロラちゃんとフィリップ君のキスシーンの時の暗転。眠っているユキぴーの柔らかい表情と、それを覗き込むあっくんのとろんとした目! 恋する者の目! そして二人の唇と唇が触れ合うわずか一瞬手前でふっ――と落ちる舞台の光、暗転の暗闇の中で流れ続ける甘い音楽……いやー、アレはよかった。美しかったよ、ロマンチックだった! 久しぶりに心の中が満たされたよ」
「あんなもんで満たされるお前の心が理解できん……」
 突っ込みの声に力が入っていないことに突っ込み禁止。
「うっしゃ、」
 舞台に座り込んでいる俺の隣でムツが、額の汗を指先で弾いて言った。
「オッケーなら休憩にしてくれよ、リオリオさんやい。このままじゃ俺様ゆだっちまう」
「何言ってんのさぁ? 俺は『悪くない』って言ったんだよ?」
 理音はそんなムツにやっぱり陶酔したような視線を送りつつも、厳しい台詞を返す。
「悪くないけど、完璧でもないんだよねぇ。……台詞も演技も、衣装も音響も照明も良かった。だけど正直、殺陣はイマイチ! つーかあっくん、変なところで演出指示にない変な動き入れんなよ」
 駄目だなぁ役者が演出に背いちゃ、と理音は顔の前で指を振る。お前がその役者たるムツを甘やかしたが故だ、と言ってやりたかったが、照明によって熱帯地方と化した舞台上にいる俺は何か言う元気も残っていなかった。
 ムツは口をへの字に曲げ、汗で光る眉根を寄せる。
「えー? だってあそこの動き、リオリオの指示通りやると不自然なんだもんな」
「あっくんが喧嘩慣れしててアクションに精通しているのはよっく知ってるよ、俺はあっくんのサポーターだからね。……それも踏まえて、もう一度殺陣の練習と打ち合わせをしたいんだよ」
「休憩挟んでからじゃ駄目なのかよ?」
「照明・音響との兼ね合いも考えたいし、それにあっくん、その衣装で殺陣やらなきゃいけないの、感覚掴みたくねぇ?」
「うーん、じゃあしょうがねぇなー」
 眼鏡っ子ではないメグに俺が舞台から引き摺り下ろされた後で、そうしてムツは理音から駄目出しを喰らった殺陣――悪い妖精・ミキの使いの役である演劇部員と一戦交えるシーンの練習を始めるのだった。
『私はお前達を倒す! ――恋による情熱の炎は、お前達如きでは敵わないことを思い知らせてやろう!』
 作り物の剣を振りかざし、舞台の中央でそう張りのある声で宣言して、ムツは、そして舞台上の演劇部員達が急にせわしなく動き始めた。照明は彼等の動きに合わせて赤に青に黄にとめまぐるしく変わり、音響が戦闘シーンを盛り上げる音楽を流す。
 ぐるぐるとムツ演ずるフィリップを取り囲んでいた悪い妖精の使い達は、やがて音楽のあるワンフレーズを期に、順に若き王子へと襲い掛かった。
 その一人一人を、ムツは理音からの熱い指導を浴びながら、剣を振るって裁いていく。
「……」
 俺はその様子を、メイク担当の演劇部員から勧められた椅子に深く腰掛けて、じっと眺めていた。
 悔しいが――やはり、様になっていると思う。
 何がって、フィリップを演じるムツがだ。三十分以上に及ぶ通し稽古の後で更にハードな殺陣の練習を、熱くて眩しい照明を浴びて額に汗を光らせながらこなすムツの表情は、ちゃらちゃらした日頃の奴からは信じられないほどに真剣そのもので、鋭い眼差しにさっと背が粟立つ。長い手足とすらりとした身体をフル活用した殺陣の所作の一つ一つが、思わずはっと息を呑むほど格好いい。
「流石だよねぇ……」
 声がして、隣を見れば、同じように椅子に座ったメグが、眩しいものを見る目で舞台上を見つめていた。
「こういうの見てるとさ、理音がムツにこだわる理由が、何となくわかるような気がするよ」
「……。そうか?」
 いつもの通りの冷静で平坦な口調で返せた自信は、ない。
 キィンッ、と剣と剣がぶつかり合う音が音響によって再現されると同時に、ムツは演劇部員と剣を交じり合わせ、すぐさま強く弾き返す。直後に演劇部員が舞台の床すれすれに回した剣をさっと飛び越えると、白いマントが翻り、額から零れ落ちた汗が照明に煌めいた。
 そのまま空中で身体を半回転捻り――その身体の動きに合わせて、剣を振るう。
 剣先が演劇部員の喉元を掠め、ムツが舞台に着地し膝をつくと同時に、最後の敵たるその演劇部員はくらりとふらついた動きのまま舞台袖へと消えた。
 荘厳な音楽が鳴り響く中、ムツは剣を掲げてゆっくりと立ち上がり、堂々たる面持ちで客席へと向き直る。
 その瞬間、ほんの一瞬だけ、ムツと目が合った気がして――
「ブラボーっ!」
 という、理音の声と丸めた台本が叩かれる音で、俺は我に返った。
「うん、今度こそ完璧だ! 素晴らしい! さっすが、あっくん!」
 理音は台本を投げ出し、舞台上で軽く息を切らせている王子様に拍手を送る。舞台照明が赤から通常の白に変わってしばらく経つまでそのままの姿勢で息を切らしていたムツは、そうしてやんやとはやされるとやっとほっとしたように笑った。
「ふぃー……さんきゅ、リオリオ。本番もこれでいいか?」
「ばっちりさぁ! 滅茶苦茶格好よかったよ。惚れ直しちゃう☆」
「そいつぁどうも♪」
 ムツは舞台から飛び降り、理音からスポーツタオルを受け取りつつ頭の飾りを外しながら――
 俺を見て、
「ユキは?」
「ん?」
「ユキ姫ちゃんは、どうだよ。俺のことちょっとは見直した?」
「……まぁ」
 意地悪な笑みで問いかけられ、つい返事が曖昧になる。
 いつものようにはっきりと否定されなかったことに気分をよくしたらしいムツは、もっと笑みを深くしてこう尋ねてきた。
「惚れ直しちゃう?」
「それはない」
 けれど。
 受け取ったタオルで汗を拭うムツの目を直視しては、どうしてもその否定の台詞は、言えなかった。


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