* * *

 ネタばらしというんじゃないが、このボウリングに関するギャンブルが、俺がこの小説を書いている現在から五年も前の出来事であるにも関わらず、どうしてスコアを全て正確に記憶しているのかについてはここで明かしておかなければならないだろう。
 まぁ、明かすとか明かさないとか大げさに言うほどのものでもないんだけどな。単純にその日、ムツに挑む俺・メグ・ミキの三人連合の共同スコアを計算するために、メグが全員のスコアをご丁寧にも書き留めていてくれたからである。何故そのスコア記録用紙が俺の手元……しかもいつぞやのミュージックビデオ自主制作騒ぎの時にムツが描いた南林間駅周辺の地図と共に引き出しの奥深くで眠っていたのかは全くの不明だが。
 ルーズリーフに几帳面にも定規で描かれた表がいかにもメグらしい、そのスコア記録用紙によると、その後第六フレームにミキが投げ終えるまでの各々のスコアは以下の通りである。

Total
GGF60
Total
  58
Total
F  42
Total
  G   86
共同 Total
G  72

 第三フレームでミキ、第四フレームで俺、第五フレームでメグがそれぞれ一回ずつスペアを出したのみで他は振るわない俺達とは違い、ムツのスコアは現在高校三年生である俺の目から見ても素晴らしく異常だ。
 第三フレームでスペア、第四フレーム8スプリット・1、第五フレームで再びストライク。暫定スコアはこの時点で86――上記のスコア表で最も下にある三人同盟の共同スコアと比べても、既に一マーク差(マークとはストライク・スペアのことで、おおよそ十点分のこと)がついていた。
 あ、ちなみに三人同盟の共同スコアは、ボウリングの独特な得点計算法に則りメグがその場で計算し書き留めてくれたものである。もちろん始めた当初は計算法なんかこれっぽっちも知らなかったメグだが、ディスプレイに表示されるスコアが変化していく様を眺め、そして俺にほんの僅か法則を尋ねただけでやけにあっさりと理解したのは賞賛に値するだろう。そういうところ、メグって凄いよな。頭の回転のよさはピカイチだ。
 が、ボウリングでいい成績を残すために必要なのは残念ながら得点計算の速さではない。それは数学の成績が壊滅的なムツがトップを独走していることからもわかる事実だった。
「……ふぅ、」
 かぽーんっ。
 迎えた第六フレーム、第一投を投球後に十本全てのピンの消滅を確認した俺は、ファウルラインの手前に立ったまま短く吐息をついて額に湧いた汗を拭った。ここへきてようやく、本日初のストライク。
 これがさっき、第五フレームの時に出せていたらよかったんだけどな……その前の第四フレームで取ったスペアを活かさねばと緊張した挙句、力んで投げすぎ再びのワッシャーを生み出した数分前を思い出しながら、今度は長くため息をついた。人生って上手くいかない。
「おおー? なかなかおやりなさるじゃないか、ユキ嬢ちゃんよ」
 ストライクを取った割には嬉しくなさそうな顔で(というか基本俺は表情豊かな方じゃないが)ベンチへと戻った俺に、目下丑の刻参りの藁人形的恨みの矛先であるムツがにやにやとした笑みを投げかけてきた。入れ替わりでメグが立ち上がり、アプローチへと向かう。
 うるせぇ、俺だってお前ほどじゃないがボウリングは割と得意なんだ。緊張さえしなければ安定的にストライクやスペアを出せるパフォーマンスのいい人材なのさ。
「へへっ、緊張さえしなければ、ねぇ? ……何を緊張してるんだい? ひょっとして俺様に勝たなきゃとか思ってる? 無理無理、やめとけ。お前等庶民にはちゃんと税金払ってたって不可能だぜ」
 ……殴っていいか、こいつ?
「ユキ、やめときなよっ」
 心の中でむくむくと湧いた殺意を拳に乗せてぶつけたい衝動に乗っ取られている俺に気がついたのか、ミキが後ろから俺のワイシャツの袖を引っ張って制止してきた。向こうではメグが第六フレームの二投目を投げようとしている。
 そのまま俺を引き寄せ、ミキは耳元でこう囁いた。
「……殴るのは勝ってからだよっ。今は我慢、ゲームに集中して、後で思う存分ムツをタコ殴りにしようぜ。もう参りましたって土下座したって容赦してやんないんだからなっ」
 ミキが考えることは時に俺よりも残酷だ。
 そこで丁度、ピンがピットへ落とされる音が聞こえてきたので振り向くと、若干肩を落としたメグがこちらへ戻ってくるところだった。ディスプレイを見れば、表示されている第六フレームの成績は6・-。どうやら一投目で残ったピンを二投目で一本も倒せなかったらしいな。
「あーあ……右に寄り過ぎちゃったよ、二投目。さっきのでコツが掴めたと思ったんだけどなぁ」
 ドンマイメグ、気にすんな。第五フレーム、ミキが振るわなかった上に俺がミスった時にはスペアでフォローしてくれただろ、あれで充分だ。一回スペア取れたからって連続で上手く投げられるとも限らないしな。そんなのは大した問題じゃない。
 それより問題なのは……。
「……んー。あんまり得点差が開いてもつまんねーしなぁ。ここはいっちょ、再びのサービスタイムと参りましょうか」
 ……それより問題なのは、メグと入れ替わりにベンチを立ってアプローチへと向かった、忌々しき俺達の敵たるイケメン面だ。
「本当はダブル・ターキーと繋げて得点稼ぎたいところだけど? ま、ちょいと容赦してスペアにしといてやらぁ。……一投目でテンピンだけ残すぜ。と・く・とっ! 見ておけよ」
 俺達の神経を逆撫でするだけの手加減宣言をしてから、ムツは第一フレームから全く乱れることのない完璧な助走と投球モーションで第一投を放った。
 俺達が使っているどれよりも重い十ポンド球とは思えぬほど軽やかにレーンを滑走したボールは、これまた全く今までと同じように右から二番目のスパットの上を通過し――そして、これまでよりほんの少し大きく、ピンの手前で左へとカーブする。
 ぱかんっ!
「……おいおい、勘弁してくれ」
 レーキが倒れたピンを掃き、そこへピンセッターが降ろしてきた残りピンの数と位置を見て、情けない台詞が俺の口から零れた。
 ありえん。本当にテンピンだけ残してやがる。
「ひゃっはー♪ 絶好調ーっ!」
 すぐさまムツが放った二投目も、まるでピンが持つ強力な引力によってボールが吸い寄せられているんじゃないかと思うくらい正確にクリーンヒットした。予告通りのスペア。
 ディスプレイに映されたスコア表に、9・/、暫定スコア106と表示される。現在二位で暫定スコア68の俺との差は既に四マーク近くにもなっていた。
 ……滅茶苦茶だな、もう。
 そんな思いと共に俺が深く息を吐き出した時には、既に俺とメグ・ミキの三人の間には絶望感のようなものが漂い出していたように思う。

Total
GGFF 78
Total
 G 94
Total
FG73
Total
  G   146
共同 Total
G G 120

 ゲームは続く。
 その後第八フレームまで終了した時点でのスコア表がこちらだ。第八フレームでミキ・俺が連続でストライクを取り、更に続いてメグまでもがスペアを取って、こりゃあダブルがかかっているムツにいいプレッシャーをかけられたんじゃないかと思いもしたのだが……下手の考え休むに似たり、ムツはちっとも動揺することなく極めて冷静にストライクを決めてきた。
 暫定スコア、146。第八フレームが終わった時点で俺のトータルベストを余裕で超えやがった。既に何となくわかっていたことではあるが、やっぱりこいつは只者じゃないな。
 ちなみに三人連合の共同スコアは、同じ時点で暫定120。ついに三人がかりのスコアでも二マーク差をつけられてしまった。
 ……はっはっは。笑うしかない。
「……もう俺死にたい……」
 第九フレーム、2・5、トータルスコア92という成績でベンチに帰還したミキはすっかり戦意を喪失しており、太陽に当たりすぎた花がしおしおとしなびるように座り込んで真っ白に燃え尽きていた。ムツ相手に啖呵を切った時の自信はどこへやらだ。
 俺にしてもミキを笑っていられるような状況では到底ない。ここで続けてストライクかスペアでも取れればまだ望みはあったのだが、この後の第九フレームは俺の悪い癖である緊張によるミスで7スプリット・2、トータルスコア112とするにとどまってしまった。
「……メグ」
「……何だい。プレッシャーの押し売りならお断わりだよ」
「いいや、そんなんじゃねぇよ。……もう好きに投げて来い」
「……ある意味プレッシャーかけられるよりもつらいよ、それ……」
 続くメグの成績なんか言うまでもないだろう。7・1、トータルスコア88。ほぼ初心者にしてはまずまずの成績だが、いかんせん戦う敵が悪すぎたな。ドンマイとしか言いようがなかった。
「おーいおい、お前等揃いも揃って意気消沈かよ? まさかのギブアップ? アレだけ派手に宣戦布告してくれやがったんだ、降参は認めないぜ」
 最早何も言えずに沈黙するしかない俺達の目の前で、ムツだけが元気だった。「しょーがない、本日三度目のサービスタイムだ。ユキちゃんと同じ成績にしてやんよ」という宣言の後に臨んだムツの第九フレームは、当然の如くその通りの7スプリット・2で、それを見た俺達のテンションの下がり具合は小笠原海峡よりも深い。
 ……一投目を投げて残ったピンの場所まで同じではなかったのがせめてもの救いだな。これで残りピンの位置も同じだったらきっと俺は発狂せずにいられなかったと思う。
 ここまでのムツのトータルスコア、171。対する三人連合の共同スコアは138。第九フレームを全く同じ成績にしてもらったにも関わらずついに三マーク差だ。
 そしてそれは同時に――これから迎える最終フレームで俺達三人の誰かが奇跡的に三連続ストライクを取ったとしても、ムツには勝てないことを示していた。
「……終わったな……」
 そうとわかれば最終フレームを投げにいく気力も起こらなかった。俺とメグとミキ、三人の頭上を今度こそ本物の絶望感が飛び交う。
 見事なまでに完敗だ。ここは大人しく三人でムツにクレープを奢って帰ろう――

 ところがその時だ。
 意外にも程がある救世主が、俺達の背後にご光臨なさった。

「あーつしっ」
「わっ!?」
 俺達の陣取っているレーンの外から不意にかかった声に、第九フレームを投げ終えたばかりでまだアプローチに立っていたムツがびくりと身体を震わせて振り返った。
 それと同時にベンチで沈黙していた俺達三人もまた背後を振り返り――そして絶句する。
 度肝を抜かれるようなとんでもないクラスのセクシー且つゴージャスな美女がそこにいた。面食いじゃなくてもこの世の男性が例外なく飛びつきそうな筋の通った綺麗な顔立ちに、思わずスリーサイズを測りたくなるほどのモデル体型。脚も細くて長く、全体的にすらりとした印象を受ける。スタイリッシュなチュニックにミニスカート、膝上までのロングブーツという私服スタイルの彼女のファッションセンスにはどこにも抜かりがなく、恐らくは自然の色だろう、胸の辺りまで伸ばした色素の薄い茶髪も丁寧にアイロンで巻かれていた。
 ケチのつけようがない、一人の女性としてまさにパーフェクトな彼女は、一見して大学生くらい――顔立ちの大人っぽさは充分社会人でも通用しそうなのだが、垢抜けないキュートな表情からすると二十歳未満ほどか。
 敢えて欠点を述べるなら目つきが少し挑戦的なのが気になるが、何故か俺はそれと似た目つきを知っている……
 そしてその答えを言い放ったのはこの男だった。
「何だ、姉ちゃんか」
 さっきまでストライクにスペアにと大暴れしていたムツが、彼女とそっくりな目をぱちぱちと瞬いて言った。
 ……ええぇぇぇぇぇっ!?
 姉ちゃん? この究極的な美女が、ムツの? これまで何度となくムツの話題に登場していた野瀬家姉、ムツが事あるごとに自慢したがる実の姉が彼女だというのか?
 でも、突如として現れたこの皆目麗しき女性の正体について、言われてみればムツの姉というのが一番納得いくような気がする。それくらいムツと彼女が持つ外見というか、雰囲気というか、DNAと生育環境に由来すると思われるものはよく似ていた。
「何だとはとんだご挨拶ね。折角時間を割いて会いにきてあげたっていうのに」
「つか、何でいんの? 今日って学校三限までじゃなかったっけ?」
「ざーんねん、三限目は休講になったの。……お母さんに電話して聞いたら、睦ならボウリングしてから帰ってくるっていうからさ。それならここにいるんじゃないかと思ってちょっと寄ってみたのよ。ううん、そんなことより、」
 呆然とする俺・メグ・ミキを挟んで会話を交わしていた美男美女の姉弟だったが、やがてお姉さんの方がそう言ってムツとよく似た褐色の瞳で俺達を捉えてきた。
「君達ね? 睦のチームメイトのお友達っていうのは」
「えっ、あ」「あ、その」「は、はひっ」
 瞳を介して彼女が送ってきている電波に操られるかの如く、咄嗟に俺達は揃ってベンチから立ち上がり示し合わせたように気をつけの姿勢を取っていた。やけに背筋が伸びるが、けれど彼女を目の前にしたら誰だってそうなるさ。特に健全な思春期の男子ならな。
「こっちから、メグちゃん、ミキちゃん、ユキちゃん。それで合ってるかな?」
 俺達が名を名乗ろうと口を開きかけたところ、彼女は先にそう言って制した。驚きだ、ちゃんと合っている。よっぽどムツから話を聞いているのか? 自己紹介の必要がなさそうなことは確かだが。
 どうも、とか初めまして、とかこんちわ、とかに類似した、よくよく聞くと何を言っているんだかわからない挨拶のなり損ないを口々に言いつつぺこぺことお辞儀する弟の友人諸君を見て、彼女はやけに楽しそうに微笑み、
「野瀬望です。いつもうちの弟がお世話になってます」
 眩暈がした。この視覚・聴覚・嗅覚からダイレクトに俺達の脳髄を刺激してくるオーラの感じは確かにムツの姉だ。弟がお世話になってます? 何のその。貴方にそんな風に言っていただけるのならいくらでもお世話しますよ。むしろ僕が貴方のお世話になりたいです、お姉さん……
「えっへへー。どうよ? うちの姉ちゃん超可愛いべ? 美人だろ?」
 吸い寄せられるようにへろへろとアプローチから戻ってきたムツの気持ちはよくわかる。このお姉さんならシスコンになったっておかしくないな。但し望さんが美人で可愛いのはお前の手柄では全然ないが。
「えっと……望さん、大学生、ですか?」
「うん? うん、そうだよ。一年生」
 大学一年生、ということはムツと六つ歳が離れているのか。道理で随分大人びて見えるはずだと俺は聞いて納得した。
 望さんは尚もにこにこと笑って愛嬌を振り撒きながら言う。
「みんなのこと、睦からよっく聞いてるよー。いつも仲良くしてくれてるみたいでありがとうね? ……ぶっちゃけ大変でしょ、睦と友達付き合いするの」
 そう言ってくすくすと笑うなど、仕草の一つ一つも匂い立つような魅力に満ち溢れている。さっきから妙にあの独特の抜ける音がしないなと思って見れば、ボウリング場内にいるほとんどの男性の視線は彼女に集まっていた。まさに天然の男殺しだ。
「こいつってば色々無茶するもんね。大丈夫? みんなの迷惑になるようなことやったりしてない? 困ったことがあったら私からきっつく言っとくから、何でも言っちゃっていいよ」
 それにしても流石は実姉だけあって、ムツのことをよくわかっていらっしゃる。身内に言うことじゃないかも知れませんが、本当にこいつには困ったもんですよ。騒ぎのあるところに奴の姿あり、台風の中心たる手に負えない暴風雨、吹き渡る烈風の化身――古今東西に並ぶ者なきご意見無用で問答無用、天上天下唯我独尊に喧嘩上等天下無敵のトラブルメーカーですからね。今日だって例外じゃなく……
「……今日だって例外じゃなく?」
 俺がそう言いかけて黙ったのを受け、きゅるりと望さんの目つきがどこか険しく変化した。やばい、つい口が滑った。
「……いや、何でもないです」
「何でもない訳ないでしょ? 何? 今日だって例外じゃなく、こいつは何をやらかしたの?」
 俺に自白を迫る時のこの気迫、間違いなくこの人はムツの血縁者だ。
「いや、何でもねぇよ。何でもないって!」と自分の罪を隠そうとするムツの引き止めにも応じず、望さんは俺の方へ身を乗り出し鋭い視線で心臓を串刺しにしてくる。観念した俺は目を泳がせつつも白状するしかない。
「え、いや、その、ですね……ちょっと賭けを」
「賭け?」
「あ、まぁ、大したもんじゃないですが……こいつ対俺達三人で、えー、俺達は各フレームごと三人のスコアの中で一番いい成績だけを足していくスコアで……その、そんな感じで勝負して、負けた方がクレープを奢るという……そんなのを……」
 耐え切れずついに俺が口を割ると、望さんの目つきはますます鋭く尖った。今にもレーザービームを発射しそうな色合いだ。
 望さんはそんな眼差しを一旦スコア表が表示されたディスプレイへと向け、四人分のスコアを確認。それから徐に俺達へと向き直って「で、三人一緒のスコアっていうのは?」と言い、メグが手にしていたルーズリーフを回収してじっと睨みつけた。
「ふぅん……第九フレームまでで171と138、三マーク差ね……ふぅん、」
「えー、……姉さま? 何を考えておいででしょうか?」
 奢る奢られるの金銭絡みのやり取りを怒られるんじゃないかと萎縮しているらしい、ムツが脇から恐る恐る引きつった笑みで尋ねる。
 望さんはそれから更に十数秒間メグ製のスコア表を眺めていたが、やがて俯きがちだった顔を上げるとにっこりと微笑み、
「別に? いいんじゃない、賭け。楽しそうね」
 メグへとそのスコア表を返した。ムツは安堵したのか、露骨にほっとした表情を浮かべてやがる。
 ところがその安堵の表情は、次に望さんがムツへと向き直って言い放ったこんな台詞により、瞬間冷却され凍結したのだった。

「これ、私も参加するわ。……で、睦。私ともう一ゲーム勝負しなさい。私が負けたらここにいるみんなにクレープを奢るから――あんたが負けたら同じようにみんなにクレープ奢ること」

 にぃ、と――
 悪いことを企んでいるのに違いない望さんのその笑みは、ムツが浮かべるものにそっくりだった。

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