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 BUMP OF CHICKENについて、少々。
 日本のオルタナティブロックバンド。一九九四年結成、略称としてはBUMP、BOC、バンチキなどが用いられるが、そのバンド名の意味はずばり「弱者の反撃」である。メンバーは四人で、皆平等という考えからリーダーは決めていない。楽曲の作詞・作曲はほとんどをギター・ボーカルの藤原基央氏が手懸けている。一九九九年からハイラインレコーズレーベルでアルバム二枚、シングル一枚を出しインディーズとして活動した後に、二〇〇〇年よりトイズファクトリーレーベルに移ってメジャーデビューした。
 今回ムツがその名を出した「車輪の唄」は、そうしてレーベルがトイズファクトリーに移ってから出した二枚目のアルバム「ユクドラシル」に収録されていて、二〇〇四年十二月にシングルカットもされた曲だ。俺が中学一年生だった当時、既にその発売からは一年ほどが経過していた。
「車輪の唄」の内容について語れば、遠い町へと行ってしまう恋人(と言われているが、俺は別に友人同士でもいいのではないかと思って聴いている)を自転車の荷台に乗せて朝日差す中を駅まで送っていく――といった感じだ。「錆び付いた車輪 悲鳴を上げ / 僕等の体を運んでいく 明け方の駅へと」。曲調は、別れの曲だというのに寂しさや哀しさなどの暗い印象を、聴いているこちら側に一切与えない、どころか爽やかな感じのものであり、マンドリンを使ったメロディは軽やかでさえある。イントロや間奏で聴かれるマンドリンのリフは、俺からすれば自転車の車輪が回るイメージそのままだ。
 そんな訳で俺は、ムツによりPV自主制作委員会発足の宣言が出された翌日、その歌の如きに自転車を漕いで、九時過ぎの南林間町内を駅へと急いでいた。
 夏休みもいよいよ終盤に差し掛かってきたという今日の日も、道を行けば近所の小学校に通っている小学生達がどこかへ遊びに行くのか楽しげに群れて歩いているのとすれ違う。車の通りが大してないのをいいことに、道を縦横無尽に駆けていくちびっ子達にくれぐれも衝突せぬよう注意しながら、俺はため息をつきつつ自転車を走らせた。
 夏休みを満喫しまくっているらしい彼等の顔には、この世を憂き世と思っている表情の欠片もない。世界に汚いものや嫌なことなど何一つないと思っていそうな顔だ。無邪気に笑い声を上げる、ぱっと見小学三年生くらいだろう少年の五人連れとすれ違いざま、俺はもう一度ため息をついた。俺にもあったんだよ、そんな時期。世の中全部がバラ色に輝いて見えていた頃がさ。
「……あっちぃ」
 が、いよいよ中学生になって現実世界の本当の姿というものを知った俺には、もうこの世界はバラ色には見えない。世の中汚いものや嫌なことだらけだ。事実、この先俺を待ち受けている「嫌なこと」の存在を考え、俺は酷く憂鬱になった。そんな嫌なことのためにこうも頑張ってペダルを踏んでいるのも然ることながら、まだ朝も遅くない時間だというにも関わらず、俺を熱中症にせんとしているかの如く強烈に照りつけている太陽もまた忌々しい。
 宅地の中を走り行くこと約十分弱、俺の最寄駅たる小田急電鉄江ノ島線・南林間駅へ到着。西口にある駐輪場にチャリを停め、階段を上って駅改札へ。
 そこで俺を待ち受けていたのは、
「おっせーぞユキ! どこで道草食ってんだ! ヤギかお前は、ヤギのユキちゃんかアルプスの少女ハ●ジか! そんなに草食いてぇならうちの庭に来い! たんぽぽもぺんぺん草も食い放題だぞ!」
 このやるせない苛立ちの元凶たるムカつくイケメン面と、
「ははは。……ムツの言うことは気にしないで。僕等も今来たばっかりだからさ」
「ナイスタイミーングっ。ひょっとしてユキ、俺とテレパシー交信したっ? わははっ」
 今日も爽やか笑顔のエセ優等生面に、大胆すぎる笑い方をする超絶美人。全員私服姿である。
 俺はまず真っ先にムツの頭をはたくと、続いてメグとミキに「よっす」と軽く右手を上げた。
 何故この日、俺達バレー部Cチームメンバーが南林間に集結したのか。
 さかのぼれば昨日の夕方の話になる。ムツの家で更にもう少し宿題を片付けて後、帰宅の路についた俺は、帰り際に「プロジェクトの詳細は今晩中にメールすっから心して待っとけ」とムツに無駄に偉そうな物言いで言われたことを思い出して電車の中で憂鬱になっていた。南林間駅に着き、必要以上に疲れた気分で改札を通ってため息をついた、丁度その時である。ポケットの中の携帯電話がけたたましく鳴り出したのは。
 相手はもちろんムツだった。
「明日のことだけどな、ユキ。ロケは南林間でやるぞ」
 開口一番ムツは俺にそう言い放ち、待ち合わせの場所と時刻を一方的に指定した後、「それとさ、チャリが二台必要なんだけど、用意してくれね? できればどっちも二人乗りできるとありがたい」とご命令になって、俺が何かを言い返す前に通話を切りやがったのだった。
 自分勝手にも程があるだろ。どうして俺が、お前のイカれたプロジェクトのために二人乗り可能なチャリを二台も用意せにゃならんのだ。死にさらせ!
 思ったものの、こちらからかけ直してそう言う気力も残っておらず、更にはどんなにイカれたプロジェクトだろうとこれに便乗しないと技術課題の目処が立たない俺が取れる行動といえば、大人しく自転車二台を用意することだけである。その朝駅まで乗ってきた自分の自転車を駅の駐輪場に停めたまま歩いて帰宅し、今日は母親のを借りて駅まで来た、という訳だった。
 つまり、今の俺にはこのニヤケハンサム野郎にぶつけてやりたい言葉が一つと言わずたくさんあるってことだ。「チャリ用意してくれた? 二台? よーし」と言って意気揚々と歩き出したムツに仕方なくついていきながら、俺は低い声でムツに尋ねた。
「で。どうして昨日いきなり電話してきて、俺に自転車を二台も用意するようにご命令なさったんだ、野瀬睦サマは」
「あぁん? もちろん、撮影に必要だからに決まってんだろうが! そのくらい考えてわかんねぇのかよ、優秀な脳構造してるじゃねぇか、我が下僕よ」
 偉そうに言って胸を反らすムツ。こいつには皮肉というものが通用しないのだろうか。しかも俺のことを普通に下僕って言いやがった。
「……撮影に使うっていう、その理由を聞いているんだが」
 何故撮影するのに自転車が二台も必要なのか。俺が問いたいのはそのことである。
「その理由って……あのな、ユキ。昨日の俺の話をちゃんと聞いてたか? まさか聞き流してたんじゃあるめーな。いいか、俺達が今回撮るのはあの『車輪の唄』のPVなんだぜ? チャリが必要なのは当たり前だろうが。『ペダルを漕ぐ僕の背中 / 寄りかかる君から伝わるもの 確かな温もり』だ」
「そのくらいは俺にだってわかるよ。ただ、二台も用意する必要はないんじゃないかってことが言いたいんだ。一台はそうやって被写体として要るからいいとして……もう一台は何に使うんだよ。アシにでもするつもりか」
「それもなくはない。二重否定、つまりある!」
 駅の階段を降りて西口の駐輪場へと歩きながら、ムツはもっともらしく腕を組んでうなずいた。やっぱりアシのためか。んなどーでもいいことのために自転車の二台目を用意させるとは、随分といいご身分じゃねぇか。
「それもって言ったろ、それだけのためじゃねーよ。……おいユキ、その普段ゲームにしか使い道がない上に決して良くはない頭をフル回転させて考えてみろって。走ってる自転車を横から並走して撮るのに、どう考えてももう一台要るじゃんかよ」
「……」
 なるほど。よくよく考えれば確かにそうだ。
 時々休日の午後三時過ぎくらいにテレビをつけるとやっているドラマのメイキング番組を見るとわかるが、走る人物に並走する感じのカメラアングルの時、カメラは人物が走る脇に敷かれた線路上の物の上をずっと地面に対し水平になるように動かされている。そういうパターンもない訳じゃないが、撮影係がカメラを抱えて人物の横を一緒に走ることは稀だ。そうするとカメラががくがく上下に揺れて、非常に落ち着きがない画面になるからな。
 安定した状態でカメラを被写体に並走させる必要があるってことだ。俺の説明じゃイマイチわかりにくいかも知れないが、とにかく自転車の二台目が必要なのは納得のいく話だったのだとご理解いただきたい。
「……二台目の自転車も二人乗りできる必要があるのはそれが理由か」
「うん? うんうん、そうそう。自転車漕ぎながら片手はカメラ持って撮影なんて、危なくっていけないからな。一人に漕がせて、もう一人には荷台に乗ってもらってカメラ係って訳だ」
 駐輪場に到着し、母親のチャリの荷台を強度確認するように何度か叩いて、「片手運転で万が一事故ったりしたら、流石に警察も黙ってないだろうし」とムツは付け加える。ところで、二人乗りの自転車が道を並走していても警察は黙っていちゃくれないと思うんだが、それに対するお前の意見は?
「んー、並走をとっ捕まえたい気持ちはわからなくもないけど、二人乗りくらいは勘弁して欲しい感じだな。……ていうか、チャリの二人乗りって青春の代名詞だろ? 荷台に乗っけた可愛い彼女が後ろからぎゅ☆ の青春タンデムなんて、男のロマンじゃねーか! チャリの二人乗りが厳しく取り締まれるようになった暁には、日本中の青春タンデムが絶滅してしまうのではないかと、俺は密かに危機感を抱いているぜ」
「んなことに危機感抱いてんのか、お前は……くだらない」
「べっ、別に警●庁の建物に爆発物を仕掛けようなんて思ってないぞっ!?」
「んな過激なこと考えてるのか、お前は! どんだけ青春タンデム死守したいんだよ!」
 あと、ここは神奈川県だからな? 警視庁じゃなくて神奈川県警の管轄ですから。
 ……つーかそれ、伏字にする意味あるのかよ。
「何を言ってるんだユキ! 警●庁は怖いんだぞ!? 伏字にしておかないとどんな目に遭うかわかったもんじゃないんだ! いいか、あの人達は間違いなく、何があろうが決して敵に回してはいけない組織の一つなのだ、ユキ!」
「いや、神奈川県警だって充分怖ぇーよ! 普通警察を敵に回そうって馬鹿もいないだろ! つーかムツ、今のお前の台詞が警察を敵に回したよ! 馬鹿かお前は!」
 これだから東京都民はっ……!
 俺達Cチームメンバーの中で唯一警視庁の管内に住むムツである。
 野瀬睦、東京都は町田市の一市民。
「二人共うるさいなぁ。こんなところでぎゃあぎゃあ騒ぐなよっ、暑苦しい。……すぐそこに交番あるし、迷惑ですっつって突き出すよっ?」
 肩に提げていた鞄からうちわを取り出し、いかにも暑そうにぱたぱたと動かしていたミキにそう言われ、俺はおい、と突っ込みを入れただけだったが、隣のハイテンション馬鹿は、
「わぁぁっ、それだけは勘弁してくれー!」
 ええぇー……?
 ……本気で警察怖がってんのか、こいつは。
 いつも俺様万歳的に不敵な笑みを浮かべ無敵を気取っているのに、警察は苦手だというのだろうか? そういえばさっき、警視庁怖いとか言ってたしな。
「お前、何でそんなに警察が嫌いなんだよ」
「警察好きな奴なんざいねーだろ! 俺警察と結婚する〜とか聞いたことねぇだろーが!」
「いや、確かに好きって奴はいないだろうけど……そこまで嫌うのなんかぶっちゃけ犯罪者くらいじゃ――」
「ぎゃあぁぁぁぁっ!」
 と、悲鳴を上げるムツ。
 ……お前犯罪者なのかよ。
「だって……俺昔、駄菓子屋で万引きしちゃったことあるし、駅前で売人に渡された覚せい剤机の中に隠してあるし、そのヤクの売人は半殺しにしちゃったし、カツアゲしようって声かけてきた高校生五人組をノックアウトしちゃったし、姉貴のヌード写真撮って財布の中に入れてあるし、学校のチョークパクって道路に落書きして遊んでたし、小学生の頃とかスカートめくり常習犯だったし、美人で巨乳だったその当時の担任の先生のおっぱい触ってセクハラしてたし!」
「おい、結構やばいことやってんなぁお前!」
 ところどころ全然大したことじゃないのも混ざってるけどな!
 万引きと覚せい剤と暴力と最後のセクハラは流石にどうかと思うぞ!
「だから俺は、自転車の二人乗り禁止を何としても改めねばならないのだ」
「何が『だから』なのかちっともわからないが……」
「二人乗りの禁止によって俺にはまた前科が増えてしまう!」
「いっそそのまま警察に捕まっちまえ」
 さっきはああ言ったものの、男子中学生の自転車二人乗りをいちいちしょっぴけるほど、神奈川県警も暇しちゃいないだろう。それなのに警察は黙っていちゃくれないとか余計なことを言うんじゃなかった。ムツのくだらない漫才に原稿用紙五枚ほども付き合わされる羽目になっちまった。
「……で、俺達は何の話をしていたんだっけっかな?」
「お前を警察に突き出す話だろ?」
「違ぇよ! 自転車青春タンデムでPV撮る話だよ!」
 ばん、と母親のママチャリの荷台に手を叩きつけるムツ。壊すなよ、俺のじゃないんだからな。ついでに言っておくとうちの母親は多分怒ると俺より容赦ないぞ。
「ひとまずこれから、昼にかけてロケ地の下見に行こうと思ってる。ある程度よさそうな場所は絞ってあるんだけど、何せ前に南林間に来たのって五月くらいのことだし、俺の記憶も確かじゃないからな。候補地を一旦見て回って、昼飯食いながら撮影の案を纏めようぜ」
「うん、いいよー」「了解っ」
「で、地元・南林間の案内は……よろしく、ユキ?」
「……わかったよ」
 肩をすくめて答えつつ、二台のチャリをムツと共に出庫させる。駅前のロータリーまで押していってから、俺の自前チャリを連れていたムツが元気よく跨った。おい、お前がそれに乗るのか。俺のチャリだぞ。
「うわっ、サドル低っ! 足べったりついちまう。ユキ、これサドル上げてもいいか?」
 俺が許可を出す前に、ムツは勝手に自転車のサドルを上げ始める。忌々しい。俺の脚が短いとでも言いたいのか、そうなのか。
「いやー? 別にそんなことは思わねぇけど? ユキの脚が特別短いってんじゃなくて、俺の脚が極端に長いんだろ」
 しれっと言ってのけたモデル体型野郎に殺意が沸く。
 やるせない極悪な感情をどうにかして押し殺そうと必死になっている俺の見ている前で、ムツはサドルを十センチ以上も上げ終えると改めて跨った。軽やかに漕ぎ出すと、車も少ない駅前の小さなロータリーを走っていく。途中から立ち漕ぎになって、やがて一周して戻ってきた。
「うっしゃ、行こうぜ。ミキ、俺の後ろにおいで♪ ユキとメグは、二人で相談して決めろよな」
 ミキを荷台に座らせながら自転車にまたがったままのムツの脚は、十センチほどもサドルを上げたというのに少し踵が浮く程度で、まだまだ余裕がある様子だった。


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