* * *

 先に出発してロータリーを出て行ったムツとミキに取り残される形となったメグと俺は、相談の末俺が前で漕ぎ手に回ることに決めた。メグはムツほど身長に対する脚の比率が高い訳ではないが、背が高い分、俺より脚が短いことはあり得ない。俺の母親……ついでに俺に合わせてあるサドルの高さでは間違いなく脚が余ってしまい、更に言えばメグに合わせてサドルを調整している時間もないことから、ひとまず俺が漕ぎ手になることになったのだった。
 ステップ代わりの車輪のネジにメグを立たせ、俺の肩を掴ませてから発進。久々の二人乗りは最初の内少しぐらついてしまったが、すぐに慣れた。やがて先に行っていたムツとミキの二人乗りに追いついたが、あのうざいハンサムフェイスの後ろにちょこんと横向きに腰かけてミキが可愛らしく時折手を振ってくることに、何ともいえない灰色の敗北感を抱くのはどうしてなんだろうね。
 別にメグとの二人乗りが嫌なんじゃないんだけど……
 軽やかにチャリを漕ぐイケメン面と、下手なアイドルより可愛い超絶美人。
 …………何なんだ、あの眩しい青春タンデムはっ!?
 対照的にこちらはどこからどう見ても極々普通の男子中学生の迷惑感漂いまくりな交通規則違反である。お世辞にも背が高いとはいえない俺が前で漕ぎ、ひょろりと背の高いメグが後ろで立っているので余計に曲芸じみて見えたことだろう。「たまにはこういうのも楽しいね」とか微笑んで抜かすエセ優等生面とは反対に、俺は結構必死だった。当たり前だが、Cチームメンバーで一番たっぱのあるメグは、体重もそれなりにある。もちろん、すらりとしたスタイルをしているため身長の割には軽いのだが、そういう問題じゃないのだよ、キミ。
「……っくそ」
 前を走るムツ&ミキに何度も置いていかれそうになりながら、俺は必死で自転車を漕ぎ続けたのだった。

 あっちへこっちへと気の向くままに自転車を走らせるムツについて、一通りロケ候補地を見て回ってようやくのこと俺達が南林間の駅前へと戻ってきたのは、真夏の太陽が丁度真上に昇ってきた頃だった。
 駐輪場に二台のチャリを停め、ロータリー前のケンタッキー・フライドチキンの店内にて。
「ふぃー……涼しい……」
 店内の四人がけ席を占拠した俺達を、冷房の効いた心地よい空気が包んでいた。奥の席に座ったミキが俺の正面で机にぺったりと伏し、顔だけをこっちに向けて恍惚とした声で言う。幸せそうな表情だ。……ちなみにムツとメグは、今フロントに行って俺とミキの分も含めて昼飯のチキンを注文しに行っている。ミキのこの天使のような――むしろ天使そのものといった感じだ――笑顔を見ているのは俺一人だけだ。自分一人でこの幸せを独占しているのかと思うと、こっちまでだらしなく頬が緩んできちまうな。
「俺、今人生で二番目か三番目くらいに幸福な気持ちを味わってるよ……クーラー最高だなっ。昨日のムツんちとは天と地ほどもの差があるよっ」
 そうかいそうかい、それはよかった。俺は自分の目が糸のように細くなっていくのを感じた。俺も今、人生で二番目か三番目くらいに幸福な気持ちを味わっているよ。ミキ、君の幸せはイコールで俺の幸せに直結しているのですよ……。
「よぉ、お待たせーっ! 野郎共、鶏だぜッ!!」
 が、そんな俺の幸福を台無しにするような雑音ボイスが突如として頭上から降ってきたかと思うと、続いて頭にぼんとトレーが降ってきた。すぐさまトレーは持ち上げられたので、眉根を寄せて不機嫌を表しつつ背後を振り返ると、そこに立っていたのはフライドチキンの入ったバスケットとドリンクの紙コップが乗ったトレーを持ってにやけた笑みを浮かべたムツ。俺の不快指数が十上がった。同じように笑顔を浮かべているのでも、ムツとミキとでどうしてこうも俺の抱く感想は違うのだろう。
「お待たせ! チキン十二ピースとコーラ四つ、ビスケット四つにポテト二つ、コールスロー四つね。はい」
 ムツの後ろから更に追加のフライドチキン達を持ってきたメグが、にこにこと如才なく微笑みながら言ってトレーをテーブルに置く。こいつの笑顔は俺にとって癒しでこそないが、とりあえず害ではないな。
 という訳で、ミキの隣にメグ、俺の隣にムツがそれぞれ腰を落ち着け、四人で代金をワリカンし終わったところでいよいよ昼食をとる運びとなった。各々がフライドチキンを手に取ってかぶりつく。やっぱりケンタのチキンはいつ食っても美味い。
「で、さ。ムツ。……昨日言われた時から気になってたんだけど、何でロケ地、南林間にしたんだい?」
 しばらく無言でチキンをむさぼっていた俺達だったが、一つ目を食べ終えたところでメグがムツにそう尋ねると会話が再開された。
 ムツはもしょもしょとブレストの肉を食らいながらメグにこう答える。
「何でって、『車輪の唄』の世界観を忠実に映すのにぴったりな駅前の形してっからだよ」
 口の周りが油でてかっている。妙に間抜けに見えるな。見えるも何も、こいつは間抜けそのものだが。
「南林間ってさ、中途半端に田舎で、駅前が町田とか横浜とか相模大野ほどごちゃごちゃしてないじゃん? 『車輪の唄』には線路沿いの道をチャリで走って電車追っかけるシーンが出てくるだろ。アレが撮れそうな場所〜って考えた時に、思いついたのがユキの最寄たる南林間だったって訳」
 なるほどな……言われてみれば、確かに。
 ムツの言う通り、南林間駅前はお世辞にも栄えているとは言えず、東口なんかは線路沿いのまっすぐなただの道が上り方向から駅前ロータリーまで五百メートルほども続いている。元々小田急江ノ島線沿線は線路が直線に延びていて、それに併走する道路も真っ直ぐなところが多いが、なるほど。ムツは以前俺の家に押しかけてきた際に南林間駅前の様子を見て、それを覚えていたのか。
「でも、東口からの道は確かにまっすぐではあるけどさぁ、平坦だろっ? 『線路沿いの上り坂を』と『線路沿いの下り坂を』っていう歌詞と合ってなくね?」
 午前中にロケ候補地を自転車で回った時のことを思い出してだろう、ミキがストローでコーラを吸い上げてそう言った。その通りだな。東口側の線路沿いの道は見事に真っ平らだぞ、ムツ。
「そこら辺は全っ然問題ナシ! どんなシステムエラーも発生しねーさ。……考えてみろよ、ビデオなんだぜ? 映る範囲なんて高が知れてる。歌の中でも割と長めの『上り坂』のシーンは別の適当な坂道で撮って、線路沿いってことにしちまえばいいだろ。『下り坂』のシーンは、どうしても電車と並走させなきゃいけないから、平坦だろうが線路沿いでやらざるを得ないけどな」
 坂道のシーンは別の場所で撮って「線路は映ってません」ってことにしちまうつもりか。こういうずるいというか、フェアじゃないというか、適当というか、そんなところは実にムツらしい発想といえよう。いいことか悪いことかと問われれば、悪いことではないにせよ、いいことだとはひとまず言い切れないな。
 が、それについてぐちぐち文句を言った結果「じゃあロケ地変えよう」などと言って東北なんぞに連れて行かれても結構本気で困るので、俺は黙ったままコールスローをフォークですくって口に運んだ。マヨネーズの味がやけにすっぱく感じるが、俺の味覚がこの一瞬に限っておかしくなっているだけだろう。
 別に、歌詞の内容に対してそこまで忠実である必要はない訳だし、それよりは残り少なくなってきている夏休みに鉄道が単線で周囲が田んぼなんてド田舎に三泊四日とかの方が困る。企画主のムツが納得しているんだからそれでいいだろうって話だ。俺も伊達にこの五ヶ月、脳天ブチ切れのハンサムフェイスとつるんでいた訳じゃない。自分の発言が次のムツのアクションにどういった影響を及ぼしそうかっていうのが、少しは予想できるようになってきたのさ。微妙に悔しいことだけどな。
「じゃあ、その代わりの坂道の候補はあるのか?」
 平らに開けた土地にほぼ碁盤上の土地区画となっている南林間駅周辺には、坂道らしい坂道はあまりない。……ん? 一つ、今日自転車で巡った場所の内に心当たりがあるな。
 案の定ムツはうなずいた。ストローでコーラを吸ってから言う。
「さっき通ったあそこでいいと思うんだけど、どうよユキ?」
「県道五十号の跨線橋か……」
 南林間駅から北へ線路沿いに五百メートルほども行ったところに、小田急線の線路と立体交差して東西に延びている大きな道路があるが、そこが県道五十号座間大和線だ。それを挟んで向こう側の住所は中央林間に切り替わる、そんな大通り。線路との交差点は跨線橋になっていて、確か名前は山王橋とか言ったんじゃなかったかな。土着民族のくせに詳しくは知らないけど。
 その橋を頂上にして、県道五十号線は線路の両岸から緩やかな坂道になっている。あそこならうん、悪くはないだろ。少々傾斜が緩すぎる気もするが、他によさそうな坂道の候補も思い浮かばない。
「線路の近くって意味じゃ、線路と交差っていうのは線路沿いと対して差はないしな。それに東西に向かって走っているから、『坂を上りきった時 / 迎えてくれた朝焼けが あまりに綺麗過ぎて』って歌詞とも一致する」
「だろ? じゃあ、上り坂のシーンはあそこで決定な。……あとは券売機のシーンと、改札、ホームのシーン。それから電車と競争する下り坂のシーンか」
 持ってきた荷物の中からルーズリーフを一枚と筆記用具を取り出すと、ムツはテーブル上のトレイの内片方を自分の前から隣のテーブルへ押しやり、そこで何やら図を描き始めた。
 ……あれから実に五年が経過した今、俺は受験勉強の合間を縫ってあの時ムツが描いた図を探したのだが、奇跡的に机の引き出し奥深くから発掘されたので、この小説と共に読者の方々のお目にかけようと思う。しかし何だって俺はこんなくだらんものを取っておいたんだか謎だ。





 地図だ。南林間駅周辺の略図である。上下に描かれているのが線路、図の上部で線路と交差し描かれているのが県道五十号線と跨線橋で、線路に沿って描かれているもう一つの線が線路沿いのストレートコースだ。その他、駅西口でその現在俺達が溜まっていたケンタや、県道・線路近くにある女子校、東口側にある保育園から女子短大まで、なかなかに細かく描かれているが、もちろんムツはこの図を描くに当たって何か既存の地図を参照した訳ではない。全て自分の記憶だけを頼りにこの図を完成させたのだが、かなり正確に描けていて少々驚いた。ムツが南林間駅周辺を巡ったのはこの時と、それからせいぜい以前に一、二回あったかどうかだと思うのだが、たったそれだけの経験でこれほど正確に空間を把握し、記憶として定着させたというのは、結構凄いことなのではないだろうか。俺がこの図を引き出しの中に保存しておいた理由は案外そんなものなのではないかと今思った。まぁ、ムツと違って記憶の曖昧さには定評のある俺だから、本当のところはどうかわからないけどな。
 さて、という訳でムツは図を描き上げた。完成したそれを俺達にもよく見える場所に移すと、ムツは三つ目のチキンを手に取って食しながら言う。
「そしたら、飯食い終わった後で、カメラアングルの確認と撮影の練習に行きますか! ……まぁ、これからが一番暑い時間帯だからな。もう少しここで涼んでてもいいけど」
 俺はミキの向こうにある窓の外を見た。よく晴れている。道を行き交う人達は皆、日傘を差したりハンカチで汗をぬぐったり、服をびっしょりと汗で濡らしていたりする。アスファルトの上の空気が揺れている気もする。
 ……見るからに暑そうだ。できればまだもうしばらくは、ここに留まっていたいね。
「行くのはいーんだけどさっ」
 俺の正面でビスケットにメイプルシロップをかけながらミキが言った。
「誰が撮影するのかとか、役者は誰がやるのかとか、決めねぇのっ?」
 ウイングの肉にかぶりついて口の周りを油で光らせている間抜け面のムツがうなずく。
「決めてある」

 聞いていません。


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