* * *

 初めて迎えた当校学園祭の盛り上がり具合には、これまで神奈川県大和市という片田舎の小学校のショボい校内祭りくらいしか知らなかった俺はほとほと驚くより他なかった。当日の二ヶ月以上前、早いところだと夏休み中、俺達が所属するバレー部が全国大会に向けまい進中だった頃から準備に励んでいたのを見ているから、それなりににぎやかなんだろうなぁとはぼんやりと想像できたのだが、その予想を遥かに超えていたって訳だ。何だこの人の数、いくら何でも多すぎるだろ。このまま人間が増えちまったら地球は定員オーバーで破滅のブザーが鳴るんじゃないか? そう、丁度重量オーバーのエレベーターみたいにな。
 これは後から知ったことだが、こうして学園祭が我が校の他の行事と比べても格段に盛り上がるのは、近くの女子校の生徒が数多くやってくるからというのが一番の理由だった。その女子校の生徒ってのが、彼等に言わせれば可愛い子が多いらしく、ちょろっとでも目立つことができればその子達の内の一人を彼女としてテイクアウトできるんだそうだ。学園祭を盛り上げるのにこれほど不純な理由も珍しいと思うが、こうして人で溢れ返っている校舎内を歩いているとやはり客のほとんどが女子校の制服を着込んだ女の子達で、馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、何となく彼等の心情が理解できなくもなかった。
「……はぁ……」
 だからこそ、そんなにぎやかな人ごみの中をこそこそと人目を引かぬようにすり抜ける俺の心は重かった。ヘリウムガスを入れて軽くして欲しいくらいだ。声が高くなってもいいから、本当、そこで風船配ってる中等部一年生のクラスの誰か、俺の身体に注入してくれないか。
 只今、理音を始めとする演劇部中等一年生メンバーは、十時から体育館で公演する大会用作品のために忙しくしている。視聴覚室では今、高等部の先輩達が学年ごとの演目を上演していて、俺達の出番は午後一番の十二時半からだ。
「はぁ……」
 考えるだけで心が重い。うっかり失念していたが、首都圏ではそれなりの人気校である我が私立男子校の学園祭に集まるのは生徒の保護者を始めとする関係者ばかりでなく、学校には何の関係もない一般の人達もそうなのである。その代表格がジャンパースカート型の制服をひらひらさせたかの女子校の子達で、彼女達がクラス有志の食堂で呼び込み役をしている半イケメンに声をかけられて黄色い声を上げているのを見て、俺の心はますます沈んだ。
 ……俺が絶賛オーロラ姫役を演じる「眠れる森の美女」の劇を見に来るのは、何も校内の見知った男子生徒ばかりではないのだ。観客の中には間違いなく彼女達のような年頃の女の子も含まれている訳であり、その子達の記憶領域に俺の女装した姿がインプットされるとなると、どうもあと五年くらいは彼女を作るのは諦めるより仕方ないかも知れない。別に彼女が欲しい訳ではないけれど、折角男に生まれたのだから、可愛い女の子達に囲まれてきゃあきゃあ言われるくらいはしてみたいのだ。
 ああそうさ、どうせ俺だってくだらない煩悩だらけの男の端くれさ。
 だけど、くだらないっていうなら女の方だって充分くだらない。
「はぁ……ん?」
 本日何度目になるかわからないため息をついた時、俺はとある教室の前にちょっと異常な人だかりができているのに気がついた。その人だかりを形成しているのはほとんどが女子校の子達で、一体どこのクラス有志だと思ってみれば、何だ、うちのクラス・一年B組の有志じゃないか。
 ちなみにそんなうちのクラスは、休憩所でビンゴゲーム、景品として駄菓子をばら撒くという適当な企画でお茶を濁すことになっていたはずだ。食堂や喫茶などの飲食店を企画できるのは高等部生からで、中等部の内はもっぱら縁日や映画・演劇・ゲームに休憩所でごまかすのが通例らしく、うちのクラスもそれは例外でないのだが、だからこそ、そんなくだらん企画でしかないうちに人が集まっているなんておかしい。
 試しに歩み寄ってみると、廊下にまで溢れている恐らくは中等部生と思しき女子生徒達の集団はかなり盛り上がっている。俺は若干気が引けつつもその人だかりを割ると、喚声やら歓声やら悲鳴やらが溢れ返っている教室へと進入し、
「げぇっ」
 中で行なわれている事の全貌を目にした、これは俺の肺から漏れた息の音である。
 そうとしかコメントできないような状況が目前に展開されていた。黒板の前に並べられた机の奥に立ち、ビンゴの機械を勢いよくがらがらと回しながら「さー、次いってみよーっ!」と声を張り上げているのは残念なことにもこの半年で見慣れてしまったイケメン面で、その顔について脳内メモリーから俺が導き出せる固有名詞は後にも先にもただ一つ、野瀬睦のみだ。
 何やってんだ、あの馬鹿!
「じゃかじゃあぁぁぁん! 二十三番っ!」
 機械から転がり出た白いボールに印字された数字を大げさな口調で宣言すると、そんなムツの元へ「そ、揃った!」と一人の女の子が手を揚げて登場した。例の女子校の制服に身を包んだ彼女を見ると、ムツは「おっ」と声を上げて嬉しそうにこう言った。
「おめでとーございます! はい、三等賞、駄菓子詰め合わせ三百円相当! ……だけど彼女ちゃんなかなか可愛いから、お兄さんおまけしちゃおう! ほれ、シガレット一箱♪ もってけ泥棒☆」
 中学生にもなって全く無価値物だと思うのだが、そうしてムツから渡された駄菓子の詰め合わせとおまけのシガレットを受け取った女子生徒は嬉しそうに顔を赤らめた。気に食わん。
「おっし、他にビンゴの人いませんか? じゃあ次っ!」
 他のクラスメイトを差し置いてMCを務めるムツの馬鹿でかい声に、観客の女子連中から黄色い声が上がる。
 どいつもこいつも阿呆だらけだ。
 休憩所でビンゴなんてくだらん企画にこれだけの人が群がっている理由、それは他でもない忌々しいあのホストのなり損ない以外にありえなかった。元々我が校バレー部に入部して早々「超格好いい一年生」として校内に名を響かせたムツだ、その噂は近くの女子校にも届いているらしく、奴を見初めた女の子達が学校帰りに想いを伝えにやってくるのはもはや俺達にとって日常だ。今日の学園祭、そうして噂になっているムツを一目見ようとやってきた女子生徒もさぞ多いことだろう。嗚呼、情けないかな世の中。ちなみに古典の世界で「世の中」といえば、現代での意味の他に「男女の仲」を示すが、何か考えるところがなくもないね。
「六十九番っ! シックスナインだぜ!」とかぎりぎりの発言をぶっちゃけたムツに、更に数人の女の子達が歩み出る。その一人一人に四等賞の駄菓子詰め合わせ百円相当を贈呈しながら、ムツは終始笑顔を絶やさない。奴のあんなフレンドリーな性格も人気の秘密らしいが、どうにも理解に苦しむ。俺からすればひたすら鬱陶しいだけだ。
「あのっ……もしかして、バレー部の野瀬君、野瀬睦君ですかっ?」
 そして俺の予想通り、その女の子達の内の一人がそうおずおずとムツに話し掛けた。
 ムツは一瞬きょとんとしていたが、やがてその顔を胡散臭い微笑で染め上げると「そうだよ」とうなずいた。彼女達が歓声を上げる。憧れの王子様と話す機会を得たんだ、さぞかし嬉しいんだろうな。
「ず、ずっと、一回会ってみたいなって思ってたんです!」
「はははっ、そいつぁありがとさんきゅーさん。何なら俺、この後午後から演劇部の中等部一年生の劇に出るからさ、活躍、見に来てよ♪ あ、十二時半で視聴覚室だから」
 ばっ、
 ばっ、
 ばっ、
 馬鹿!
 何をちゃっかり宣伝している!
「迷っていいこともある☆ ……みんなも絶対来てくれよな! っと宣伝したところで次、いってみようかっ!」
「ムツ!」
 誰にも止められないのをいいことに大大大暴走を続けるハイテンション同級生に、ついに俺の我慢の限界が訪れた。俺はビンゴで盛り上がる人の間をかきわけるとムツの前に進み出て、奴の手を引っつかんで教室から強制連行する。MCをいきなり拉致した俺に客連中は驚きを隠せないようだったが、構うものか。これ以上こいつを学園祭でうろうろさせておく訳にはいかん。
「何するんだよー。折角バラエティ番組の司会者の気分を味わってたのにさ」
 無理矢理会場から連れ出されたムツは不満げだ。俺が人の少ない階段の踊り場まで連れてきて手を解放してやると、そう言って腕を組み眉根を寄せた。
 そんなムツに、俺も精一杯不機嫌な顔をしてこう答えてやる。
「何するんだよはこっちの台詞だ。……てめぇ、何をクラスの有志会場で劇の宣伝なんかしてやがる」
「別にいいだろ? 客は多いに越したことねぇし」
「やめろ馬鹿。迷惑だ」
 俺は言ってムツを睨んだ。元々一重で切れ長の目を持つ俺が睨みつければ、かなり鋭い眼光で相手をひるませることができることを俺は経験上知っている。案の定、ムツはほんの少したじろいだ。
「大体な、部員でもないくせに堂々と宣伝して回ってどうするんだ。つーかやめろ。人が増えると困る」
「うーん、そりゃ視聴覚室が定員オーバーになるのは困るけどさ」
「そういうことじゃない! ……俺、が、見られたら困るんだ!」
 あんな拷問みたいな女装した姿、見世物みたいにたくさんの客の目に触れてたまるか! バレー部やクラスの身内に見られるってだけでも身体が震えるのに!
 そもそもが――舞台に立って役を演じる、それを見られると思うだけで、緊張で足がすくむというのに。
 それを、この男は。
「……っ、とにかく、客は少ないに越したことはないんだよ! わかったらどっか人目につかないところで大人しくしてろ」
「……もしかしてユキさぁ、まだ自信ねぇの?」
 言われて、俺は弾かれたようにムツを振り返った。
 一体何を言い出すんだ。
「まだ台詞を覚えきれてないとか? 動きに自信がないとか?」
「て……てめぇ、」
「それでなくても女装で恥ずかしい格好させられるし、失敗するのが怖いから、だから見てる人は少ない方がいいって? そいつぁ納得できねぇな。なぁ、ユキ姫ちゃん」
 挑発的な口調でムカつく単語を吐かれたが――反論できない。
 その通りだったからだ。
「……、悪いかよ」
 だから、俺にできるのはいっそ開き直ってそう言うことくらいだった。
 するとムツは、そんな俺をバーゲンセールに売れ残り処分が決定しているデパートの洋服達を眺めるようなつくづく哀れなものを見る目で見、ため息をつく。これもまたムカついたが、その眼光があまりに鋭いものだから、俺は何も言い返せない。
「……。ユキはさぁ、」
 忌々しい王子様役は、それからこう言った。
「ユキは、もうちょっと自分を信じてもいいんじゃね? 実力はちゃんとあるのに、そんな凄い自分を信じられないって、ちょっと哀しくないか?」
「……哀しい?」
「つーか、端から見てて哀れだよ、それってさ」
 ……俺は哀れかよ。
 お前なんかに哀れだと言われるのが一番哀れだと思うのは間違いだろうか。
 いつものにやついた笑みに整った顔を歪ませたムツに、けれど俺は言い返すことができなかった。
「これまでの練習見てても、ユキはちゃんと頑張ってたじゃん。昨日の通し稽古でも特別間違えてるところなんてなかったし。台詞だってちゃんと覚えられてただろ? 失敗なんてしてなかった。……なのに何で、本番に失敗することを考えちまうかなぁ?」
「……」
「もっと自信持っていいと思うぜ、俺は。お前はお前自身が思ってるほど駄目な奴じゃないし、つーかむしろできる奴だと思う。大丈夫だって。今までの練習通りにやりゃあ、全くもって問題オールナッシングだよ」
「……そんなの、」
 そんなのわからないだろ。
 いつでも自信たっぷりのイケメン面を直視することができなくて、俺はふと視線を逸らした。俺達の横を、スタンプラリーをしているクラスの着ぐるみを着たスタッフが通り過ぎていく。そんなにぎやかな光景すらも、今の俺にはかすんで見えた。
 自分なんか信じられる訳がない。
 自分に自信がないのは、昔から。
「自信がないなら、努力で補うしかない」
 つい三日前、自分で考えていたことを唐突に頭から振り掛けられ、俺は声のした方を見上げた。
 ほんの少し高い位置から俺を見下ろして仁王立ちしているのは、いつになく真剣な顔をしたムツで。
「だからユキは、これまで毎日頑張ってきただろ。……俺が無理矢理自分の都合に引っ張り込んで、それで大変な思いをしてきたのは俺自身じゃなくて確かにお前だって、俺はずっと見てきた。お前が、朝も昼休みも授業中も、台本手放さなかったの見てたし――放課後の稽古にだって、誰よりもマジに参加してたの、俺は知ってるから」
「……」
「んーだし、もうちょっと自分で自分を信じてみ? ユキなら平気だって」
 ……。
 どうして。
 どうしてお前は、いつだってそんなに自信たっぷりなんだ。
 俺にできないことを平然とやってのけ、いつも明るく楽しく潔く、何でも卒なくこなせるスーパーエンターティナー。そしてそんな自分自身のことを、他の誰よりも、ずっと、ずっと、信じている。
 自分に自信を持っている。
 それは、いつだって自分自身を蔑んできた俺にはできなかった生き方で。
 だから。
 だから俺は。
 だから俺は、いつだってそんなお前のことが――
「まぁ、どうしても自分を信じられないっていうなら、」
 と、ムツは言ってまた、いつものように笑った。
「俺のことを信じろ。お前が思わず嫌いになっちゃうほど、いつだって自信たっぷりな俺のことなら、お前だって信じる気になるだろ? 大丈夫だ、この劇は絶対に成功する、俺が成功させてみせる」
「……ムツ」
「頼むぜ相方。劇の命運は――俺の運命は、俺だけじゃない、他でもないお前の手中に託されてるんだからな」
 俺が演劇部に転部するか否かは、お前次第。
 俺一人が頑張ったって駄目なの。
 ムツは言う。
「……わかった」
 知らず知らずの内に、うなずかされている俺がいた。
 劇の開演まで、残りもういくらもない。
 俺は信じられるだろうか。
「信じてみる。信じて、みるよ」
「そっか。そりゃあ結構だ」
 今まで毎日努力を続けてきた自分自身のことを。
 そして今、信じてみろと言った、友人のことを。

「つーこって、張り切って宣伝してきます♪ ばいばいユキ姫ちゃん、アディオスアミーゴぉぉぉぉぉっ!」
「だから! どうしてそうなるんだ! 待て、こらっ!」
「待たないよん! また後で、視聴覚室で会おうぜ☆」

 友人は俺に片目を瞑ってみせつつ走り去る。
 こいつのこと。

 ……やっぱ信じてもいいのだろうか?


←Back Next→



home

inserted by FC2 system