* * *

 ……ついにこの暑さで頭がイカれたか。
 あんな地雷を踏む問いかけをして自分の方がよっぽど暑さで頭がイカれちまってるくせに、そんな自分のことは棚に上げて俺はそんなことを思った。そんな俺の正面で、ムツは相変わらず腕を組んだまま涼しい顔をしており、しばらくそのまま俺とムツとメグとミキの間を沈黙の妖精が飛び交った。
 凄く遠い窓の外から、よその家で風鈴が鳴っているのが聞こえた。
「……かわいそーに、」
 と、痛々しく満ちていた沈黙を破ってそう言ったのはミキだった。
「すげー宿題が残りすぎてて絶望のあまり頭がおかしくなっちゃったか」
 ああ、そういう考えもあったな、ミキ。むしろそっちの方が正しいかも知れない。
「違ぇよ。そんな程度でおかしくなるような頭じゃねぇって」
 ムツが否定する。となると、やはり暑さか。暑さで駄目になっちまったんだな、そうなんだな。
「どうして俺の頭がおかしくなってる前提なんだよ! 確かにな、俺ぁお世辞にも頭いいとは言えませんが? ……むしろ馬鹿と分類される側の人間ですが!? しかしそれと頭がおかしいのとは全く話が別だろーが! 俺は本気だぞ、マジもマジ、大真面目だ!」
 ついに机をぱん! と叩いてムツが怒鳴った。やめろ、大声を出すんじゃない。近所迷惑な上に、今に限って言えば余計暑くなるだろうが。
「叫んだ俺だって暑いよ。頼むから俺を怒鳴らせんな」
 だったらお前が変なこと言い出すなっつーの。
 ……思ったが、言ったらまたムツが怒鳴るだろうからして自粛した。俺って大人。
「プロモーションビデオって、何の? 何をプロモートするんだい? 通販会社から宣伝番組制作の依頼でもきたのか?」
 取り出した下敷きでパタパタTシャツの中を扇ぎながら、メグが非常にだるそうな顔で尋ねる。いつもはどんなにムツの発言が突飛なものだろうと如才のない微笑で応対するのに、毎度のことな上にこの暑さでメグもうんざりしているようだ。若干受け答えが邪険である。
 もはや自分に対する雑な扱いには慣れてきたのか、ムツは何ともないような表情で俺用のグラスを手にとり、麦茶を一口含むとこう答えた。つーか俺のを飲むな。さりげなく間接キスじゃねーか。……今更気にはしないけど……。
「ほらさ、音楽で新譜が出ると、プロモーションビデオ撮って放送するとか、そういう話になるじゃん。後々DVDで発売されたりしてさ。販売促進のための紹介ビデオってんじゃなくて、あーいうのが撮りたいんだよ」
 ああ、プロモーションビデオといってもPV、つまりミュージックビデオというやつか。時と場合によってはビデオクリップなどとも呼ばれる、主にポピュラー音楽の新譜が発表されるに際して製作されるその楽曲のイメージビデオがPVである。CDの販促が目的で作られるから日本じゃプロモーションビデオと呼ばれているが、世界的にはミュージックビデオと言う方が一般的だろう。
「曲は何かのCDからお借りしてきてさ、それに合うビデオを撮って、音楽と合わせて編集するんだよ。な、面白そうだろ?」
 確かにな。これからホームセンターに行って加工済みのキットなんかを購入し、適当な風呂用椅子を日曜大工して提出するよりは、少なくとも数割増し面白そうだ。
 しかしである。人生目の前の享楽に容易く惑わされることなかれ。問題点だってあるんじゃないか?
「著作権は大丈夫なのか? 撮るって言ったって、そのためのカメラはどこの電気屋からパクってくるんだ? 編集するのにパソコンやソフトはどうするつもりなんだ」
「著作権は多分クリアできるだろ。何かそーいうの、技術の授業中にやらなかったっけ? 教育関連の目的での教員・生徒の著作物複製は、著作者の利益を侵害しなければ引っかからないってやつ。少なくともそれで金稼ごうって訳でもないんだから、私的使用目的のコピーってことで許されるだろ。とっ捕まらなきゃいいんだよ」
 アバウトだな。
「アバウト、故に我ありだ」
 それはデカルトだな。
 しかも我思う、故に〜だ。アバウト掠ってもいないじゃねぇか。
「カメラは?」
「ふっふっふ、うちに最新型のデジタルハンディカムがある。この前海に行った時に姉貴の皆目麗しいビキニ姿を撮ったビデオカメラがな! そいつを使えばいい」
 お前は相変わらずシスコンだな。そんなに美人なのか、だったら今度会わせろ。
「パソコンは、ビデオの編集ソフトは」
「さほど新しくはないけど、うちにノートパソコンがあるからそれ使ってオッケー。編集ソフトは、ネットに転がってる適当なフリーソフトをパクってくればいいだろ。……まー、ダウンロードとかそういうのに俺はあんまり明るくないけどな」
 ふむ。
 ムツのアイデアにしては割かし計画的だ。普段が行き当たりばったり過ぎて「暴走」としか呼べないようなものだから、あくまでそれと比べればの話ではあるのだが。
 まぁ、これからの進行次第ではあるけれど、妙なことにならなければある程度の作品は完成させることができるだろう。とりあえず、キットになっている木材を適当に組み立てて日曜大工した風呂用椅子よりは数倍マシなものが……(以下略)
 で。
「それでお前が初心表明演説をして、俺達に一体どんな利益があるんだ?」
「頼みがあるのだ」
 やっぱりな。
 最初にプロモーションビデオ云々と言われた時から、何か裏があるんじゃないかとは思っていたけれど。というか、そこまで頭の中にいいアイデアが煮詰まっているとして、普通に考えれば俺達に話すことに利益はないだろう。黙ってそのアイデアを独り占めした方がいいに決まってるからな。
 つまりムツがそのアイデアを俺達に話したということは、それによってムツに何らかの利益があるということだ。
 そしてここで少々考えなければならないのは、多くの場合、ムツの利益は俺達の不利益となるということである。これで俺達にも利益があるというのなら素直に協力要請に応じてやらない話もないのだが、大抵の場合ムツから持ちかけられる「旨い話」はハイリスクのローリターンだ。ローでもリターンがあればまだいい、何もリターンされないことがほとんどなので俺達はいつもほとほと困っている。
 で、損失しかない話に乗るなんて俺としてはもっての外な訳で。
「嫌だ。聞かないぞ」
「何でだよ! 聞けよ!」
「絶対嫌だ。聞きたくない。失せろ。死ね。地獄に落ちろ」
「ひでー! 何だよユキ、そこまで言うことねぇじゃん!」
 絶叫するムツ。やめろ、暑い。お前がそうやって騒ぐだけで地球温暖化がもっと深刻化している気がするぞ。いい加減黙ったらどうなんだ。
「ここまで人に喋らせといて最終的にそれかよ! お前は鬼のようだな!」
 別に喋ってくれって頼んでねぇだろうが。鬼? 何とでも言え。お前がどう評価しようが俺は鬼畜S属性だ。
「頼むから聞いてくれよー。聞くだけはタダだぜ? 断わるのは聞いてからでも遅くはないぞ」
「タダより高いものはない。聞かずに断わって早いこともないしな」
「うわっ、取り付く島もねぇ……頼むよユキぃ〜、聞いてくれよ。俺はお前に一回でも話を聞いてもらえないと死んじゃう病気にかかってるんだよ」
「上等だ。そのまま死ね」
「……。ユキ、お前には友情とか慈悲とかいう概念はないのか?」
「ないな。お前に関して言えば」
 ばっさりだった。
 他人に対してここまで残酷になれるものなのかと、自分でも驚く。
 一方のムツは俺のあまりにも雑な扱いに本気で機嫌を悪くしてしまったらしく、「あーッ!」と濁点のつきそうな汚らしい雄叫びを上げると頑なに腕を組んでこう言い放った。
「もういい! 聞いてくれなくてもいい! 俺が一人で勝手に喋る! お前等の迷惑なんか微塵も考えずに一方的に喋り倒してやる! 止めたって無駄だからなッ、暑苦しかろうが鬱陶しかろうが喋るぞッ!」
 何てことを言い出しやがる。
 逆ギレ的発想で宣言したムツの頭に電気ショックを加えてやろうと、俺は導線とコンセントを探したのだが、コンセントは見つかったものの手頃な導線はなく、諦めてため息をついた。やってしまった。封じ込めるつもりで言ったのが逆効果になっちまった。
「やめろムツ、頼むからやめてくれ」
「やだね。ユキは俺の言うこと聞いてくれないんだろ? だったら俺もお前の言うことなんか聞かん! 第一俺がこれから喋るのは独り言だ、お前等は一切関係ねぇ! 黙ってろ!」
 駄目だこりゃ。完全に地雷を踏んじまった。ぎゃいぎゃい騒ぎ出したムツを横目でちらっと窺った後にメグとミキが俺に向けてくる視線が痛い。
 ……俺の責任かよ。
「……悪かったよムツ。謝るから、騒ぐのだけはやめてくれ」
「別に謝罪なんかいらん! 勝手に一人で喋るんだっつってんだろ! ほっとけー!」
「だから悪かったって」
「全然悪いだなんて思ってないくせに惰性で謝るなッ! お前の口先だけの台詞なんてちっとも俺の心に届かねーよ!」
 人が下手に出れば何とやらだ。ムツは完全にご機嫌斜めになってしまったらしく、ぷいと横を向いてしまった。頭の水色さくらんぼがぴよんと揺れるので、怒った顔をしていてもいまいち締まっていないが、その横っ面を見る限りはマジで不機嫌なのだろう。演技じゃないのが返って面倒くさい。
 ……確かに口先だけで謝ったけどさぁ。
 それでそこまで憤慨するって、子供かお前は。
 そもそもが話を満足に聞いてもらえないだけでここまで機嫌を損ねる辺り、こいつはその異常なまでに整っている故に大人びて見える外見とはかけ離れてガキである。精神年齢五歳だろ、お前。
「……悪かった、ムツ。ごめんなさい。この通り謝るので是非落ち着いて話してください」
 精神面幼児以下の面倒くさい友人なんて、本当に友達じゃなきゃ全力で放置しておきたいところなのだが、そのまま放っておくと富士山の大噴火くらいの被害は出たっておかしくない事態になるので、一応そう言って謝る俺だった。
 まぁ、いかに厄介な相手とはいえ、ムキになって話を聞かなかった俺の方もガキ丸出しでどうかと思うし。
 って何、俺意外といい子だな。そんなキャラ設定はないはずなのだが。
「べっつにー。お前なんかに聞いてもらわなくたっていいしぃ。勝手に喋るしぃ」
 ある種の屈辱さえ覚えつつ謝ったのに、ムツはそう小憎たらしい口を利いた。
 ……てめぇ、自分を何様だと思っていやがる。俺様睦様ムツ様か。馬鹿野郎、ふざけんな。ごみ焼却炉に叩き込むぞ。人が下手に出れば何だよ、全く。
「だからごめんって。聞かせて欲しいです」
「嘘つけ。さっきあんなに拒否りやがったくせに」
 横を向いたままでそうムツ。くちばしのように尖らせた唇を見る限り、本格的にムキになっているようだ。ったく、面倒くせぇな……何でこんなのとダチになったんだろう、俺。
 だが、ここで素直に負けを認め引き下がる俺ではない。「適当に聞き流しておけばこんな面倒なことにならなかったのにさー。ユキってば馬鹿」と言わんばかりの視線を向けてきているメグとミキを一度交互に見やってから、俺は改めてムツに向かい合い、背筋を伸ばし姿勢を正してこう言った。
「き……聞かせてくれると嬉しいんだが」
 無反応。
「……このわたくしめに何なりとお話しくださいませ、睦様」
 ノーリアクション。
「もうっ、話してくれなきゃ絶交!」
 無視。
 ……どんだけムキになってるんだ、こいつ。
 普通ならこのくらい言ってやれば機嫌を直してくれるのだが、今日はこの酷い暑さもあることだし、いつもに増してへそを曲げてしまっているようだ。さぁ、困ったぞ。
 ……ふむ。
 こうなりゃ最終手段だ。
「ムツ」
「あんだよ」
「好きだ」
 言ってみた。
 メグとミキが目を見開き、信じられないものを見る目で俺を見ているが、ええい、構うものか。俺は絶対に負けない! この世にはプライドを捨ててまでして勝たなければならないこともあるのだ。
 ……ああそうだよ、どうせ俺もこの暑さで頭がイカれちまったのさ。
「……本当に?」
「本当だよ」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃない。だからさ、一方的に怒鳴り散らすんじゃなくて、落ち着いて俺に話してくれよ。俺はお前の話を一回でも聞き逃すと死んじゃう病気にかかってるんだよ」
 ムツはまだ、頑なに俺のことを睨んでいる。
「……上等だ。そのまま死ね」
「死なない。つーか死にたくない。わかるか? 今、俺の命運はお前の手中にあるんだ。頼むから俺の人生を十三年ちょっとで終わりにしないでくれよ。だから、話してくれ、ムツ」
「…………わっかりましたぁー☆」
 一瞬で元の調子に戻りやがった。忌々しいまでに整ったその面を笑みの形に歪めて、典型的なエッグポーズを取ってくる。単純な奴だな。単純すぎてどうかと思うが、反面、扱いやすくてよかった。
 ムツはそれから平机を越えて俺に飛びついてくると、燃えるように熱い身体を密着させてぎゅーっと抱き締め、大層愛しそうに頬擦りをし始めた。……やめろー……暑いー……。
「いんやー、ユキがそこまで俺のことを大好きだとは知らなかったぜ。お兄さん拗ねて得しちゃったな! こいつぁ驚きラッキー、ハイカラ牡丹餅♪ ユキ嬢ちゃん、本当に可愛い」
「うざい、暑い。寄るな触るな離れろ、俺の目の前から今すぐ消えろ。……ついでに言うとハイカラ牡丹餅じゃなくて、棚から牡丹餅だ」
「嗚呼、さっきまでぐさぐさと心に突き刺さって痛かったユキの言葉が、今となっては超絶萌え萌えなツンデレに聞こえちゃうぜ。ツンデレ萌え〜」
「……」
 確かに今までの俺の態度の変化を考えると、今の台詞はツンデレに聞こえないこともなかった。
 最悪だ。
 お前は拗ねて得したかも知れないけど、俺は謝って損したよ。大損だ。
「俺もね、そんなツンデレなユキちゃんのことが大好きだよ! 式は絶対六月に挙げような!」
「待て、いつの間にこの国では同性間の婚姻が認められた!?」
「いやいや、お前がこれから性転換手術をするんだ。俺への大きな愛で、大変な手術だってきっと乗り越えられるさ! そうだろマイハニー?」
「何で俺が男捨てなきゃなんねーんだよ! てめぇが手術しろ馬鹿!」
「え、俺が? ……つか、俺が性転換手術したら籍入れてくれんの、ユキ?」
「……」
 入れる訳がないな。
 そうか、さっきの男を捨てる云々の突っ込みは間違いだったか……聞きようによってはムツが性転換するんなら入籍してもいいと言っているように聞こえるな、あの突っ込み。
 くそ……やられた……!
「あ、しまった。俺達よくよく考えりゃ十三歳だったな? 確か婚姻って、女が十六歳、男が十八歳で認められるんだよな。くそ、どっちが性転換するにせよ、あと五年は我慢しなきゃ駄目か……!」
「うるさいうるさい! 人の揚げ足を取るんじゃない! ……ほら、俺達に頼みがあるんじゃなかったのかよ」
「え? 頼み? ……俺と結婚してください?」
「違うっ! プロモーションビデオが云々の件に関する頼みだ!」
 促すと、ムツはようやくのこといちゃつく(俺にはそんなつもりはこれっぽっちもないけれど)俺達のことを冷たい目で見ているメグとミキの存在に気がついたようで、「うむ、そうだったな」と俺に引っ付いたままでうなずいた。だから離れろっつーの。暑いなぁもう。
「メグ、ミキ、そしてマイハニー」
 マイハニー違うわ、阿呆。
「俺がお前達に頼みたいのは、そのプロモーションビデオを制作するに当たっての撮影の編集と補助だ。カメラマン、役者、動画編集、そしてその他雑用。俺一人で全部やるのは不可能に近い……つーか普通に不可能。役者やりながらどうやって撮影するんだよってな? 分身の術でも使えってか。まーできないこたぁないけど、積極的にやりたくはないんだよな。……そこで、お前達に是非とも協力をお願いしたいのだ」
 したいのだ、とか言われましても。
 俺もメグもミキも、黙ったままムツの話を聞き進める。
「確か技術の課題は、個人じゃなくてグループで出してもいいことになってたはずだ。俺一人で課題を独り占めしようなんざ思ってないぜ? 作ったビデオのクレジットにはもちろんお前達の名前も出して、四人全員の課題作品にするつもりだ。どうだよ? 思うにあんまり悪くないギブアンドテイクじゃね? 俺はまだアイデアのないお前達に、技術課題のアイデアを提供する。代わりにお前達は、そのアイデアを現実のものにするために労力と時間を提供する。……ユキの考え方を借りるなら、お互いローリスクのハイリターンだな! 何と素晴らしい協力関係! 全国の雇用主と労働者も見習うべき!」
 まぁ、リスクはローじゃなくてハイになるかも知れないけど、少なくともそれなりのリターンは保証するぜ、とムツ。
 俺はムツに引っ付かれたまま、しばしの間思考した。
 お互いローリスクのハイリターン、か。確かに、話を聞く限りでは悪くないギブアンドテイクである。まだ何のアイデアもない技術の課題について、今ムツの申し出を断わり自分一人で考え続けたところで、夏休みの最終日に徹夜して作り上げるのはくだらん風呂用椅子になりそうだし、ここは一つ、騙されたつもりで話に乗ってみるのもありかも知れない。
 一応計画はある程度しっかりしているようだし、それに――自分達でPVを撮るなんて、結構面白そうじゃないか。
 ……とか考えちまう辺りはまぁ、今から思えばやっぱり暑さで頭がイカれてしまっていたんだろうが。
「よし、乗った」
 と俺は言った。
 他の三人は一斉に俺を、まるで悪魔に取り憑かれた人間でも見るかのような目で振り返った。何か悪いものでも食べたんじゃないかと言いたげな表情だな、おい。何だよその反応は。
「……かわいそーに、」
 と、満ちていた沈黙を破ったのはまたもミキだった。
「あまりにも宿題が残りすぎてて絶望のあまり頭がおかしくなっちゃったか」
「違ぇ」
 そこまで宿題残ってないっての。あと三つくらいだってさっき言っただろうが。
「そっか、ムツに振り回されすぎたせいで疲れちゃったんだね、ユキ……ごめん。いつもムツの相談窓口押し付けちゃって。全部とは言わず少しくらい僕が代わっていれば……」
 お前もそういうことを言うか、メグ。
 微妙に間違ってもいないけどな。ムツがこうして厄介なことを言い出す毎日に慣れすぎて、もはや何がどうなろうが知ったこっちゃないと思っている節もある。こういうのを日本語では「やけくそ」とか言うんだろう。
「……おい、メグ」
「うん、何だい、ムツ」
「今すぐ駅前に行って乾パンと水を買い込んでこい。これは明日辺り、沖縄の近くで大型台風が発生して日本列島を直撃するぞ」
「折角頼み聞いてやったのにそういうことを言うのか、お前は!」
 乗ってやって損しちまったなぁ、おい!
 俺が投資家だったら今日は大赤字だよ!
 思わず絶叫すると、それにもまた驚いたような顔をしてからムツが「叫ぶなよ、暑いだろうが」と窘めてきた。お前なんかに窘められるとは……。お前のせいだ、と俺は横を向く。叫ばされた俺だって暑いっての。
「で、ユキ。確認するけどマジなのか? マジで俺の計画に乗ってくれるつもりなのか? 俺の言い出したことには何でもかんでも反抗しなきゃ気の済まないお前が?」
「お前にとっての俺はそんな印象なのか……」
 別に気が済まない訳じゃないんだけどな。むしろこれは、ムツの言い出すことが毎度毎度突飛すぎていて反論せざるを得ないのだという認識に改めていただきたい。俺も反抗したくてしているんじゃないからしてな。
「だから、その反抗する理由が今回はないってことだ。ムツにしては珍しく計画もしっかりしてるし、リスクに対して返ってくるリターンにも期待ができる。PVを自分達で撮るっていうのもなかなか面白そうだしな。少なくとも、自分一人の力でつまらん風呂用椅子を日曜大工するよりはよっぽどマシなものができるだろ。三人寄れば文殊の何とやら――だ」
 メグとミキも、黙って俺のそんな長台詞を聞いていた。
 こうも真剣な視線を向けられると、注目を浴びることに慣れていない俺は少し照れくさくなって、
「……と思ったんで、今回はまぁ、特例ってことで賛成してみただけです。以上」
 と、どもりながら最後に付け加えた。
「別に、メグとミキがやりたくないっていうなら、それでもいいぜ。その時はもちろん俺も降りるけどな……」
 今回のムツの計画には、何せ人手が必要だ。役者が一体何人必要なのかわからないが、最低一人は必要と仮定し、それに撮影係で既に二人である。ビデオ編集に関してはその口ぶりから察するにムツはほぼ無能だろうし、残念ながら俺も並の上くらいのコンピュータ知識しか持ち合わせていないので、ここは俺達の中で一番デジタルに詳しいメグの力を借りたいところでもあり、役者にするのにミキほど適した人材もいないことから、俺としては是非この二人の協力も得たい。
 逆に、二人が協力してくれないのなら、計画の実行は難しくなるだろうから、俺も降りざるを得ないという訳だ。
「うーん。わかったよ。ユキの言うことにも一理あるね」
「何だ、メグ参加すんのっ? じゃあ俺もやるよっ」
 が、そんな俺の考えは全て杞憂だったようだ。
「僕もこのままで技術の課題のいいアイデアが浮かぶとは思えないし、だったら協力する代わりにムツのアイデアに便乗させてもらうのもありかも知れないね」
「右に同じー」
「ユキが参加するっていうなら、何かと安心だし。……別にムツだけだと不安って訳じゃないけどさ」
「右に同じー」
「……ミキ、他に言うことないのか?」
「ないよっ。だって、俺が言おうと思ったこと全部メグが言っちまうんだもんっ」
 上半身を起こしていたミキは、言うとばたりと再びベッドに倒れてひらひらと手を振る。
「付け加えることがあるとするなら、ユキもメグも参加するのに俺だけしないのはヤダってことだけっ」
「……なるほどね」
 何を納得したんだか、メグはそううなずいてから俺とムツに向き直ってにっこりと如才なき微笑を作った。
「ってことで、それじゃあ計画案は満場一致で可決ですね」
「ここは国会か」
 俺が突っ込んだところで、背中にくっついていたムツ――俺達を国会議員に例えるならずばり議長に当たる人物が立ち上がり、尚上昇する部屋の気温を更に上げるような大声でこう宣言した。
「それではっ! 本日より、バレー部Cチームにおける技術課題・PV制作プロジェクトを始動します! ……監督はこの俺だっ! 野郎共っ、しっかりついてこいよ!」
 頭が痛くなるくらいのうるささだが、とりあえずは拍手。
 がしかし、次の瞬間俺は拍手した自分自身を呪った。
「つー訳で! PVをつける曲は監督たる俺の独断と偏見により只今決定いたしましたっ!」
 おい、ちょっと待てお前が一人で決めるのかよ! 俺達の意見は聞き入れないつもりか!
 額に青筋の浮かんだ俺を差し置いて、ムツはちゃぶ台の上に立ち不可解なポーズを取ってこう叫んだのだった。
「BUMP OF CHICKENの――『車輪の唄』ですっ!」

 先に言っておこう。
 この後俺は、どうしてムツの計画に乗ったりしたんだよ自分、暑さで頭がマジおかしくなっていたんじゃあるまいなこんにゃろう――と心底後悔することになる。技術課題のアイデアを自分で出さずに済む、PVを撮るなんて何だか楽しそう、とかそういうことははっきり言ってどうでもいい。どんな誘惑がそこにひっ転がっていようとも、俺はそれに目をくらませて計画に飛びつくべきではなかったのだ。
 無理に決まっているじゃないか。
 計画主がムツである以上――どんなにその計画がしっかりしたものであろうとも、ローリスクのハイリターンはありえない。順風満帆に事を運ぶなんて、ムツを中心に据えてそんなことができる訳がないのだ。
 計画なんてあってないが如し、平気な顔して鼻歌混じりにぶち壊し暴走を開始するのがムツの生き様だ。
 あるいは――万全に見える計画も、よく見れば崩壊の要素を含んでいて最初から破綻している、とか。
 何故そのことに気がつかなかったんだ、あの時の俺よ。
 ……と、自己嫌悪に陥るのは後にして、ひとまず語ることにしようか。その後の展開を。


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